「命令の責任」ONODA 一万夜を越えて よしくんさんの映画レビュー(感想・評価)
命令の責任
クリックして本文を読む
戦争が終わって28年、フィリピンのルバング島で最後は1人になり生き延びた小野田さんを、日本だけでなくフランスほかの共同制作で映画化しているいう部分を考えさせられた。
戦争は悲劇であるが、その中での命令の持つ重み、そこに忠実になり、忠誠をちかえば、小野田さんは結果的にあのようにしか生きられなかったのかなと思う。戦争が終わったかどうかではなく、自分に命じられた役割をどこまでも全うし続けたのだ。
それに比べ、時が経ち、命令した側の「軽さ」の対比、それは、もはや時代に翻弄された部分があるとはいえ、もう自分は関係ない、自分が命じたわけではないという他者をも介在させているように感じた。命じた側に命令が残っておらず、何のためのミッションだったのか、その虚しさ。
上官がルバング島に来た時の服装、小野田さんが現れた時に慌ててシャツをズボンに入れる仕草、上官にとって形式的な命令の解除でしか無かったが、小野田さんは、今や遂行する必要がなくなった命令を1人忠実に続けていた状況を感じた時、どう感じただろうか。
コメントする