「更紗の健全さ」流浪の月 トールさんの映画レビュー(感想・評価)
更紗の健全さ
”怒り”や”悪人”の監督作品と言う事で、期待に違わず重厚で見応えのある作品でした。この監督は俳優に究極の演技を求めますが、今回も広瀬すずと横浜流星が秀逸。松坂桃李は特殊な設定の難しい役で、共感が得られ難い損な役柄でした。登場人物の多くに心の傷を抱える人がいる中、更紗(広瀬すず)の、すなおでけなげな姿は、この映画の中の唯一の救いでした。自分を苦しめる亮(横浜流星)が自殺を図った時も助けますが、亮はこの時、更紗が手を握ってくれた事で、自らの愚かさに気づき、そして救われます。たぶん、この自殺は亮の狂言で、愚かにも更紗を取り戻そうと(或いは試そうと)したのですが、更紗が(母親やこれまでの恋人と違って)自分を見捨てなかった事に、彼は救われたのだと思います(むしろ思いたい)。次第に内面の屈折した姿があらわになり、壊れていく横浜流星の演技は素晴らしい。対照的に更紗は子供の頃のトラウマを抱えながらも、屈折することなく、文(松坂桃李)への謝罪の念を抱きながら、(こんな自分を愛してくれる)亮にも感謝し、しかも、自分の気持ちにも素直で、(文の隣に越してくるほどの)行動力もある健全な姿で描かれます。すがすがしさまで感じられる姿です。自分は周りが思っているほど不幸ではないと言えるほどまっすぐな性格です。過去の事件では更紗のこの明るさが文の救いだったのでしょう。しかし亮にとっては更紗は当初屈折した者同士、むしろ彼女の方が闇が深く、それを見下す事で自分の闇を隠蔽出来たはずなのに、次第に気付いていく更紗の健全さの前には自らの愚かさが際立っていき、亮はそれに耐えられず病んでいくことになるのです。 そんな明るく素直な更紗も過去の文との事件を経て、どこかで全てを諦めているような陰も加わってしまった。この辺の描き方や演技はとても微妙で繊細です。一方、文のトラウマはロリコンではなく病的不能と、それにより母親に受け入れられなかった事にありました。それが最後に明かされますが、ここは、かなり特殊な設定で、しかも唐突感を否めず、感情移入し難い部分でした。ここをもっと丁寧に描いていたならば、全体のバランスが良くなった気がします。彼にとっては母に拒絶された病的不能の方がロリコンよりも大きな問題で、それを隠す為にロリコンを装っていたのでした。文が別れ際に恋人(多部未華子)からロリコンが理由で自分と出来なかったのか、と尋ねられ、そうだと露悪的に嘘をつく場面、彼女から恨まれ結果傷付ける事にもなるのですが、ここは解釈の難しところ。
文と更紗は、過去同様本人達の意図しないまま周囲から誤解され続け社会から隔絶していきます。このレビューでも言及されてた近松の道行を彷彿とさせます。最後に文が更紗に不能を告白して、お互いをわかりあい、他人には理解しがたい二人だけの世界に入って行くのです。道行は心中で終わりますが、文と更紗は何処かへ”流れて”やり直そうとする(そう提案するのは更紗で、やはりポジティブです) そして、やはり、過去のこの監督の作品同様、二人は最後には救われたのだと思います。
あとこの映画は韓国の著名な撮影監督を起用しています。凝った構図や美しいショットが多用されていています。映像芸術としては優れたものとなっていますが、その分難解さが増し、テーマが分かりずらくなったような気がします。