「【過去か、未来か、そして、現在を考える】」復讐者たち ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【過去か、未来か、そして、現在を考える】
この作品を観て、このレビューを下書きしている7月23日は、2020東京オリンピック開会式当日だ。
前日には、約20年前に、所属お笑いコンビが、ユダヤ人大量虐殺ごっこをコントで演じていたとして、元メンバーのオリンピック開閉会式のディレクターが解任された。
この措置は、当然のことと思うが、障碍者に対するイジメ・虐待を面白おかしく自慢していた関係者は、即解任されず、一度温存されたことを考えると、組織委員会のチグハグな対応は、やっぱり頭がおかしいんんじゃないかと思わざるを得ない。
映画は、
復讐心を糧に、ドイツ一般市民も巻き込んで、大量虐殺を目論むグループと、直接的な関与は罪とするが、パレスチナを安住の地と定め、ユダヤ人国家の建設を目指し、その障害となるものは取り除かねばならないとするグループの狭間で揺れるマックスや仲間のアンナの苦悩が描かれる。
(以下ネタバレ)
ここに描かれるA計画が実行されていない事は歴史の周知の事実で、この作品では、どちらかというと、マックスや仲間、元仲間がどう行動したかに焦点が当てられる。
当初は大義が優先していたマックスが、次第に復讐心が膨らみ、計画の実行に駆られていく様、そして、復讐心で生きていたアンナが、夜毎魘(うな)されながら、罪の無い子供まで巻き添えに出来ないと、考え方を変化させる様は、胸が締め付けられる。
結果的には、アンナが計画の実行から離脱したことが、マックスの気持ちの変化にも繋がったのだと思うが、家族を失って、感情的になる部分も、理性がかろうじて働いて復讐心を押さえ込もうとする気持ちも、両方とも理解できる気がして、自分自身を彼らに置き換えて推し量ってみるなんて事は難しいと感じる。
結論は容易に出ない。
ただ、イスラエル建国も、ある意味でユダヤ人を厄介払いしたいと考えたヨーロッパが中心になって推し進めたことは忘れてはならないと思う。(※ 但し、ナチスの虐殺から、ユダヤ人を匿ったり、救った個人としてのヨーロッパ人や、カトリック教会なども多く、厄介払いしたいと考えたのは政治の方だった。ローマ市に限って言えば、協会や医師たちの尽力で、8割のユダヤ人が生き延びたとされている。)
その結果、4度にわたる中東戦争が勃発、今もってなお、不安定なパレスチナ情勢が存在していることからも明らかだ。
レバノンは昨年起きたベイルートの港の大爆発事故から未だ立ち直っておらず、イスラエルと激しく対立するレバノンに拠点を置くイスラム教シーア派武装集団のヒズボラの動向が警戒されている。
パレスチナ政党のハマスのミサイル攻撃をことごとく防いだイスラエルの迎撃システムのアイアン・ドームでさえ、防ぎきれるか分からないほどの大量のミサイルをヒズボラは有していると考えられているからだ。
こうして考えてみると、ヨーロッパで長く行われてきたユダヤ人の迫害や、ナチスの大量虐殺の傷跡は、怨嗟となって、そして形を変えて、相手も変えて続いているのだ。