「窓の数だけそれぞれの生活があって、それぞれの価値観や考え方があって...」パリ13区 imymayさんの映画レビュー(感想・評価)
窓の数だけそれぞれの生活があって、それぞれの価値観や考え方があって...
窓の数だけそれぞれの生活があって、それぞれの価値観や考え方があって、それぞれの性行為がある。
建物はそこにあって、外からその存在を認識することはできるけれど、窓はいつもカーテンで閉ざされていて、中を覗くことはできないし、ガラスに遮られて容易に侵入することもできない。だから、窓のその先の部屋、というものはとても、パーソナルな場所だ。距離的にはすぐそこにあるのに、心理的には遠い場所、とも言えるのかもしれない。
この映画は、部屋とセックスの関係が密接であるようにおもう。人が部屋に入ってくると、ほとんどの場合セックスをする。身体は繋がっているのに、心が繋がらない。近くにいるのに遠い。
空間を隔てているノラとアンバーはスカイプを通して繋がっているのだけれど、このふたりの関係は、同じ部屋にいなくとも(身体的な距離は遠いけど)、心の距離はとても近く、親密。ふたりがはじめてキスするのも、部屋の中ではなくて、外。心の繋がらないセックスとはまったく質の違うものとして描かれている。
最初は身体の関係しかなかったエミリーとカミーユもオンラインで繋がって、徐々に心が近づいていく。最後の「愛しているよ」も同じ部屋のなかではなく、インターホン越し。そのままインターホンの受話器がクローズアップされて映画は綴じられる。象徴的なラストシーン。距離があっても繋がることはできる。でも、それには繋がろうとする行為が必要なことが暗示される。インターホンは鳴らす者がいてはじめて機能を成すのだから。問いかける者と、それに応える者。ふたつが合わさってはじめてコミュニケーションになり、関係性ができていく。
・建物、とりわけ集合住宅の映し方がとてもかっこいい、何度も映る。
・モノクロームの映像がぴったりの映画だった。性生活が充実して踊り出すエミリーのシーンはスポットライトが当たっているような、光が印象的なシーン。ノラが思い悩む場面は闇のような黒が強調されていたように思う。モノクロームで映す人間の感情、