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3.11にショックを受け、脱原発を訴える盆踊りを始めた鎌倉の商店主、クリエイター、職人らの活動。国会周辺をシュプレヒコールしながらデモ行進し脱・反原発を訴える伝統的スタイルの活動をする人々からは、「盆踊りで脱原発が実現するのか」という批判はあり得る。伝統的なデモの作法からは外れているからだ。とはいえ、いわば昔ながらのやり方でこぶしを振り上げデモ行進をしたところで、原発は止まらない。無力とは思わない。しかし従来の方法では結局、長続きしないし共感を得にくい。つまり時間的、地域的広がりを獲得できない。テキはそれを知っている。長続きする、広がり続ける運動が必要なのだ。そう考えると、盆踊りは意表を突いている。
脱原発、盆踊りのほかにもう一つ、「発酵」というテーマがある。盆踊りの参加者の中にパンを作り、みそを作り、酒を造る人たちがいるのだ。カメラは彼らの仕事場に入り、職人たちの手や足の動きを追う。これはいったい、何を意味しているのだろう。造り酒屋の主人が言う。「大量生産の場合、品質を標準化、均質化するために雑菌の混入を防ぐ。そのために大変な努力をする。しかし我々の酒は手作りで、むしろ雑菌が入ることで思わぬ味が生まれることがある。発酵とは、変化である」。監督の言いたかったことは、これではないかと私は思う。すなわち、原発に頼らない生活をしようというその一点さえ共通であれば、いろいろな人が集まりさまざまな意見を出し合い、踊りが広がっていく。つまり、そのようにして地域というかコミュニティというか、原発をなくしたいと願う人々の集まりと、その目標の達成のための運動がうまいぐあいに発酵していくのだ、というような。映画の最後で、鎌倉から三重の田舎に移り住んだ盆踊りの仲間の女性が、地域の人々に挨拶するにあたり「あんた、何ができる」と聞かれ、「そうですね、盆踊りとかなら」と答えるシーンがある。地域の人々は盆踊りに彼女がこめた思いを知らない。しかし盆踊りはどこにでもあり、盆踊りが好きだということで彼女は受容される。こういう広がり、これが発酵なのだといいたいのではないか。そして時間をかけて、いつか、この盆踊りに込められたメッセージが拡大していく。