こちらあみ子のレビュー・感想・評価
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評論の必要性
大変にモヤモヤする、心の蟠りが消せない作品である。本当に難しく、このテーマに対して毎日、否、毎時間心の中で白黒が入れ替わる"オセロ"のような心情変化を繰り返させる正に普遍な問題である。
表題どおり、こういう作品は絶対に評論が必要だ。感想ではない、プロの評論家のロジスティックな建築的論評だ。そこには自分の気づき得なかった視点や、見えない所へのイマジネーション、そして腑に落とすヒントが示唆されている。
単に脊髄反射の如く、今作品を咀嚼できないという諸兄にはキチンとプロの論評の、感情とは一線を画した冷徹な理論をフィルターとして通すことで、如何に自分が映画を”ボーッと”観ていたかを恥じることになることを体験して欲しい。それでいいと思う。その”恥”を受け入れることで本当の意味の映画ファンにステップアップしていくのだから・・・
毎週、映画評を自腹(真贋は置いておいて)で観てのラジオで発表するラッパーは、7月29日(金)にこう言った。「もしかしたらカメラの視点は、一貫して言及されない誰かかも知れない・・・」と。
今作品、不思議なことに前妻の事は一切触れない。あの隠し事が一切できない(チョコクッキーの件は喋らない都合の良さは否めないがw)主人公が、この件に対して一切台詞として言及していない、又は妹を弟と間違った件も、勝手に妄想するに、過去にいたかも知れない産みの母やかつて存在していた弟が、寄り添うようにこの主人公を見守っている視点で描かれているのではないだろうかと・・・ だからこそ、スタッフロール中のエンディングテーマ中に主人公の問いかけと、曲中の『もしもし・・・』が呼応しているのではないだろうかと・・・ 勿論、パーソナリティはそこまでは発言していない。でも、ヒントをどう取るかは、観客の裁量である。
鑑賞後のティーチインでの今作監督の登壇で、もし質問を受け付けられたら是非訊いてみたい内容ではあったが、でもパンフレットにその答えが載っているかも知れない。私は財布に余裕が無かったのだが・・・(泣)
本当に心の中を語ろうとしないのは誰なのか、を考えさせる一作
たまたま鑑賞した回が、監督や主演俳優の舞台挨拶込みだった、という幸運に恵まれた本作。子供達の生き生きとした姿が印象的な作品でしたが、撮影現場もまったくその通りだったようで、楽しそうに撮影の思い出を語る若い俳優達と、ちょっととぼけた感じでコメントする監督がとても印象的でした。
本作が劇場長編映画の初監督作品となるという森井勇佑監督ですが、そうは思えないような入念な物語構成と計算され尽くされた撮影、そしてテンポの良い編集など、舞台挨拶の穏やかな印象とは異なって、映画に対する強い熱意と愛情、そして経験の厚みが伝わってきました。
劇中ではあまり具体的には言及されていないのですが、主人公あみ子(大沢一菜)は生まれつき、あまり他者との意思疎通ができないようで、家族もあみ子に優しく接しつつ、あみ子の言動に振り回されることに疲労している様子です。学校では級友たちからも「変わった子」と見なされ、友達の輪に加えてもらえない様子ですが、あみ子は周囲の反応をそれほど気にしている様子は見られません。
だがある大きな事件がきっかけで、家族の軋轢が増していきます。実はあみ子は他者に対して共感することは難しくとも、どのような状況にあっても自らの考えについては包み隠さず、率直に伝えていることが分かってきます。一方で、あみ子よりも「正常」と考えている家族の側は、自分の気持ちを正直に周囲に話していたかというと…。しかし正直なあみ子が幸せになっていくのかというと…、と物語は決して期待したような方向に進まず、非常に印象的な着地点を見せます。
あみ子の想像と現実の狹間があいまいになっていく場面、あみ子と真っ正面から向かいあって対話を重ねていくある友人の表情、会話の内容がいつまでも印象に残りました。
面倒臭い子供の映画
原作未読です。
ベタな子供映画の傾向って絶望的不幸の連続からある程度の努力と
強運と良い人過ぎる周りの支援でその不運から脱却して
大団円を迎える安っぽい涙の感動作…なのですが
これは異色過ぎる現実的な話。
人生経験の少ない子供は空気が読めないから残酷な言動も平気だし
周りの迷惑も関係無し。あみ子も身内にはいて欲しくないタイプ。
中盤母親が継母な事が判明しなんとなく子供によそよそしいのも納得。
父親も中学生の息子がグレてもお構い無しの無関心ぶり。
後半ある事がきっかけであみ子と継母との間に埋めようのない溝ができ
祖母の家に預けられ家族離散の危機。
ここで挽回すると普通の話なのだが前記の通り異色作。
ええ〜そこで終わりかよ。
イレギュラーな話は好きだけどこれはどこが映画化する程魅力的なのか
良くわからん話だった。
弟のお墓
おーとーせよ、おーとーせよ
おーとーせよ、おーとーせよ、、、
このあみ子の呼びかけに、
応答しないが見守るよ(とも取れる)という解釈が、
今村夏子原作を映画化する時の高難度のキーワードだ。
言動のピントがずれている主人公に、
カメラもピント(こころの)を合わせない。
今村原作は、
軽妙に戦慄を感じさせながら、
解決不能の人間関係や、
社会問題をぶっ込んでくる、
言葉が闇を纏って刺さってくる、
それが魅力で、なおかつ、
的確な文章で、
行間でピントをぴったり合わせてくる。
映画は全部丸出し。
行間は基本的にはない。
どうやってピントを合わせるか。
今後もどこからか現れてくれるだろう、
ウルトラの兄、
兄自身も育てていた鳩と決別した、
鳩の卵は残した。
ウルトラの妹とはさよならした。
舟に乗っていた、むらさきの、、、、
ではなく赤いスカートの妹。
ウルトラの父と母もう要らない、、、
応答せよ応答せよ、
こちら観客、
大丈夫か?
大丈夫だ。
見事なピントだ。
と解釈した人にとっては傑作。
カットを割って細かく語ると、
今村ワールドが色褪せる、
高難度のキーワードを、
結果的にはだが、乗り切った。
受け入れることができなくても、認めることはできる
『ONE PIECE』を観るために並んだ大勢の人々の間を縫って、目的のシアターに入る。観客は十人に満たない。そりゃそうだろ、こんなめんどくさそうな映画だれが観るんだ。
観終わってため息が出る。なかなか厳しい作品だった。
原作はもっとあっけらかんとしていたように思う。そして、引っ越して行った先の田舎で、居場所を(たぶん)見つけたあみ子のことを、もう少し詳しく描いていたように思う。
あみ子は大人のことがわからない。大人もあみ子のことがわからない。でも、わかってほしい。受け入れることができなくても、認めることはできるだろう。あの丸刈りの少年のように。
井浦新演ずる父親の姿が胸に痛い。問題と真正面から向き合わず、常に目を背け続け育児放棄。あげくの果てに娘を実家に《捨てる》。ことなかれ主義の行き着く先。
父親はそれを「仕方のないこと」だと思っているに違いない。だが鏡写しのようにその姿を見せつけられた私たちには、本当にそれが「仕方のないこと」だったのかという疑問が芽生えてしまう。
発達障害を抱えた子どもたちへの社会的支援がうんたらかんたらというゴタクを吹き飛ばしてしまうほどの、主演の大沢一菜のナチュラルすぎる演技。彼女の出ている場面はまるでドキュメンタリー映像みたいだった。
この作品の最大の難点は、オバケたちを出演させてしまったことだと思う。
発達障害に幻覚症状が生じることはめったになく、誤解を招きはしないかと心配である。
ひとつの家族の在り方
大沢一菜さんが、
あみ子が、
あまりにもインパクトが強くって…
お父さんは、 “後添えさん > 子どもたち” なのね。
まぁ、実際にあるからなー、
周りにこのパターン。
あみ子のような個性のある子どもではなかったし、
何かやらかしたわけでもないのに、リアルに父親出ていったからなー。
ということで、ストーリー云々や、
何かのメッセージを受け取ることはなかったです。
こういう、ひとつの家族の在り方を観た感じ。
内容に関しては、そこまで感動も受け取るものもなかったですが、
配役も含めて、子役たちが本当に素晴らしかった。
大沢さんは、もちろんだけど、
お兄ちゃんの奥村さんも良かったなー。
お兄ちゃんだけは、なんやかんやあっても、ずーっとあみ子の味方だよね。
ベランダのオバケをやっつけに来たシーンは、少し泣けた。
心のトランシーバーで繫がっていたのかな。
憧れの のり君も良かったし、
個人的には、隣の席の坊主頭の子のキャラクターがリアルでね、微笑ましい。
観終わって思ったことは、
最終的に、あみ子には、新しい環境で強く生きて欲しい。としか…
嫌な思い出
私にはあみ子、兄ちゃん、お父さん、お母さん、ノリ君、各々の気持ちが理解できます。あみ子程に重症ではありませんが、あみ子のような人物が身近に居たからです。私の場合は親の立場ではありませんでしたが、最終的にはお父さんと似た様な選択を取りました。その選択に後悔はありません。逆にそんな選択肢があったことを知らず、1人悩み続けてきた莫大な時間を後悔しています。今はようやく自分の人生を創造できているんだなと思えます。
一方、私自身もあみ子同様、目に映る外の世界を理解するのに苦労するタイプでもありました。そんな私には最初、お父さんは健気に映りました。けれど、他のレビューを見ているとどうやらその認識は見直さないといけないのかなとも思うようになってきました。これはドライブマイカーのテーマでもありましたが、「見たくないものを見ない。それに対して向き合わない。」という行為は、場合によって命取りとなるからです。お父さんを肯定する一方、余裕が生まれれば見たくないモノと向き合う瞬間も作らないといけないのかなとも思うようになってきました。あみ子の様な人と積極的に付き合きあおうとは二度と思いません。しかし、社会活動する上では避けられない場面もあります。付きっきりはしませんが、あの坊主頭の同級生の様に一瞬でもいいから損得抜きのコミュニケーション出来るようになりたい、それが出来る勇気が欲しいと思うばかりでした。それができるようになった時、自分の目に映る世界はまた変わるのかなとも思いました。
それにしても嫌な思い出を回想する羽目になり、珍しく映画を見るのが嫌になりました。それが映画の果たす役割でもあるんですけどね。次は娯楽作が観たいです。
どこか覚えのある風景
演技未経験とは思えない存在感
広島に住む小学五年生の田中あみ子は「変わり者」だがお父さんとお義母さん、お兄ちゃんと暮らしていた。臨月になっていたお義母さんのおなかが破水し病院に向かうが死産してしまう。あみ子は死んだ弟の墓を作ってお義母さんを喜ばせようとして「サプライズ」を用意したが、逆にショックを与えてしまって家族がバラバラになるほどの出来事を起こしてしまった。
『むらさきのスカートの女』で161回直木賞を受賞した今村夏子が処女作『あたらしい娘』(のちに『こちらあみ子』に改題)を初監督の森井勇佑氏がメガホンを取った。主役のあみこ子を演じたのはオーディション330人から選ばれた新人大沢一菜さんが、スクリーンいっぱいにその存在感を解き放っていた。一番強烈だったのがあみ子の兄が予想外の変化で、なぜああなったのか気になるところでした。
文句なく、今年一番の作品かも
感動しました!
とても美しく、愛らしく、画作りに愛情を感じる作品でした。
あみ子は、発達障害があるのでしょう。
でも、普通学級に行けるくらいの自閉症。
明るくて、元気で、まっすぐな。
自分の視点でしか物事が理解できないのです。
それを知ってから鑑賞する方が、理解しやすいかもしれません。
軽い自閉症・・・それは、彼女だけ?
誰もが自分の少年少女時代を思い出して、キリキリぴりぴり
少しほろ苦く、それでもやっぱり涼しい気分になるはずです。
それと、複雑な家庭環境(少しずつ明かされる)が判ると
大人の無責任とばかりは言っていられませんでした。
あみ子を演じる大沢一菜(かな)さんの ‘’奇跡的な‘’ 存在感、
とても魅力的でした。
(フォトだけでは、十分伝わってこないのが残念。
雰囲気は違いますが、みつばち~のアナ・トレントに匹敵?)
その元気がまるで、夏にギュッとしぼって飲み干す
レモンスカッシュそのもの!
なお、軽度の自閉障害がある元気なあみ子ですが、それを
劇中で明確に示していないのには、理由があります。
ラストは、ハッピーエンドとは言えないのかも?
でも、必ず元気がたっぷりもらえるはず!!!
そして、少し優しくなった自分に気づく ・・・ そんな感動作です!
発達障害者が家庭を壊して捨てられる話。酷すぎる。
発達障害と言わないが冒頭の母親の台詞はそれを指している、彼女の言動も含めて。
物語の都合のために発達障害を使うが、、、
母親を傷つけるために発達障害を利用して傷つけるが。。。
物語の上で情報として必要なときは誰かが話し出すと都合よく話を聞くが。。。
都合良すぎるだろうが。
病気扱うならちゃんとやれ。
本当に苦しいんだ。
本当に苦しんだ。
産んだことすら後悔した瞬間だってあるんだ。
ちゃんとやれよ。
どちらもコントロールできないから辛いんだ、本人も家族も
カメラを奪われたら狂ったように取り返そうとして本当に嫌になるくらい叫んで言うこと聞かずに暴れ回るでしょう。
なんで、ちゃんとしてるのに、都合いいところだけできないの。
今はネットの情報、療育、学校環境もなんとか生きやすい道を懸命に探しているのに、ここに出てくる人たちは誰も何もせずにただ子供を捨てる。
なんだよそれ、大人がみんな馬鹿すぎるでしょう。
なんで広島??
考え方が田舎なら遅れているでしょうってこと??
東京ならもう少し大人がまともでしょうよ。
ひでえな、広島を馬鹿にしてるの??
作り手の浅はかさが本当に嫌になる。
なんでこんなひどいことできるのだろうか。
広島の現風景
お母さんだけずるい
尾野真千子と井浦新が夫婦役で出演しているということで、鑑賞。予告すら見ていなかったですし、ポスターとタイトルからして一人の少女の成長物語かと勝手に思っていました。だが、全く違った。予想していたものとは180度違った。まさかの胸くそ悪い系映画でした...。
ちょっとした違和感からのスタート。
ん、なんでだ。なんで、何も言わないんだ。なんで、そうなるのだ。どうもあみ子のことを好きになれないな...。それ以上に、尾野真千子演じるお母さんのことが好きになれないな...。音樂はほんわかとしているし、叱られている時にその人のほくろを見てしまうというあるあるがあったりするし、独特な日常を画いた作品なのかな〜と思って見続ける。
そして、まさかの出来事。
衝撃的な出来事が起きたってのに、意外にも平然としている家族。ずーっと周りとかなりズレていたあみ子が、母親のためをおもってとあるものを庭に作った。めちゃくちゃ悲しい、胸が苦しい、辛い、のだが、あみ子は子どもながらに励まそうとそれを作った。なのになぜだ。泣きたくなる気持ちは理解できるが、何故そこまで。どうしてこうなったのだ。急に襲ってきた胸くその悪さ。今年一キツかった。
そこから、またもやほんわかとした音楽が流れる。この映画は完全にあみ子の頭の中の話だ。あんなことがあったのに、何も心に来ていない。彼女は悪くない、悪くないのだけど、これまたどうしてこうなんだ。見ているこっちとしては、もう耐え難い気持ちでいっぱい。でも、すごく考えさせられる。人は生まれてきた時、死ぬことを知らない。生きて、生きて、成長することしか知らない。親の影響はある意味、偉大だ。こういう感想を抱くのはもしかして間違っているのかもしれないけど、私はそう思ってしまった。
あみ子目線で描かれる本作は、イライラムカムカする場面が沢山。何故か。やってはいけないことだとわかっているから。でも、あみ子は恐れない。何にも飛び込むし、無責任で身勝手で馬鹿な行動をしまくる。テスト中に歌を歌ったりもしてしまう。これは、あみ子だからだろうか。誰でも、こうなり得るのではなかろうか。
かなり、観客にテーマを放り投げるタイプの映画だったので、どうも好きにはなれませんでしたけど、なんだかしばらく考えこんでしまうような映画でもありました。何があっても一生見たくないですけど、そういうわけなので興味がある方はぜひ。
自由と生きづらさ
あみ子はただ自分が思うままに生きてるだけで、大人になった私たちが失った自由をそのままに生きているんだけど、それが周りの人からしたら辛いっていうか。。。流産をした母が希望を取り戻し始めた時、より母を元気づけようと動いたあみ子の行動がずっと優しかった兄を不良に、優しかった父親を子を捨てるような育児放棄をする人間に変えてしまい、好きだった人にはこくはくしたら殴られ。あみ子の世界ではそれすらも強く生きる希望だったというか。。
多分ていうか絶対あみ子は発達障害なんだけど父親があみ子に関心がないから病院に連れて行ってあげないんだなって苦しかった。彼女は病気の自覚がないし、幻覚とか話をちゃんと返せなくなってきてたのに、、。
個人的に幽霊の演出めっちゃ好きだったし、絵作りや音作りにすっごい才能を感じた。
ただ客目線からしたら希望なさすぎてこっちが辛かったから星4。
人生色々、それでも力強く生きる
「応答せよ、応答せよ…」
兄とトランシーバーでやりとりするまでは、家族に囲まれて幸せな生活を送っていたあみ子。
母から生まれてくるはずの赤ちゃんが(妹だった)亡くなり、母は精神的ショックから病に伏せる。
そこから幸せだった家族の形、あみ子の日常が少しずつ崩れていく。
優しかった兄はいつしか暴走族と連みだし堕落、父は無関心、ほぼネグレクト、学校では居場所がなく、あみ子が想いを寄せるのり君には嫌われる…。
家庭崩壊、あみ子どうなる?
あみ子は最後には祖母の家に預けられ、祖母と一緒に暮らすことになる。ラストの岸辺でのシーンからは、どんな環境に置かれても、どん底に落ちても生きろ!という力強いメッセージを感じた。
手招きする“おばけ”たちに着いて行かずに、手を振ったあみ子が本作の中での唯一の救い。
発達障がい、非行、ネグレクト、いじめ、死産…
色んなテーマが混在していて、正直救いようのない物語。終始不協和音が鳴っている感じで、見ているこっちが辛かった。そのため評価は低めです。
「後味の悪い映画」が好きな人はどうぞ
あみ子の奇抜な言動により、家族や周囲の人間関係がボロボロになっていく様が描かれています。もちろん、あみ子に悪気はない。でも、この子は残酷。
こういうトリックスター的な人物は、結局は「愛されキャラ」になったり、周囲も影響されて「ほんとうに大切なもの」を見つけたりするのが(ストーリー作品の)常なのですが、そういうことにはなりません。
誰もあみ子を愛してくれないし、みんな本当に残酷。(そして不幸)
特に父親がひどい。ダメ人間キャラが最後にバシッと決めてくれるのかと思ったら、最後まで本当にダメ人間だった…。
作り手は、「世の中の予定調和を突き崩したすごい映画なんだぞー」と言いたいのでしょうが、とにかく後味が悪いです。
それから、突然バッハみたいな幽霊がたくさん踊り始めたり、おとなしい幼なじみが突然あみ子をボコボコに殴りつけて顔面を血ダルマにしてしまったりと、「マジックリアリズム」だかよくわかりませんが、ほんとに白けました。(そしてかわいそう…)
※原作は未読です。芥川賞を受賞した『むらさきのスカートの女』が面白かったのでこの映画を観てみたのですが、原作もこんな感じなのか「逆に」気になりましたね。
最近広島が舞台の映画が多い
よくわからないうちに終わって、映画館を出てパンフレットを見て納得。そうなのだ、あみ子は常に1人。彼女を助ける、助けてくれる家族、友達はいるが、常に1人で色々と考える。行動する。最後そこに残るのは幽霊たちだったりする。
自分も1人で妄想にふけったりすることはよくある。広島時代はご飯を食べたあと自転車で港まで行き、1人で海を眺めてた。そこで、どんなことを考えていたかは覚えてない。そこには、程度の差こそあるが、あみ子的な自分がいたような気がする。
でも、広島という温かい風土に育まれたあみ子という印象が強い映画でした。
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