「強い思想を持ち生き残る上での功罪と教訓」ONODA 一万夜を越えて tackさんの映画レビュー(感想・評価)
強い思想を持ち生き残る上での功罪と教訓
小野田寛郎というフィリピン・ルバン島に戦後30年近く残り続けた日本兵の話で、俳優アルチュール・アラリ監督の長編デビュー作であるという。もう今やあまり日本では話題に出ることがないし、私のような40歳前後の人では、彼の経歴など知る由もなく。Wikipediaで少々予習をしてから鑑賞。
鑑賞前は戦争映画要素もあるのかとも思ったが、それは小野田が陸軍学校二俣分校で谷口上官(イッセー尾形)から教えを叩き込まれるシーンのみ。それ以外は小野田とその隊にいた兵士たちのサバイバルである。
小野田は、我々が当時の日本兵のイメージとしてよく聞く「玉砕」とは大きくかけ離れた思想を植え付けられており、何が何でも、ヤシの実を食いつないでも生き残れと命令を受けている。投降すら許されず、フィリピンの小島で30年近く生き残ったのだというのだから、ある意味忠実だったのだとも取れた。
その生き残ることに忠実というのは、一人の人間としては自らの命を守るのだから良いのだろうが、この映画ではその生き残ることに対する忠実さは偏った解釈を生み出していた。
最年少の兵士がうっすらと戦争が終わったのでは、と気づき始めているが小野田は全く意に介さない。上空を旅客機が飛べば戦況が激しくなっていると思い込んでしまう。挙句の果てには住民を殺してしまう。
正直、少し柔らかく考えれば「こりゃどう考えても戦争終わってんな」と思うはずが、彼がそう言った考えが芽生えなかったのは上官に対する忠誠心か、それともそれは洗脳なのか。疑うことを知らないが故に彼は強い生命力をもって生き延びることができたのだが、冷静に考えることができれば他の選択肢もたくさんあったのだろうな、と思った。
ラストシーン、ヘリに乗り込む彼に向けられた住民たちの冷たい、憎悪に近い目。あれはこの映画の象徴的なシーンであった。
これは決して小野田寛郎という人物をヒーロー的に描いているわけではなく、彼の生き残っていく過程での功罪を垣間見ることができる。なのでこれは単なる伝記ものではなく、今の我々にも直結するところがあるだろう。植え付けられた思想や考えにより、自分自身を鼓舞し続ける事は、この世知辛い世の中で生きていくには良いかもしれない。しかし、一方で多くの人を巻き込んだり傷つけてしまう可能性も高い。アラリ監督は中立的な立場として、我々にそういった点を投げかけたようにも思えた。