ストーリー・オブ・マイ・ワイフのレビュー・感想・評価
全52件中、1~20件目を表示
この二人だからこそ成立し得た、169分かけて紡ぐ夫婦関係の海
上映時間を見て驚いた。ひゃ、169分っ!?果たしてそれだけの語るべき中身があるのかどうか。私の関心はまずそこだった。結論から言うと、これは何か巨大な展開や仕掛けがあるというよりは、船長を生業とする主人公と妻との数ヶ月おきにしか会えない特殊な関係性を、じっと見つめた作品という点で面白い。手掛けるのは『私の20世紀』『心と体と』の異才監督。海上では天候や波風を的確に予測し、どんな緊急時も迅速に対処できる船長なのに、なぜか地上では妻の内面や私生活のあれこれに至るまで、何ら想像力を働かせることができない。そんな船長の迷走ぶりをあくまで彼の主観に基づいて描いた作品なのである。これを面白いと思えるかどうかは人それぞれだが、主演陣がどちらも抜群に上手いのは特筆すべきところ。レア・セドウはもちろん、船長役のハイス・ナバーもさながら陸に打ち上げられた鯨のようで、刻々と揺れ動く心理も含めて、妙に見応えがある。
運よく美人妻を得た船長がさまよう、愛と嫉妬の暗い海
イルディコー・エニェディ監督のベルリン金熊賞受賞作「心と体と」は、ともに孤独な中年男性と若い女性が「鹿になった夢を見る」という奇妙な共通体験から距離を狭めていく不器用な恋模様を描いた珠玉作だった。レア・セドゥも好きな女優で、当然ながら新作の期待値は高かったが、さてどうだったか。
イルディコー監督のオリジナルストーリーだった前作とは違い、「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」は監督の出身と同じハンガリーの作家ミラン・フストが1942年に発表した小説が原作だ。1920年のマルタ共和国のカフェで、オランダ人船長のヤコブは美しいフランス人女性のリジーと出会い結婚する。だが幸せな生活は長く続かず、リジーの男友達デダンの登場により、ヤコブは嫉妬に苦しむことになる。
映像は美しく、雰囲気もいい。マルタのほか、ブダペスト、ハンブルクでロケ撮影を行っていて、100年以上ほとんど変わっていないであろう古い街並みの趣が物語を盛り上げる。20世紀前半の欧州の都市生活を再現する衣装や美術にも相当な労力が払われただろう。ヤコブ役のハイス・ナバー、妻役のレア・セドゥの演技も悪くない。
でもこの2時間49分の優雅で高尚な恋愛物を、はたしてこの混迷する2020年代に観る意義はどれくらいあるのか、と素朴な疑問を感じてしまう。まあ、別世界に現実逃避する効用はあるだろうか。イルディコー監督と原作の相性がよくなかったかなとも思う。次回作はぜひまた、オリジナルストーリーでお願いしたい。
まったりと流れるレア・セドゥの魅力
「心と体と」が良い意味で独特な雰囲気で映像もとても良かったので、同監督の本作も期待して鑑賞。
淡々と流れていく長尺ものは個人的には結構好み系なのだが、それにもまして本作は想像以上のまったり具合。ストーリーの核としては夫婦の問題のみなので、それを169分かけて描かれてはさすがに眠気が…。内輪揉め的にて「大人の愛の道標」と言われても今一つぴんとこない。
でも映像は期待通りの美しさ。特に、船上から望む海はとてもきれいに撮れていたと思うし、寂れた赤の塗装と海面のコントラストも印象的。意味合いはよくわからないが7つの章に分かれているのも、映像的にはメリハリが付いたかも。
個人的には期待し過ぎた分少々期待外れだったが、レア・セドゥ推しであればじゅうぶん楽しめる作品ではあると思う。
本来90分でじゅうぶんおさまるストーリーを、淡々と長尺に描くのも映画の醍醐味というべきか。
それにしてもラストの解釈、大いに気になる。
え?これっておもしろい?
ヤコブ船長、切ないね
ずっと海の上で生活してきた船長、「最初にカフェに入ってきた女性と結婚する」の宣言通り、レア・セドゥ演じるリジーと結婚
うまくいっていたのは最初だけ、途中からヤコブ船長は辛い結婚生活に
ずっと長い間留守にしてて、美しい妻が他の男性と親しげにしてたらそりゃ疑ってしまうもの
それをあえてしているように思えるリジー
プライドが高いからなのか、主導権を持ちたいからなのか、嫉妬される事で愛されていると確認する人のように思えて、リジーもヤコブ船長を愛していたのではないかと思います
っていうかそうであってほしい
ヤコブ船長はリジーに対して誠実で、早くあんな女と別れたら良いのにって観ながら思っていたけど、男の人は美しくてミステリアスな魅力がある人とは離れられないものなんでしょうねー
付き合っているだけならリジーみたいな人でも良いけど、やっぱり結婚するなら同じような誠実な人じゃないと
リジーと結婚するまではちょっと野暮ったい感じだったヤコブ船長が、結婚してからはなかなかのイケオジに見えてきたせいか、ヤコブ船長のリジーへの愛が切なかったです
すごく長い作品だったけど長さは全然感じず観れました
レア・セドゥの美しさ、衣装もステキ、ロケーションもとってもきれい、切ないストーリー、とても良かったです
ストーリー・オブ・レア・セドゥ‼️
友人とレストランで会食していた船長のヤコブは、店に最初に入ってきた女性と結婚すると宣言。現れた美しい女性リジーに求婚し、めでたく結婚した二人。しかしヤコブはリジーが浮気をしているのではないかと疑う・・・。ちょっと小悪魔的なリジー役レア・セドゥがホント魅力的、でヤコブを翻弄する謎の若妻リジーがハマり役‼️この作品は彼女の魅力を楽しむための映画ですね‼️ただイマイチこのリジーというキャラがつかめないのも事実で、ヤコブを本気で愛してるような描写もあれば、ヤコブの株券を盗み、資産家のデタンと逃避行したり、離婚して7年後に彼女の死を知ったヤコブが友人からリジーはあなたを愛していたと聞かされ、彼女の幻覚を見てみたり。もうちょっとフラッシュバックとかでもいいから、リジーの真意がつかめるような描写があれば、ラストの悲しみや感動が倍加したと思う‼️なんかスッキリしないエンディングだった。
人となりを知らずに結婚する
レアセドゥ扮するリジーは、レストランに入るや否やハイスナビー扮する最初に店に入ってきた女性に求婚しようとしていた貨物船船長ヤコブから突然結婚して欲しいと言われ受け入れた。
言う方も言う方だが、受けた方もどうなんだろうね。まあ一目ぼれするくらい女性が綺麗なら男性はラッキーだがまともに受け入れてくれる確率は低かろう。
やがてヤコブは救援隊の仕事を話したリジーの友人に嫉妬するが、そもそも妻の事情もろくに知らないのだから無理もなかろう。人となりを知らずに結婚するとこういう事になる。女性には愛がないとしたらそばにいてほしいか。なかなか難しい展開だね。モテるねは良いがヤコブもいい加減な男だ。あまり共感出来るところは無かったよ。
Honest Man
誠実なだけが取り柄である船長。途中から美少女グレーテの姿が見えなくなったけど、離婚しなければ結婚できないってところも誠実なヤコブならではのこと。まぁ、何ヶ月も妻リジーに会えないのだから、ある程度寛容にならなければならない辛さも感じられ、船員の言ってた妻3人の話にも耳を貸さなかったところがエラい。
レア・セドゥの魅力だけで長尺にも耐えられるけど、169分なんて必要ない!7つの海にかけた「7つの教訓」という章立ても重要ではないし、リジーの小悪魔的な態度にも変化が見られないのが残念だった。それにしても船員さんは大変。妻に浮気される職業NO.1だと思う。会う度に初デートといった新鮮さはあるんだけどなぁ。
長すぎない?
人生は戯れに満ちた変化の連続に過ぎない 海を航海するような男女のロマンス作品
最初にカフェに入ってきた女
男は人生の賭けをした。
カフェのドアを開けて最初に入ってきた女性と結婚すると決めたのだ。
全財産を注ぎ込むような博打をする船乗り。
ヤコブは中年の船長。
1920年代には船長は乗る船の大きさにもよるけれど、
ヤコブは、地位も金もある男性だった。
初対面のヤコブ(ハイス・ナバー)に結婚を申し込まれた
リジー(レア・セドゥ)。
驚かない。
まったく眉ひとつ上げない。
仕事を聞き、「いつ?」と聞き「一週間は必要」と答える。
(だが、最初から男の影が散らつく女)
ハンガリーの67歳の女性監督イルディコー・エニェディ。
彼女の「心と体と」はエロティズムと、繊細で風変わりな女性を描く
ユニークな映画でした。
本作の原作はハンガリーのミラン・フスト。
ヤコブとリジーの最初のKissは掛け鏡に写るという
凝った映像美。
レア・セドゥは露出も最小限。
それでもリジー(レア・セドゥ)にはエロティックで、
男を虜にする色気と
「秘密と嘘」をない混ぜた破壊的な魅力で溢れる、
男を虜にする運命の女。
男は女に翻弄されズタズタに心を挫かれる。
ヤコブが航海から帰り、お土産の香水を渡します。
やんわりと喜んだリジー。
2度目も香水を買って帰ると、
「香水を変えたの・・・その香りには飽きたわ・・・」
と、一瞥するだけ。
(ヤコブ可哀想!!)
女心も操縦法も知らない男。
対して、男遊びに慣れた女。
美術と照明と鏡を使った撮影が素晴らしく、
1920年代のマルタ島やパリの社交会を再現した映像は
格調高く、大型船、灯台、埠頭、リジーの帽子、洋服、
部屋のインテリア、
どれもこれも垂涎ものでした。
殊に音楽が秀逸で、
ダンスホールの楽団が演奏するタンゴには、
バンドネオンの哀愁ある響き。
ヤコブとリジーが行くピアノコンサートで、
演奏される印象派のピアノ曲。
ヤコブの熱唱も素朴で心地いい。
この映画、監督が言うには、
小さな箱に入った贈り物を貰った。
けれど頑丈に梱包されて開きません。
ハサミでこじ開けても開かない。
遂には、人は箱をハンマーで叩き壊してしまう。
(そんな含みがあるそうです)
ヤコブの財産の株券を盗んで逃避行に出たリジーとデダン。
ヤコブはリジーに書かせます。
「愛人と協力して株券を盗みました」
「無様で恥ずべき人生です」
その紙面にヤコブはサインをさせます。
最後通達ですね。
(プレゼントの箱は叩き壊されました)
愛を育てるのがあまりに下手なヤコフとリジー。
このシーンはとてもインパクトが有るのだけれど、
なかった方が、リジーの神秘性が残ったのにと、
少し残念です。
ヤコブの歌う
「潮からい海」
バリトンに味がありました。
この歌で締めくくったら、また別のラストに・・・
レア・セドゥ、本当にはヤコブを一番愛していたなら、
(ちゃんと、そう、言いなよ!!)
だけれど女は、
仄めかし、
謎めき、
嘘つきで、
秘密、
レア・セドゥは憎めない可憐さと儚さも感じさせて、
ヤコブが恋焦がれたのも、道理。
後悔も何処かでほの甘い味なのでした。
レア・セドゥ見ているだけでシアワセ
オトコ側からの目線だけで作った
伏線を放りっぱなしにする
オトコが苦悩に七転八倒する映画。
まあこんな美人を嫁さんにしてもそのうち疑心暗鬼で
のたうち回るのがオチだろうけど。
80点(レア・セドゥだけで)
0
MOVIX京都 20220825
パンフ購入
リア・セドゥをオカズにどんぶり飯3杯食え!って言うw
タイトルなし(ネタバレ)
1920年代の欧州。
貨物船船長のヤコブ(ハイス・ナバー)は、ここのところ胃の調子が悪い。
ベテランのコックの言によれば、「そりゃ、奥方がいないからですよ」なんて言う。
コックは、陸に3人の妻がおり、それが航海を支えているのだと。
もう若くないヤコブは、寄港地マルタのカフェで旧知の友人を前に、「俺は結婚する。相手はこの後カフェに来た最初の女性だ」という。
カフェ入口には初老の女性が入ろうかどうか迷っていたが、彼女は入るのをやめ、次に入ってきたのは若くはないがヤコブには年頃のリジーという女性(レア・セドゥ)だった・・・
といったところからはじまる物語で、映画は「船乗りヤコブの七つの教訓」というような副題についている。
「教訓」という言葉が映画に使われるときは、ほとんど喜劇であると認識している。
(こりゃ、エリック・ロメールのせいかもね)
以降、交際ゼロ日で結婚したヤコブとリジーに話が7つの章に分けて綴られるのですが、途中まで「喜劇」だとわかりませんでした。
ま、げらげら笑う類の喜劇ではなく、人間の、男と女の機微をいとおしく笑うような類の喜劇なので、(談志的に言えば)「人間の業の肯定」の映画です。
何を肯定するのかといえば、男は女ことはわからない、女も男のことはわからない、けれど、そんな男と女がいったん好きになったら相手のことは愛おしく思うし、愛おしく思えば思うだけ相手のことに疑念が生じてしまう・・・
ま、そんなところ。
「好き」「愛している」と、「信用」「信頼」とは別物。
というか、好きになればなるほど、愛していれば愛しているほど、相手に疑念が湧いてくる。
そういうものなの。
愛と嫉妬はニコイチ。
それを「あるある」といって笑い、自身にも「あるよね」と、天に唾する如くかえってくるのを楽しむ映画。
リジーを「悪女」というような色眼鏡で見てしまうと、この映画、まるで楽しめない。
だって「悪女」じゃないんだもの。
たしかに、ヤコブを疑念に駆り立て、不安にするかもしれないが、どうも、最終的に彼のことを裏切っていないように思えます。
モダンガールの時代(日本でいえば大正末)の、自由奔放と思われている時代でも、リジーは一線を越えることはしていない。
ただただ、ヤコブを困らせようととして、その困った顔を見て幸せになりたいのだろう。
だからこそ、第6章で、ヤコブが大切だと思っている株券を(愛人と「思われている」男とともに)持ち逃げして、現場を取り押さえられても、素直にその事実を認めるわけで。
そんな、子供のような困った女を演じるのが、妖艶なレア・セドゥなので、「官能のラブストーリー」と読み間違えてしまうのは致し方ない。
個人的な鑑賞後感は「こりゃ、夏目漱石の『三四郎』を筆頭とする諸作と同じく、女がわからん男の苦悩を(やや可笑しく)描いた作品なのね」ってこと。
鑑賞中、クスクスとかアハハと笑っているのが気になったら申し訳ない、そういうふうに見えちゃったんだもの、許してね。
困った女。でも可愛すぎる。
地味男の嫉妬映画
ラスト付近までネタバレなし、最後にネタバレブロックありです。
クジラは陸では生きられない。だが、陸での暮らしを夢見るクジラもいる。
主人公は武骨な海の男です。冒頭、クジラが暗い海を舞うように泳ぐ。そこに男の独白が重なっていきます。
男はクジラのような存在で、彼が語る7章から成る物語は、夢のようにも思えます。詩情豊かな映像美。そして「妻の物語」のはかなさが、夢を見ている感覚にさせるのかもしれません。
1942年に出版されたハンガリーの作家ミラン・フストの小説を、「心と体と」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した同国のイルディコー・エニエディ監督が映画化。20年代の欧州を舞台に一組の男女の遍歴を描く文芸調のメロドラマに、ヒロインを演じたレア・セドゥが現代の息づかいを吹き込んでくれました。
1920年。船長ヤコブ(バイス・ナバー)は海の上では一国の王のようでした。
乗組員は家来のように船長室まで食事を運んできてくれます。だがどうも最近、体が不調でした。料理人に健康の秘訣を聞くと彼はこう答えます、「妻がいるので」。
そんなヤコブの結婚は、出会いから夢のように奇妙だったのです。
ヤコブは寄港先の地中海のマルタ共和国の友人といたカフェで、「最初に入ってきた女性と結婚する」と賭けをします。そして現れたリジー(レア・セドウ)はヤコブの唐突な求婚を受け入れます。そこからヤコブの甘美な夢が、同時に、苦悩に満ちた悪夢が始まったのでした。
こんな即席の出会いは、当然ただでは済みません。
ヤコブはパリで妻と暮し始めます。彼女はミステリアスで、とらえどころがありません。誘われるままに妻と夜のパリをさまよいますが、カフェにたむろする妻の友人だちとはなじめませんでした。だいいちフランス語もよくわかりません。妻といやに親しげなデダン(ルイ・ガレル)が現れると、無性に不在時の妻の行動が気にかかるようになってくるのです。海では瞬時に正しい判断を下し、船長として尊敬されるヤコブでしたが、ここではすっかり陸のクジラなのと成りはててしまいました。船とは違い、ヤコブの人生航路は暗礁に乗りあげてしまったのです。
捕まえたと思うと逃げられ、突き放そうとして離れられない。男たるものかくあらねばと賑る舞うヤコブは、リジーに翻弄されるばかり。登場した時の頼りがいのある船長は、次第に器の小さい男に成り下がっていきます。
リジーは貞淑な妻か、それとも放埓な悪女か?
ヤコブは自分とは違う世界に生きる妻を理解しようとして、苦しみ、悩んだのでした。そんなヤコブに、妻から少しは遊ぶように言われ、他の女性に手を出そうともします。だが誠実さを絵に描いたようなヤコブはうまくいきませんでした。次第に追い詰められていきまる。
彼は嫉妬の果てに自殺未遂を起こしてしまうのでした。
カメラはヤコブの視点から離れず、リジーの素性や素行は観客にも謎のまま。純粋とも小悪魔とも映るリジーが、愚かで哀れな男の本性をむき出しにしていきます。
その目に映るリジーは、パリの街そのもの。退廃的で美しい夜のカフェの場面からは、香水の香りが濃厚に漂ってくるのでした。
一方、2人が求め合う場面は絵画のようにスタイリッシュ。エロチックですが、生々しさは感じられません。いくら体を重ねてもどこか捉えどころがない妻にたいするもどかしいヤコブの気持ちが込められていたのではないでしょうか。特にセドゥの全裸の後ろ姿が美しすぎるます(^^ゞ二人の愛を音楽の強弱だけで現していたところもロマンチックでした。エニェディは2人の間にある深い淵をじっくりとのぞき込み、繊細な美意識に貫かれた映像で映し出します。
男らしさにとらわれた夫の目がジェラシーや疑心で曇ってしまった時、見えるはずのものが見えなくなってしまったのか、それとも妻は本当に不貞を働いているのか。長尺でありながら最後まで見る者を引きつける愛のミステリーとして成立しているのは、謎めいた女性に実在感を与えるセドウの圧倒的な存在感によるところが大きいと思います。
とにかく、あんな謎めいた微笑と一瞬で表情を変えるまなざしに見つめられたら、ヤコブでなくたって、世の殿方はみんながとりこになるのも無理はないでしょう(^^ゞ
ヤコブはまるで迷宮に入り込んだかのように。出口は結局、最後まで見つかりません。見つからないまま、ヤコブは悟ります。迷宮をさまよい続けることが人生なんだと。人と人、文化と文化のはざまで、ただ迷い続けること。それが恋愛というものの美しさなのかもしれません。
【ここからネタバレが含まれます】
2時間49分の長尺と、美しく端正な映像で織りあげられるのは1組の夫婦の物語だが、それと同時にそれを超えた〈何か〉を感じられた人は幸いです。
ともかく冷めた目で眺めれば、疑わしいのはドッチもドッチで二人の度が行き過ぎた行いは五分五分というべきでしょう。そして3時間にわたる長いメロドラマの、そこで繰り広げられる物語があまりにも陳腐過ぎると、わたしのような野暮なオヤジには感じてしまったのです(^^ゞ
だいたいこれは、早い話が「男の私小説的愚痴話」でしょう。ヤコブが勝手に抱く妄想や愚痴以上に描けていないがゆえに、女が存在感のある生きてる人物とならないわけです。それがやりたかったこととするのであれば、それはあまりにもエニエディ監督はナルシストではないでしょうか。
冒頭とエンディングの男ヤコブのナレーションを手がかりにすれば、もしかしたらヤコブには本当のリジーの記憶がなく、自らに都合のいい記憶、つまりは妄想に生きていただけなのかもしれません。映画全体の中でリジーの異質さを考えれば、すでにヤコブは現実を見ていない脳内妄想のリジーを追いかけていると読み取るのもアリでしょう。
映画は7章立てで描かれていきます。1章から6章までがどんなタイトルであったかはまったく記憶していませんが、というより果たして意味があったのかも疑問なんですが、7章だけは「7年後」として使われていましたので記憶しています。
7年後、ヤコブはパリの街でリジーを見かけ、リジーから紹介されていた女性に電話をします。女性は、リジーがずっとあなたを愛していたとも告げます。それは散々嫉妬で狂ったあげくの、男にとってはあまりにも都合のいい終え方ではないでしょうか。
男が自分の思うようにならない女に、惚れているがゆえに執着し、嫉妬し、自己崩壊しましたという物語を3時間かかって延々と見せてました。それだけなら笑ってすませられるでしょう。しかしこの映画は、最後に、女にごめんなさいと謝ったように想起させるのです。さらにその女をなんの説明もなく、なきものにして、男の自尊心を保たたせることで終わらせてしまいました。
ということで映画鑑賞において高い感性に自信をお持ちでない人が、本作をごらんになると、「さっぱりわからん」「長い、疲れた」ということになりやすいので、ご注意申し上げます。
・日本公開日: 2022年8月12日
・上映時間:2時間49分。
全52件中、1~20件目を表示