「奇異な作品」ホテルアイリス R41さんの映画レビュー(感想・評価)
奇異な作品
謎だらけの作品。
簡潔に言ってしまえば、主人公マリによる妄想が描かれているだけとも取れる。
マリの妄想は、寂れた小さな町の変化のない日常とその枠から逃れたい思いの表れ。マリの心の中にある孤独というイメージを感じる。
彼女が作り出すマリーという女性は、おそらく鏡に映るマリ。
裸で椅子に縛られるシーンは、母による彼女を縛り付けるような管理とそれを受け入れている自分自身を表現している。縛られることの最大の妄想であり性的欲求不満。
人にとって認識とは後付けの産物で、マリにとっては父が好きだったこととその父が殺されたこと、その犯人が母といつも一緒にダンスをしている男かもしれないこと、その父に性的虐待を受けていたこと。
このマリの歪んだ認識のようなものが彼女の妄想を作り出す。
翻訳家の男の正体は謎で、ホテルアイリスで商売女に暴力をふるったことと、尾行したこと、そしてある日浜辺で男の死体が見つかったこと以外すべてがマリの妄想だろう。
妄想を日記に書くことで暇な時間をつぶしているのがマリだ。
その背後にある要因のひとつが母への確執。父殺しの一端を担っていると信じている。
そしてもう一つ考えられるのが、
冒頭のラムネを飲むシーンと島に渡って入った家の中にあった日記。または小説。
そこに書かれていたホテルアイリスとその場所の描写や「マリー」という主人公がそこで体験する殺人事件の物語。
マリはマリーになりきり、小説の中の体験を妄想する。そこに父や男の身内などを加えながら自分なりの物語を妄想する。
最後のホテルにチェックインした母子を見て、その男の身内に仕立て上げて息子との性的接触を妄想した。
しかし、
「あなたは誰?」「私はあなた」「私は誰だ?」「私はあなただ」と繰り返すセリフは何を意味しているのだろう?
さらに「私が憎いか?」「あなたを愛しています」とはどう受け取ればいいのだろう?
それはマリ一人の人間の妄想だからかもしれないし、この作品が妄想だということを視聴者に伝える手段かもしれない。
マリの着るジーンズと黄色いサマーセーターは、現実のマリの世界を描いている。
冒頭のラムネ 島の空き家で見つけた本 浜辺で見つかった男の死体 母子のチェックイン
そして、彼女の妄想は続くのだ。
とても奇抜な作品だと思った。
R41さん、コメントありがとうございました。
マリの妄想かあ、そう考えると納得ですね。実際にあんな中年の作家いたら怪しすぎますもんね。不思議な難解な映画でした。