「絶望の国」東京クルド SSYMさんの映画レビュー(感想・評価)
絶望の国
映画が終わって、私の胸の中を占めていた感情は「恥」だった。
日本にこういう現実があることも知らずに、日本人として日本に生まれて、ぬくぬくと数十年も暮らしてきたことが恥ずかしかった。
印象的というか、頭にきたのがオザンと入管職員の会話の録音のシーン。二回あるが、どちらも職員の態度は酷かった。はなっから相手のことを見下し、人間として扱っていない。
仮放免中の難民の就労は禁じられているが、オザンは解体現場で働いている。そのことを職員は咎める。
「どうやって生きていけばいいの?」と問うオザン。
「自分でどうにかして」と言い放つ職員。
意味がわからなかった。生きていくために働くのに、その手段を奪っておいて、どうにかしろとは、どういうことなのか。これは、死ねと言っているに等しい。こんなことがまかり通っていいのだろうか。いや、絶対によくない。
入管職員の全員が全員ああいう人間だとは思わないし、思いたくない。たまたま、オザンはひどい担当に当たってしまっただけかもしれない。
それに職員は国の方針や法律に従って判断を下しているだけで、個人的な悪意に基づいて難民審査を弾いているわけではないだろう。
そういうことを承知したうえで、私は入国管理局の職員たちは「悪」だと思う。国や法律に唯々諾々と従い、現状を変えるために何の行動もしていないのなら、間違っている。職員たちには自分の良心に従って仕事をして欲しい。それが国の方針や法律とぶつかるようなら、闘うべきだと思う。
職員の人たちは、自分のやってる仕事が正しいと思ってやっているのだろうか。社会にとって有益だと本当に思っているのだろうか。私は疑問だ。二ヶ月に一回の頻度で難民を出頭させて面談なんて、意味ないだろう。最近よく聞くブルシット・ジョブってやつなんじゃないか。映画を観ながら、なんとなくそんなことも思った。
ラマザンの叔父ヨヨットが入管施設内で体調を崩した際、救急車が二度も呼ばれたにも関わらず、救急車には乗せられずに、翌日、30時間以上経ってからようやく診療を受けられた。
こんなの殺人未遂じゃないか。国家による殺人未遂だ。病気の人がいるなら、どんな人でも治療すべきだ。日本人でも外国人でも、「不法滞在者」でも関係ない。
そして、先日、実際に名古屋の収容施設内でスリランカ人女性が亡くなった。これは国家による殺人だ。
日本というのは、外国人に対して非人道的な行為を平然とする国だということがよくわかった。そういう国の国民でいるのは恥ずかしいことだと思った。だから変えていきたいと思うし、変えるために行動しなければならない。それが、この映画を観た人の責任だと思う。映画を観ただけで責任が生じるのかはわからないが、私はそういう感情を強く感じた。
私と同じようにぬくぬくと日本で暮らしている人には、一人でも多くこの映画を観て欲しい。
わかりやすく、ストレートなコメントありがとうございます。
NHKのドキュメンタリーなどでも、入管の酷さについて、何度も特集番組が放映されています。
SSYMさんと同じように、私もこの状況を何とかしなきゃと思いますが、何をどうしたら良いのか…
まずは事態を正しく知ること、知ったことを周囲の人たちに伝えること、選挙の時にちゃんと考えて投票すること…これぐらいしか思いつかないです。でも諦めない。