MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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渾身の映画。でも、それを超える1枚の写真。
水俣病を活写した世界的な写真家ユージン・スミスを描く物語。
史実をもとにした映画ですね。
名優ジョニー・デップが主演で(暗い歴史とはいえ)日本を描き、そして真田広之が脇を固めるとあれば、個人的には注目せざるを得ない作品でした。
そして、その注目と期待を損なわない、レベルの高い作品だったと思います。
物語のテーマは二つ。一つはユージン・スミスの物語。年をとり、トラウマを抱え、酒に溺れ・・・時代に取り残されたスミス。その彼がアイリーンという理解者を得て、水俣の惨状を目の当たりにし、水俣の人々と触れ合うことで、カメラマンとしての矜持を取り戻す姿を活写します。
もう一つは水俣の人々の物語。公害、病気・・・そして世間体。ある人は障害に苦しみ、ある人は介護に疲弊する。そんな市井の人々が、それでも家族を慈しみ、前を向いて闘う姿を描きます。
最後に写された「入浴する智子と母」。素晴らしい写真でした。2時間に渡る名優たちの迫力ある演技、その全ての演技に負けないだけの迫力と慈しみが、1枚の写真から溢れ出してきます。まさに、歴史の一ページを刻む写真だったと思います。
私的評価は4.5にしました。
水俣病の悲惨さを訴える作品をアメリカに制作されたのは複雑なところだ...
若者にも観て欲しい
水俣病は知っていても、ユージン・スミス氏の写真集のことは知らなかった。写真を撮る事を許可した市民も勇気のある決断。でもその被害者たち、そしてスミス氏たちの勇気で、私たちはその悲惨な状況を知る事が出来たし、国や工場側の考えを変えることにもなった。
改めて公害の惨状を知ったし、水俣病以外にもエンドロールで映し出された世界中の多くの公害被害の様子も考えさせられるものだった。
このような映画も、中学高校などで是非観るようにして欲しいなあ!
内容も素晴らしいが、ジョニー・デップの振れ幅のひろさよ。最近「チャーリーモルティガイ」でふざけた笑えるジョニー・デップを観たばかりなので、こんなに真剣な重厚な映画を主演し、制作まで行うとは脱帽です。
ユージンスミス=ジョニーデップ
とても良かった。
当時のジョニーデップがハリウッドから弾かれて
今作しか選択肢としてなかったのかもしれないけど、
それでもこの映画からもう一度水俣病を知ってもらいたいという気持ちが伝わって来たし、
雑誌「LIFE」から弾かれ、水俣病と言う一点で
首の皮一枚繋がったユージンスミスとジョニーデップが
重なって、素晴らしい演技だったと思います。
脇を固める日本人キャスト達も素晴らしかった。
映画として嘘もあるかもはしれないし、
見栄えの良いように作ったかもしれないけれど、
その制約の中での、
ちゃんとした日本を世界に伝える気概が見えました。
僕的には外国人を前にした浅野忠信さんのへりくだった演技って日本人的で上手いなと思いました。
見て損はない作品だと思います。
ユージンとアイリーンの三年間の記録。
内容は、アメリカ🇺🇸の写真家ユージン・スミスと後に一時期彼と結婚する妻アイリーンとの出逢いから三年間の熊本県水俣市を舞台に繰り広げられるチッソ(株)の工場排水🏭(有機水銀)による生命被害を主題とした作品。好きな言葉は『写真は撮るものの魂を吸い取る』で写真という表現に対する呪われた何かを感じる一面が恐ろしくも魅力的な台詞でした。印象に残った場面は、抱えられた水俣病の子供の顔と血の色🩸かと思える真っ赤な暗室と軽快な音楽が違和感と爽快感を感じ、ハリウッド映画の作りらしいスタイリッシュさを感じました。映画も🎞綺麗な三幕構成で映像作品として纏まっていて、綺麗な脚本だったと感じます。これならドキュメンタリー映画で良かったのでは?!撮り直す必要があったのか?疑問でなりません。この物語は事実であると冒頭で唄うだけに内容については厳しく精査される必要はあると思いました。四大公害病の一つ新潟の痛い痛い病勝訴から50年。水俣病熊本地裁勝訴から49年と云う節目からこの映画を鑑賞しました。この映画を鑑賞後に伝えたかったテーマを考えましたが、脚色を踏まえた実録映画だと思うだけで深刻さによる笑顔は伝わって来なかった様に感じます。裁判所に押しかけるお遍路姿に『怨』の旗印には原告被告含む全ての人に降りかかる様に感じられ怖かったですし、今なお解決されない問題は山積みで、どんな事を言おうととも公の殺人である事に変わりはありません。歴史から学ことは大きいと感じました。結局は、人間はお金と土地と地位や名誉からは逃れられない正に怨嗟の渦中。正しい事が罷り通るなら世の中もう変わってるよなとつくづく感じます。いかに自分が共感しようとも出来無い浅はかさと自分の運の良さに安堵感を感じ、安心してしまう情け無い人間です。関係ないですが、主役のジョニーディップが庵野秀明に見えてしまったのは自分だけでしょうか。
目をそらさず凝視してしまう力
撮り方によっては何となく目をそらしたくなる気もするテーマなのに、逆に目をそらすどころか凝視してしまう。
そこには美と愛情があるからだ。
いつまでも観ていたい感じがするのは元々のユージン・スミスの写真の力があり、それを完璧な形で映画にしてくれたおかげだ。
絵が綺麗で坂本龍一の曲がかかるとパーフェクト。
日本で撮影していないのだろうけど、日本のよく知っている俳優が出てくることで日本に見えてくるし、真田広之なんて久しぶりに観て、こんな熱量のあるいい演技するんだと魅力再発見。
ジョニー・デップと美波もどんどん本人たちに見えてくる。
枕を元に戻すシーンはちょっとドキッとした。
買い物に行く間の1時間のシーンが好きだ。
そして、個人的にはビル・ナイが出演しているのも嬉しかった。
教科書でしか知らなかった水俣病。 水俣病を世界に発信した写真家ユー...
アメリカ映画だということに意味がある
「MINAMATA」を見て感じたこと 再レビュー
以前のアカウントが不明となったので、記録管理のため再レビューする。
1 水俣病を世に問うた写真家・ユ−ジンスミスの活動を描くとともに、ジャ−ナリストとしての矜持と信念を示す。
2 水俣に到着直後、スミスはカメラを手に外に出て、傍らの人にカメラを向けると、誰もが顔を隠す。スミスは著名な写真家であったが、地元民からすれば、しょせん「お客さん」にすぎなかった。そんな彼は、拠点を設け、患者・家族との交流や抗議集会への参加を続けた。企業は、影響力のあるスミスの本気度を感じとり、妨害工作や暴行を加えた。こうしたことで、患者家族は、スミスを「戦友」として受け入れ、患者と家族が慈しむ場面や壮絶な障害のある姿をカメラにさらけ出してくれることとなる。母と患者が沐浴する所を撮影している場面では静かな感動をもたらした。
3 スミスは、子の親としては失格、自分勝手、アル中、金欠と模範的な人間ではないが、弱者への温かな目を持ち、金に魂を売り渡さない矜持と信念の持ち主である。演じたジョニ-ディップは、その人物造形と演技ともに出色の出来であった。そしてアイリ−ンは、スミスの大事なパ−トナ-でありとても魅力的な人物であった。美波は好演。スミスとライフ社のボブとの長い付き合いは社会人としては羨ましい限り。
4 冒頭はカット割りがちょっとうるさかったが、次第に落ち着いてきた。画面の構図や赤や青の色合いが印象的でとても良かった。 5 水俣市は、原因企業の城下町故に住民に分断と対立があることも示していた。無くなったと思った写真のネガをスミスに届けたのは、恐らく社員でもある地元住民だったのであろうと思う。そして、水俣病での患者と家族の苦しみは今もなお続いていることを忘れてはいけないと思う。ただ、エンドロールで世界で発生した企業による公害が紹介されていたが、この映画との関わりを考えるとなくても良かったと思う。
傑作。
自分にとって生涯Top5に入る名作となりました。去年公開されたColumbusと同様に、自分の人生に大きく影響を与えてくれれました。映画館から出た後、世界が変わって見えたのは久々でした。
世界に大きな影響を及ぼした公害、水俣が題材であり、あのユージンスミスをジョニーデップが演じ、日本の名優が囲み、音楽は六ヶ所村原発等、環境問題に取り込む坂本龍一が担当する。なんて凄いプロジェクト。
誰もが気軽に写真を撮り共有することで、皆がある種のジャーナリズムを獲得しているスマートフォン時代。さらにコロナという新しい災害に直面している点でも公開タイミングにも意義がある。
この映画が特殊な力をもってるとわかる、静かで鮮烈なオープニング。
落ちぶれていたユージンが写真家として再起していく過程で、水俣で出会う被害者たちとの関係性も、実際にあった深い絆を感じることができる。
歴史に残る入浴シーンの撮影の瞬間、あのカタルシス。何度でも観たい。
ユージンの作品内のセリフにある「アメリカ先住民は写真を撮られると魂を抜かれると思っていた、だが写真を撮る方も魂を削られている」、また、自分のカメラを渡して、「写真はJazzと似てる。即興が大事だ。お前の音楽を奏でてこい」というセリフ。これは太平洋戦争や街医者の撮影の経験や、セロニアスモンクらジャズアーティストとの交流を持つ彼のバックボーンを孕むセリフとなっていたことなど、作り手がちゃんとユージンのこれまでの人生があった上で今ここにいることを伝えてくれる。
現代ではネットで情報が氾濫してデマだ、陰謀だ、真実だ、ああだこうだ、錯綜する。冒頭、ユージンは自分のマンションから通りに出るときに周りの雑踏に舌打ちをする。これは、そういうことだと思うこともできるし、圧倒的現実に疲れているのかもしれない。
ユージンは常に圧倒的現実の中にいて、それをひたすら写真として世の中に自分の見た事実を拡散してきた。彼の拡散の意味と今の私たちの拡散の意味の振り幅に時代の移り変わりの断裂を見る。圧倒的現実というのは飛び込む勇気がいる。今は良くも悪くも飛び込まずして誰かのフィルターを通した無数の現実を見ることができる。本当に良くも悪くも。
ユージンはLIFE紙の依頼を受け仕事をする職業カメラマンだったが彼は常に自分の写真が芸術の域に達するように、LIFE紙からの依頼は挑戦として受けていたという。仕事人としての彼の姿勢にも、人によっては自分を重ね合わせて何か思うことができるのでないか。少なくとも同じカメラを生業とする自分は思うことがあった。
「-信念、トライ、カメラ、そしてフィルム、私の良心の壊れやすい武器たち。これらを武器に私は戦った」
このユージンの言葉は自分に置き換えたとして、自分の良心の武器とは何で、何と戦うことができるのだろうか。
映画MINAMATA。観れてよかった。
忘れないために
進行形
撮るということ
こんなセリフがありました
「アメリカ先住民は写真が被写体の魂を奪うと信じてた
写真は、撮る者の魂の一部も奪い去る」
私はよく写真を撮ります
空、雲、山、花、風
目についた自然を手当たり次第に
その時々で心がおもむくままにシャッターを切るのです
被写体が人ではなくても心が動くのです
私には彼ほどの心の強さはありません、自然を撮っていたって魂はるれるのだから当然人を撮る者の魂の一部も持っていかれるのだとこのセリフに納得がいったのです
そしてその写真は魂を乗せて世界へ広がり私たちのもとへ届くのです
地震、津波、台風、それから戦争も
地獄のような世界があることを写真から伝わってくるのです
写真家はその場に行き直に自分の目で見てそして撮ってくるのです、目の前にある地獄を世界に伝えるために
いくつかの心に刻まれた写真が私の中にあります
幼子の亡きがらを火葬にする順番を待つ少年
泣きながら走ってくるナパーム弾の少女
そして今回目にもの見せられたがあのお風呂の写真です
日々の生活の苦悩と子供への深い愛情
生きている、諦めずに生きている様をまざまざと見せつけられました
MINAMATAであって水俣ではなかった
この作品は、写真集「MINAMATA」をめぐる物語だ。確かに水俣病の被害に苦しむ人々を描いてはいるが、日本で撮影されていないせいか、臨場感、迫力が感じられない。丁度同時期に原一男監督の「水俣曼荼羅」が公開されている。恐らく、原監督のことだから、鬼気迫るドキュメンタリーになっているのではないだろうか。いかんせん6時間の超大作で、まだ観ていない。
ジョニー・デップは、酒に飲まれる男が板についている。「ラム・ダイアリー」の時も、四六時中酔っていた。その酒飲みが、どうにもカメラマンらしくない。一枚一枚適当に撮っているようにしか見えないのだ。その嘘っぽさのようなものも、この作品が、あまり琴線に触れなかった理由かもしれない。
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