ベネデッタのレビュー・感想・評価
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逞しい主人公 宗教世界とは
主人公の幼い頃、祈っていたキリスト像が突然倒れてきて、それでも何故か怪我しないなどの不思議な現象が淡々とあって、まわりの修道女もこの人何か違う(本物なのかな)という目で見ている。ジャンヌダルクの修道女版というところか。最後は劇的。逞しい。
中世教会のリアリティ
日本人には理解が難しい中世の教会の現実。
教会の影響力がわかる映画で、大変中世のキリスト教の支配の実態がよくわかる。
映像もリアリティがあり、現実に対する理解が進む。
バーホーベン監督だから表現できる映像でした。
バーホーベンから見ると
神も悪魔も同じような存在なんだろうなあ。
「トータル・リコール」も、「氷の微笑」もそうだったように、
何が“真実”かで踊らされているよりも、
そこで起きている“現実”を信じているのだろう。
彼女ははたして本当のことをいっているのか...?
ピーター・ウェラー主演のサイボーグ警官のロボコップやアーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション映画トータル・リコール(2012年にコリン・ファレル主演でリメイク)、シャロン・ストーン主演の妖艶な女性が主人公のミステリー映画氷の微笑の監督ポール・ヴァーホーベンが17世紀に実在したベネデッタ・カルリーニという同性愛の罪で裁判にかけられた修道⼥がビジョン、狂言、創造性で男性が支配する時代に権力をつかんでゆくという物語。
最初ベネデッタが幼少期の頃に修道院に向かう途中、母親のネックレスを盗賊に奪われるシーンがあるのですが盗賊に「聖母の罰がくだるわ」と発するところがあって本当に天罰が降りかかるという奇蹟かのような出来事が起きます。
その後、修道院に入って大人になったベネデッタは逃げ込んできた見知らぬ若い女性バルトロメアを助け、彼女と仲良くなり恋愛関係に発展していきます。
その頃から幼少期からずっとみえていたキリストのビジョンと嘘か本当かわからない狂言を使ってさも本当のことであるかのように民衆を信じ込ませ、修道院長の座に駆け上がっていきます。
最後にベネデッタのその後の詳細が書かれて、彼女は70歳まで生きて生涯を修道院内の施設で過ごしたことがわかります。
幼少期は純粋だったのかもしれないが大人になるにつれて色んな欲が出てきて、すべてを欲したベネデッタは息を吐くように"虚言"を繰り返し大衆の心を操り最終的には修道院長にまでのし上がったのをみて、私はただ単に嘘をつき続けるのは通常の感覚だったら罪悪感で途中で断念してしまうと思っていて、自分優先に物事を考える自分勝手なベネデッタは一貫して嘘をつくことに微塵の躊躇もなくできてしまう通常じゃ考えられない感覚の持ち主で現代で人が集まってくるカリスマ性があった人物に感じました。
時代の流れ
これ、四半世紀前に見たら、相当衝撃的だったと思うけど、時代も流れて世間も私も寛容になってきた昨今、LGBT問題に一石を投じている作品だと考えてしまう、今日この頃。
ポール・ヴァーホーベン監督?と思ったが、「氷の微笑」か。昔友人とドキドキしながら見に行ったのを思い出したぜ!
詐欺師の話?
観たあとになにかモヤモヤする映画。何が悪いのかもピンとこない。
同性愛者に目覚めた女詐欺師が小さいフィールドでなんとか生きようとする話なのか?
ポール・バーホーベンは80過ぎても精力的に撮影するな凄いなーの星。
宗教の価値観は…
基本宗教に興味が無いので、理解ができない
今はやりの旧統一教会もそうだが、信者になるためには金💰が必要だし金がないやつは信者にもなれない設定から始まるが、僕みたいな貧乏💸人は神からも見放されるんだな〰️
日本でいう尼寺での出来事(リアルストーリーをオマージュらしい)を、コロナではなくペストを題材にしながら進んでいく
LGBT問題や、その時代の宗教感がわからないから、現代の問題を上手くペストの時代に溶け込ませている
ペスト怖い。
昔々の修道院記述を元にした、神に選ばれし娘とレズビアン案件。
子供の頃から割と飛びやすい子だった模様で、現在だと病名めいたものが割り当てられるんだろうが本作ではそこの所はどっち着かずにわざと描いている。
病気なのか芝居なのか神の啓示が本当にあったのか見る側もエピソードごとに振り回されつつフィナーレに突入するのが楽しい。ペスト流行のタイミングも人々を追い込み、話を盛り上げてくれます。
ビアン案件は肉欲なんで聖女とは相反する訳ですが、なんか人間的で、話をかき混ぜ、結果的に主人公の足を引っ張りつつ主人公を際立たせてますね。
間違いなくポール爺さん一流の娯楽作品です。
関係ないけど私子供の頃からペスト流行期、終末観のある話大好き。ビジュアル的にも恐ろしくてよい。
狂信者か、それとも目的のためには手段を選ばないタイプの策士か
久々に観るだけでカロリーを消費した感あります。途中からずっと脱いでんなこの人達と思ってましたが、ラストも脱いでましたね。無駄に。ここまで来るともういっそのことギャグですね。脱げば笑い取れると思ってる芸人と同じ目線なのかなと(暴言)。
ストーリー自体は面白かったです。主人公のベネデッタは実在の人物とのことで、この辺、桐生操先生あたりがなんか書いてそうです。知らんけど。
イエスに愛されし修道女かつ同じ修道女の後輩と実質的な同性愛関係になるって、それってある意味浮気と違うんかとツッコミ入れまくってましたが。
最後までベネデッタが狂信者なのか、目的のために手段を選ばない系策士なのかが、よくわかりませんでした。良い人なのか、悪い人なのかということも。
きっと両面があってこそ一人の人間、ということなんでしょうね。
あと、シャーロット・ランプリングが良い味出してました。
修道女のイメージがいい意味でぶち壊された
・全体を通して
修道院内の閉鎖的な環境で物語が進行し、終始陰鬱な雰囲気を感じさせる映画だった。
鑑賞前は、修道女(シスター)達に対して、ベネディクト会の「清貧・純潔・服従」の戒律に見られるような禁欲的な生活をしているイメージを抱いていた。しかし、この映画に登場するベネデッタとバルトロメアは、互いに体を求め合い、削った聖母像を性玩具代わりにして性行為しており、自分が抱いていた修道女像とはかけ離れた人物たちだった。特に気に入ったのは性行為のシーンで、普段修道女として姿とのギャップもあり、本能的で動物的に体を求める2人がとても良かった。禁欲的なイメージのあった修道女も、自分達となんら変わらない存在にも思えた(戒律を遵守する敬虔な修道女もいるとは思うが)。
聖痕を自身でつけたのかというバルトロメアの問いに、ベネデッタがわからないと返答したのは、嘘だと認めたくなかったのか、自分自身でも記憶が曖昧になっていたのかどっちだったのかわからなかった。
どこまでが史実でどこからが創作なのかははっきりさせておきたいので、ネットで今作について調べてみようと思った。
・各場面を通して
「痛み」が必要ということを神父から聞いた後、バルトロメアに熱湯の中の糸を拾わせた動機がちょっとよく分からなかった。バルトロメアのために痛みを経験させようとした?
同性愛については悪いとは思わないが、修道女として生活している身でありながら聖母像を性玩具として扱うのは、頭ぶっとんでるなと思った。
今作で、苦悩の梨という拷問器具が存在することを初めて知った。バルトロメアの絶叫が修道院内に延々と響き渡るシーンは見ていて辛かった。だが、その後書物の中に隠した聖母像を見せる場面では、普通に歩いている様に見えたので、さっきあれだけ悲鳴を上げていたわりには普通に歩けるのかなと疑問に思った。
ベネデッタが火刑に処される直前、教皇大使がベネデッタに今告白すれば絞首刑に変えてやると説明するシーンがあった。これは『ジャンヌ・ダルク』(1999)の終盤のシーンに似ているなと思った。火刑の直前に減刑と引き換えに告解を促すのはよくあることだったのかな。
ベネデッタの「私の心に悪が侵入した」という発言は、バルトロメアのことを示唆していたように感じた。
ベネデッタが火刑を免れて、教皇大使が殺される展開は予想していなかった。そのまま火刑に処されて終わりだと思っていた。
日記(余談)
本作と関係ないけれど、映画を観に行ったとき館内には自分1人しかいなかった。R18指定の映画だからかホラー映画の予告が多く、1人きりの暗い館内でそれを延々と流されたのはきつかった。今後、R18映画を見るときは上映してすぐの人の多い時間帯にしようと思った。
奇跡なのか狂気なのか野心なのか
修道院を舞台におよそ修道女や教会の要職者しか登場しませんが、人間の生々しさを強く感じる作品です。
幼い頃からキリストの幻視をみるベネデッタは、6歳から修道院に入り、世俗を知らないまま成長します。
修道院に逃げ込んできた女性・バルトロメアと出会ったことから、ベネデッタの心にいままでなかった感情が生まれ、ベネデッタの幻視や言動は大きく変化していきます。
ベネデッタの幻視は、観る人に疑心を与えるように描かれています。
少女ベネデッタがみる幻視は、キリストとの恋愛を夢見るような現実味のない幻想のようです。
大人になると、キリストの心臓や聖痕を与えられたりと、キリストに成り代わりたい願望が見せる夢のようでもあります。
物語の後半では幻視の描写はなくなり、ベネデッタの言葉は幻視からのお告げなのか彼女の欲望なのか曖昧になっていきます。
ベネデッタがバルトロメアと情交を深める様子は、肉欲に溺れるようでもあり、エクスタシーによってある種の法悦に近づこうとしているようにも感じられます。
バルトロメアは奔放にベネデッタを深みに誘いながら、関係が明らかにされることを恐れ怯える様子があります。
対してベネデッタは、当初バルトロメアに近づくことをためらっていましたが、関係をもった後は恐れがなくなります。教会に認められないことだと理解する一方で、ベネデッタ自身の信仰においては悪いことではないと確信しているようでもあります。
公式サイトの監督メッセージに「完全に男が支配するこの時代に、(略)、本物の権力を手にした女性がいた」とあります。
ベネデッタは物語の終盤ではもはや町の人々の心を掌握し、教皇大使の権力をも超える力を得ています。
立場や役職によってではなく、信仰心で人の行動を操ることこそ確かに本物の権力なのかもしれません。
ベネデッタをそうさせるのは奇跡なのか狂気なのか野心なのか、観る人の信じたいものによって真実は変わるでしょう。
いまに通じるリアルさ。
宗教、愛、性、政治、憎悪、疑義、従順、清廉、復讐、裏切り、怒り、独占欲と、人間のほぼ全てが描かれてるけど、記録を元に制作したフィクションとはいえ、リアルなものを感じ見応え十分で終始見入ってしまった。
彼の作品の、特に女性の裸のシーンは、いつ来ても良いように痛みに耐えられる準備をしている自分がいる。にもかかわらず、毎度痛々しい思いをする。
なぜだかロボコップが観たくなった。
聖母とディルド
ポール・バーホーベン、相変わらずスゴイのぶっこんでくるな。カンヌでノミネートされるのも納得。テーマ、脚本、役者、演出、撮影、美術と、すべて高水準の作品。
本作は宗教と性という議論を呼びそうなテーマを真正面から取り上げてる。聖痕の現れた聖女がエチエチするシーンに、キリスト教保守派は激怒しそう。
宗教がセックスを汚れたものとして忌避することは、ある意味、人類の苦悩を象徴していると思う。愛や喜びを経験することを否定し、苦しみや痛みを美徳とするなんて、制限と苦悩に満ちた人類の特徴そのものではないか。
映画「スポットライト」で描かれたように、カトリックは世界中で子供をレイプするという鬼畜なことしておきながら、性愛と喜びを経験した聖女を火あぶりの刑にする。
この倒錯加減が狂気の沙汰。もうこんなの終わりにしよう。
聖か俗か?嘘か誠か?
カトリック教会を舞台に同性愛、魔女狩り、拷問、権力闘争を描いており、かなり挑発的な内容の作品になっている。しかも、事実を元にしているという前振りをわざわざクレジットする大胆さで、このあたりに鬼才ヴァ―ホーベンの気骨が伺える。
これまで宗教という物に余りこだわりを見せてこなかった氏が、ここにきてそれを題材にしたというのは少々意外だった。「4番目の男」に若干、聖母のイメージが嗅ぎ取れるが、「トータル・リコール」にしろ「インビジブル」にしろ実存主義の作家という印象を持っていたからである。このあたり、一体どういう心境変化があったのだろうか?
ともあれ、今作もかなりスキャンダラスな内容であることは間違いなく、宗教に狂わされていく人々の姿をシニカルに表しており、いつものヴァ―ホーベンらしさは感じられる作品である。
映画は、キリストの幻視を通して修道院でのし上がっていくベネデッタの姿を、バルトロメアとの愛欲を交えながら描いている。ベネデッタは本物の聖女なのか?それとも只のペテン師なのか?そのあたりの真偽を敢えてぼかしている所が面白い。
例えば、ベネデッタがキリストの復活を再現して見せる所などは理屈では考えられないシーンである。少女時代のベネデッタが倒れたマリア像に押しつぶされそうになるシーンも、普通に考えたら起こりえない現象である。こうしたオカルト的な事象に加え、彼女の周囲には様々な事が偶発的に起こる。したがって、全てを彼女の狂言というふうに片付けられない所がミソで、彼女のミステリアスな存在感にグイグイと引きつけられた。
そして、ヴァーホーベンと言えばエロスとバイオレンスの作家というイメージがある。本作の製作時、齢80を超えていたが、それでもなお衰え知らずといった感じで、刺激的なベッドシーンや残酷な拷問シーンが登場してくる。このあたりの作家性も健在である。
本作で残念だったのは、終盤にかけて作りが若干雑になってしまった点だろうか。バルトロメアの心理変化が省略されてしまったことと、ベネデッタが町の外へ出た理由がよく分からなかった。それまで丁寧な描写に徹していたのに、終盤はひどく無頓着な演出になってしまったことが残念でならない。
また、後半はベネデッタとバルトロメアの愛欲関係を断罪する審問会が見所となるのだが、ここも”ある証拠品”を巡る取り扱いが安易に感じられた。推理物では、もはや使い古されたトリックで、もう少し捻りが欲しい。
キャスト陣では、何と言ってもベネデッタを演じたヴィルジニー・エフィラの堂々たる演技が印象に残った。悪魔に取りつかれように激昂するシーンは、ほとんどホラー映画のような恐ろしさであった。
修道院長を演じたシャーロット・ランプリングは複雑な胸中を深みのある演技で体現し、こちらも貫禄の巧演を見せている。
尚、本作には一つだけ大きなミステリーが残されている。それは終盤でベネデッタが修道院長の耳元でささやいた言葉である。劇中では無音なので聞き取れなくなっているが、果たして彼女はどんな言葉をかけたのだろうか?その後の修道院長の行動を考えると興味が尽きない。そこを探ってみると、本作の味わいは一層増すだろう。
狂信
同じく中世イタリアの修道院を舞台とした「薔薇の名前」は大好きなのですが、本作はイマイチ楽しめませんでした。誰一人、何一つ共感できなかったとでも言いますか。この映画のテーマを私なりに一言で表すのであれば「狂信」という言葉なのだと思います。ヒロインも然り、市井の人々も然り。「信じる者は救われる」とはよく言ったもので、逆に「信仰の怖さ」も感じました。それにしても、中世の裁判って雑で乱暴ですよね(笑)。モヤモヤすることが多い中、シャーロット・ランプリングの存在感は流石でした。最後に全て持っていきましたね。その後のシーンは不要なのではないかと感じるほど。
3.8)✝闘え!聖女✝
前作『ELLE』に続き、今作も妄想の映画だ。
ただし監督自身の妄想aka性的嗜好の投影ではなく、主人公ベネデッタの妄想を創作したことで客観性が生まれ、一段上の映画になった印象。
「妄想」と書いてしまったが、ベネデッタとキリストの逢瀬が、夢か幻視か自己暗示か人格障害か?解らないように出来ているところが面白い。内面が見えない「信頼できない」主人公であるにも関わらず、不思議とベネデッタを心から応援してしまう。権力を批判するだけの人間よりも、その権力の渦中で闘うカッコ良さがここにある(たとえベネデッタ本人には、そんな意識がないのだとしても)。
それにしてもキリスト登場場面の、気が抜けた炭酸のようなオーラの無さには笑った。モンティパイソン的トンマ感と、ハーレイクイン的王子様が同居する「俗物」以外の何物でもないあの感じ。そんなキリストに恋してしまうベネデッタの俗物的可愛さよ。彼女の(そして本作の)魅力だ。
妄想と即物表現の人、ヴァーホーベンが健在
けっこうよかった
面白かったのだけど、結局のところ宗教や修道院に関心が薄いため、あまり心に響かなくて長いしちょっと眠くなる。うんこやゲロ、おならといった下ネタがちょいちょい出る。景気よく女性の裸も見られる。コロナ渦っぽい展開もある。『ロボコップ』以来バーホーベン監督のファンなので劇場で見れて気が済んだ。
意外と良い
ちょっと変わった作品というイメージでしたが、映像が美しく、最近のアカデミー賞候補よりよっぽど分かりやすい内容でした。宗教の偽善が良く描かれています。
シンク・オア・スイムのコーチなどキュートな印象のV・エフィラやシャーロット・ランプリングの怪演が迫力満点でした!
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