「原作は本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラー小説。 あ、本屋大...」流浪の月 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
原作は本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラー小説。 あ、本屋大...
原作は本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラー小説。
あ、本屋大賞受賞作だったのね・・・ というのを知っていれば、この展開も無べなるかなというところ。
突然の雨に濡れながら公園のベンチで本を読んでいた10歳の少女・更紗(さらさ)。
彼女の目の前に傘を差しだしたのは、大学生の文(ふみ。松坂桃李)。
行き場のない更紗に「家に来るか」と声をかけ、そのまま、何日もが経過してしてしまう。
孤独な文と更紗は他意のない共同生活を続けただけだったが、世間の目からは「幼女誘拐・拉致」と映ってしまった。
それから15年。
成人した更紗(広瀬すず)は、社会人の彼氏と共同生活を営んでいる。
しかし、ふたりの間はぎこちない。
彼女の過去だけでなく、彼氏の束縛にもよるものだった。
そんなある日、同僚の女性と田舎町には珍しい深夜営業のカフェを訪れた更紗。
その店の経営者は、文だった。
彼氏との共同生活の果てに行き場を失くした更紗は、そのカフェに名を告げることもなく、何度も訪れ、ただ静かにコーヒーを飲むだけだったが、いつしかその行動は束縛の強い彼氏の知るところとなり、文の現在がネットに晒されてしまうようになる・・・
といったところから物語で、ここまでで3分の1ぐらいか。
どこまでも落ち着く場所のない更紗と文の物語は、古くは近松門左衛門の道行きものに通じるところがある。
李相日がそれを意識したかどうかはわからないけれど、行き場のないふたりを作ったのは「世間」というものだった。
「世間」からみれば、
文は幼女誘拐拉致のロリコン少女愛好者という唾棄すべき人物であり、
更紗はそんな性愛者に洗脳された少女の成れの果て、罠にかかったままの悲しむべき人物
ということになる。
更紗がそんな人物ではなく、両親を亡くし、叔母のもとに引き取られたが、叔母の息子(従兄にあたる年長の少年)がいかがわしい行為をし、それを口に出来ないまま、居場所を失くした。
そして、文が彼女に居場所を与えた、つまり、希望を与えたということは前半すぐにわかる。
それを「世間」が観ていないだけ・・・という文脈のようなのだが、映画が進むにつれて、文側にもなにか秘密があるように描かれていきます。
この映画の核はそこなのだけれど、そこを書くのはさすがに気がひける。
けれども、文の行き場のなさを「それ」(という特殊事情)に着地させることで、映画のものがたりにおける普遍性を失ってしまい、とても残念に感じました。
つまり、特殊であるがゆえに納得できるという、これまた「世間」の論理が持ち込まれてしまい、非常に落ち着きが悪い。
そんな特殊事情がなければ、このものがたりは納得できないのか?
いや、そうではないだろう。
そう思えて仕方がない。
李相日監督はこの特殊事情をどう感じたのだろうか?
これだから仕方がない、とは描いていないが、この特殊事情だから多くの観客にも受け入れられると思ったのだろう、たぶん。
最終的に「衝撃作!」という印象が残ってしまうことが、この映画の問題なところで、受け手としての自分の気持ちはどうにも適切な着地点を見いだせないでいます。
とはいえこの映画を否定することでもなく、この評価です。