MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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古風なハリウッドナイズだけど実直さと本気がみなぎっている。
水俣病の問題について詳しいわけではないが、実際に起きたことをかなりハリウッド風に脚色してることは映画を観ていても感じ取れるし、実際、物語的な面白さを優先して、史実を変えたところも多く、メインの登場人物のモデルになった方が、正確ではなくとも水俣病のことを知ってもらえるからという理由から映画を支持されているインタビュー記事も読んだ。 近年では、白人男性を一種のヒーローにして異文化を描くことを批判する声も高まっていて、その轍を踏んでいないとは言えないと思う。しかし、それでもこの映画に見応えがあるのは、作り手のこの事実を世界に知らしめたいという気持ちと、生半可なものは作れないという日本人キャストの本気が感じ取れるから。 被害者の声を届けるための情熱的なリーダーを演じる真田広之、被害者の悲しみと葛藤を過去最高の熱演で体現する加瀬亮、出番はわずかながら一瞬で凄みを感じさせる浅野忠信など、第一線の演者たちの気迫もすごいし、それに煽られるような熱気が映像に宿っているように感じられるのだ。 当事者の方々には複雑な胸中があると思うし、この映画を観て、当事者の声に耳を傾けないのは現実をエンタメとして消費したと謗られてもしょうがないだろう。しかし、この映画の実直さは否定できないし、それゆえに力のある作品に仕上がっていると思っている。
今のデップだからこそ表現しえた境地
写真家ユージン・スミスの瞳を通じて語られるこの物語は、我々が常識として知る水俣病に関する知識や記憶にまた新たな情景をもたらしてくれる。外国から引き寄せられるようにやってきた彼は、ファインダー越しに何を見つめ、何を感じたのか。本作の起点が「海外から見つめる瞳」である意味は大きい。赤く照らされた現像液の中でじわりと像を浮かび上がらせていくのは、決して水俣だけにとどまらぬ、世界中に共通する普遍的な怒りと悲しみと、家族と愛情の物語なのかもしれない。それは同時にスミスと我々が「最後の一枚」へと導かれていく荘厳な道行きでもあるかのようだ。これで感動しておしまい、ではなく、本作をきっかけに公害問題のこと、発展の名の下に個を抑圧する社会のこと、それからスミスの生涯をもっと紐解きたくなる。ジョニー・デップだからこそ表現しえた力強い境地がそこにはあった。日本人キャスト一人ひとりにも深い感銘を覚える作品である。
知らないことが多く、印象に残った。こういう歴史的事件の掘り起こしは重要と感じさせた。
アンドリュー・レビタス 監督による2020年製作(115分/G)のアメリカ映画。
原題:Minamata、配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム、劇場公開日:2021年9月23日。
水俣病を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスのドキュメンタリー的な映画。
真正面から、水俣病を引き起こしたチッソ(株)及びその社長を責任者として取り挙げていて、かなり驚かされた。ジョニー・デップの様なスターが、この様な映画の制作に関与することに敬意も覚えた。
ユージン・スミス(ジョニー・デップ)が、チッソ社長から多額のお金で取材中止を要請される描写が生々しい。日本人ジャーナリストの何人かがこの種のお金を受け取ったことを想像してしまった。社長が話したppm論議、ほんの僅かな異物混入で起きてることで、生産物による有益性はとても多くの人間が得ているが、それに比べて疾病という不利益が生じているのは僅か、に権力者の言う「公共の利益」の怖さを覚えた。
ユージンの仕事場の家に放火されたことに怒りを覚えたが、これは事実ではない様。但し、自主交渉闘争派の家に火をつけられたことはあった模様。一方、彼が入院を要する怪我を負わされたのは事実で、会社の御用組合員による犯行だった様。世界の眼も意識せず、視野狭窄的に経営者の意向に沿ってかこういうことをしてしまう日本の会社員、悲しい。でも、こういう体質は会社組合にはあったなあが、実感。
沖縄戦従軍記者として銃弾を浴び、ウイスキー(サントリー レッド)を片時も離せないユージン・スミスをジョニー・デップは好演。安くて学生時代にはよく飲んだ(社会人になってからは不味さが分かり、口にできなかった)「レッド」というのに、共感を覚えた。今まで見た中で、彼の最高の演技である気がした。真田広之も良かった。川本 輝夫(1931年〜 1999年、水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』委員長)がモデルらしい。英会話が達者なのには少し違和感を感じたが。
アイリーン・美緒子・スミスを演じた美波も、とても魅力的であった。知らない女優さんと思っていたが、2000年『バトル・ロワイアル』で川田章吾(山本太郎)の恋人役とのことで、あの娘と思い出した。
水俣だけでなく、同様の環境破壊問題が世界中で起きていることの紹介もあって、視野の大きさに感心。そして最後、水俣病の認定に関して、日本政府の酷い対応も糾弾されていた。既に終わってしまった問題では無く、今もなお進行中の問題で有るとの紹介が、胸を打った。福島原発事故対応等も含めて、何故、日本政府は庶民の信頼を無くすようなことを一生懸命に行うのだろうか?
監督アンドリュー・レビタス、製作サム・サルカル 、ビル・ジョンソン 、ガブリエル・タナ ケバン・バン・トンプソン 、デビッド・ケスラー 、ザック・エイバリー 、アンドリュー・レビタス 、ジョニー・デップ、製作総指揮ジェイソン・フォーマン 、ピーター・タッチ 、スティーブン・スペンス、 ピーター・ワトソン 、マリー=ガブリエル・スチュワート 、フィル・ハント 、コンプトン・ロス 、ノーマン・メリー 、ピーター・ハンプデン 、ノブ・ハセガワ ジョー・ハセガワ。脚本デビッド・ケスラー 、スティーブン・ドイターズ 、アンドリュー・レビタス 、ジェイソン・フォーマン。撮影ブノワ・ドゥローム、美術トム・フォーデン、衣装モミルカ・バイロビッチ、編集ネイサン・ヌーゲント、音楽坂本龍一、音楽監修
バド・カー。
出演
W・ユージン・スミスユージン・スミスジョニー・デップ、ヤマザキ・ミツオ真田広之、ノジマ・ジュンイチ國村隼、アイリーン美波、キヨシ加瀬亮、マツムラ・タツオ浅野忠信、マツムラ・マサコ岩瀬晶子、ミリーキャサリン・ジェンキンス、ロバート・“ボブ”・ヘイズビル・ナイ、シゲル青木柚。
お勉強している自分
決して悪い映画ではないと思う、観ても損はないよ、という感じ。 水俣病について、お勉強している自分がおりました。 主役がイマイチかな。 "FOREVER YOUNG"のシーンは良かったです。
この世界に希望を持てる映画
ジョニー・デップ、真田広之、國村準、加瀬亮、浅野忠信といった、好きな俳優が大量に出演している作品だった。ヒロインの美波も昭和の美しい女性といった感じでよい。
時代設定は昭和だけど、観客は現代の人だから本当に昭和そのままを再現してはだめで、現代的に洗練された昭和をいかにうまく作るか、というのが映画を作る際の大切な要素なんだろうな。登場人物も昭和の田舎の人っぽいんだけど、本当に田舎の人じゃなくて、みんな洗練されていて都会的なのだ。リアルじゃないといえばリアルじゃないんだけど、本当に昭和の田舎を再現してしまったら、作品としては評価されるのだろうけれど、売り上げが減ると思う。
ストーリーは、ライフの写真家であるユージン・スミスが、アイリーンという日本人女性に頼まれて、熊本の水俣病の写真を撮るために来日する。そして、患者やその家族、チッソ工場と戦う人々などとの交流しながら世界に水俣病を伝えるために戦う、というもの。
物語の構造としては、いわゆる英雄神話の構図を使っているのだと思う。
英雄(ユージン・スミス)が本当はやりたくないミッション(水俣病の写真を撮る)を達成するために、冒険の旅に出る。そこで賢者の助けなどを得て勝利する。といったもの。その中で、ユージン・スミス個人としては、アルコールに溺れて人生をあきらめていたところから、再び写真の力を信じるようになる、というテーマもある。さらには冒頭で日本でスミスを泊めてくれた水俣病患者の家族に娘の写真を撮らせてくれと頼んで断られるが、最後に撮らせてもらえて、それが「入浴する智子と母」であるという構造にもなっていて、シナリオがとてもうまい。
いろいろなところで言われているが、ジョニー・デップの演技は観たことのないレベルに達していて、ユージン・スミスを演じている俳優が彼であることは理解しているが、どんなに目を凝らしてもジョニー・デップが見えてこなかった。
他の俳優陣もそれぞれよかったが、やっぱりチッソの社長を演じていた國村準がよかった。役割としては悪役なのだが、単純化された悪役ではなく、血の通った人間を演じていた。彼は企業の人間であり、利益を追求した結果として水俣病を引き起こしていた。庶民が苦しんでいても前向きな対応はしない。ユージン・スミスが写真を撮りに来ていると知ると、カネで買収して追い返そうとする。
彼は、家族のことを涙ながらに訴える被害者と対面して、動揺する。そして、社内の人間と話をするが、補償するだけの金が払えないという結論が出ると、無理を押し切ってでも補償するということはしない。
表沙汰にならなければ、物事は隠されたままだ。
そして、いよいよ世界が水俣病を知ったときに、ようやく対応する。それは罪の意識というよりは、もう隠しきれないから仕方がない、というあきらめで、そういうところも國村準のうまさなんだろうな。
コロナワクチンや福島のALPS処理水。
本作で描かれたのと同じことが繰り返されていくのだろう。実際、國村準が演じる社長はALPS処理水でなされたのと同様の説明をしていた。
本作では「ライフ」誌に写真が掲載されたことで世界が真実を知った。
今はネット、SNSで大量の情報が拡散されている。その中には疑わしいものも多い。そう考えると、メディアの力というものが、本作の最後のようになる影響力を持っているのだろうか、とも思う。
それでも足尾銅山鉱毒事件の田中正造のような人物は出てくるだろうし、そういう人がいなければ世界は良くはならないだろうとも思う。
写真が伝える力…
どんな飾られた言葉より、真実の写真が人々に訴えかける力は凄まじい。風化されつつある水俣公害病をジョニー・デップが製作主演したことは大きい。脚色はあるだろうが、日本で公害病が起きたこと、今も苦しんでいる人々がいることに気付きを与える作品だった
裁判に勝っても気持ちは晴れぬ
ジョニーデップの気合いを感じる。 トモコのお風呂の写真は初めてみたとき衝撃であった。 ハリウッド映画で水俣病をここまで詳らかに撮ってくれたことへの感謝と感動しかない。 素敵なアメリカの表現者たち、音楽や新聞や雑誌を作る華やかな始まりから、日本の中でもとびきり美しいランドスケープだがとびきり質素な生活をする水俣の集落での苛立ち、出会い、闘い。 ユージーンも妥協しない、水俣の人々も妥協しない。 トモコのお風呂の写真を撮影するシーンは静寂で尊厳に満ちている。誰もが彼の写真集を手にした時トモコの写真に惹かれる、美しいトモコに震える、そのことを映画にした、できたことがとにかく凄い。 黒旗むしろ旗で闘う水俣の姿が、しっかり取られているのもよい。日本の俳優たちもみな真に迫る演技。 然れども、 裁判に勝っても気持ち晴れぬのだ。当時もそれでも大きな変化も望む言葉もなかったし、今もなお。失われた海も命も集落も元には戻らない。 アメリカさんがこのような映画を撮ってくれるなんてね。
これは観ておくべきでしょう
・映像作品として 前半は脚本、演出ともに、ややカメラマンの迷いと苦悩に寄り過ぎたきらいがあり、またTomatoesにもあるとおり若干散漫な印象をかんじますが、1時間半を過ぎたあたりからの終盤、「とも子と母親の入浴」撮影シーンからLife誌掲載、裁判所勝訴にかけてのシーンは力強く、圧倒的な感動を提供します。 ・個人的な感想として 何十年も前から断片的に繰り返し見てきたにも関わらず、所詮他人事のニュースの一つとしてしか捉えていませんでした。 当作によって、おのれの無知蒙昧をひたすら恥じ入ります、 自らの反省と、全被害者へ敬意を表して満点です。
水俣の悲劇を私たちは忘れてはならない
【鑑賞のきっかけ】 公開時から気になっていた本作品。 動画配信が始まったという情報を得て、早速鑑賞してみました。 【率直な感想】 <冒頭のシーンに注目> MINAMATAのタイトルに続き、冒頭のシーンは、子守歌を口ずさんでいるかのような、母親と、その子どもらしき姿が、ほんの30秒くらい流れるのですが、ここは、しっかりと頭に刻んでおくことをお薦めします。 ラスト近くになって、大きな感銘を受けることになるでしょう。 <公害は70年代、国民全体の不安の象徴でした> 本作品の時代設定は、1971年なのですけれど、この年には、日本製のある映画が公開されています。 その題名は、「ゴジラ対へドラ」。 水俣病というのは、作中でも触れられていますが、チッソ株式会社が放出した、工場排水の中に、水銀が混ざっていて、その水銀を摂取した魚を食べた人や、その人から生まれた子どもが、水銀中毒となってしまったものです。 70年代当時は、この水俣病以外にも、四日市ぜんそくや、イタイイタイ病など公害病が多発。 こうした公害病の発生以外にも、工場の排水で海が汚染され、有機物の泥が堆積する事態が発生しました。この堆積物は「ヘドロ」と呼ばれ、「へドラ」は、この「ヘドロ」を題材としたもの。 つまり、この時代は、「公害」による環境汚染の恐ろしさが、子どもたちの間にも伝わっていて、この環境汚染がどこまで広がるのか、国民の多くが不安を感じていたことと思います。 <環境汚染は人類の大きなテーマ> 本作品では、水銀を工場排水として流していたチッソ株式会社(これは、実名です)が、巨悪の根源として描かれていますが、こうした工場排水の放出に規制をかけなかった政府にも責任があるのではないかと思います。 折も折、2023年8月現在、福島第一原発からの処理水の放出が始まり、福島産の海産物が風評被害で売れなくなるのでは、というニュースが駆け巡っています。 その安全性の有無についての意見は差し控えますが、少なくとも、あの水俣病などの公害の時代の教訓を活かした万全な安全対策を取る責任が政府にあると考えています。 なお、本作品では、エンドロールの途中、何枚もの写真が映し出されます。 そこには、日本以外での、環境汚染による被害状況を伝えるもので、環境汚染は、人類の大きなテーマなのだということを実感させられました。 【全体評価】 最後になりましたが、主人公のフォトジャーナリストを演じたジョニー・デップと、チッソ株式会社の責任を追及する団体のリーダーを演じた真田広之の両者の演技には、目を奪われるものがありました。 水俣に住む人々を襲った悲劇的な事件を、私たちは決して忘れてはいけない、というメッセージが強く伝わる良作でした。
後世に継ぐべきもの
水俣病のことは知っていたつもりだが新たな視点で描かれたことで公害問題の根の深さと世界への広がりについて学べました。
日本人としては大きな汚点、蒸し返されることを快く思われない人たちがいることも理解できます。エンドクレジットにも出てきましたが2013年に当時の安倍首相が水俣病特措法による救済申請を国が一方的に打ち切り、「日本は水銀による被害を克服した」との発言が物議を起こしました。オリンピック招致時の福島原発事故の「汚染水をコントロールしている」と同じですね。チッソは政界工作にも余念がなかったようで政治献金筋を使って早期決着に圧力をかけていたようです。
水銀中毒では天平宝字元(757)年、奈良の大仏の金メッキに水銀を用いたことで多くの職人が死亡、闇に葬られた黒歴史があり因縁深い思いがします。
鑑みれば人命軽視のご都合主義は今もなおはびこっているのかもしれない怖さを禁じえません・・。
著名な写真家スミスさんがライフ誌に写真を送ったことで世界の関心を集め事態が好転したことは事実、日本人が外圧に弱いことを知ってのアイリーン・美緒子さんの企てとしたらすごいことです。「入浴する智子と母」の写真は著名ですが管理を託されたアイリーンさんは智子さんの死やご家族の要望もあり、その後長く封印されていましたが本作を機に解かれたそうです。
観ていて愉しめる映画ではありませんが後世に継ぐべきものとして偉業とも呼べる力作でした。エンドタイトルに流れる故坂本龍一さんのピアノも耳に残りました・・。
素晴らしい映画
写真の持つ伝える力、それを現代の映像で更に奥深く次世代へ。水俣病という大公害の実態を次世代へ伝えてくれました。 素晴らしい役者たちの力もあり視聴者の心へ強く響いたと思います。 この映画を通して感じたことを活かしてこの様なことが二度と起きないように、世界中で起きている公害にも目を向けながら日々出来ることを考えて生きていこうと思います。
文字通りの「蛇足」で快心の台無し
とてもいい映画でした。過剰な演出もなく、淡々と事実を追っていく、整理していく「ような」演出。ジョニー・デップの演技も真に迫るもので、熊本の美しい風景と生活者との素晴らしい描写に映画そのものに出しゃばらず、情景や心情に深みを与えることはあっても決して出しゃばることのないBGM(ここはさすがに坂本龍一の真骨頂だと唸らざるを得ない)と素晴らしい作品でした。
高評価をうなずける映画だ、、、、あれ?何このラストメッセージ。そんなことあったんだ?え?と頭の中が「?」だらけになりエンドロール、、、そこでも糞味噌一緒の雑なカテゴリ分け。ラスト1分~エンドロールでこの映画の素晴らしさが綺麗サッパリ消え去りました。
確かに、テーマがテーマです。政治的の部分を避けるわけにはいかないでしょうし、多少のバイアスはかかりますでしょう。が、特定の考えや価値観を押し付ける事実経過を無視したラストメッセージで白けました。そして、調べました。案の定、特定コミュニスト系による記事しか引っかかってこないという、「ああ、お得意の切り取り、曲解かよ」ということが分かりました。
それから、必要以上に水俣市(というか市民)を悪者にしているのだなあとも気づきました。試写会で水俣市が主催、後援を断ったとのことでしたが、断って正解でしたね。時空を飛びすぎですよ。大阪や千葉の出来事が水俣で完結しちゃってんですから。 事実に基づいたファンタジー。それがこの映画でした。
写真
名のあるスター俳優がほぼ単身で日本にやってくる題材で、日本の俳優と共演するというタイプの映画はこれまでも時々あったが、漂流記のようなジャンルなんだろうか。異国情緒を効かせすぎているキライはあるが、ジョニーデップのやさぐれた演技は、抑制されていて実に画にはまっている。 アイリーンとのなりそめ含め、かなり省略された感じがあって、彼個人の私小説的な面は控えめ。公害がメインでそれ自体は取り扱うべき題材であるが、巨悪と弱者の構図の方が際立つ。少年との交流がよかったな。人生終盤において仕事に出会ってしまった状況。本人の動機にもっとフォーカスして欲しかったところ。 構図を際立たせるやり取りや事件が起きるが、リアリティに欠けるくだりも多く、脳内で疑問符がたつ。固有名詞の話なので、盛っているのであれば、メッセージも減じるのだが。
映画としては可もなく不可もなく
ちょっと國村隼がカッコ良すぎるんですよね。志がありげに見えるというか。短絡的だけどもっと下品な銭ゲバ社長みたいな役者の方が良かった気がします。2013年に安倍さんが水俣病は克服したって発言をしてたことはまったく知りませんでした。日本のことをアメリカ映画で教えてもらうとは。
ジョニーデップの迫力
1971年、ジョニーデップ扮するユージンスミスは、写真機材も売り払ったニューヨークの落ちぶれた写真家だった。そんなユージンのところに富士フイルムの来客があり日本企業のチッソが公害をまき散らしており日本で写真を撮って欲しいと言われた。 水俣病患者の父親に浅野忠信、反対派リーダーに真田広之、チッソ社長に國村隼。 写真家の覚悟が随所に演じられてジョニーデップの迫力を感じたよ。
表現の自由「cinema de 憲法」
<映画のことば> 写真というものは、写す者の魂の一部も切り取るのだ。 時は高度成長期。急速な国民経済の伸長に伴う人口増加を背景に、食糧の増産は不可避の課題。狭い国土で効率よく農産物を栽培するための化学肥料の生産は国策だともいえたのでしょう。その「国策」の陰を暴こうとする一枚の写真―。 表現の自由は、常に「異端者のため」という不思議な権利です。時の権力に迎合する表現は、その保障に値しない―なぜなら、そのような表現が時の権力から弾圧されることは、あり得ないから。 表現の自由は、いつの世にも時の権力にとって都合の悪い表現のための保障でなければならない本質を、鋭く言い表したことばだと思います。 「cinema de 憲法」としても、優れた一本だったと思います。評論子は。
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