「この作品を映画でやる意味が疑問」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM じきょうさんの映画レビュー(感想・評価)
この作品を映画でやる意味が疑問
そりゃさ,ガンダム・シード&デスティニーは放送時とデスティニーの時とVOD含め何度か全編みていたよ。
そもそもがわかりにくい作品さ。
まあ,ガンダムのコンセプトは,
宇宙に暮らす人類と地上に暮らす人類との対立。
従来の人間と遺伝子操作によって生まれた人間との対立。
少年少女が戦争に巻き込まれること。
そこに一方的な意志を持たないガンダムという究極兵器の登場。
思念による空間把握や意思疎通,未来予知などのSF的要素などかな。
登場人物も多く,作画の関係で少年少女が髪色と制服でしか区別できないのは仕方がない。
映画が始まってすぐ,画角がやけに狭いなあ。この感じが最後まで違和感。
おそらく,ガンダム・シード(2002)から20年以上の年月を経ていることが原因だろうか。当時の作画を映画にすれば少し間延びした感じなるのかな?。作画崩壊はしてないので13:9のビスタサイズなのかな?同時期の「鬼滅の刃」に比べると狭い感じがする。
今回の内容は,デスティニーの最後でバトルロワイアル的に戦争終結まで行き,新しい体制が始まるが戦争は終わっていないというところから始まる。なんとなく,現在の世相を反映しているようにも思える。
そこに,新興のファウンデーション王国(第4勢力)からの要請でキラたちが所属するコンパス(国連軍みたいなものかな)が出動するところから始まる。
もうね,この辺からフラグ立ちっぱなしよ。
罠じゃん。悪い奴らじゃん。キラキラしい奴は特にね。
まず,「悪い奴ほどよく笑う」の鉄則通り,ブラックナイトスコードのやつらは不敵に笑うね。
慇懃な奴(タオね)は下心ありの鉄則にも当てはまる。
主人公たちは,要請に駆り出されてファウンデーションに行くが,はじめから見え透いた敵意が見えている。特に宰相タオというやつはキラキラしているうえに,やけに情熱を語る。前のデュランダル議長と同じだね。
ほーらご覧ほらご覧。やっぱりねー。
でもね。精神感応力を後出し的に出すのはずるいよね。そういうことだから,ついていけない気持ちになるのよ。ストーリー上重要なキラを錯乱させる方法なのに。
それとファウンデーションの女王は幼女キャラのくせに,ラクスに対し「私がお前たちを創った」という。何やそれ。いつの間に?キラはその失敗作だとさ。
はい,そして,例のごとく誰が誰を好きとか始まるね。嫉妬する挙句に裏切るね。そもそも軍隊でそんな学園ものみたいなノリってあるのかえ?そのうえ命を取り合うんだぞ。
一度はブラックナイトスコードにコテンパンにやられますね。まあ理由はあるけど。
失ったガンダムは例によって隠し玉としてスペアがあるのね。なんでかなーいつもそうだね。
だいたい,精神感応力は新人類とかコーディネーターの特権みたいなものださ。いったんは死んだと思われたキラについて,ラクスは「生きている」ことを知っているはずだよね。そうでなきゃ。
アスランやイザークの登場は予想ができた。カガリはいただけ。前シリーズまではとても重要な役回りだったのに。尺の関係ですべての人には光を当てられていない。やはりテレビシリーズでやるべきだったね。
つまりは無理やり映画にするための設定に無理がありすぎるんだよ。これを「ご都合主義」というね。
大ヒットしていることは認める(休日は満席)けど,だからと言ってこのやり方で稼ぐのは観客をなめていると思う。
ところで,終盤に出てくるラクスの宇宙服(というのかな)のエロいこと。撮り方も狙っているね。最後は脱ぐね(なんで脱ぐ?)。あの後は・・・となるね。そういう暗示だね。全くもう。子供に見せられないじゃないかあ。
david様、コメントありがとうございます。
コメント拝見させて頂いて、自分よりずっとSEED作品を愛し、深く世界観を大事にされている方なんだと感じました。
david様が仰る通り、確かに杜撰さや安易なパロディを取り入れ、過去作に対して異なった世界観に仕上がっている部分は否めないです。
今作品が高評価の方の中でも、そういった演出は要らなかったのでは?と思われる方も一定数おられると思います。しかし、それ以上に楽しめた要素が多かった為、総合的に満足したんじゃないかと、個人的に分析しています。
自分も今作品とは関係ありませんが、当時高校生の時に大好きだった某SFアニメが約30年ぶりに再アニメ化された時、あまりにキャラデザインやメカデザインが過去作と違い過ぎていて「このキャラ誰だよ、このキャラはこんな冷たい目をしてないよ」とか、「過去作と比べて話自体も浅くなって、これじゃ過去作の魅力が薄まってしまった」と落胆した記憶を思い出しました。
自分は、あの作品(作品批判をしたくないので、敢えてその作品名は伏せたいと思います)と比べたら今作の描写の違和感はさほど気にならなかった為、純粋に楽しめたのかもしれないと今になって思いました。
ですので、過去作のSEEDをとても愛していて、更にSEEDの世界観を大事にしていて、その世界観を劇場版でも継承して欲しかった人ほど、劇場版での描写に不満だった事には理解出来ました。
ラインハルトさん
至極勝手ながらレビュー主と同様の感想を抱いた者として、二十年間年一回は通しで見返した者として、コメントしようと思います。
種シリーズはレビューの通り確かに分かりづらい作品です。しかし丁寧ではあったのです。では今回の映画は丁寧だったのかというと、杜撰さや安易なパロディが目立つ。演出や小道具が世界観を深くする丁寧さの役に立っているか?と問いかけて、自分はその杜撰さが世界観を浅くしたように感じました。
アグネスも局所ながらそのうちの一つでしょう。クェスのオマージュなのはその通りですが、クェスは民間人の現地徴用であるのに対し、アグネスはアカデミー卒の軍人です。軍人が自らの横恋慕だけしか頭にないキャラなら、あまりにも薄っぺらとなるのではないでしょうか。そんな薄っぺらいキャラを描くならその尺を使って他に深めるべき描写がいくらでもあったのでは?彼女は必要なキャラだったのかと問わずにはいられません。
ファンサービスのためのパロディ、オマージュ、それは結構なことです。しかしそれが種の世界観に必要で、自然な形であったのでしょうか。ファンサービスありきのパロディでは浮いた描写になってしまいます。
この作品がコメディならそんなこと考えなくてもよかったのにと思うのですけれどね……。
SEED好きな方だったのですね。そのコメントだけで嬉しいです。
劇場版SEEDフリーダムは、SEEDやDESTINYの時とは異なった描写や表現方法で、他作品オマージュてんこ盛りお祭り的な内容となったので、それを「はちゃめちゃだけど、楽しいからいーじゃん」って許せるファン層(自分も含む)は前向きに捉えて高評価、許せない人は「以前と違うじゃん。こんなのSEEDじゃない!けしからん」と低評価だったのかもしれませんが、勝手な推察なのでもしこれに当てはまっていない場合はすいません。
何回も返信しようとしては消えてしまい、長文打つ気力が無くなってしまったので、申し訳ございませんが一つだけご指摘させて下さい。
アグネスが嫉妬する挙句に裏切るという場面は、逆襲のシャアオマージュ(クエスがアムロに相手にされず、シャア側につく)だと思います(既に知っていたらすいません)。
オマージュ描写を好意的に見ている人には許容出来ると思いますが、「こんな展開や演出要らねーよ」と見てしまうと、マイナスポイントなのかもしれませんが、製作者がファンを楽しませる為の描写だと思って、好意的に楽しんで頂けると嬉しいです。
逆にご感想の中で同意した部分もありますが、2時間という映画での限られた尺の為、どうしても主要キャラ以外のキャラの出番が少なくなったり、画面に1カットしか出てこなかったり(バルトフェルドさんとか)していた為、テレビシリーズでやるべきだよね!という点については、強く賛同しました。この作品はもう少し長い尺でじっくり見たかったです。
質問者様が聞きたい事がまとまっていない文で、誠に失礼しました。
コメントありがとうございます。
ガンダムシリーズの中では好きな作品なので、ガンダムSEEDの切なさはよく分かるし、その点ではとても共感できると思っています。
でも、尺の問題と思いますが、伏線にさえならない唐突感は感じませんでしたか?
そこは、ヒットしている映画にしては杜撰と感じました。
散々の酷評という訳では無いです。ただ、丁寧さが不足していると思いました。もし、私の勘違いであるならご指摘いただけると幸いです。
コメント拝見させていただきました。
しっかり映画の細部まで評論されていて(特に映画の画角までは全然気にして観ませんでした)びっくりしました。
しかし、映画自体を斜め上から見過ぎている点については、とても残念です。SEEDをどんな想いで鑑賞されたのか分かりませんが、粗探し的に映画を観てしまうと、SEEDに限らずどんな映画を観ても評価が下がりますし、とてもつまらなくなると思います。
あと、映画の内容が「ご都合主義」と仰っておりますが、バットエンドじゃないフィクションのアニメ映画なんて、ほとんどご都合主義で作成されております。SEEDに限った事ではありません。
これだけ散々酷評しても、総合評価が星1以下にならなかった事に関しては、まともな総合評価が出来る人なんだと思いますので、考察動画や小説版などを観て、もう一度映画を見直して再評価して頂けたら幸いです。