TITANE チタンのレビュー・感想・評価
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ジュリア・デュクルノー監督の前作をまだ見ていないので、これが同監督...
ジュリア・デュクルノー監督の前作をまだ見ていないので、これが同監督作品の初鑑賞となった。なかなかすごい監督だ。世間では歪んだ欲望として切り捨てられてしまいそうなものを、堂々と描ける胆力があるようだ。欲望を人間にとって重要なものと捉えているように思うし、欲望のあり方は千差万別であり、その中には多くの人が眉をひそめるものもある、それでも欲望は大事だと言えるタイプの監督に見える。こういう監督が新しく出てきたことは大変に心強く思う。
チタンを頭に埋め込んだことをきっかけに車に執着する。車と性的に交わるというユニークなシチュエーションが描かれるのだけど、女性でそういう欲望が描かれるのはこれまで見たことなかった。たまに男性ではそういう人がいることがニュースになっているが、これを女性主人公で描いたのは画期的ではないだろうか。
深読みなんて蹴散らすデタラメ上等の暴走パワー
主人公の女性が持つ身体への違和感、マスキュリニティに振る舞わされる男のエゴなど、多層的なテーマに直結しそうな要素はいくつでも読み取れる。しかし、この映画の面白さは、そういった解釈だけでは手が届かないところにあるように思う。絶対に先読みできないでしょうという作り手に意外性競争に参加させられるような強引さはあるにせよ、「なんだこりゃ!?」を連発しまくるストーリーも映像もキャラクターたちの過剰な造形も、すべてがいちいち面白い。合う合わないはあるでしょうし、不快という人もいるでしょうが、このイカれた物語にこの音楽を乗せてくるのか!と唸らされるユーモアに満ちたセンスの良さも含めて、なんかわからんけど最後までどの料理も美味しかったです!と帰り際にシェフである監督にアタマを下げたくなるような、珍味のフルコースみたいな快作でした。
グロを通り越した先に皮肉とユーモアが
子供の頃交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれた少女が成長し、なぜか車に性欲を感じる奇妙で凶暴な人間へと変貌する。デヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』を過激にアップデートしたような話だが、物語はさらにアクセル全開に。犯罪者として逃亡中のヒロインは10年前に失踪した息子の帰還を待つ孤独な消防士の前に息子を装い現れ、彼の懐に潜り込む。
人間が持つ肉体の常識をことごとく打ち砕き、観客を道連れに暴走するような映画に、カンヌはパルムドールを与えた。確かに、人を選ぶ映画かもしれない。しかし、グロテスクな描写が続いた後に訪れる不思議な感動は、今年唯一無二のもの。そして、何よりもグロを通り越した先に痛烈な皮肉とユーモアがある。特に、青年の形をした主人公が突然ストリップショーを始めると、それを見ていたマッチョな消防士たちがモジモジし始めるシーンは笑える。
とにかく、全編が想定外の展開と衝撃と笑いで構成されていて、息つく暇もない。前衛的でありながらロマンチック。ファッションに例えるなら、かつて一世を風靡した"フレンチ・パンク"の復活と言えるだろうか。
幼い頃の事故から車と恋に落ちた女性の狂気的な行方が、ある出会いでより想定外になっていく不思議な映画
第74回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた作品と知った上で本作を見ると驚く人が多いかもしれない。序盤のイメージは妖艶ながらも、恐ろしくて痛いシーンが続き、見る側は早い段階で予想を裏切られたような気分になり、展開も含めて謎だらけで、最後まで見届けるしかない映画でもある。風変わりな作品のため、怪作が苦手な人なら途中で退席してしまうかもしれない。
父親が運転する車の後部座席で、エンジンの音に合わせて唸る少女(アレクシア)の冒頭シーンから、既に独特な雰囲気を醸し出していた。アレクシアは父親に注意されても止めようとしない。「彼女は車と会話でもしているのだろうか?」と感じた瞬間、交通事故に遭ってしまう。この序盤の少女の時のエピソードから、話はどんどんエスカレートしていく。
アレクシアは事故の治療で、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれる。
この先の大人になってからのアレクシアについては、常識を軽々と超えるような展開になり、時には痛々しい描写もあり、本作を見る際には「目を背けない」という覚悟が必要になってくる。
とは言え、後半の孤独な高齢の消防士との奇妙な共同生活から何かが変わっていき、アレクシアの底力と生きることへの執着心が、見る側の心に突き刺さっていくと私は感じた。
ラストの結末も想像を絶するもので、これがカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞するというのもカンヌの懐の深さのようなものを感じる。
恐らく見る者によって感想は全く異なるであろう衝撃作。私はこの独自性を評価したい。
やっぱり“愛”が好きなフランス。メタバース時代の「愛のかたち」も予感させる
カンヌでパルムドールを獲得したフランス映画の本作。デヴィッド・クローネンバーグ監督が自動車事故に性的興奮を覚える女性を描いた「クラッシュ」との類似点を挙げる声が多く、クローネンバーグ好きな評者も確かにそう感じるが、思えば「クラッシュ」もカンヌで審査員特別賞を受賞したし、他の5作が最高賞の候補になり、さらには審査委員長も務めるなど、かの鬼才はカンヌに、さらに言えばカンヌが象徴するフランス文化的価値観に愛された監督でもあった。
根拠の弱い憶測になるが、フランス文化圏では20世紀中盤頃までに旧来の男女の愛をあらかた語り尽くしたと感じたのではないか(もちろん同性愛を描く作品も以前からあったにせよ)。そして、80年代以降に愛と性に関する価値観が多様化したことと、異形の者への偏愛と人体改変・破壊への執着(広い意味でマイノリティと言える)を描くクローネンバーグ作品が時代的にマッチしたのでは、と思うのだ。
さて本作「TITANE チタン」は、幼少期に車の事故による怪我で頭にチタンプレートを埋め込まれ、成長したのち車と“愛を交わす”ようになる女性の話。カンヌは若い女性同士の性愛を描いた仏映画「アデル、ブルーは熱い色」にも2013年にパルムドールを授けたが、「TITANE」もやはり旧来の枠にはまらない愛を描いている点で共通する。マイナーなセクシュアリティが繰り返し描かれ、また支持されるのは、もちろん物珍しさからではなく、知らなかった愛の形を映画で疑似体験することにより、愛とは何だろう、さらには人の性、生とは何だろうという根源的な問いの答えを求めようとするからではないか。
愛と疑似体験に関して話を別の方向に転じると、他者のlife(生活、人生)を疑似体験できるメディアとして映画は現在まあまあポピュラーな選択肢だが、仮想空間のアバターで何者にもなれるメタバースが今後普及すれば、体験の面では映画を超えるメディアになる可能性が高い。そこでは性自認と異なる性のキャラクターにもなれるし、人間以外の動物、異星人、そしてもちろん機械との恋愛だって自由だ。
前に「フリー・ガイ」のレビューで、続編の筋の妄想として、ゲーム世界で「各キャラクターのコードをDNAに見立ててカップルで組み合わせ、自分たちの子のコードを書いて誕生させる」ことが実現すると書いたが、同じことは将来のメタバースでも実現可能だろう。メタバース内のオプションサービスとして、愛し合う2人の両アバターのコードを組み合わせて「子供」を作る、気に入ったマシンとのハイブリッド(混血)の子を創造する、というのだってあり得る。それはもはや疑似ですらなく、リアルな体験なのかもしれない。そんなことを考えると「TITANE」は、そうした将来のメタバースにおける「愛のかたち」を予見しているような気もしてくるのだ。
人生でなかなか出合えないレベルの変態映画
いやー凄かった。ぐったり疲れた。本物の変態監督が作った変態映画です。痛いのキラいな人は止めた方がいい。でも、痛いの大丈夫な人は、何も情報入れずに見て下さい。私は、最初っから最後まで口開きっぱなしで見てましたもん。「クリスティーン」とか「鉄男」思い出しながらね。
それにしても、これにパルムドールを与えるカンヌはカッコいいし、映画もパルムドールの資格が十二分にあるし、アカデミー賞が国際長編映画賞候補から外したのもよく分かるし。とにかく、人生でなかなか出合えないレベルの一本です。個人的に、サンタナの「シーズノットゼア」とか、「マカレナ」の楽曲シーンで大爆笑。
映画全作品と比べても似た映画がほぼ無いです👹
まあクラッシュがかろうじて近いし
中の人ってクローネンバーグでしょってくらいそっちな監督ですね💥しかしこんな内容は普通に考えて思いつかないでしょ🫶🏻
ある意味天才というか変態というか変態天才だね☺️
頭にチタン入れて殺人鬼になって車と〇〇〇して妊娠してステロイド筋肉消防士の息子になるって発想とかマジでキチ〇〇でしょ🤐(知り合いにチタンの内容を説明したら またまた🤪何言ってんの?って半笑いでバカにされましたが 正確に内容言ってるのにね🥺)それでまだ半分くらいって☠️
先の読めなさで言うと最初から最後まで一切展開が読めないし😵この作品よりわからない作品無いです😵💫
ちなみにミニシアターが珍しいくらい混んでましたよ😵
最後は感動しましたよ🥹(何故感動したのか理解不能🙃)
『ハイ忘れてましたフランス映画は素晴らしいです』
事ある毎にフランス映画に嫌われてると嘆いてたマ王だけど、よくよく整理すると「TITANE チタン」と「恐怖の報酬」はフランス映画だったのよ💦
観た時の感動をすっかり忘れてたのは映画人生に於いての痛恨の極みである😖
先日の「屋敷女」の鑑賞の後「あれ?もしかしてフランス映画じゃね?」と不意に思い出したので勢いで「TITANE チタン」のレビューを書いておこうというノリですわ😁
その残虐性、異常性共に群を抜いてる映画「TITANE チタン」😶
エログロのジャンルだけどグロよりもエロに力が入ってるし、エロの描写だって常人では理解出来ない狂気のエロである🥸
なのに物語は悲しい🥲
救われない孤独な女性が世界を拒絶するかの行動を取り続けるトコは大切な風船を割られた気分になり、切ない😫
また逃げる選択に縋り続ける姿が喜劇とも悲劇とも思えたのはマ王だけか🤔
難解な映画で解釈も人それぞれだとは思うし賛否が真っ二つに分かれる作品だと感じたが、マ王は賛の方に傾きました✨
こういう映画には滅多に出会えません😶
チャンネルが違うと露悪的な映画と判断されがちかもだけど、ちゃんと周波数が合えば気持ちに刺さる映画なのよ👍
でも子供は観ちゃダメだし、大人もちゃんと自分の感情に責任の取れる立場(若しくは年齢)になるまで控えた方がいい作品です🤗
あと普段から、Hな事にはあまり興味が薄いかも、と自覚がある人は鑑賞を止めるのをオススメします😅
過激な部類ではなく異常な方面ですので💦
フランス映画にしては解り易い内容、それに暴力シーンと狂ったエロスが散りばめられた本作😐
マ王唯一の騙されなかったフランス映画なので点数も甘いです(嬉しくて)
でも描写はイってる映画なので(内容は更に常識外)耐性のある変態さん御用達と思って下さいな🤯
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
いやぁ~フランス映画って素晴らしい度★★☆☆☆
この手のスイッチが無いとつまらない度★★★★★
私は一体、何を見たのだろうか?
“怪作”とは正にこのこと!
スクリーンに映し出させる衝撃の数々に、最後まで目が釘付けだった。そういう意味では、圧巻の一作であると言える。
しかし、あまりにも常軌を逸した一作である為、一般的な観客とシネフィルとでは賛否が極端に分かれるだろう(実際、エンドロールと同時にまるで早くこの空間から立ち去りたいかの如く、そそくさと席を立つ観客がチラホラ居たし、上映後言葉を失い無言で俯いて劇場を後にする人も居た)。
正直、私にもキャパオーバーな作品だった。
観終わった後も、作中に登場する様々な要素は、一体何についてのメタファーなのかと思考を巡らし続け、自分には合わなかった作品であるにも関わらず、少しでもこの作品を理解したい一心でパンフレットも購入してしまった。見方によれば、もしかしたら私は非常に幸福な映画体験をしたのかもしれない。
先ず、タイトルの『TITANE』とは、神話に登場する巨神タイタンの事なのかと考えた(事実、パンフレットの解説でも筆者が同様の考察を披露している)。何故なら、主人公アレクシアの頭に埋め込まれたチタンプレートに、“設定”以上の特別な意味を、鑑賞中見出せなかったからだ。
だから、頭に埋め込まれたチタンプレートによって、彼女は鉄と自動車に異常な執着心を示すように変貌するが、この様子が彼女が人間を超越した所謂“神”と呼ばれる存在へと昇華した事を指しているのかと考えることにしたのだ。鑑賞し終えた今、改めて考えを整理してみると、この推察は強ち間違いでは無かったのかもしれないと思う。
こういった具合に、作中で描かれた出来事についてパンフレットで示されたヒントを頼りに、順を追って考察していこうと思う。
序盤、炎が描かれたキャデラックとアレクシアが交わるシーン。鑑賞後もずっと、「車は男性を象徴しており、アレクシアはレイプされたという比喩なのではないか?直前に殺害したストーカー紛いの男性に、実際はあの後レイプされていて、その後の妊娠は彼が原因なのではないか?」と勘繰った。だが、パンフレットを読んだことで、あれは作中で実際に起こった出来事なのだと知り驚いた。そして、自分が如何に自らの常識の範疇にこの作品を収めようと必死だったのかを痛感させられもした。
もう一度言うが、この作品は常軌を逸している。“普通”や“リアリティ”なんて価値観は、この作品の前では悉く瓦解するのだ。
イベントで知り合ったダンサーのシェアハウスでの一連の殺戮シーンは、引き金となったのがセックスであることから「彼女は他者から求められる事に対して酷い嫌悪感を抱いており、その怒りの発露が殺人なのか?」と考えた。イベントでサインを求められた際も、ストーカー紛いのファンに言い寄られた際も、彼女からは気怠げな印象を受けた。“アンタ達が私を求めても、私はそれに答えるつもりはない。”という拒絶の意志の現れが、すなわち殺人なのだと思った。
実際、彼女は愛を知らない孤独な女性なのだろう。冒頭の自動車事故直前の車内での父親とのやり取りからも、親子間のコミュニケーション不全を疑った。
自宅のガレージにて殺戮の証拠を隠滅する為に火をつけた際、偶然家ごと燃えることを確信した彼女は、両親の寝室の鍵を閉めて彼らも葬り去る。指名手配され、空港で失踪者になりすます事を画策し、自らの顔を作り変えるシーンは実に痛々しい。あれだけの大虐殺を繰り広げておきながら、捕まることに対する恐怖心はあるというのが人間の身勝手なエゴを感じさせる。
見事、失踪した息子になりすます事に成功し、消防士のヴィンセントに保護されるアレクシア。しかし、喜びも束の間、彼女の身体は妊娠という確実な変容を遂げつつあり、それをひた隠して生活しなければならない。映像を見るだけでは、殺人者が逃亡の為に正体を隠すことに必死な哀れな姿にしか映らない。だが、アレクシアが女性である事を隠さなければならない姿は、現実で女性が女性としての役割を押し付けられる事に対する抵抗の姿勢にも映る。
後日、ヴィンセントに連れられ新米消防隊員として現場に入ることになるアレクシア。隊長とはいえ、一個人の決定で消防隊員という過酷な職業にアッサリと就けてしまう事は疑問だが、常識は通じないのだと無理矢理言い聞かせて進めることにする(笑)
案の定、部下達の中にはアレクシアの存在に疑問を抱く者も居る。しかし、部下からの進言に、ヴィンセントは頑なに耳を貸そうとしない。後述するが、ヴィンセントは既にアレクシアが息子ではないと気付いていたのではないか?そう感じずにはいられない。
部下から疑いの目を向けられつつも、アレクシアは次第にヴィンセントとの親子関係や消防隊員としての業務に溶け込んでいく。しかし、そうしている中でも、彼女の子宮では確実に新しい命が育ち続けている。乳房から腹部に空いた穴から、シャワーの際に足下を流れる水に至るまで、彼女の身体から黒い油が流れ出るシーンはどれも印象的。本来ならそこには夥しい量の血液が流れるはずだが、真っ黒な油がそれに代わるというのは、生々しさやグロテスクさ、痛々しさを感じさせず、上手い手法だと思ったしアートだと感じた。
そうした日々を過ごす中で、遂にヴィンセントは、浴室でアレクシアの膨れ上がった腹部と女性の乳房を目にしてしまう。しかし、彼は「お前が何者であろうとも、俺の息子だ」と、それすらも受け入れ、彼女を受け止める。“無償の愛”と言えば聞こえがいいかもしれないが、私はそこに堪らない“人間の弱さ”を感じずにはいられなかった。これについてはまた別に後述する。
余談だが、偶然にも前日に鑑賞した『ベルファスト』のとある台詞が頭をよぎる。
“愛の奥底には、憐憫がある”
消防隊員達と音楽に合わせてモッシュピットに参加するアレクシア。波から弾き出され、消防車の上でかつての自分のように官能的なダンスを披露するが、不思議と以前イベント会場で踊っていた時より、生き生きとした印象を受ける。こちら側にこれまでのヴィンセントとの日々の積み重ねの記憶があるからだろうか。
呆気に取られる消防隊員達の前にヴィンセントもやって来て、遂に彼はあれだけ否定し続けたアレクシアの正体、女性であることを受け入れずにはいられなくなる。
堪らず自宅にて焼身自殺を図りそうになるが、間一髪の所で正気を取り戻す。
そんな中、アレクシアは遂に出産の時を迎え、苦しみながらヴィンセントの居る自宅へと這い戻る。ベッドに横たわる彼に向けて放たれた「愛してる」の一言に、男女の色恋ではなく純粋な相手への感謝と好意のみが感じられる。慌ててその場から立ち去ろうとするヴィンセントに、アレクシアは「見捨てないで」と縋り付く。彼女の様子を見て事態を理解した彼は、出産の手助けをし、背骨が鉄で出来た特異な赤子を取り出す。出産により息を引き取るアレクシアと、再び取り残されたヴィンセント。愛を知らず孤独だった女性と、愛する相手を失い愛する相手を求めた孤独な男性の奇妙な共同生活は、こうして幕を閉じる。しかし、彼の元には生まれたばかりの新しい命がある。ラスト、赤子を優しく抱き抱えながらヴィンセントが溢す「俺がついてる」という一言は、新たな物語の幕開けなのだ。どうか彼が救われていてほしいと願うばかりの締めだった。
全編通して、アレクシア役のアガト・ルセルの体当たりな熱演が光る。官能的なダンスシーンからヌード、殺人の狂気、逃亡中の泳ぐ視線、ヴィンセントとの奇妙な親子生活の中で次第に心開いていく過程と、これが映画初主演とはとても思えない。彼女の熱演があったからこそ、私は最後までスクリーンに釘付けにされたのだろう。
ヴィンセント役のヴァンサン・ランドンの、アレクシアを息子だと信じたいが故の話の通じない何処か狂気じみた印象を与える演技も印象的だ。
警察署の面通しで初めてアレクシアを見た瞬間、実は目の前に居る人物が息子ではないと気付いていたのではないか?と今でも思ってしまう。DNA鑑定を拒否し、「一目見れば分かる」と言い放つその姿に、早く長きに渡る孤独を終わらせたいという意志を感じた。それは、目の前に居る相手が誰であれ、信じたいものを盲目的に信じ安心しようとする、人間の弱さの発露に他ならないと感じられたからだ。実際は、共同生活の中で次第に違和感に気付きつつも、頑なにそれを受け入れようとしなかっただけなのかもしれない。しかし、私には彼がアレクシアという特異な存在を一目見た瞬間、一種の神に縋り付いたかのようにも思えた。
作中、彼は消防隊員たちに「私が神だ。ならば息子はイエス・キリストだ。」と語る。しかし、実際には彼こそが、神に縋りつく信者に他ならないのではないか。
ラストでアレクシアの子供を抱き抱えた瞬間の彼の姿は、優しき偉大なる父としての神というより、新しい命の誕生によって再び生きる目的を取り戻し救われたようにも見えた。
だからこそ、私はこの作品に温もりというものをあまり感じられなかった。監督曰く、これは「愛の誕生」の物語なのだそうだが、少なくとも私には、この作品からは「人は信じたいものを信じ、何かに縋り付かなければ生きていけない弱い生き物だ」というチタンプレートの如く冷たい鉄のような情感を感じた。アレクシアとヴィンセントの擬似親子関係は、互いに欠落した何かを求め、埋め合わせ続ける“依存”のように映ったのだ。
これだけの文章を書いたが、最初に書いたように、私にはキャパオーバーな作品なのは間違いない。今作を決して「面白い」だとか「素晴らしい」だとか言う言葉で形容するつもりは無いし、気軽に人には薦められない。作品としての点数も低めだ。しかし、鑑賞し終わった後もこれだけ思考を巡らせ、作品の本質について手を伸ばさずにはいられないということは、貴重な映画体験をした事には違いない。
何より、監督の次回作に対する興味関心の気持ちが芽生えている自分が居る。悔しいが、この監督を追わずにはいられそうにない。
衝撃は受けたが、わかりづらく面白くはない
他レビュー見て知ったけど、車とのセックス〜?全然わからんかった。
まずこのコ、車に執着がそんなに強かったの?幼いときに車内でブーンって口ずさんだり、新車にキスをするってだけで、普通の車好きの域内な描き方だけで全然伝わってこない。車がガンガン揺れてて、殺したはずの男が生きててレイプされた、とずーと思ってた。なので、なぜこんなに早い期間でお腹膨れるの?って終盤までずーと思ってた。
頭にチタンだから狂人になってしまったかもしれないのはわかるが、連続殺人を始めるタイミングがまたわからん。事故後〜結構、歳とってからいきなり?今までも殺ってたかもしれないが、それなら死体処理や証拠隠滅等、周到にしてきたはずだが、そんな計画性はないキャラ付けだし、これも?しかも複数人のパーティ中に、ここらへんでほぼ興味が失せた。
途中、黒い母乳が出たところで「これダークファンタジーなんだ。何でもありのやつねっ」と思って、ちょっと興味復活。
正体バレた消防士や隊長の奥さんも殺るのかなって思ってたら、それはスルー。
必死こいて鼻ぶつけたり、腹巻きしてバレないようにしてんのに、消防車上で、みんなの前で女性妖艶ダンスするという矛盾。
序盤からのこんな風なので倍速再生が1.25→1.5→2倍速と加速していった。
良かった点はこの作品が某国映画祭の最優秀賞を取ってたと知ったこと。多様性があるのは、とても良いことだと思う。
思い込みを飛び越える七変化
ついにUネクストにて「チタン」観る。
男女も親子も夫婦も、有機に無機も飛び越える、というか入り乱れるジェンダーレスどころの騒ぎにとどまらない七変化展開。
だが同時に、そうして次々と立場を入れ替え、重ねてもなぜかブレない登場人物らに、
日常、それらカテゴリに縛られた自身の思い込みが無意味にも見えてきたり。
人間や、対象が何であろうと存在そのものに迫ろうとする怪作では。
突き詰めた結果、答えとして全編に存在し続けたのは、様々なカタチの愛なのかもと過る。
一度、書いて投稿し損じ、二度目でしっくりこないまとまりだが、仕方ない。
とにかく聞きしに勝るスゴさだった。
演者陣も、ものすごい。
一番度肝を抜かれたのは、消防自動車の上でのダンスシーンか。
あの状況のあの格好にもかかわらず、冒頭同様のセクシーさが重なってみえた。
つまり格好ではないとするなら、
普段、見ているモノは何なんだ。
何をもってそう感じているか。混乱させられた。
最後までわからなかった。
パルムードールを獲得した作品という事で鑑賞しましたが、自分は映画はただ楽しく観ているだけの消費者でいいなと思いました。
例え仕事でもこの作品を受賞するほど褒めたりそれらしい説明をするのは私には難しい作品でした。
かなりのクセ映画
好みが分かれそうです。エロ・グロあり!
車の子を妊娠、身元を偽って潜り込んだ職場のパーティーでのダンスシーンなど、ファンタジー要素が所々にあるものの、作品全体の色や雰囲気からはリアリティを感じるという不思議な作品でした。
ラスト、主人公の出産シーンでは赤ん坊の姿がしっかりと映されています。
どんな子どもが生まれるのかという期待感と、それを映画の最後にちゃんと見せてくれる点で「ローズマリーの赤ちゃん」を思い出しました。
ホラーと心理サスペンスのバカげたハイブリッド映画
自動車と人間のセックスといえば、クローネンバーグ「クラッシュ」が思い当たるが、あれにはテクノロジーの発展により人間の性欲が変化し、自己を害するようになるだろうという原作者バラードの災害の予感が背景にあった。
本作では当たり前のように女性が自動車とセックスして妊娠するというのだから、クラッシュなどよりさらに進んでいる。というよりジャンルが異なると言ったほうがいいか。
クラッシュがテクノロジーの進歩に伴う人間意識の変化を描くことに主眼があるとすれば、本作はもはやホラーである。
しかし、そのホラー要素とは違う意味での人間心理の怖さ(父子関係の不気味さ)を対置して、ホラーと心理サスペンスのハイブリッド映画としたのが本作だろう。
はっきり言って、バカげているしつまらないこと極まりない。時間の無駄だと思った映画は久しぶりだ。
カンヌのパルムドールねえww その程度の賞ということだな。
正直よさがわからない
おかしな映画がパルム・ドールを取ったということで注目しての鑑賞。でも、この作品の良さがよく分からないままに観終わってました。
・上映館が少ないのも納得。少ないといってももっと少ない映画もありますけど、確実に万人受けはしない。人によっては気持ち悪くなるし胸糞要素を感じるだろうな、と。だが、逆にそこの作り方は絶妙でした。
・交通事故での治療で頭にチタンを入れて~とありますが、チタンを入れる前からおかしな女の子でした。チタンを入れて~の意味は絶対にありません。
・エロ要素が、特に前半、結構あります。ただ、一切エロくないです。いちばん重要なところでは超変態でした。その変態行為からとんでもないことが起こります。生命の基本原則を思い切り無視した展開に突入します(笑)。
・アレクシアを見てHIBIKIを想起しました。HIBIKIをエロく変態にして頭のネジを数本抜くとアレクシアになる感じかなあ。
・今思うと、「父と子」がテーマでしたのね。前半が実の「父と娘」後半が偽り(妄想?妄念?)の「「父と息子」。
・BGMは抜群でした。BGMが主で映像が従の関係に思えました。視覚情報は豊富なんですが、感情に訴えるというところではBGMが圧倒します。
・ぶっちゃけ、B級、C級映画です。断言します。
何がどうしてこうなった?
幼少期の怪我でアトミックブロンドやレッドスパローやANA
みたいな舐めた野郎どもをオラオラオラァと粉砕する映画かな
と思ったら
あーこれは生理的に無理です。
キチンとした説明がないので
彼女が垂れ流すものも明確でなく
どうやって車と**して
お腹が出てきてもこれは俺の息子だと言い張る義理のオトンも
意味不明やし
最後の子もナニモンやねん?
どこをどうしたらこんな映画が作れるのか
それはそれで興味わく
30点
2
アップリンク京都 20220428
なんとも、、、よくもこんな発想思いつくなあ
交通事故で頭にチタンを入れたアクレシア、彼女の体はどうなったのか?
海外の車の展示会?てあんななの?ダンサーが際どい衣装でセクシーダンス、サイン会?それ自体驚きだけど、アクレシアは事故後に車に異常なほどの興味を持ったとの事で、あえてこの仕事を選んだのか?そして車でのあの行為、どういう事?え?赤ちゃんのお父さんは車って事?ウーンすごい設定を思いついたものだ。
アクレシアの殺し方がとにかく酷い。髪飾り(お箸かな)の耳さしも痛いし、いすを口に押し込んでのぶっ差し、もうみているだけで痛い。自分で鼻を折る場面も、ちょっと痛々しくて、たまりません。
隊長もちょっと理解不能。自分の息子かどうか、わからないかな。途中からは気が付いたみたいだけど。
あんなに大きくなったお腹、晒しまいても誤魔化せないよね、普通は。
あまりにも突拍子もない話で、先が読めず、どういう結末になるかと結構楽しめた。
生まれてくる子はひょっとして車の形してるのか?とも思ったが、ちゃんと人間の形。でも背骨はチタン、いや〜隊長はあの赤ちゃんどうするんだろうか?
謎を残したまま終わった。ぶっ飛びすぎな映画でしたね。
衝撃の親子愛???
とにかく凄いものを見たとしか言いようがないトンデモ映画には違いない。
エロいというか、グロいというか、えげつないというか、気持ち悪いというか、感動的というか、この見終わった後の感情の持って行きどころに困る、しかし形を変えた、もしかしたらあり得る?親子のお話であった★
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