「【アメリカの苦悩】」すべてが変わった日 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【アメリカの苦悩】
この作品は、現代のアメリカの置かれた状況を、60年代に置き換え、もしかしたら、取り返しのつかないところまで行き着かないとダメなのかもしれないという苦悩を表現したスリラーなのだと思う。
公民権運動の広がっていた60年代のアメリカは、白人の既得権を守ろうとする勢力が非常に強く、多様性が当たり前になろうとしている現代において、白人至上主義者が強く抵抗している様と非常に酷似しているのかもしれない。
家父長制の色濃く残るウィーボーイ家。
父親が亡くなり、母親が家父長の代わりだ。
安倍晋太郎が亡くなり、未亡人で安倍晋三の母親、そして、岸信介の娘が、安倍家を影で仕切り、岸家の復活を目指しているのを考えると、日本でも似たようなことはあからさまに行われている気がする。
この作品に戻って考えてみると、このウィーボーイ家と対峙しようとするブラックリッジ家も、家族のヒエラルキーを重要視していたという側面もあり、昔からリベラルというわけではなかった。
しかし、時代の変化とともに、変わっていく価値観も受け入れなくてはならないのだ。
インディアンの土地を収奪したことも振り返るべきだ。
しかし、トランプにリードされて抵抗を強めている伝統的な家父長制に基づいた価値観がモチベーションの白人至上主義者たち。
連邦議事堂に侵入して破壊行為を行ったトランプ支持者は、ジョージに手斧を振り下ろしたウィーボーイ家の連中のようだ。
これを止める為には、眼には眼を、歯には歯をのような行動しかないのだろうか。
取り返しのつかないところまで行き着かないと、争いは止まらないのだろうか。
幸いなことに、まだ、血で血を洗うような状況にはなっていない。
だが、緊張は続いていて、万が一の事態を否定出来ない苦悩をアメリカは抱えたままなのだ。
前に上映されていた「クローブ・ヒッチキラー」も、アメリカの、こうした家父長制が色濃く残る白人社会の歪んだ側面を見せた映画だったと思う。
娯楽スリラーとして云々するのも良いけれど、もう少し視点を変えて、考えてみるのも良いのではないかと思う作品だ。
ところで、ケビン・コスナーは、やっぱり横顔がカッコいい。