「ジョニー・デップと連帯する」MINAMATA ミナマタ ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
ジョニー・デップと連帯する
本作の監督、脚本者共に私と同世代の40代の米国人。プロデューサーは、ジョニー・デップ。何故彼らは沢山あるテーマの中で、水俣に興味を持ち本作を撮ったのか?何故に今水俣なのか?私の最大の関心は、ここにありました。
アンドリュー・レビタス監督はインタビューで、水俣をテーマにした理由の一つに、『権力に真実を語る勇気』と語っています。水俣病患者団が団結し世界を変える為に闘っていること。その闘いに触れるうちに、スミス氏やライフ社のヘイズ氏も自らの仕事の責任を果たしていくこと。単なる弱者と権力の対決ではなく、社会を変えるには草の根レベルから企業のトップレベルまでの連帯が必要であること。
2013年安倍首相は水俣病は克服したと発言。2015年原発再稼働。現在は9基を稼働中。河野太郎氏、前鹿児島県知事の三田園氏、脱原発派から再稼働容認派へ。
こういった事象は、国民の力よりも資本家や利権団体の力が大きすぎることを端的に表しています。ひとりの政治家ひとりのヒーローに、社会を変えることはできません。報道や芸術分野はスポンサーの力が大きく、取り上げるテーマに限りがあります。
つまり、私達はあらゆる階層が断絶されている社会に生きています。環境汚染、疫病、貧困、皆で生き残る為には水俣の連帯をモデルにしよう、痛みを持つ全ての人達と連帯しよう、連帯する為に自分の仕事をしよう。そういった監督の声やプロデューサーの声が聞こえてくるようでした。
今や人類は、電気やスマホといったテクノロジーの恩恵を享受しないと生活が成り立ちません。だけど、テクノロジーの発展は沢山の人の痛みの上にあります。彼らの痛みについて、見て見ぬ振り聞こえぬ振りをしていれば、快適には過ごせるでしょう。でも私は劇中の患者になり得たかもしれないし、今後患者になり得る可能性もあります。
いつのまにか、私達は人の痛みを感じる感性を1000倍に薄める方法を身につけてしまったのではないかと思いました。人の痛みを感じる感性を薄める方法を身につける事によって、現代の様な間違いを正せない社会にしてきてしまったのではないか?と。
だけど、写真や映画をはじめとする芸術は、この薄められた痛みを感じる感性を1000倍に濃縮して、私の元に届けてくれます。人の痛みを感じる事ができるから、人は人の気持ちが想像できて、連帯ができるのだと思います。