「傑作というものは時間が過ぎてからわかる…」流浪の月 花散里さんの映画レビュー(感想・評価)
傑作というものは時間が過ぎてからわかる…
初日に鑑賞してから本作が頭から離れなかった。
パラサイトや万引き家族の時もそうだったけれど、心に棲みついたみたいにずっと忘れられない作品がまた一つ生まれた。
朝起きた時、食器を洗う時、布団に入る時、食事をする時…本作の場面がふと蘇ってくる。
それと同時に次から次へと溢れてくる解釈や感想。
すっかり本作に心奪われてしまった。
そして10日がすぎて、もう一度観に行った。
更紗と文…
もの静かに儚げで声も出さずに存在する、まるで昼間にうっすらと現れた月のような2人。
それぞれの心に隠しもつ深い傷は外見からは想像することができない。
似た者同士のようで全くの正反対な更紗と文がまるで呼吸するように自然とひかれ合うのは必然なのではないだろうか…
風に揺れるウィンドチャイムのように2つの魂が共鳴する音が私には聴こえた。
それと同時に、どうか2人がやっと見つけた居場所を奪わないで!と願わずにはいられなかった。
更紗が繰り返す言葉「私は可哀想な子じゃない」…これが本作の伝えたかったことかもしれない。
当たり前みたいに親が育て、当たり前みたいに男女が出会い、当たり前みたいに愛し合い、当たり前みたいに一緒になるというまことしやかな固定概念。
2人が私に問いかける…当たり前って何?と。
私はガーン!と頭を殴られた感じがした。
例えばテレビやネットで流される数々のニュース…
何が正しくて何が間違いなのか…それぞれ個人が持つ価値観や先入観がゆらゆら揺らぎながら、大多数の方向へと向かっていくという現実。
自分と違うことや異質なことは認められない、多数決的気質への問い。
きっと人は誰しも忘れられない記憶や痛みを胸の奥に持っている。その傷は人それぞれで他とは共有することは難しい。
人はその〝共有できなさ〟にさいなまれながらも微かなひと筋の光を手繰り寄せながら生きてるのかもしれない。
この2人のように。
静かだけれど力強く、更紗と文がくれたメッセージをしっかりと受け止めてこれからを生きよう…そう思える映画。
もともと細い松坂桃李さんは役作りのために-9キロの減量をして文を体現。
広瀬すずさんは食事制限とジムで儚げな更紗に近づいた。
そして、ただ一途に更紗を愛する亮を演じた横浜流星さんの新境地が素晴らしかった。
その役者陣の演技を彩るのはホン・ギョンピョの創り出す映像。
画の美しさと力強さに酔いしれた。
血だらけなのに美しい更紗。
沼に浮かぶ消え入りそうな文。
雨、風、光、音…そしてさまざまな表情を見せる月。
傑作です。