「映画としての切れ味は今一歩だが「怖い話」としてはかなり頑張った!」牛首村 Toshiakiさんの映画レビュー(感想・評価)
映画としての切れ味は今一歩だが「怖い話」としてはかなり頑張った!
村シリーズ三部作(となるのかどうかも今後に期待)の三作目。
キャストの注目度などでも話題性があったが、やはりオカルトマニアや怪談好きにとっては何といっても坪野鉱泉という舞台と、前二作でもエンドロールに名前は入ってはいたが積極的参加と言う訳でもなかったオカルト界隈での著名人達からのアドバイスがかなりあったらしいという前評判が、気になるところだったろう。
実際、そういった面ではかなり頑張っていたと思う。
これとこれを混ぜるか~⁉というような鉄板ネタをいくつも折り込み、またコンプラ的に際どいネタでもかなり攻めていた(その点はきちんとエンドロール時に注釈あり)。
それらの仕上がりは十二分に楽しめて、評価できると言って良いと思う。
多くのオカルトマニアが「ああ~そうですねそうですね!」とかあるいは「え、そうきますか!」というネタが満載である。全てを生かし切れているとも言えないのだが、かなり頑張っている。
後半、今回もタイムリープ的(タイムトラベル的?)な展開でまたもファンタジックな流れになった時点で「怖い話」としての整合性や因果の噛み合いがかなり乱れ始めるので、この辺りで怖い話としても、一本の映画作品としてもやはり完成度は高いとは言えまい。
オカルトファンではない映画好きにとっては、ここで一気に評価を下げる方も多かろうと思う。
あとは個人的には、時代設定・各人の年齢設定的にリアリティに欠ける部分が怖さを軽減させてしまっていたように感じた。
祖父母の生まれ時期はどんなに頑張ってもギリギリ戦中か戦前、つまり昭和であろう。青年期はまずもって戦後のはず。昭和10年代20年代あたりの生まれの祖父母の幼少期という近代でも前時代的な忌まわしい奇習が行われていたということ自体はむしろ恐怖を増大させる要素になり得るが、映像的には住居・衣服等々の描き方が明治大正レベルで、やや違和感があり、この辺りの設定を生かせていない。せめて曾祖父母の世代というハナシであれば、女子高生と言う設定の主人公を中心とした家系構成でも無理なくイケたのではなかろうか。
当時を知る「当事者の生き残り」である祖父母と現在10代後半の孫を絡めさせるには、もう一工夫必要だったと考える。
また、祖父の口から当時に幾度もあった飢饉の話題が語られたが、これは戦中戦後の物資不足時代という説明の方が時代考証的に見合うのではなかろうか。あるいは天保の飢饉に代表される、開国以前の過去の飢饉の頃に発生した忌まわしい風習が連綿と生き続けていたのだ、と説明させるか。
このあたりは、怪談の背景考証に長けた吉田 悠軌氏が関わっていながらに詰めの甘さ・粗さが目立ってしまったのは実に残念。次回作では脚本段階で吉田氏の力を積極的に借りた方が絶対に良いと思う。
ただし、このシリーズが目指すのが「映画としての完成度」なのか、「怖い話」の頂点なのか、それによっても違ってくるかと思うので、上記の感想はイチ怪談好きの戯言です。