「常にレオス・カラックス自身の映画」アネット 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
常にレオス・カラックス自身の映画
レオス・カラックスの映画は、自身をお気に入りの俳優に置き換えて自分自身のこと、恋愛や結婚生活のことを描いた映画だとまるわかりである。過去作もそう。
この映画のアダム・ドライバーは風貌がレオス・カラックスそっくりになっていく。
自分自身の風貌に似た俳優を好んで使う監督は、
デヴィッド・クローネンバーグがそう。彼も自分自身の離婚劇を『ザ・ブルード 怒りのメタファー』というホラーにした。『ザ・ブルード』でも、親同士が不仲になり、揉めると最大の被害者になるのは子供である。子供は何も悪くないのに、親たちのせいで子供が可哀想な目に遭うのは、子供を愛する親にとっては最大のホラーである。
こちらは、ホラーではなく、コメディとミュージカル。奥さんに見放された悲劇をコメディアンとして笑いにして金を稼ぐ。子供が赤ん坊なのに歌をうたえる特殊な子だったことで、子供の能力を商売道具にする。道具なので、木製人形。
ミュージカル?コメディ?全然明るくないし笑えない。偏屈で自己中心的、客を笑わすのがうんざりだと言い、時には殺人も犯すロクデナシで明るくないし暗い。昼間のシーンはほとんどなく、夜がメイン。暗い舞台や自宅のシーンが多い。色使いが全体的に暗い。こいつは本当にコメディアンなんだろうか?
このどうしようもない人間を見て笑ってくれ!と観客に対し訴えかけてるようだが、でも笑えない。ミュージカルとして歌って踊る。夫婦仲を回復するために、旅行に出て、嵐のなか船の上で踊ったら奥さんが死んだ。死んでもなんだか、あまり悲しそうじゃない。こいつは何なんだ。
妻への愛もいつのまにか枯れ果て、子供を商売道具にするクズ人間のコメディアンの人生をミュージカルにしたら、笑えるだろうか?という問いかけを観客に投げかけてくるが、全く笑えない。なぜなら、アダム・ドライバーはカッコ良すぎてコメディアン向きじゃない。というか、そもそも笑える話でもなんでもない。ホラー向きだ。死んだマリオン・コティアールは妖怪になってアダム・ドライバーのもとへやってくる。不気味な木製人形のアネットだって怖い。コメディじゃなくてホラーになってる。
俳優を変えたらコメディになっただろうか?
これを若い時のジョー・ペシが演じたら?
ジム・キャリーは?クリス・ロックは?
本物のコメディアンがやってみたらどうだったか?
いやいや、絶対にそうはならない。自分と風貌が似てなさすぎる俳優は絶対に使わないだろうし、コメディやミュージカルがやりたかったのではなく、コメディ劇やミュージカルに出てくる自分自身を描きたかったんだろう。
自分自身を描く映画ということで、彼の映画は常に一貫している。