「被写体とカメラマンの関係」MINAMATA ミナマタ コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
被写体とカメラマンの関係
この映画には多面性があり、私は「カメラマンは事実のみを写す」ストーリーとして楽しみました。
「1000の言葉より1枚の写真が雄弁に語る a picture is worth a thousand words」
「百聞は一見にしかず」に近い意味合いで、英語圏や中国語圏の諺(ことわざ)としてよく使われます。
本作中でも、主人公ユージンがこの言葉を口にします。
しかし、SNSで知るように、映像の意味合いを間違って伝えたり、切り取り改竄してコラージュフェイクを流したりできるのもまた映像です。
そんな中で、揺るぎない映像とは、「事実」のみだと。
事実に迫るには、人に対しても自分に対しても嘘をつかないこと。
被写体となる人物をカメラマンが理解し、またカメラマンのことを被写体にも理解してもらう。
被写体へ寄り添い、信頼を得て、初めて偽りのない姿を撮ることができる。
太平洋戦争の従軍カメラマンとしてかつては名声を得たものの、広告収入主体の「LIFE」誌の編集方針と対立し、PTSDを抱えて借金まみれのアル中に身を落としたユージン。
彼の姿を通して、カメラマンの在り方、ひいては国籍性別しがらみなど全てを抜いて、「人と人のつながり」を伝える
どうしてもメインのテーマに政治性を含む作品ではあり、批判や反発を招くのも分かりますが、カメラマン視点で見てみるのも一興だと思います。
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あえて政治を含めて踏み込むと、ドラマチックな仕上がりにすることが主体で、多少の誇張や事実改変はあるものの、「よく調べたな」というのが率直な感想。
事実改変といっても、ユージンが企業側に暴行されたのが水俣の工事として描かれていたが、実際には千葉工場であるなど。
短い時間に収めるための工夫に止まる、という印象。
水俣で撮影が許されず大半が海外のロケとなったのが「リアリティがない」と批判されがちだが、撮影許可を出さなかったのは日本の政府や自治体側のせいなので、映画スタッフを責められないと思う。
撮影に協力しなかった理由として、「今更、水俣を掘り返さないでほしい」という意見も、この地にはあるのもわかります。
感染する病ではないのに、「うつる」と差別に使われてきた経緯も知っています。
しかし、未だ同一症状に苦しめられながらも、水俣から少し離れた地域の人々は被害者と認定されず、十分な補償が受けられていないのも事実。
1960〜70年代に被害者が多数出ながらも企業や国が揉み消しを計った時と同じように、再び自治体や国が水俣病を「なかったこと」にしないか?
東日本大震災では「ここまで津波が来たことがある」という言い伝えを無視して、街や原発が水に沈みました。
事件の風化により、日本で、また世界のどこかで同じことがまた起きないのか?
実際、タンザニア、モンゴル、ブラジルなど、世界中で水銀、鉛、重金属の違法排出や、水道への混入事件が起きています。
そんな中で、水俣病の事件を忘れさせ風化させることは、本当に「国益」に叶うのか?
そんな不安すら抱かせる内容とも捉えられ、意義のある作品とも受け取れました。
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それはそれとして、坂本龍一の音楽がうるさくて、少々興醒め。
感情誘導が露骨なのと同時に、騒がしくて、作中から現実世界に引き戻されました。
もう少し、寄り添うような音の大きさで使用すればいいのに、とも思いました。