「これほどの俳優を起用してこれかと」ノイズ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
これほどの俳優を起用してこれかと
原作は、筒井哲也が 2017 から 2020 年に「グランドジャンプ」で連載したコミック作品である。映画では舞台を愛知県の内陸の限界集落から孤島に変更して孤立した地域性を高めるなど、様々な変更が施されていたが、原作の面白さには全く追いついておらず、話を劣化させた脚本の出来には非常に失望した。
島に現れた元殺人犯・小御坂睦雄は、原作では泉圭太の妻にちょっかいを出すのだが、映画では圭太の幼い娘に興味を示す。揉み合いになった時に、原作では圭太が小御坂の首を締めるのだが、映画では突き飛ばしたら頭をぶつけてしまうという経緯に変更されている。原作では過失か殺意があったのか微妙であるが、映画の方は殺意の認定は難しいだろう。
この時点で正直に警察に届けておけば、圭太が逮捕されて罪が裁判で判断されて一件落着となるはずであったが、圭太は村おこしのイチジク栽培で全国的な知名度を得ていて、地域創生の億単位の補助金交付のキーパーソンであったことから、現場にいた幼馴染みの二人が圭太と相談して隠蔽を決めてしまったことから事件が大きくなってしまう。
まず気になるのは、元殺人犯で問題行動を起こし続ける奴だからといって誰でも殺していいことにはならないのだが、小御坂の命の扱いが軽過ぎることである。しかも、隠蔽に加担した幼馴染みの一人守屋真一郎は現役の島の巡査であり、この判断が後々自分を苦しめることになる。また、この隠蔽のために被害を被る人間が連続して出現するが、圭太が素直に事件を自白していれば彼らも何事もなく過ごしていられたはずである。
映画で改変されていたのは、圭太ともう一人の幼馴染みの田辺純の関係もそうである。圭太の妻の加奈もまた幼馴染みで、加奈を密かに思い続けていたという話はいいとして、それをストーカーのように描いたのでは筋書きの意味が違ってしまう。そもそも子供時代の圭太と純はどっちがどっちなのかよく分からないというのも、見ている者を混乱させるだけで大いに問題があった。
藤原竜也と松山ケンイチという「デスノート」の主役2人に加えて神木隆之介まで出してこの出来上がりなのかというのが本当に驚きであった。役者の無駄遣いとしか思えない。見終わって何のカタルシスもない映画であった。どうせ改変するなら、加奈の産んだ娘の父親が実は圭太ではなかったとかにすれば、しがらみが深まって良かったのではないかという気もした。
音楽は「あまちゃん」や「いだてん」の人だったが、記憶に残るほどの曲はなかった。この監督の作品を見るのは初めてであるが、スタビライザーも使わずに手持ちカメラで撮影する意図がよく分からなかったし、原作からの改変にも絡んであるのであれば高くは評価できない気がした。テレビの2時間ドラマでやれば十分な内容に思えた。
(映像3+脚本1+役者3+音楽1+演出2)×4= 40 点。
>どうせ改変するなら、加奈の産んだ娘の父親が実は圭太ではなかったとかにすれば、しがらみが深まって良かったのではないかという気もした。
これ、私も同じ思いでした。
ですが、実際はただのストーカー。
がっかりでした。