リング・ワンダリング : 映画評論・批評
2022年2月15日更新
2022年2月19日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
土地に眠る人々の記憶。主人公が見つけた獣の頭蓋骨が導く“小さな気づき”
国内で「神宮」とされる神社は、厳密にはひとつしかない。
元よりあった内宮には天照大御神、隣には食事を供する豊受大御神を祀る外宮、樹齢千年を超える木々と共生するふたつの本殿は20年毎に建て替えられる。年輪を刻む大樹の下を人々が行き交い、動物たちが葉や草を食む。日々の営みが宿る土地には生き物たちの記憶が蓄積されて今につながる。日本創世記から脈々と受け継がれ、日々の営みが続くこの地には一体どれだけの生命が眠っているのだろう。
前置きが長くなったが、悠久の時間を感じる場所を訪れると、心が澄まされ、静謐なるオーラに全身が包み込まれるように感じる。言葉に出来ないこの感覚を映像に定着させた作品が「リング・ワンダリング」である。
金子雅和監督は、土地にはその場所に生きた者の記憶があり、容易には消えずに存在し続けていると考える。かつて確かに存在した命は何かの拍子に姿を現す。決してファンタジーではなくリアルな輪郭を伴って。
未来を見据えられず悩める漫画家志望の青年の今が、彼が描くニホンオオカミが絶滅したとされる明治末期の山村へと跳躍し、数多くの命が失われた米軍の空爆に晒された太平洋戦争末期の小さな写真館へとリンクしていく。
三つの異なる時制と場所をナチュラルに融合させるこの表現は、監督に託された大地からの切なる願いであり、この場所に眠る人々の記憶がなせる技と言うべきか。
生きる目的って何だ。笠松将は揺れる心を持て余して歩き回る青年を飾らずに演じる。飼い犬を探す無垢な女性と山に現れる娘、異なる時制で二役に挑んだ阿部純子の凜とした佇まい、村八分にされながらも極寒の山岳地帯でニホンオオカミを追う猟師となった長谷川初範の献身的な姿が作品の質感を高めている。
自己を最優先し武力に訴えることが解決法であるかのような意識が世界に渦巻き、時代の趨勢は刻一刻と変化を続けている。
もしかしたら絶滅したニホンオオカミかも知れない。主人公が見つけた獣の頭蓋骨が導く“小さな気づき”を通して、映画は静かに問いかける。決して損なわれてはならない、守り続けるべきことがあるはずだと。
(髙橋直樹)