ベネデッタのレビュー・感想・評価
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【ペストが流行した17世紀。男性社会の中、修道女になったベネデッタは聖痕を得た事で修道院長に抜擢される。修道院内で行われるイロイロと不道徳なシーン満載作品。ポール・バーホーベンだからね!】
ー ポール・ヴァーホーベン監督が、17世紀に同性愛の罪で告発された実在の修道女を題材にした衝撃作。 ヴァーホーベンならではの性と暴力に満ちた奇想天外なドラマが展開する。ー ■17世紀のイタリア、ペシア。 幼い頃から聖母マリアと対話し、奇蹟を起こす少女とされていたベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)は、6歳で出家し修道院に入る。 純粋無垢なまま成人したベネデッタは、聖痕が現れ、民衆に崇められ、やがて修道院長に就任し、民衆からは聖女とあがめられて権力を手にする。 ◆感想<Caution! 内容に触れています。> ・相変わらずの、ポール・バーホーベン監督節炸裂作品である。 ・ベネデッタも、強かにも見えるし、純粋にも見える。 ー ヴィルジニー・エフィラの熱演ありきである。- ・ベネデッタは、修道女バルトロメア(ダフネ・パタキア)と禁断の恋に落ち、同性愛行為に耽るが・・。 ー それを、壁の穴から見ていた前修道院長(シャーロット・ランプリング:灰色の目が怖いです・・。)- <前修道院長は、その事実をジリオーリ教皇大使に伝え、ベネデッタは火刑に処されそうになるが、前修道院長もジリオーリ教皇大使もペストに罹患しており、教皇大使は民衆から襲われ、前修道院長は自ら火刑の炎の中に入って行くのである。 今作は、ポール・バーホーベン監督がベネデッタを腐敗した権力や男性支配の社会に対抗する存在として、エロティックに描いた作品である。>
ラスプーチン?
ダニー・ケイの映画に虹を掴む男(1947)というのがある。後年ベン・スティラー主演でLIFE!/ライフ(2013)としてリメイクされたが、原題はどちらもThe Secret Life of Walter Mittyである。スティラー版をご覧になった方は多いと思うが主人公ウォルター・ミティには重篤な妄想癖がある。妄想というより白昼夢という感じでいったん入り込むとまるで幽体離脱しているかのように現実生活が疎かになる。妄想の中に住むウォルター・ミティ、ゆえにThe Secret Life of Walter Mittyなわけである。 ベネデッタを簡単にいうと妄想癖をもった女がまきおこした騒動である。妙な解釈に思われるかもしれないが、一連の事件は奇跡が信じられている17世紀の修道院ならじゅうぶんに有り得る。加えてベネデッタはメンヘラを患っている。もともとなにかと小賢しい(こざかしい)少女だったのが、禁欲的な修道院という特殊環境で精神疾患(メンヘラ)が伸び伸びと増長し、且つ妄想癖と合体し、ベネデッタというトンデモ女がうまれてしまった──という話である。 こういったメンヘラ女(男でもいいが)は案外珍しい存在ではなく、わたしたちの身の周りや著名人の界隈にもいる。彼女(彼)は腐った果実のようにたったひとりで周囲の健全な人々を精神的にあるいは肉体的に破壊していく。あたかも謀略のようだが、本人は無自覚だ。謂わば「自作自演という天然」をもった怪物である。 ベネデッタの惑乱は教区にいることでさらに増長する。さまざまな現象に対して信者らは“神の意思”をからませるからだ。 彗星が降ってくるシーンでは神がお怒りだと言って恐れおののく。ペストだって神の怒りである。こういった神憑り・迷信によってかれらは怯懦である反面、みずからの欲望が犯したことの申し開きにも神は使われる。 たとえばサドのジュスティーヌで悪徳僧侶たちはジュスティーヌを凌辱するたびにそれを主のせいにする。性欲をコントロールできなかったのは主の御心かもしれない──という曲解によって責任のがれをはかりみずからの精神的安寧を保つわけである。 聖職者にはある種の欺瞞があると思う。 たとえば遠藤周作の沈黙という小説がある。小説よりスコセッシの映画として知られているかもしれないが、沈黙は誰が沈黙しているのか──といえば“神”である。残酷な宗教弾圧に遭いながら、神に忠信を尽くしているのに神はいっこうに応えてくれない。その状態を“沈黙”と言ったのだ。ヴィスコンティやベルイマンが使った“神々の黄昏”とか“神の不在”も同様に「人間界は神がいないかのようにヒドいor愚かしい」ということを示している。しかし“神”なんて現実には存在しないのだから応えないのは当然である。 ところが宗教信者は人間が悪をはたらいたり自らが救われないことを神がいないからだ──という立脚点をとる。その依存を欺瞞だと言っているのだ。 やがて、世の悪を神のせいにするばかりか、みずからの犯した悪をも神のせいにする。宗教信者にはそのような欺瞞が生じやすい。(のではなかろうか。) いま行われている戦争もそうだが信者・宗教人というものはあるていど“神のせいにする人たち”という見地をもったほうがいい。 そのように現実をも曲解する信心によってベネデッタの奇行が守られたことでベネデッタは一時的にせよ恣(ほしいまま)の状況をつくることができたのだった。 反対に、ランプリングが演じているフェリシタ修道院長はまともな人間性をもっている。少女時代のベネデッタにマリア像が倒れてきたにもかかわらず無傷だった──という出来事があったとき、娘のクリスティーナにこう言った。 「奇跡なんてキノコみたいにやたら生えてるもんじゃない。それに想像以上にやっかいなものよ。」 フェリシタ修道院長は立場上奇跡じたいは否定しないものの奇跡なんてものはあり得ないという現実主義に立っている。宗教人なら信者である前にまっとうな人間であることが必要だという亀鑑のような存在だ。しかし、まともであればあるほどメンヘラには脆い。そういう理不尽が描かれている。 したがって映画の紹介には同性愛のことがメインに揚げられているが、ご覧のとおり、ベネデッタで強烈なのは同性愛が描かれていることではなく、たった一果のメンヘラ女がまっとうな人間たちを駆逐してしまうこと、むしろそれを主題とした映画、言ってみりゃラスプーチンの女版といえる。 imdb6.7、RottenTomatoes84%と90%。 アメリカの歴史家Judith C. Brownの著作「不謹慎な行為: ルネサンス期イタリアのレズビアン修道女の生涯」をアレンジしてある──とのこと。 バーホーベンは復調が継続しておりオランダ時代のように生生しいが、わざと露悪・扇情的なつくりという感じはあった。 ベネデッタは自作自演に無自覚だが自身が神の嫁であるという境遇について疑いをもっていなかった。すなわち無敵だった。が、時代も彼女を神のつかいとみなすような時代だった。真面目なつくりだが前作エルみたいな一種のブラックコメディといえる。(と思った。) 見応えはあったが不愉快な女だった。w。
ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』
ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』やピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』をリスペクトしている。
神聖でありながら、人間的。それを贖罪って言うのだと思う。
ベネデッタは答える
『愛とは孤独にならない事です。ここが温かくなることです』
元院長にベネデッタは言います。
『あなたは生涯神を信じなかった。死を前に神は慰めと救いになるのに、独りで恐怖と戦っている』
元院長は答える
『私には神の声が聞こえなかった』
すると、ベネデッタは
『今、語りかけている。苦しみとして』
しかし、元院長は
『随分と雄弁ね。あなたには神はなんと言ってるの?』
ベネデッタは元院長に耳打ちするが。
『、、、、』
たぶん『死はあなた達の中にいる』って事。だって、死は免れない。
傑作だ。
神の声を聞き、神の姿を見るベネデッタ
真実か?虚言か?病か? 修道女ベネデッタ。 その揺るぎのない強さに、信仰の危うさを感じる自分がいました。 ベネデッタの行いは自分本位で《我こそ神なり》 神がかり(憑依?)的な聖女(魔女?) 全ての行動が裏表です。 神を信じていれば肉欲に溺れることも、なんの疑いも感じない。 神の声を聞き、ベネデッタの内から神が男の声で啓示を語るのですから・・・ (宗教全般に疎く信仰も持たない私です) この映画、ポール・バーホーベンの世界は 《宗教は何でも有り》 裏切りも密告も嫉妬も策略も聖職者の政治力に利用される。 ベネデッタが神の声を聞き、聖痕が身体に現れたことにより、 修道長にまで昇り詰めて行く。 元修道長(シャーロット・ランプリング)は面白くない。 ローマ教皇大使(ランベール・ウィルソン)にベネデッタの同性愛行為を 糾弾に赴く。 そしてベネデッタの《火刑》のスッタモンダ!! エネルギーに溢れた映画です。 ポール・バーホーベンの本領発揮・・・ 過剰な性描写! アレレと思う宗教観! 絢爛豪華な中世の映像美。 美しいBGMの宗教音楽と女声のミサ曲。 最後まで楽しませて貰いましたが、 こんなドロドロでギドギドの油ぎった宗教映画に疑問も? 薄っぺらい感じもします。 エンタメでサービス満点。 さすがのバーホーベン監督作でした。
すごい人もいたんだなあ。
実在した修道女の話。8歳で出家し、数々の幻視をみて、聖痕が現れる。それらを啓示と受取り修道院での地位を高めてゆく。が、同時に禁じられた欲望も解き放たれて…。 聖痕は果たして本物なのか?本物とはなんなのか?本人のみぞ知るところであるが、数々の"奇跡"はまさに狂った信者そのものであり面白い。一種のギャグにはなっているがバカにしているわけでもなく、キャラクターそれぞれがマジなので、面白おかしさの純度が高まり笑える。エピローグにはベネデッタの人間味溢れる行動も感じとれ、良いものを観たなあといった感想。舞台やあらすじなどで小難しく感じるかもしれないが、案外観やすく良い映画です。
超絶!意地悪ブラックコメディー!!
映像が美しいですね。 ほぼ中世の宗教画、そのまんま。 中世のシスターの話と言うと堅苦しいのかな?と 思いきや、なんと言う俗っぽくて生臭い映画か(爆笑) 主人公のベネデッタ! 始まりからこの子、思い込み激し過ぎてやばくね? と、思わされるエピソードが詰め込まれます。 修道院の生活の中でも、 そこそこ裕福な暮らしをしていたらしい少女にとっては 結構きつい暮らしが続くので、 自分はイエス・キリストと特別な絆があると言う思い込みを 更に強く持つようになってゆく。 その行動、果たして本当に思い込みか? それとも全て演技なのか? 最初はそこが気になるのだけど話が進むうちに ベネデッタよりもその周囲の権力者達が 己の特権と利益に群がりしがみつく、 醜さの方がどんどんとクローズアップされて 肉らしさを通り越して笑えて来てしまう。 中世の世界を完全再現した贅沢なルックに隠された 超絶!意地悪ブラックコメディーです。 で、月に8回程映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては 鬼才ポール・バーホーベン監督 1938年7月18日 御歳85歳! 撮影は1年とか2年とか以前としても80歳過ぎた監督の 作品とはとても思えない画面上の妥協の無さ! 加えていい意味で予想を裏切る展開! 実在した修道女の記録と言う時点で驚きだけど、 それを更に監督の味付けが、生々しくも可笑しいシーンへと 仕上げられて、観る者を退屈させない。 例えば、ベネデッタとベネデッタが助けたある少女とのシーン。 終わったらこれで〇〇するのよ。 と言いながら、壁一面に積み上げられた藁の束から 一掴み引き出してそれをするシーン(爆笑) 確かにこの時代ならそうなるわね。 更に末端の修道女達には質素、倹約、禁欲を強いていながら 自分の食卓には山ほどのご馳走様を並べて、 出てきた妻は妊娠中!と言う権力者の振る舞い! なんだよ!この俗物野郎!! とことん権力者の欺瞞を嘲笑う監督の目線。 「ロボコップ」の一作目と 前作の「エル」の時も思ったのだけど、 ウディ・アレン監督の様に、若い女性を理想化したり 偏った愛し方をするでも無く、 女性の美しい面も狡い面も同じように人として描く バーホーベン監督の女性を観る目が好きです。 年齢が心配ですが次回作も期待していたい。 ずっと待っていたいですね。
シン・ジーザス
早稲田松竹の「ダークグラス」「アラビアンナイト」そして「ベネデッタ」という、ベテラン監督の最新作まとめて一気に鑑賞特集へ。
告白①
無神論者バーホーヴェンが実在の修道女をベースに作った問題作(じゃないことがあるのか?)とくればさぞかし俗悪、いちいち教会をおちょくるような内容なんだろうなぁ。長いしピンと来なそうだけどとりあえず観ておくか。
告白②
高橋ヨシキ「悪魔が憐む歌」かその続編に、バーホーヴェン本人へのインタビューがあり、一時イエスの実像に迫る研究会に参加しており、イエスの映画はライフワークだという話が出ていました。
最初は①のつもりで普通にいつものバーホーヴェン映画として(マリア像の使い方にウケたりして)たのしく見ていたのですが、後半になるにつれ、なんかこの話、知ってる…?となり、思い出したのは②、これがイエス・キリストの軌跡を辿るストーリーなのでは、と思い至りました。
私は昔、学校(プロテスタント)で聖書の福音書を読まされました。
私の思うイエスは基本的にパンクな反逆者です。神の声に従い、既存の宗教(ユダヤ教)の硬直化した権威を否定し、数々の奇跡を起こしじょじょに人々の支持を集めるが、最終的に権力者の手で処刑され、その後復活する。
誰さんにそっくりじゃあないですか。。
礼拝で聖書を読んでいた頃、果たして今の時代にイエスが現れたら、信者の人はイエスに反発したパリサイ人のようにではなく、素直に彼を神の子と認めることができるんだろうか?などと不遜なことを思っていました。
皆、日々のことに精一杯で、理不尽に目をつぶって暮らしているのに、それをいきなり神の名のもとに正論でNOを突きつければ、いつの時代でも疎まれたり頭がおかしいと排除されるに決まってます。
でも、聖書の中のイエスはまさにそんなキャラクター。
だからこの映画は、バーホーヴェンなりのナザレのイエスの研究成果なんではないでしょうか?
神の声を聴いたり、数々の奇跡を起こすヒロインの信仰が本気なのか、方便なのかは判然としませんが、もし方便だとしても、非常にクレバーで傑出したカリスマであることは間違いありません。
たぶんバーホーヴェンはキリストをそのような人物だったと結論づけ、実際に劇映画として提示して見せたのではないかと思うわけです。
だとすれば、バーホーヴェン作品の中では比較的まとまった、理解しやすい部類に入るのではないでしょうか。
ただ、そうはいってもクライマックスの展開はあまりに胸熱で、どストレートな映画的感動を味わうことができました。
画面も脚本も、80代の監督であることを微塵も感じさせない充実ぶりで、さらにパンデミックの記憶も生々しい時期というタイミングの妙が、劇中の伝染病エピソードをより鮮明に感じさせます。
そんな中、神を信じていなかったあの人の最後にとった行動は、ハリウッド伝統のキリスト的振る舞いでありながら、現代人である観客にとっても、たいへん共感できる合理的態度だったのではないでしょうか。
すごいやバーホーヴェン。
追記。
映画ブラックホールのベネデッタ回を見たら、柳下毅一郎さんがバーホーヴェンが上梓した「ナザレのイエス」に言及されていました。
その内容は、まずは処女懐胎から疑ってかかり、キリスト教社会のタブーにど正面から挑んでいるようす。きっと大きなインパクトを及ぼしたことでしょう。みたかったなぁ。
センセーショナルな題材を突き付けて、ヴァーホーヴェンは常に問う
現在世界で最も刺激的な映画監督、ポール・ヴァーホーヴェン。
『ロボコップ』のバイオレンス描写、『トータル・リコール』のインパクト近未来描写、『氷の微笑』のエロス描写、『スターシップ・トゥルーパーズ』の戦争揶揄…。ハリウッド大作でも自分のスタンスを貫く。
『ショーガール』『インビジブル』がコケ、母国オランダへ。戻ってからは益々才気を爆発。
『ブラックブック』『エル/ELLE』…。本作も期待通りのセンセーショナル。
17世紀のイタリアに実在した修道女、ベネデッタ・カルリーニ。
史上初めてレズビアンとして裁判に。
起こした奇跡の数々は本当か、狂言か。
数奇に満ちたベネデッタの運命と、翻弄された周囲の人間関係…。
トレードマークのバイオレンスとエロスは勿論、宗教や人間の姿を赤裸々なまでに突き付ける。
起こしたという奇跡は真に信じ難い。
幼少時に聖母マリアと対話。
修道女になってからはイエスの幻影を見る。
やがて彼女の身体に聖痕が…。
私はイエスの花嫁になった。
奇行か妄言かと思う。実際、真意を疑う者も。
が、彼女の奇跡を目の当たりにしたほとんどが信じる。
嘘か真か。マリアとの対話やイエスの幻影など幾らでも盛れる。
聖痕だって…。ある疑惑も…。
疑わしきはあるが、その真意を暴く作品ではない。
ベネデッタが幻影の中でイエスと対するシーンからもそう。
彼女の信仰心は真なのだ。
ある時修道院に、父親から虐待を受ける少女バルトロメアがやって来る。
奔放で小悪魔的な魅力のバルトロメア。
突然、キスをする。
行為を見せたのはバルトロメア。戸惑うベネデッタ。が、拒否したりはせず。
何がきっかけだったのか。何に惹かれたのか。理由などを超えた何かか。
聖痕で安静のベネデッタを看病するバルトロメア。愛撫が艶かしい。
欲情が爆発。身体を重ね、求め合う。
時にはイエス像を“道具”にして。
インモラルな秘密の関係。
数々の奇跡や聖痕で権力を握るベネデッタ。
が、この時代は圧倒的な男上位社会。宗教絡んだ権力握った女性は邪魔な存在でしかない。排しようとする。
同性愛の疑い。まずバルトロメアを拷問。口を割らせ、ベネデッタを裁く。ほとんど一方的に。火あぶりの刑。
横暴振るう教皇。こんな時代だから…いや、今と同じだ。同性愛や性差別を助長する老害権力者そのものだ。
激しい濡れ場と熱演見せたヴィルジニー・エフィラとダフネ・パタキア。エフィラは凄みを効かせたシーンに圧倒された。
シャーロット・ランプリングの存在感も光る。
母国に戻ってから本領発揮し続けるヴァーホーヴェンには驚きだ。
エロスもバイオレンスも一切妥協する事なく。
題材が題材だけに物議は必至。その筋からは抗議され、上映禁止の国も。
過激ではあるが、その中に深淵なテーマを問う。
宗教への疑念と信仰。
彗星におののき、教皇が持ち込んだあるものに人々はパニックに。
何かにすがる。何かを忌み嫌う。人は弱いのか、愚かなのか、哀れなのか。
それでも人に救いの手を。
何を信じるか。宗教か、愛か、自分か。
とてもとてもハリウッドで『ショーガール』や『インビジブル』を撮った監督とは思えない。
ただの変態監督ではなく、ヴァーホーヴェンは非常に真摯な監督なのかもしれない。
ベネデッタ最強
ベネデッタの秘密がバレるかどうかみたいなサスペンスを見ている気分になった。バレてからもベネデッタは策謀で戦うし強い。バルトロメアは最初はベネデッタに悪戯をしていたが、最後にはベネデッタにバルトロメアが振り回されていた。
これは凄い作品。特にベネデッタ。100点
岡田斗司夫さんの動画にてベネデッタは凄い!監督が変態!って言ってたのでこれは見なきゃということでDVD借りてきた。
予想通り以上にすごい映画。
内容はキリスト教と難しいですが、とにかく演じている女優がスゴすぎる。
CGとか無くても凄い映画が作れるんだなぁと。ほとんど(4割)のシーン全裸だった気が…笑
18世紀でもそういう事があったんだなぁと驚きしかない。
実際の話なのかは別としてとにかく凄い映画だった。が万人受けしないので他の人には進めない事にします。
行き過ぎた信仰心
中世のヨーロッパの時代においては、修道女になるには、お金💰が要る事にびっくり‼️ ベネデッタは、裕福な家庭に居ながら修道院に行くのはなんとも、凄い時代😵💫 そこで、ベネデッタが登り積めるために偽りや、欲望をこれでもかと、生々しく描いた監督に降参🏳️ 面白い🤣🤣
ポール・ヴァーホーベン節が鳴り響いていて最高、とポール・シュレイダ...
ポール・ヴァーホーベン節が鳴り響いていて最高、とポール・シュレイダーの『カード・カウンター』と同じ感想になりますが後期高齢者の監督がやりたい放題やってるのはやはり良いものです。
あんなデカい声はばれるでしょう?
個人的にノストラダムスの大予言を信じていたたちなので ハレー彗星が来るたびに世の中が混乱する ペストは土葬するな、酒で消毒せよてのは あーこういう時代だったんやな、と目に焼き付きましたね。 そんな英知を超えた彗星、伝染病などは神の思し召し といった当時の雰囲気が全編から感じられ面白かったです。 またエロ全開はいいんだけど こんな自分勝手な女を舎弟にしたら自分のクビも締まるよ もうちょっと選べよ、と思ったりしました。 60点 5 アップリンク京都 20230225
17世紀の凄惨極まりない現実を生々しく下品に活写する、実にヴァーホーヴェンらしい大傑作
修道院に向かう途中で幼いベネデッタに起こるアホみたいにベタな奇跡から始まってグッチャグチャになるクライマックスの惨劇まで延々と繰り返されるインモラルなギャグに爆笑しまくりましたが他に笑ってる人がいなくて寂しかったです。イタリアの話なのにセリフは全部フランス語、ほぼ全編ドリフの大爆笑を真顔でなぞってるみたいなデタラメなのにでもこれ全部史実だよ?とせせら笑いながら叩きつけてくるヴァーホーヴェン師匠の大昔から変わらぬ底意地の悪さに圧倒されました。 ポスタービジュアルも実に素晴らしい。70年代のジャーロ映画風な邦題デザインからしてイタリア汁が滲み出してますし、この主人公の出立ち、恐らくはルルドの聖母ことベルナデッタの亡骸に似せてるんじゃないかと。『氷の微笑』『ショーガール』『ブラックブック』『エル ELLE』の系譜と監督自らおっしゃってる通りの作品、圧倒的に不利な状況なら反則したっていいだろ、そもそも社会がデタラメなんだからとでも言わんばかりの雄弁さが清々しい。個人的には『ロボコップ』のアン・ルイス巡査もそこに並べたいところです。
無駄にR18+
伝記ものです。興味深い物語ではあり。イエスキリストの花嫁になったとみなされて権力を握っていく様などは見ごたえもあるのですが。今一つ乗り切れませんでした。
エロ要素、そこまでリアルにしなくてよくないことないですか?
って思いました。
信じる者は馬鹿を見る?
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純粋無垢に育ったベネデッタに
りんごを食べさせたら欲の塊に
なっちゃった。って感じ?(笑)
(実際には🍎は食べていませんw)
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バルトロメア=悪の化身
ベネデッタ=聖女
かと思っていましたが
バルトロメアの妖しい魅力に
虜となるベネデッタ。
いままで抑え込まれていた?
欲望が一気に噴き出してからは
手段を択ばない様が
異常ではあるものの
本能のまま煩悩のままに
行動する彼女の生き方は
見ていてある意味清々しい(笑)
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「あなたはまだ子供ね」とバルトロメアに吐き
牢獄での生活が余儀なくされるとわかっていても
バルトロメアとの逃亡生活を捨て
修道院に戻っていくベネデッタの後ろ姿
もはや本当にイエスに導かれているように見えてくる🤣
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ベネデッタの聖痕は嘘か真実か
これはもう信仰心と同じで、
信じたい人は信じるし
疑念の塊の人であれば、
如何なる証拠をもってしても否定する。
そんなもんですよ、所詮人間なんて✋
そして一番まともな人間が馬鹿を見る。
(あれは何とも悲しい事件だった)
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ベネデッタ役 #ビルジニーエフィラ #virgnieefira
バルトロメア役 #ダフネパタキア #daphnepatakia
まさに文字通り「身体を張った」演技に拍手👏
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