こちらあみ子のレビュー・感想・評価
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子供時代との決別。
人は皆自分の内なる世界を持っている。同じ世界に住んではいても人々の内なる世界はそれぞれ異なる。社会においては成長する過程において皆が内なる世界を捨て、あるいは外の世界と折り合いをつける術を身に着けてゆく。
あみこはそれが出来ないかあるいは人より遅れている。だからなにかと外の世界では変な子と見られてしまう。
画一化を目指す今の日本の学校教育では天才は育たないと言われる。子供の個性を伸ばすのでなく同じように行動する人間の育成が第一だからだ。かつて軍隊や工場労働者の大量生産のためにはそれでよかったのかもしれないが、現代において新たな発想ができる突出した能力の育成には不向きであろう。
あみこは学校でもつまはじきにされ、家庭も崩壊してゆく。父にも捨てられたあみこは内なる世界の住人と別れを告げる。そうして彼女は子供時代との決別を遂げるのであった。
現実世界の外側で。
観賞後の疲労感足るやなかなかのものでした。予告の限りでは風変わりな女の子と家族が繰り広げるハートウォーミングな日常の物語と思っていたけど、甘かった。
小5のあみ子は落ち着きがなく思い付いた事に猪突猛進。空気が一切読めず一人で喋り続けている。劇中言語化はされていないものの発達障がいを抱えているのは明らかで、家族は四六時中振り回され続けている。
自分が実際家族として関わることを想像すると気持ちが持たないかもしれないと思った。家族はもちろん地域や学校の理解は必須。でもそれがないあみ子の家族は結局崩壊してしまう。母親の違和感。父親の無関心。兄の逃避。なんだかんだ一番の理解者が名前すら覚えていないクラスメイトというのは皮肉だ。この先あみ子がどう成長してゆくのか。壊れたトランシーバーから返信はない。
本当に心の中を語ろうとしないのは誰なのか、を考えさせる一作
たまたま鑑賞した回が、監督や主演俳優の舞台挨拶込みだった、という幸運に恵まれた本作。子供達の生き生きとした姿が印象的な作品でしたが、撮影現場もまったくその通りだったようで、楽しそうに撮影の思い出を語る若い俳優達と、ちょっととぼけた感じでコメントする監督がとても印象的でした。
本作が劇場長編映画の初監督作品となるという森井勇佑監督ですが、そうは思えないような入念な物語構成と計算され尽くされた撮影、そしてテンポの良い編集など、舞台挨拶の穏やかな印象とは異なって、映画に対する強い熱意と愛情、そして経験の厚みが伝わってきました。
劇中ではあまり具体的には言及されていないのですが、主人公あみ子(大沢一菜)は生まれつき、あまり他者との意思疎通ができないようで、家族もあみ子に優しく接しつつ、あみ子の言動に振り回されることに疲労している様子です。学校では級友たちからも「変わった子」と見なされ、友達の輪に加えてもらえない様子ですが、あみ子は周囲の反応をそれほど気にしている様子は見られません。
だがある大きな事件がきっかけで、家族の軋轢が増していきます。実はあみ子は他者に対して共感することは難しくとも、どのような状況にあっても自らの考えについては包み隠さず、率直に伝えていることが分かってきます。一方で、あみ子よりも「正常」と考えている家族の側は、自分の気持ちを正直に周囲に話していたかというと…。しかし正直なあみ子が幸せになっていくのかというと…、と物語は決して期待したような方向に進まず、非常に印象的な着地点を見せます。
あみ子の想像と現実の狹間があいまいになっていく場面、あみ子と真っ正面から向かいあって対話を重ねていくある友人の表情、会話の内容がいつまでも印象に残りました。
面倒臭い子供の映画
原作未読です。
ベタな子供映画の傾向って絶望的不幸の連続からある程度の努力と
強運と良い人過ぎる周りの支援でその不運から脱却して
大団円を迎える安っぽい涙の感動作…なのですが
これは異色過ぎる現実的な話。
人生経験の少ない子供は空気が読めないから残酷な言動も平気だし
周りの迷惑も関係無し。あみ子も身内にはいて欲しくないタイプ。
中盤母親が継母な事が判明しなんとなく子供によそよそしいのも納得。
父親も中学生の息子がグレてもお構い無しの無関心ぶり。
後半ある事がきっかけであみ子と継母との間に埋めようのない溝ができ
祖母の家に預けられ家族離散の危機。
ここで挽回すると普通の話なのだが前記の通り異色作。
ええ〜そこで終わりかよ。
イレギュラーな話は好きだけどこれはどこが映画化する程魅力的なのか
良くわからん話だった。
弟のお墓
題名とポスターだけだと、なんか素朴な作品なのかと思っていたら全然違う問題作だった
映画として俯瞰して見ているから時折笑えるが、実際近くにいたら迷惑で困惑する存在だ
あるシーンでは思わず「やめてー!!ダメダメ」と心の中で絶叫
映画として見ているぶんにはいいんだけどねぇ
嫌な思い出
私にはあみ子、兄ちゃん、お父さん、お母さん、ノリ君、各々の気持ちが理解できます。あみ子程に重症ではありませんが、あみ子のような人物が身近に居たからです。私の場合は親の立場ではありませんでしたが、最終的にはお父さんと似た様な選択を取りました。その選択に後悔はありません。逆にそんな選択肢があったことを知らず、1人悩み続けてきた莫大な時間を後悔しています。今はようやく自分の人生を創造できているんだなと思えます。
一方、私自身もあみ子同様、目に映る外の世界を理解するのに苦労するタイプでもありました。そんな私には最初、お父さんは健気に映りました。けれど、他のレビューを見ているとどうやらその認識は見直さないといけないのかなとも思うようになってきました。これはドライブマイカーのテーマでもありましたが、「見たくないものを見ない。それに対して向き合わない。」という行為は、場合によって命取りとなるからです。お父さんを肯定する一方、余裕が生まれれば見たくないモノと向き合う瞬間も作らないといけないのかなとも思うようになってきました。あみ子の様な人と積極的に付き合きあおうとは二度と思いません。しかし、社会活動する上では避けられない場面もあります。付きっきりはしませんが、あの坊主頭の同級生の様に一瞬でもいいから損得抜きのコミュニケーション出来るようになりたい、それが出来る勇気が欲しいと思うばかりでした。それができるようになった時、自分の目に映る世界はまた変わるのかなとも思いました。
それにしても嫌な思い出を回想する羽目になり、珍しく映画を見るのが嫌になりました。それが映画の果たす役割でもあるんですけどね。次は娯楽作が観たいです。
どこか覚えのある風景
何の予備知識もなく鑑賞。
主人公の「あみ子」は
自分が子供の頃にいたような
覚えのある女の子。
側から見た印象と、
当人の印象は違う
当たり前のことが淡々と語られる。
率直であること
知らないこと
自分では気がつけないこと
人と合わせられないこと
察することが得意でないこと
人との間で生きていくのが得意でないこと
幸不幸ってなんだろう?
と見終わった後に考えてしまった。
鑑賞後、原作を購入して、読了。
時間経過以外は、
忠実に作られていたことが分かる。
彼女の家族がその後どうなったのか
描かれていない分
想像してしまう。
鑑賞後も読後も
後を引く作品だと思いました。
演技未経験とは思えない存在感
広島に住む小学五年生の田中あみ子は「変わり者」だがお父さんとお義母さん、お兄ちゃんと暮らしていた。臨月になっていたお義母さんのおなかが破水し病院に向かうが死産してしまう。あみ子は死んだ弟の墓を作ってお義母さんを喜ばせようとして「サプライズ」を用意したが、逆にショックを与えてしまって家族がバラバラになるほどの出来事を起こしてしまった。
『むらさきのスカートの女』で161回直木賞を受賞した今村夏子が処女作『あたらしい娘』(のちに『こちらあみ子』に改題)を初監督の森井勇佑氏がメガホンを取った。主役のあみこ子を演じたのはオーディション330人から選ばれた新人大沢一菜さんが、スクリーンいっぱいにその存在感を解き放っていた。一番強烈だったのがあみ子の兄が予想外の変化で、なぜああなったのか気になるところでした。
悪くは無いんだよ。きっと。
すごく難しい内容でした。
実際、自分も同じクラスにあみこみたいな子がいたら、避けるだろうし、「キモッ」とか言ってしまうと思う。
だからこそ、俯瞰で観ていて苦しかったしもどかしかった。
文句なく、今年一番の作品かも
感動しました!
とても美しく、愛らしく、画作りに愛情を感じる作品でした。
あみ子は、発達障害があるのでしょう。
でも、普通学級に行けるくらいの自閉症。
明るくて、元気で、まっすぐな。
自分の視点でしか物事が理解できないのです。
それを知ってから鑑賞する方が、理解しやすいかもしれません。
軽い自閉症・・・それは、彼女だけ?
誰もが自分の少年少女時代を思い出して、キリキリぴりぴり
少しほろ苦く、それでもやっぱり涼しい気分になるはずです。
それと、複雑な家庭環境(少しずつ明かされる)が判ると
大人の無責任とばかりは言っていられませんでした。
あみ子を演じる大沢一菜(かな)さんの ‘’奇跡的な‘’ 存在感、
とても魅力的でした。
(フォトだけでは、十分伝わってこないのが残念。
雰囲気は違いますが、みつばち~のアナ・トレントに匹敵?)
その元気がまるで、夏にギュッとしぼって飲み干す
レモンスカッシュそのもの!
なお、軽度の自閉障害がある元気なあみ子ですが、それを
劇中で明確に示していないのには、理由があります。
ラストは、ハッピーエンドとは言えないのかも?
でも、必ず元気がたっぷりもらえるはず!!!
そして、少し優しくなった自分に気づく ・・・ そんな感動作です!
発達障害者が家庭を壊して捨てられる話。酷すぎる。
発達障害と言わないが冒頭の母親の台詞はそれを指している、彼女の言動も含めて。
物語の都合のために発達障害を使うが、、、
母親を傷つけるために発達障害を利用して傷つけるが。。。
物語の上で情報として必要なときは誰かが話し出すと都合よく話を聞くが。。。
都合良すぎるだろうが。
病気扱うならちゃんとやれ。
本当に苦しいんだ。
本当に苦しんだ。
産んだことすら後悔した瞬間だってあるんだ。
ちゃんとやれよ。
どちらもコントロールできないから辛いんだ、本人も家族も
カメラを奪われたら狂ったように取り返そうとして本当に嫌になるくらい叫んで言うこと聞かずに暴れ回るでしょう。
なんで、ちゃんとしてるのに、都合いいところだけできないの。
今はネットの情報、療育、学校環境もなんとか生きやすい道を懸命に探しているのに、ここに出てくる人たちは誰も何もせずにただ子供を捨てる。
なんだよそれ、大人がみんな馬鹿すぎるでしょう。
なんで広島??
考え方が田舎なら遅れているでしょうってこと??
東京ならもう少し大人がまともでしょうよ。
ひでえな、広島を馬鹿にしてるの??
作り手の浅はかさが本当に嫌になる。
なんでこんなひどいことできるのだろうか。
広島の現風景
広島の現風景を感じながら鑑賞できました。
舞台挨拶での井浦さんが「見る人によっていろんな捉え方ができる作品」監督の「物語で回収しようとはしてない」とのコメントが全てな気がします。日常に起こる様々なことに理由を求めず、フラットに鑑賞することで味わい深くなると思います。
お母さんだけずるい
尾野真千子と井浦新が夫婦役で出演しているということで、鑑賞。予告すら見ていなかったですし、ポスターとタイトルからして一人の少女の成長物語かと勝手に思っていました。だが、全く違った。予想していたものとは180度違った。まさかの胸くそ悪い系映画でした...。
ちょっとした違和感からのスタート。
ん、なんでだ。なんで、何も言わないんだ。なんで、そうなるのだ。どうもあみ子のことを好きになれないな...。それ以上に、尾野真千子演じるお母さんのことが好きになれないな...。音樂はほんわかとしているし、叱られている時にその人のほくろを見てしまうというあるあるがあったりするし、独特な日常を画いた作品なのかな〜と思って見続ける。
そして、まさかの出来事。
衝撃的な出来事が起きたってのに、意外にも平然としている家族。ずーっと周りとかなりズレていたあみ子が、母親のためをおもってとあるものを庭に作った。めちゃくちゃ悲しい、胸が苦しい、辛い、のだが、あみ子は子どもながらに励まそうとそれを作った。なのになぜだ。泣きたくなる気持ちは理解できるが、何故そこまで。どうしてこうなったのだ。急に襲ってきた胸くその悪さ。今年一キツかった。
そこから、またもやほんわかとした音楽が流れる。この映画は完全にあみ子の頭の中の話だ。あんなことがあったのに、何も心に来ていない。彼女は悪くない、悪くないのだけど、これまたどうしてこうなんだ。見ているこっちとしては、もう耐え難い気持ちでいっぱい。でも、すごく考えさせられる。人は生まれてきた時、死ぬことを知らない。生きて、生きて、成長することしか知らない。親の影響はある意味、偉大だ。こういう感想を抱くのはもしかして間違っているのかもしれないけど、私はそう思ってしまった。
あみ子目線で描かれる本作は、イライラムカムカする場面が沢山。何故か。やってはいけないことだとわかっているから。でも、あみ子は恐れない。何にも飛び込むし、無責任で身勝手で馬鹿な行動をしまくる。テスト中に歌を歌ったりもしてしまう。これは、あみ子だからだろうか。誰でも、こうなり得るのではなかろうか。
かなり、観客にテーマを放り投げるタイプの映画だったので、どうも好きにはなれませんでしたけど、なんだかしばらく考えこんでしまうような映画でもありました。何があっても一生見たくないですけど、そういうわけなので興味がある方はぜひ。
弟の墓 の前で壊れた母、それをきっかけに兄はグレたの? あみ子...
弟の墓 の前で壊れた母、それをきっかけに兄はグレたの?
あみ子が発達障害なのかも定かではないけど、そうだとしてもリアリティをあまり感じない。幽霊はあみ子の想像、幻覚?
坊主君のやさしさが救い。
少し変わった女の子"あみ子"とその家族の物語。
少しまわりと歩調の合わない女の子"あみ子"。
それでも、最初は幸せそうに両親と兄と暮らしているが、母親の死産を境に、徐々に家庭が崩壊していく。
その途中経過はあまり詳しく描かれないが、兄は暴走族のようなものに入り家に帰ってこなくなり、母親は精神的に塞ぎこみ、入院したり、家で寝込んみがちになる。
母親が作っていた食事は、父親の買ってきた店屋物に代わり、家庭はあたたかさを失っていく。
そして、あみ子は父親から引っ越すと言われ、両親は離婚し、自分は父親とおばあちゃんの家で暮らすものだと思い込むが、あみ子一人だけ、おばあちゃんの家に預けられ 、父親は「お父さんは帰らないといけない。」と言い残し去っていく。
すべての場面は、あみ子の目線か、あみ子のいる場面のため、背後で起こっていることは一切わからない。
あみ子は泣かない。子供だが、殴られても、蹴られても泣かない。
この映画は、それ以上のことはわからない。それを監督が意図してやっているのかもわからない。
メッセージはない…。
あみ子は生きている。そして泣かない。それだけはわかる映画だ。
これは評価しにくい、、
あみ子は、、、
何も悪くない
純真無垢
かわいそう
いろいろな感情が交差しますね。
発達障害をテーマで、バットエンドは有り得ないとは思いますが、ハッピーエンドでもないですし、、、、ハッピーエンドなのかな、、、
子供たちの演技が下手すぎるけど、田舎の雰囲気を出しているともいえるし、、、
作品全体で独特な雰囲気があります。
最後は手招きしてましたかね、、、
うーん😔子供に振り回され…
KYな子供に壊されていく、普通の家族。この映画を見たら、子供を生むことに躊躇するかも…。現代病なのかもしれないが、子供は悪気もなく、純粋無垢に自分のやりたいことを真っ直ぐに行動するのだが、周りは…。日本の子育ての闇をみたような気がする。この子は大人になった時どうなるのかな?
応答せよ、応答せよ。こちら、あみ子。応答せよ。
つらい。観終えてそんな感情しか湧いてこない。結局、あみ子のことが原因で家庭崩壊してしまった話。だけど、あみ子は全然そこに気付かない。気付くことさえできない。それは彼女がADHDだから。空気が読めない子だから。彼女に1ミリもの悪意がないから。だから、つらい。映画紹介とかで彼女が「純粋無垢」だとか見掛けるが、あみ子は清らかだとでも言いたいのか。わかってないなと思う。たしかに正直ではあるが、世間から見ればどこか歪んでいる。ゆえに、あみ子の「良かれ」も時には悪になる。周りから「変わった子」で見られ、散々振り回された家族にしてみれば、きれいごとの欠片などみじんもなく、苛立ちでしかない。でもね、そんな家族でさえ、本当のあみ子のことを理解してあげていないんだよな。父も継母も兄も"あみ子のせいで"としか思っていない。だから、つらい。たまに、ガサツな人間がセレブな会合に居合わせた時に生じる場違い感が、常にあみ子とその周辺に起こる。あみ子にとってはそれが普通。だけど、周りにとってはそれは奇妙。それを感じることができないあみ子にとっては、世間は不条理で成り立っているとしか思えない。だから、つらい。そしてようやく違和感を感じたあみ子が尋ねる。どこが気持ち悪いのか教えてほしい、と。たぶん、あみ子はそれを聞いてもわからないだろう。だから、つらい。つらくて仕方がない。ただ、この映画を作った人は、そのことを分かっている。そこがせめてもの救いだ。
レビューが異様なまでに難しい…。
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▼ 映画のストーリーの趣旨的に、個人の思想が入りうる点がかなりありますが、他の方の思想を否定したりする意図はないことは断っておきます。
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今年213本目(合計489本目/今月(2022年7月度)25本目)。
私は18までは広島市に在住していました。
こちらの映画、後援など明確に行政は絡んでいないようですが、大阪市でも広島県事務所(大阪市に出張所がある)が大阪市のミニシアターにプッシュしていたりと、やや特殊な一面があります。また、原作小説は今から12年ほど前ですが存在することも事実です。
家族に起こったある「悪い出来事」をきっかけに、主人公の様態というか挙動が異様に不自然になる…というストーリーなのですが、どうにも趣旨が理解しがたいです。
確かに「衝撃的なできごと」ではあるので若干精神的に揺動することは十分考えられる一方、映画内で描写される内容は、「合理的な範囲で」いわゆるADHDなどを連想させます。
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※ なお、特に精神疾患に関しては、いわゆる「ネットによる私人の個人認定」が名誉棄損などの問題を引き起こすだけでなく、その性質上、医師(精神科医、心療内科等)による「厳格な」診断のもと下されるべき、という点は断っておきます。映画内ではこのことについて明確な描写はありません。
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そして、症状が何であるか(あるのかないのか、あるいは精神の揺動なのか)がさらに悪化して、変わった行動が「度を越して」、母親・父親をはじめとした家族が疲れ果てて、その結果とった行動は…という趣旨の映画です。
趣旨としては理解しなくもないものの、原作小説が2010年と今から12年も前なので、人権感覚も「若干」異なる(30年も前ではないので、ものすごく違うということはない)点、さらに、いわゆる「ご地域枠」としての扱いなのではないか…と思う一方で広島県の地名は一切でない(呉市ではないか、と思えます。エンディングロールでも出ます)など、「趣旨が理解しがたい」という点はかなり残ります。
広島県を舞台とした映画といえば、いわゆる「ヤクザ抗争もの」か「原爆もの」で、それ以外が「その他」の枠に入りますが、その「その他」の枠の中でも、「広島県を舞台にする趣旨」が理解しがたく(極論、岡山でも山口でも北海道でもストーリーは成立する)、原作小説がそうなのでそうしたのだと思いますが、逆にそうである以上、趣旨が理解しがたい部分はかなりの部分で及びます。
採点は下記を考慮しました。
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(減点0.2) この映画は今は関西でも見ることができますが、広島県では先行上映されていたようで、いわゆる「ご当地枠」の映画です。そのため、広島弁はかなり登場しますが、中には明確に聞き取れない(私も18までは広島市にいたので)点はあります(単純に早口すぎる。広島弁としても理解が難しい点もあるが(語彙の論点)、ここは広島からどの程度離れているかで理解の差は分かれます)。
また、「はだしのゲンごっこやインド人ごっこはやらないと約束してくれる?」というセリフ(最初の10分くらい出る)の「インド人ごっこ」は何を意味するのかよくわからないどころです(映画内で、ニンテンドースイッチをやっている子が出てくることから、2020~22022年が物語の軸と思われますが、「インド人ごっこ」はよくわからないし、仮に(舞台がどこであるかは別にして)今現在の人権感覚では通らないと思います)。
(減点0.3) 結局、安易に素人が病名を(映画内という架空のものに対して)安易につけるという行為それ自体が危険だという話は先にしましたが、通常人の理解であれば、やはりADHDなりの疾患を疑うのが普通ではないか(あるいは健常者とのボーダー)というところです。
ただ、50年も前ならともかく12年も前で、舞台は明示的に出ない(おそらく呉市と思われますが…)ものの、親も、あるいは小学校も「(家族・本人に相談の上で)、福祉行政につなげようとしていない」点は明確に気になりました。
ただ、この部分は極めてセンシティブな問題で(現在、2022年でも偏見が残ることはご存じの通り)、どこまで引くかはかなり微妙です。ただ、引いても減点0.3程度ではないか、と思えます(原作小説も同じくそう進むのであれば、今度は小説にあることないこと書けない、という別の問題が入るため)。
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フランケンシュタインファンタジー
とても丹精に作られてた。原作未読。冒頭とその後に出てくる子どもたちの下校時間のいくつかのカットがロケーションとあわせてとてもよく、また主人公が不敵な面構えで期待は高まる。でも進めていくとこの子が純粋とか無邪気とかでなく、ちょっと病気を抱えてることがわかる。とても危なっかしい。それがわかる頃から先行きに黒雲が見え始め、母親の流産の後、決定的にやらかしてしまい、時間の進み具合の中で、兄はどこかに飛んでしまい、母はおかしくなり、父はひたすら耐えており、あみ子だけが変わらぬままで、変わること(=成長)のできないあみ子はやがてそこから連れ去られる。
この辺りから「大人はわかってくれない」「お引越し」的なイメージになるのだけど、その2作に比べてあみ子がそれほど感情移入できるようなキャラクターではない。ある意味、劇中あみ子が見ていたフランケンシュタインのモンスターみたいなものだ。まともな子供ではなくどう反応するかわからないのでそれをずっと追っていくが見ているこちらが不安・不穏になる。野生の昆虫や爬虫類が出てくるのも象徴的だ。
そんなこんなでいくつもの映画的なチャレンジもやっていたが、ラストはなんとなく「バーディ」を思い出したな。
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