DAU. 退行のレビュー・感想・評価
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反スターリン主義は狂気か?
イデオロギー抜きで、全く面白く無い映画だ。騒がしいだけで、イライラしてくる。名監督の駄作と言われる戦争映画のパクリだと感じた。牛と豚の違いだけ。
さて、イデオロギーを加味すると、スターリン後の反スターリン主義(スターリン批判)が定着しつつあったソ連の政治体制を『退行』と表現して、俳優に狂気を演じさせている。つまり、スターリンの方がまともだったとも解釈が出来る。勿論、そうではないのだろうが。だから、現時点でのロシア政治体制の批判ともうかがえる。ロシアでは上映禁止だそうだが、ロシア人からしてみたら、ふざけた話だと思う。何がダンテの神曲か!と思った。イデオロギーを加味すると今まで見た映画でも最低の映画だと思う。騒がしいだけの長編B級ホラー映画と言った所だ。0点にしたが、マイナス20点位。個人的な意見を更に言えば、これ以上、このシリーズは続けて貰いたくない。時間の無駄。反スタは日本の造語でしょうがね。(反スタ反帝!)また、日本の分派した反スタ運動はこの映画と同じ狂気をたどるけど、こんな狂気ではないし、この監督がそんな事知ってるはずもない。反スタよりもスターリンの方が良いはずはない。
余りにも愚かな社会だった
ソ連時代の全体主義社会を秘密研究所を舞台にデフォルメする「DAU. プロジェクト」の第二弾。
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あまりにも冗長な「DAU. ナターシャ」で見切りをつけた方が多いと思う。ましてや6時間9分の長尺。絶対ダメだろうと思ったが、これは良かった。
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前作の50年代から60年代後半に時を移したあの研究所。皆、余りにも愚かだった。
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善悪を意識することなく軍事目的の研究を続ける人々。彼らは何も生まなかった。
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権力を笠にきてレイプさえも正当化する所長。
彼にモラルは無かった。
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そして恐怖政治の象徴でもあるKGB。
彼らが正義だった。
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これはアンジェイ・ワイダ、あるいはタル・ベーラの作品の対岸にある傑作。戦後、ロシアの影響下に入り自由を奪われた東側の人々を思った。理不尽に奪われた多くの人の命を思った。
全体主義の黄昏れ
独裁大国にとって人権など存在しない。命のあまりにも軽い扱いに気が滅入る。個人が全体に取り込まれると最悪の怪物となる。最終的には一番手っ取り早く、素早い解決策である暴力で終わらせてしまうやり方は時代を問わず何時でも根底にある。全体主義の核は恐怖であることを、この監督は映像と時間を上手く使って見事に描いている。その上で、エンディングにおけるナレーションがいつまでも頭に残る仕掛けとなっている「地獄は魂が浄化されるところである」。
尺の長さなど気にならないほど良く練られたシナリオと手持ちカメラによる画面の落ち着きなさによる効果が見事にはまった濃厚な作りで、少しの綻びが大崩壊となる過程を丹念に描くにはこれだけの尺が必要だと妙に納得がいった。監督の狂気が素晴らしい作品を生み、その時間を共有した喜びの余韻はしばらく残りそうだ。しかし、心胆を寒からしめる内容であることには違いがない。
ごっこ遊び?
観ないで評価はできないと思い、鑑賞。
自分としては、「映画」とはたとえ重くても暗くても、お金を払って観る娯楽。
そういった意味で、前作「ナターシャ」がギリギリだった。
「特別な作り方をしました」という前提条件(事前情報)があってこそ、鑑賞に堪えられたが、逆に何の事前情報も無ければ、ただの(だらだらとした)記録映像・実験記録。
それも、限りなく「作りものではない」という本プロジェクトの売り文句があったはずだが(ナターシャは、その一点でこその評価)、本作のラストは、壮大な「ごっこ遊び」。
確かに「悲劇的結末」は予想できたが、「殺人ごっこ」に「死体ごっこ」を見せつけられては、興醒め。
本プロジェクトの登場人物は、お芝居も演出も無く、カメラの存在を意識することなく、限りなく普通に生活していただけで、その記録映像の編集ではなかったのか?
(ナターシャの時はそういう説明で、それがウリだった筈だ)
最後になって「死体(役)」を見せるということは、出演者に芝居をさせている訳で、それならば脚本を作って役者に演技をつけて、もっとコンパクトな「作品」にもできたのではないか。
それとも、最後に本当に殺人(粛清)が行われた、とでもいうのだろうか?
本映画(プロジェクト?)の批評に、このことが一切触れられていない、気味悪さを感じる。
メシア思想
前作から10年以上経過した1968年、ソ連の秘密研究所で続けられる研究と実験と人間模様。
宗教的な談議に共産主義論と資本主義論とか、洗脳か催眠か超能力か、はたまた潜在能力の開花かという盲目のロバ探し等々に、前作に引き続き乱痴気騒ぎ、と広い研究所の狭い世界で繰り広げられる閉塞的な出来事の数々。
一つ一つのシーンも長いしシーンを行ったり来たりだし同じ様なことの繰り返し、何なら前作とも被ったりと369分も垂れ流す程のことですかね?観客にも閉塞感を体感させたかった?
豚からラストはインパクトもあったけど、そこはダイジェストとかなんだそれという感じだし、2時間以内位の通常の尺ならそこそこ評価出来るけれど、いくらなんでもこの内容でこの尺はキツ過ぎた。
ダイエットになる映画
先ず、初話『ナターシャ』を上映した、近隣の映画館は時間の長い『退行』は上映を断念してしまったようで…お近くのミニシアターが引き継いで上映して下さって、鑑賞出来ました、この場をお借りして感謝申し上げますm(_ _)m
私には『ナターシャ』より、更にグロかったです(>_<)脳と視覚からダブルで殺られる感じで。KGB怖い(>_<)
最後の30分位はもう、凄惨過ぎて早く終わって~って(>_<)完全に食欲が無くなりました。暫く強いアルコールも控えますf(^_^;
必ず体調の良い時に、満腹じゃない状態でご覧下さいm(_ _)m
前作DAU・ナターシャと比べればストーリーははっきりしており理解し...
前作DAU・ナターシャと比べればストーリーははっきりしており理解しやすい。がシーン構成や演出のトーンは(所長室や幹部会議、実験シーンなどが増えているものの)前作同様で、6時間!の視聴は忍耐を要した。
時代はプラハの春が潰された1968年。閉鎖研究都市で成果を出せないが特権的地位は享受している科学者コミュニティと、それを国家への害悪とみなし治安的アプローチで対処しようとするKGB出身の研究所長、彼が手駒とする極右ナショナリスト的グループ。前作が全体主義の下で生きる個人に焦点を当てていたのに対し、本作は彼らのやりとり(科学者に対する反知性主義的挑発は本当に神経にこたえる)から、より広く、当時のソ連社会の一典型を描き出そうとしていると思えた。そして同時に、前作以上に、今日の民主主義社会に対する警告を強く含んでいると感じる。
追体験だとしても長すぎて皆に観てと言えないので星1つ減。
追記:ダウことレフ・ランダウは史実では1968年モスクワで死去とのこと。DAUプロジェクトにはまだ十数本の映画があると聞くが、時代を遡るのか、再び町が興されるのか。次回作も楽しみ(楽しくはないだろうが)。(クライマックスで彼の姿があったか記憶がないが、さすがにソビエト水爆の父の晩年がアレではアレなので、直前に家族の希望どおりモスクワに転居させたのかもしれない。)
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