フラッグ・デイ 父を想う日のレビュー・感想・評価
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幻想の果てに残された過ちの傷跡
どんなに無様であろうとも、世の中からどんなに罵声を浴びようとも、父を置き換えることは叶わない。娘は父と対峙するために回顧録を書いた。映画の原作「Film-Flam Man: The True Story Of My Father‘s Counterfeit Life」である。
どうしようもなさを抱え込む。不器用というひと言では語り尽くせない男を描く。監督として決めるのは簡単だが、実際に写し撮るのは容易ではない。映画なら尚更、だからこそ挑む価値がある。
『こわれ行く女』(1974)のジョン・カサヴェテスには、盟友であり妻であるジーナ・ローランズがいた。『汚れた血』(1986)のレオス・カラックスには、分身的な俳優ドニ・ラヴァンがいた。ショーン・ペンが選んだのは、愛娘ディラン・ペンだった。
高揚と失意が入り混じり複雑な様相を見せる。ある時は胸を張り娘を担ぎ上げる。ショパンの調べに酔い、希望に満ちた明日を確信する。だが、一度事態が窮すると逃げ出す。かつての勇姿は跡形もなく消え去り、目の前の相手を直視することもできない不様な姿に成り果てる。牧場経営、ジーンズの引き伸ばし器、印刷関係の事業、思いつきを次々と繰り出しす父と、酒に溺れた母と執拗に迫る義父の攻撃を、髪の色を変えて偽りの自分としてやり過ごそうとする娘。
映画化の構想から15年、既に二度のアカデミー賞に輝いていた父は、この脚本を娘に読ませた後、映画出演を続けながら時が熟すのを待った。まだあどけなかった少女は30歳を過ぎた女性へと歳を重ねた。
掴みどころのない父に翻弄されながらも、彼のどうしようもなさを引き受けようとし、時には頼ろうとする娘。演じるのはショーンの愛娘ディラン・ペンである。
父と娘、それぞれの時が交わっていく。その軌跡とは、持て余された自分の居場所を探す旅なのか。
この世界には楽園などない。あるのは幻想の果てに残された過ちの傷跡だけなのかも知れない。だけど、心に焼きついた父との光景は決して色褪せることなく今も胸の内にある。
逃げずに生きいてく。父のどうしようもなさを内包した娘は、現在、新作の小説を執筆中だという。
ブレることなく人生の落とし穴を見つめ続けるS・ペンの作家性。
ショーン・ペンといえば、世間から見向きもされない人間たちを好んで演じてきた俳優だし、それ以上に監督作を通じて人生の落とし穴に落ちてしまう人間の性を見つめ続けてきた。そこには確実にアメリカン・ニューシネマやテレンス・マリック監督の初期作への憧憬があり、アメリカの負け犬カルチャーの担い手という自覚もあったのではないかと思う。
その最たるものが監督デビュー作『インディアン・ランナー』だったわけだが、その後、監督としては少しずつ手を変え品を変えながら『イントゥ・ザ・ワイルド』のような傑作をものにしてきた。
本作が描いているのは、人生の軸を定められない詐欺師の父親と、父親を愛しながらも傷つけられ続ける娘のドラマ。ショーン・ペン自身が得意のダメな父親役を演じており、主人公である娘役に実娘であるディラン・ペンを起用。さらに息子のホッパー・ジャックまで出演している。近年キャリアが低迷気味だっただけに、家族で固めた布陣にいささかの不安を抱いたりもした。
しかし蓋を開けてみれば、まるで『インディアン・ランナー』に先祖返りしかのような、庶民のままならない人生にスポットを当てた良作。かつては主人公の少女時代を10代だったディランに演じさせたがっていたというから、長年温めていた企画だったのだ。さらに『イントゥ・ザ・ワイルド』のロードムービー感もあって、本当にブレてないことに安心するやら感心するやら。主演俳優としてのディランも繊細だが堂々たる存在感で、親の七光りなど微塵も感じさせない。
前述のニューシネマやマリック作品に影響を受けたセンチメンタルな演出は、気恥ずかしくなる寸前だとも思うが、それでもどのカットも本当に美しく、観たいものを全力で作っている喜びが伝わってくる。また、アメリカ文学の伝統を継承する映画監督として、ショーン・ペンが本来進むべきだった道に帰還したようにも思える。ペンの最高傑作ではないにしても、最近では珍しいタイプの、実にアメリカ映画らしい作品だと思う。
偽札犯の娘(=原作者)の心情に寄り過ぎたか
1992年、約2000万ドル相当の偽札事件(米史上4番目の額だとか)を起こした犯人ジョン・ボーゲルの娘、ジェニファー・ボーゲルが書いた回顧録が原作。企画が発表された2012年にはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(「21グラム」でショーン・ペンを起用していた)が監督する予定だったようだが、何らかの事情でイニャリトゥが降板し、ショーン・ペンが出演だけでなく監督も兼ねることになった。
ペンは過去の監督作6作では自身は出演しておらず、本来ならば兼任するより、演技であれ演出であれ専念したいタイプなのだろう。だが今作では自身のみならず娘ディラン・ペン、息子ホッパー・ジャック・ペンも家族の役で出演させ、私的なプロジェクトのような趣も感じさせる。
16ミリフィルムで撮影された映像のノスタルジックな質感が味わい深い。ただなんだろう、いわば社会不適合者で真っ当に働き家族を養うことができなかったが、本人なりの愛情で接してくれた父親に対する原作者の心情に寄り過ぎた気がする。ジョン・ボーゲルという人物にもっと客観的に迫り、偽札事件の経緯や影響などもより社会的な視点で伝えてくれたなら、映画自体もより興味深いものになったのではなかろうか。
大人になり切れない男を演じたらショーン・ペンの右に出る者はいない
ショーン・ペンが演じる、子どもたちが幼い頃のジョンは、“平凡な日々を見違えるほど驚きの瞬間に変えてくれる”父親で、子どものような心を持って家族を喜ばせようとした。そんな父親との思い出は、子どもたちにとってかけがえのないものとして鮮烈に記憶に残っている。監督ペンは思い出のシーンを8ミリフィルムなどで撮影し、楽しく輝いていた幸せな日々を表現。映画を見ている者のそれぞれの懐かしい記憶を呼び覚ますのではないか。
しかし、やがてジョンの素顔が、家族から逃げ、事業の失敗を他人のせいにし、言い訳ばかり並べ、無意識に嘘をつくような、どうしようもない男だということが明らかになるのだが、役者ペンはこの良き父親と落ちぶれてしまった男の二面性を見事に演じ分けてみせる。大人に成長し、久しぶりに会った娘ジェニファーの前で良き父親を演じようとする様は切なく、役者ペンの真骨頂と言えるだろう。
家族って難しい
ゆったりとした時間の中で父と娘の葛藤が見え隠れする。
父はああいう生き方しかできない人なんやよね。素直になれない。やけど、娘のことはほんまに大切に思っているんやなと。やったらあんな最期は悲しすぎるやろう。時代に合わせてしょぼくれていくショーンペンがさすがやなと思った。
何を伝えたいのかってよりも娘プロモーション家族ムービー見せられてる...
何を伝えたいのかってよりも娘プロモーション家族ムービー見せられてる気持ちになる
息子も出てるし
ホームムービー的なシーンが多々あって、
破天荒な父の違う側面に注目させる意図があるやもしれんが、父が破滅的すぎて全く入ってこん
娘執筆の原作が元だけど、父親目線の話の方が映画らしくなりそうで見たい
家族を想う男の「不器用さ」
苦労に苦労を重ねた末に、ようやくジャーナリストへの途を掴(つか)み、着実にその地歩を固めつつある娘・ジェニファーと、ただ気持ちが空回りするだけで、それが、次々と手をつけてはみるものの、どの事業の成功にも、どうしても結びつかない父・ジョン。
遂には、事業資金に困っての?銀行強盗で服役までする始末。
余計に父は成功を焦ってしまったのだろうと思います。着実に地歩を固めつつある娘の姿に触れてしまったから、なおさらのこと。
出所後は、身の丈に合った小さな印刷会社を経営していると話していた父が、再び三度(みたび)方途を誤ることになった心情を考えると、その生きざまの「不器用さ」に、本当に胸の痛い思いがしました。評論子は。
本作は、レンタルDVDのトレーラーでたまたま見かけて、興味を惹かれて、鑑賞することにした一本でした。
しかし、充二分な佳作であったと思います。
(追記)
免許を取って、クルマの運転ができるようになると、本当に世界が広がりますよね。
行動半径が広がるということは、こんなにも生活が一変することなんだと、実感したことを、まざまざと思い出しました。評論子も。
そして、何か素晴らしいことを子供に伝えられる親というのも、素敵だと思います。
実際、ジェニファーが欲しかったのは(身の丈に合わない?)高級外車ではなかったようですね。
せっかく父娘水入らずでコテージでの週末を企画してくれて、いったんは父を見直しかけたところへ、そのことに気づかない父親に、苛(いら)立ちを隠しきれなかったようにも見受けられました。評論子には。
父親の生きざまの「不器用さ」は、そんなところにも垣間見えたと思います。
娘の父親を想う気持ちが痛くなりました。
こんなお父ちゃん困ったもんだぁ。
もう無視してもいいぐらいの父親。
でも娘は父を心のどこかで想っている。
無視はできない、迷惑者でもやっぱり父親。
どこかにまっとうに生きる人生を期待している娘。
娘の父親を想う気持ちが痛くなりました。
分かっているけどこの結末はツラい。
大人の娘役をショーン・ペンの実娘が演じました。
ダレノガレ明美に似ていたよね。どうでもいいか。
意外なシーンでエディ・マーサン
6月14日はアメリカ国旗制定記念日(休日ではない)。地元金沢市では前田利家が金沢城入城した日とされ、かつては6月14日に金沢百万石まつりが執り行われていました。ついでに言えば、今自分が乗ってる車の納車日が6月14日です。なんとなく自分が死ぬ日も10数年後の6月14日になるような気がして仕方がない。
人生で美しいものを残すことが生きがい?ちょっと違った方向に行ってしまったジョン・ヴォーゲル。思いついた新しい事業に次々と手を出し失敗する。よくある話だけど、ついには○○にまで!てな感じで娘ジェニファー視点で語られていく。基本的にジョンは嘘つき。事業に失敗したら火を放って逃げ出すという変わり者。でも娘にとってみれば、性的暴行を加えようとする義父よりはマシ・・・というか愛している。
不器用でダメ男で愛情表現が下手な演技をさせれば天下一品のショーン・ペン。考えてみれば、反面教師を使って家族愛を描いているのだろう。そんな映画は数多くあるけど、どこか味のある作品。なんとか彼に新しいスタートを作ってあげたい気持ちが伝わってくるのです。そしてジェニファーがジャーナリストとして成功しようとする矢先にあの事件を見てしまうという衝撃的展開が効いている。
風刺画的な絵が上手いというのが一つの伏線となり、それが贋札へとも繋がるところ。因縁のある誕生日とともに心に残りました。
実話を元にした作品はつまらないことが多い
この作品を観る人の多くは「実は父親は偽札作りの犯人だった」という意外性に興味を持ったのだと思います。ところが、本作はというと、口先だけの駄目オヤジの話ばかりひたすら見せられる作品で、このオヤジなら偽札を作っても不思議ではないという意外性など全く無いお話。実話だから仕方ないですが内容が単調過ぎて眠くなりました。ただ、親子揃って演技は上手いと思います。
人間としてどうしようもないない人だったけど、父親として楽しかった思い出がたくさんあるから、大好きなんだよね。
娘にとっての父親、息子にとっての母親って、特別な存在だと思う。初めて触れる異性だからなのか? 私にはよくわからないが、そう思う。考えてみれば、ジェニファーはとても不幸な子ども時代を送ったと思う。父親には捨てられ、母親には守ってもらえなかった。それでも、勉強して、自分のなりたかったジャーナリストになったのだから、すごいと思う。しかも、父親の回顧録をまとめて、世に出すなんて… 言ってみれば、自分の恥部を世間に晒すことを厭わなかった。強い人だ。この映画は構想15年。ショーンが、実の娘ディランに演じてもらいたくて、待ったそうだ。その期待に応えて、ディランは複雑な心情を繊細に演じていた。実際ディラン自身も父親と別れている。そう思うと観ていて不思議な感じがした。観終わった後、亡くなった父の懐かしい思い出が甦ってきた。副題通り、父親を思い出させる映画だ。
どうしようもない父親にひたすらイライラした。 娘のためにまっとうな...
どうしようもない父親にひたすらイライラした。
娘のためにまっとうな生活を送りたくても、それができない。
おそらく刑務所の中にいる時が一番まともだったのだろう。
一生刑務所に居させてやった方がよかったのかも。
つまらなかった
ダメ人間をダメ人間として表現したのか、表現せざるを得なかったのか、よくわかりませんが、山場もなく終わってました。
なんで、偽札作りに手を出したのか、どうやって作っていたのか、自分が肝心だと思っていたところが全くなく、ただただ、ダメ人間を巡る家族愛(棒)の話に終始していました。
久しぶりに「なんだこりゃ?」な映画に出会ったような気がします。
うーん…実話って…。
こんなお父さんは、いやです…。
擁護するポイント、なかなか見つからないよ。
でも、ショーン・ペンがやると、なんだか放っとけないような気分にさせられる。
ダメでしょ、このお父さんは本当に。
なのに、泣いちゃったもんなー、ラスト。
ストーリーよりも、演技を楽しむ感じでしょうか?
音楽好きなショーン・ペンだけあって、劇中歌が、ものすごく良かった!!
based on a true storyといえば何でもいいわけぢゃない
父と娘ものが大好物な大のファザコンなわたし💜予告の段階からこの映画は絶対に観なきゃ!!!と意気込んでいたけど正直肩透かしをくった感じ。
予告でメインっぽく扱われていた贋札事件が実は話のメインではなく、なんだか釣り広告に引っかかった気分。。。
結局何が言いたいのかわからない映画だったよ?実話が元となっているのであればなおさら何を伝えたいのかハッキリさせて欲しかったな〜
モヤモヤ
シナリオがあまり上手く行ってない。
映像はかなり良く、編集もおしゃれなんだが人物に誰一人感情移入出来ない。一人ひとりの人物像を掘り下げられてないように思う。
編集が凝っているだけに、誤魔化している感が否めない。
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