リトル・シングスのレビュー・感想・評価
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容疑者の犯罪マニアが刑事たちを手玉に取る気の抜けた『セブン』
田舎の保安官事務所にいるやる気のなさそうな保安官代理が、実はかつて凄腕の刑事であり、今も都会の警察署で語り草になっている。そんな彼の過去を聞いて、有能な警察署の刑事が今起こっている連続殺人事件の捜査に協力を依頼する。
さて、捜査が始まってみると、さすがに元刑事は秀でた捜査能力を見せ、周囲を驚かせるのだが、そこで浮上した犯人らしき人物にやがて2人は翻弄されていき、映画は知能の高い異常思想の犯人が刑事を翻弄し、犯罪に手を染めなければならないように仕向けられる『セブン』まがいの様相を呈し始める。
前半部分と後半部分ははっきり別物であり、有能な保安官代理は実は大チョンボをした過去のある人物だと判明。最後には若手刑事も同じ失敗をやらかしてしまい、そのまま救いはない。
その救いのなさも『セブン』と同じなのだが、唯一違うのは、同映画で刑事たちを翻弄するのは真犯人だったのに、本作ではそれはただの犯罪マニアに過ぎないという点だ。
これはかなり致命的で、それまで犯罪捜査の流れを追ってきたのは無意味だったということになり、捜査能力の乏しい刑事がマニアを殺してしまうだけの鬱映画という感想を免れない。連続殺人の犯人は最後までまったく手掛かりなし、というのも欲求不満である。
最後に保安官代理が刑事に送った髪留めは、かつて殺人の罪を揉み消してもらった自分と同じように、お前も殺人など忘れてしまえ、どうせ小さなことだ、というやり切れないメッセージである。
何が"些細な事"なのか?
何が"些細な事"なのか最後までクリアにならない。ラミ・マレクはどうしてもフレディ・マーキュリーの物真似をしているように見えるし、何をしてもデンゼル・ワシントンは善人に見えてしまう。正直この役にラミ・マレクを使うのは間違いだったのではないか❓と思ってしまった。過去の殺人の幾つか(最低1つだがもっとあるかも?)にはディーコン(=デンゼル・ワシントン)が関わっているように見えるし、バクスター(=ラミ・マレク)の役は普通の白人で良かったのではないか?と思ってしまった。最初のシーン(若い女性が車に乗った男に追いかけられる)はこの話に関係ないように思えたし、兎に角観る者をミスリードする為に全力を上げている映画に見えた。ミスリードは結構だが結末はクリアではない、これはアンフェアなのではないか?些細な事とは思えない。
ネタバレ(妄想込み)
整理できていないこと、わからないことはたくさんあるが、現時点でのまとめ。
◎監督ジョン・リー・ハンコック
監督ジョン・リー・ハンコックはこう語っている。「この映画の結末には、マッドビルの喜びはない」
これは「Casey at the Bat」という詩を踏まえて語っている。「野球の試合が行われ、チーム「マッドビル」は大方の予想通り、最終回2点差で負けそうになっている。ところが奇跡的にランナーがたまり、2アウトで強打者ケーシーに打順が回ってくる。観衆の期待を背にバッターボックスに立った自信満々のケーシーは三振に倒れ、試合にも敗れ、満員の観衆をガッカリさせる」という話のようだ。
つまり、期待通りの展開にはならないよ、と言っているのだ。お約束通りのお話を望んでいるなら、ガッカリするよ、と。
◎ 一連の殺人事件の真犯人はジョン・ディーコン(デンゼル・ワシントン)。動機は快楽殺人。
5年前、娼婦3人に薬を飲ませ腹部等をナイフで刺したが、一人だけ、メアリー・ロバーツをとどめを刺す前に逃がしてしまった。駆けつけてきた刑事たちの前に彼女が現れたため、誤射したと見せかけて撃ち殺した。捜査官達は狙い通り隠蔽してくれて、罪を免れた(死因はナイフの刺し傷と判定した鑑識官とは不倫関係にあった)。
しかしこのことは、ディーコンのプライドを深く傷つけた。もともと腕利きの刑事として署内の花形だったのに、隠ぺいしてもらった悪徳刑事になってしまったからだ。ディーコンは荒れた。結果、離婚し、心臓を悪くしてしまった。罪をなすりつけようと、スタン・ピーターズという覗き魔を締め上げてあごの骨を折ったことも問題になった。署内でも彼の扱いに困り、配置転換して厄介払いするしかなかった。
ロサンゼルスから離れ、ひとりになったディーコンは少しずつ回復する。刑事の仕事は奪われ、巡査の閑職になったことで、さらに熱心に殺人の腕を磨いてゆく。行方不明になっても誰も探さないような娼婦に対象を限定し、地域も殺人多発地帯で行う。 ハイウェイを自由自在に使い、捕まるようなミスをしなかった。いや、よくあることとして捜査さえされなかった。
そして、1990年8月。ジョギングしていたロンダ・ラスバンを見かける。娼婦ではない、身許のハッキリした女性をいつか殺してみたいと熱望していたディーコンはこのチャンスを逃すまいと決心し、犯行に及ぶ。2か月に及ぶ連続殺人事件の始まりである。
ディーコンにとってそれは、めくるめく出来事だった。しかも、誰にも気づかれなかった。ディーコンは狂喜した。興奮のあまり、ステーキレストランのネオンサインにいたずらした。これも癖になった。
そして女子大生ジュリー・ブロックに手を掛ける。この殺人はディーコンにとって特別のものだった。
今までは屋外で殺していたが、なんと彼女の部屋に上がりこむことができたのだ。ディーコンは支配欲やサディスティックな欲求をゆっくりと味わった。隣の部屋の住民が不法滞在の家族だったことも幸いした。いたぶっている間は大音量の音楽を流しても、警察に通報される心配もなかった。泣きながら命乞いをしたベジタリアンの彼女にローストビーフを食べることを命令し、全能感を味わっている。殺した後、ふと思いついて彼女の部屋に戻り、足の毛を丁寧に剃ってビニール袋をかぶせ、おあつらえむきに廃屋になっていた向かいのビルの部屋で一日中眺めて過ごした。甘美な時間だった。
彼の犯行の特徴は快楽殺人なのにレイプしないところである。性的に興奮はしているが、サディストとして、また、ナルシストとして弱みを見せることを極端に嫌う。その分だけ、彼は「見て興奮する」ことにこだわっている。
それがよく表れているのが取調室のシーンだ。マジックミラー越しに「メアリー・ロバーツのことを訊いてみろ」とバクスター(レミ・マレック)をそそのかす。スタン・ピーターズはその名前を聞いてハッとする。「お前が殺したんだ」と何時間も責められて殴られた記憶。絶望でいっぱいになるスタンを見て、暗い喜びを味わっている。
◎ 「no angels」
ロサンゼルス滞在2日目から泊まっていたセントアグネスホテル(1日目はジュリーブロックの向かいのビルの部屋にいた。あそこにはマットレスもあった)。壁に掛けてあった絵は「ゲッセマネの祈り」だ。最後の晩餐を終えたイエスが一晩中神に祈っていたところ、天使が舞い降りて苦しむイエスを慰めている。
この、「ゲッセマネの祈り」について、マタイ・マルコ・ルカの3福音書で伝えているが、伝え方が若干違うという。天使が現れたり現れなかったりする。キリスト教を信仰していないので不案内なのだが、おそらく宗派によってどの解釈を取るかは分かれてくるのだと思われる。
かつての上司だったカール・ファリスが熱心に通っていた教会はアメリカ国内においては少数派であったが、天使が現れる説を取っていた。ディーコンはひどくバカにしていた。ひさしぶりに会ったカールにバクスターのことを「desciple(門弟・弟子)か?」と尋ねたのはそういう事情による。
ホテルの部屋に入って荷物を置いた後、この絵を見つけてニヤッとしたのはこういうことが下敷きになっている。
直接的に言葉として「天使」が登場するのは、5年前の殺害現場をバクスターに案内した時だ。「被害者の無念を晴らそうとする天使にはなるな」と先輩刑事としてアドバイスしている。少なくともバクスターはそう受け取っている。
しかし、全然違うのだ。バカにしているのだ。天使の話をする時、不自然に片手を高く伸ばしている。天使が天からやってくる様を表現しているのだ。「そんなバカな話はないだろ?」と。彼の信仰を軽くからかっているのだ。一貫して、ディーコンはバクスターを下に見て、操縦しようとしている。飲酒を禁じる宗派なのに酒を飲ませ、自分の殺害の手口をひけらかしている。「お前なんかに絶対にわかる訳はない」といわんばかりだ。
スパーマを殺してしまい、出勤すらできなくなったバクスターにロンダ・ラスバンの赤い髪留めと「no angels」のメモを送る。もちろん、「お前が殺したことで、これ以上の殺人事件はなくなった。ほら、お前が探していた髪留めだ。努力はきちんと報われたんだ。被害者のための天使としての仕事はもう必要ないんだよ」という意味にも取れる。しかし、本当は違う。
「苦しいだろう?つらいだろう?でも、天使はやってこないよ。イエスの許にも天使はやってこなかった。お前やお前の上司のカールの信じていた教会は嘘ばっかりだ」こっちが本当の「no angels」の意味合いだ。
◎ デンゼル・ワシントン
もし、レジェンド、デンゼル・ワシントンを全く知らない人がこの映画を観たら、こうした解釈にたどり着ける人はもう少し増えただろう。そのくらい、彼のオーラが強すぎるのだ。逆に言えば、彼を隠れ蓑にして、話自体が出来上がっている。
あえてもう一つ付け加えるとしたら、ジャレッド・レトの怪演である。どう見てもあやしいし、レト演じるスパーマが犯罪マニアで事件について調べていたことも大きかった。
デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レトという3人の...
デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レトという3人のオスカー俳優が共演したクライムサスペンス。
後味悪い!
デンゼル・ワシントンなんだからいい警官に決まっているという観客の思い込みをうまく使った映画ですね。あとラミ・マレックの悪人顔のせいで最初ムダに混乱したのも良いスパイス。スッキリサッパリではないけど面白い映画でした。一つだけ文句つけるとしたら恐怖のジャレッド・レトね。いつもだけどコイツの気合い入りすぎた演技のせいでバランスが崩れる。今回のはただの変人で良いわけよ、なのにお前の演技はバッファロー・ビルを演じようかという気合なんだよ。ほんとコイツ映画界から追放されてろくに活動してんだか不明のバンドマンに収まってほしい。
全体としては良いけど、ちょっとすっきりしない。
サスペンスとしての物語の進み方や、全体の雰囲気はよく、物語に入り込める。途中から若干おやっと思うところがあって、最後までそのままの流れに。
最後伏線はつながるが、ちょっとすっきりしないストーリー。
なんだかデンゼル・ワシントンらしくない感じのドラマだった。
重厚な雰囲気は良かった
過去の未解決殺人と、今回の殺人事件が同一犯という証拠はないが、ディークはそう信じてのめり込んでいく。
熱い刑事バクスターと共に、容疑者スパーマを調べていくが、バクスターがスパーマを殺してしまった。
ディークは過去に自分が誤って撃ち殺した女性の事を思いだし、その罪滅ぼしの為に、なんとか過去の事件を解決しようと焦って、そのせいでバクスターを殺人犯にしてしまったと感じたのだろう。
ディークはスパーマの部屋を探して、証拠でもあればスパーマが殺人犯となり、バクスターが救われると思ったが、証拠はなかった。
スパーマを殺したのは些細な事、忘れろ、そうしないといずれ亡霊が現れる。
また同じような事件が起こった時、バクスターはこの事件と結び付け、過剰にのめり込むだろう、自分と同じように、ディークはそう思ったのだろう。
ディークは髪飾りをバクスターに送った。
天使はいないというメッセージと共に。
バクスターはおそらくのめり込むだろう。
そして必ず現れる。スパーマの亡霊が、ディークが撃った女性の亡霊が現れたように、そして自分をじっと見つめてくるのだ。
だからその時に戒めとなるように髪飾りを送った。
かつて自分が女性を殺した銃弾のキーホルダーを、検死官がディークに送ったように。
雰囲気は好きですけど
事件の謎に向かって朴訥と過ぎていく感じが面白い映画なのですが脚本がイマイチなので盛り上がりに欠けますね。
また少しダークな感じで映画全体の演出はとてもいいのですがキャラクターの演出がパッとしないので三者三様どこかハズれてしまっているような感じに思いました。過剰に警察をからかうレトや威切りたいのか神経質なのか分からないラミや意味深な言動行動をする割にあまり意味がないデンゼルなどどれもズレてしまっているので陳腐な終わり方になってしまったような気がします。
結局真犯人も分からずじまいで尻すぼみになり印象に残ったのは…ドラム缶かな。
ちょっとモヤモヤ
The Little Things (些細なこと)
地方で巡査をしている主人公が上司の依頼で事件の証拠集めにロサンゼルスへ
そこで、発生した連続殺人事件に自身の中に残り続けている過去の未解決事件との繋がりをどこか感じる犯行手口
自身の事件への向き合い方、葛藤を若手刑事に語りながら容疑者を追う…
物語が進むと同時に徐々に主人公自身の過去の事件の内容も明らかになっていく
特に派手なアクションシーンも無く
終始、静かな流れで話は進んでいきます
後半、若手刑事が容疑者の誘いに乗り殺人と死体遺棄をほのめかされ、その現場へ
そこで…
最後のあたりの展開はモーガンフリーマンとブラッドピットの"セブン"に近い雰囲気もあった
最後に巡査から若手刑事へ"メモ"と被害者の"赤い髪留め"が届き おっ!やはり!と思ったが
すぐに次の証拠品となりえる物を燃やすシーンでは
"赤い髪留め"の『理由』をすぐに明かす流れ
巡査自身が抱えてきたものを若手刑事に抱えさせたくないという優しさかなぁ
容疑者役はニコラスケイジのロードオブウォーで共演してた弟役でした
最後の結末がハッキリしない後味悪さが少しあると捉えるか、視聴者に想像させたかったと捉えるか…
どこか遠い場所で
良くも悪くも雰囲気映画。
お話の締めかたにもうちょい工夫があれば、評価が跳ね上がったかも。
「No Angels」は「救いなんてどこにもない」って意味で捉えたけど、
警官の、個人的な責任感ってとこから飛躍は見られなかった。
どうしても「SE7EN」と比べられる作品だと思う。
敗因は誰にも共感させなかったことだろうか。
あちらは人間だれもが持つ原罪について。
こちらは警察官が抱くトラウマについて。
そこの一般化をしなかったからこその「怖さ」はあるものの、
どこか遠い場所で起きていることを客観視している感じだった。
闇の領域・ダーク・リアリティ?
連続猟奇殺人鬼を追うデンゼル・ワシントンとくれば誰もが極上のサスペンスを期待してしまうでしょう・・。ところが観てびっくり、こんな病的な視点のストーリーはユニークであることは認めますが後味の悪さはあんまりです。デンゼル・ワシントンさんを担ぎ出したのはファン心理の悪用と言ったら言い過ぎでしょうかね。
スピルバーグが監督する筈でしたがハンコックの脚本を読んで「あまりにもダークすぎる・・」と降板したそうです、お気に入りのイーストウッドにも持ちかけたようですが実現せず自身が監督することになったようです。
犯罪捜査に当たる側のプレッシャーは理解できますし彼らも人の子、間違いを犯すのは決して不思議ではありませんし、実話物に関心の深いジョン・リー・ハンコックさんが数多ある、ありきたりの犯罪捜査ものに甘んじられず闇の領域、ダーク・リアリティに寄せたのは彼なりの必然だったのでしょう。
(ネタバレ)
果たして犯人はアルバート(ジャレッド・レト)だったのでしょうか、真相は闇の中・・。
まあ、作家性の強い作品ですから、既定路線を外れたからといって低評価というのは失礼かもしれませんがサスペンスで謎解きが曖昧というのは私にとっては許せません、個人的な好みですので悪しからず・・。
まあまあ、
そんなに無用にややこしくもなく、登場人物が多いわけでもなく、ストーリーも理解はできた。
でも、どんでん返しとまではいかずとも、主人公の「過去、闇」がそういうもんだったのかー、「ナニソレ」みたいなかんじもあったという(笑)
ま、よほど難解なかんじでなんとかクライムやらサスペンスやらといってる複雑な映画よりはまだよかったけど。
雰囲気と演技は良いが… ※ネタバレは纏めて最下部
レンタルDVD、ひっさびさの字幕視聴。
ある意味「映画」として作ったのは正解で、映像を味わう作品ではある。
実力派俳優陣の演技が光る、緊張感はあるがほとんど起伏のないストーリー、最後まで淡々とした雰囲気も、これはこれで味だと思う。
内容は、何を期待して見たかにもよるが、人によってはラストが案外あっさりだな…と感じてしまう人もいると思う。かく言う自分も見終わってすぐは全然理解できておらず、「で???」でした。笑
鑑賞後何日か経ってレビュー書こうとしたら記憶が薄れてたので、今一度ネットで調べたら、内容を文字起こししてくれてる人がいたので、それを読んで初めてゾワッ…でした。
でも、ちゃんと見てたはずなのに観賞中はよくわからんかったし、他のレビューを見てもほとんどの人が理解できていなかったようなので、この評価(^^;
ちゃんと台詞の一言一句見てないと理解できなくなるし、理解できないと途中でつまらなくなって集中切れると思います。一緒に見た家族も途中で飽きて、途中でトイレに行ったりお茶入れたり…で、終わったら「よくわからんかったしとにかく暗いしつまらんかった」と言われましたw
あくまでサスペンスでありミステリーではないため、視聴者が犯人を推理する、殺した理由を推理する内容ではありません。台詞でわざとらしく状況説明するような、ありがちなアホっぽい表現じゃなく、演技派を集めて説得力出したのはとても良かった(理解できなかった奴が言うことでもないが)。
説明過多の作品はもう、アニメでもドラマ何でも、もうお腹いっぱい…(理解できなかった奴が以下略)
本作は2021年、このコロナ禍に公開したうえ、配給のワーナーが起こしたストリーミング問題のせいか、日本では劇場未公開・DVDスルー。
映画としてはごく最近の作品ではあるんですが、実は脚本自体は1993年に監督自身が書いたものだそう。そのせいか物語は1990年の設定で、出てくる物(携帯もメールもない!)や警察の捜査の仕方など見ているとアメリカンレトロを感じられ、この辺も好きな人は好きかも。
ただ、話の展開がいちいち過去のクライムサスペンス作品と被る。脚本が1993年に既に書かれていたと知らなければ、人気映画の良いとこ取り映画とか言われそう。
クライムサスペンスを普段あまり見ない人なら、映像・演出・演技と揃った本作を見て、決して後悔はしないであろう良い出来ではあるけど、本作は「過去に類を見ない」から絶賛されるタイプの内容だと思う。
クライムサスペンスといえば『セブン』が伝説になっているが、同じカテゴライズで「伝説」が1本出てしまうと、その1本は草分けとして評価され、その後の作品は「伝説」と否応なく比較され逆に評価が厳しくなりがちで、本作もそれに引っ掛かってしまった感じ。本来ならもっと評価されていたのでは。言ってる自分の評価も阿呆で理解できなかったせいで☆3.5だけど、自力で理解してたら☆4はつけてたと思うし。高尚な映画は高尚な人が見ないと理解できないんや…
1993年にすぐ映画化されてればもっと絶賛されてただろうと思うと惜しくもあるが、ゴタついてる間に『セブン』公開、伝説になってしまったために、暫く公開を控えたんだったりして。
血糊あり、グロシーンはほぼなし。遺体が映るがほぼ小綺麗な遺体のみ。遺体の女性ヌードあり。終始、俳優陣の演技と撮り方で不気味さを演出しているため、わざとらしい不快演出(ドッキリ・突然の大音量・グロ・エロ・虫の大群)はなし。
あらすじ:
ディーコンは大都会ロサンゼルスで有能な刑事として働いていたが、後に未解決に終わる事件を担当したことで人生を狂わせ、事件に執着するあまり心臓病を患い、キャリアを捨て、離婚し子供とも離れて片田舎で保安官をしながら一人ひっそりと暮らしていた。ある日昔の職場を訪れたディーコンは、そこで優秀な若手バクスターと出逢う。あまりに評判の良いディーコンに対し「自分は穴埋めとしか思われていないのでは」というライバル心と、純粋にディーコンの実力を知りたいという好奇心がせめぎ合うバクスターは、担当事件の証拠集めにディーコンを誘う。現場に赴いたディーコンは、昔自分が担当した事件と同じ手口と気付き、再び事件に執着していく。一方バクスターはディーコンを信頼するようになるが、署長からは「ディーコンに近付き過ぎるな」「証拠の一つも見つけられないならFBIに捜査権が移る」とプレッシャーをかけられ焦り始める。
序盤からうらぶれた雰囲気の主人公が出てくるので、もう勢い良くこっちのテンションも下がる本作ですが(笑)、最後までこの調子。まあ話の根幹は連続殺人事件なので、明るい話になりようがないんですが…
厳めしいおっさんなのにたまにやたら朗らかな笑顔を見せる主人公ディーコン役は、皆さんご存知、立ってるだけで安心感ハンパねえ男代表デンゼル・ワシントン。優秀だけど神経質で繊細なバクスター役は、『ボヘミアン・ラプソディ』で主演を務め今を時めくラミ・マレック。全国から「気持ち悪い」の声が届いた容疑者スパルマ役は、『スーサイド・スクワッド』で史上最も影の薄いジョーカーを演じたジャレッド・レト。
ちなみにアメリカ版の本作のポスターが非常にオシャレ。日本のポスターは…まあ、わかりやすいけどさ…
↓↓↓
以下
ネタバレ
あり
(『セブン』(1995)のラストにも触れています)
↓↓↓
犯人なんてどうでもいい、という作品。何見ても推理したがる人はブチギレそう。
刑事が犯人を追っているようでいて、実際にはベテラン刑事で「優秀」なディーコンが精神的に弱いエリート刑事バクスターを嗾け、利用し、過去の事件に関する懸念であったスパルマを消し、証拠隠滅することでディーコンだけが満足(「幸せ」ではない)するエンド。
変人容疑者スパルマの家をどれだけ調べても、警察の無線を盗み聞きしたり、新聞等の切り抜きで異常なほど猟奇殺人のニュースを集めていることがわかるだけで、殺人の証拠は見つからない。ラストでスパルマを殺してしまった後のバクスターが、スパルマに言われた場所でいくつもいくつも穴を掘り続け、結局何も見付けらなかったところをわざわざ引きで映しているところから見ても、スパルマは犯人ではなかったということなんでしょうね。
視聴者側が最初から最後までディーコンを主人公と思うようにできているけど、結局のところ、どちらかというとバクスターが主人公でディーコンが悪役なのかも。正直、スパルマはただの脇役だと思う。あれだけ出てきて狂言を繰り返してた割に存在感もないし。
結局、犯人はスパルマだろう、ではなく、スパルマであってほしかったんですよね。主にディーコンが。
恐らくあえて、登場人物の誰にも感情移入させないようにできているので、途中までは非常に淡々としています。
ディーコンが昔担当していた売春婦連続殺人事件と同じ手口で、またしても女性が殺されたことから物語は始まります。
序盤から、この事件に関わる中でディーコンに「何か」があったとすぐわかりますが、何があったのかはラストまで明かされません。そしてその「何か」がバクスターにも受け継がれていく…というのがメインストーリー。
結構レビューにも書かれまくってますが、ほんと『セブン』と雰囲気被ってますね。本作の脚本は1993年、『セブン』は1995年の作品なので、わずか2年差。本当に、1993年当時すぐに映画化していたら…という気持ちは拭えません。
今となっては…感がありますが、先に本作が公開されていたら、こちらが名作扱いされていてもおかしくない気がします。1993年にこのクォリティで映画化されてたらの話ですが。
こちらの方が話が複雑で、その分わかった時の絶望感凄いですが、『セブン』はあの陰鬱で重い雰囲気の割には、実は内容はかなりシンプルなんですよね。勿論そのシンプルさ故に伝わりやすく、伝説になった部分もあるだろうから、「二大巨塔」みたいな扱いになってたかもしれません。
『セブン』のあの延々と最初から最後まで漂ってる不気味さ・陰気さは秀逸すぎて、未だあれを超える表現の作品は見たことないですが、あの視覚的な不気味さ・陰気さの演出が本作にもあったら、本作は本当に最強だったかも。
しかし、あの売春婦を撃ってしまうとこ…うーん…正直、いつ犯人が出てくるかわからない現場に急行して、目の前に突然人が飛び出してきたら撃っちゃうよねえ。もちろん「仕方なかったよね」じゃ済まないし、許されないんだけど、あの緊張の場面で無言で突然勢いよくガサーーッ!!って飛び出してきたら、自分も撃ちます多分。
ともかくディーコンは、バクスターに誘われて行った先の事件現場がその昔のトラウマ事件と全く同じ手口と気付き、のめり込んでいく。手口は同じでも殺されているのは売春婦ではない。でもディーコンはどうしても過去を清算したい。自分が罪の意識から逃れたいから。そして、大抵ヒーローものなら誰かが止めてくれるはずの主人公の暴走を、バクスターは加速させてしまいます。
というのも、バクスターはバクスターで、神経質で繊細な性格をしており、すぐ人に思い入れてしまい、ディーコンを止める力なんてない。
序盤で彼は、署内で有能と評価されながらも「ディーコンの代わりなのでは」と署長に対し疑念を口にします。そしてその後、担当事件の犯人はおろか、ヒントとなる証拠すら見つけることができず、「このまま何の成果も出せないなら、この事件は数日後FBIの管轄になる」と署長に言われてしまう。焦るバクスターは、管轄外のディーコンの力を借りてでも、何としても犯人に繋がる証拠を見つけ出そうと躍起になり始めます。
バクスターはディーコンと同じ心臓病を患っていることも示唆されており、余計にディーコンに思い入れてしまう。定期的に薬を飲まねばならず、精神的プレッシャーと病気と戦いながら天使に祈る毎日で、とてもディーコンのことまで気遣える余裕はない。
バクスターは「愛と赦し」を掲げる宗教(天使)を信仰しており、不安そうな顔で目を閉じ必死に祈るシーンが何度か出てくる。むしろバクスターが「助けてほしい」状態なのです。
ディーコンはとにかく過去と決別したいためにバクスターを利用する。そしてバクスターは、ディーコンの能力を利用してでも早く事件を解決したい。
そのディーコンの能力というのが、「些細なこと」に気付く鋭さ。この些細なこと(=The Little Things)がタイトルに繋がってくるのですが、作中で何度も使われるこの「些細なこと」という言葉が徐々に重みを増していくのがじんわりと絶望感を煽ります。
後日、ディーコンからの荷物に入っていた髪留めをしげしげと眺め、そして"No Angel"のメモを見てうなだれるバクスター。バクスターの宗教の教義は「愛と赦し」でした。「天使なんていない」=「罪が赦されることなどない」という、長年罪に苦しんだディーコンからのメッセージ。そして「繰り返される」という台詞。家族構成も全く同じなんですね、この2人。
バクスターみたいな性格の人は隠蔽せず罪を償った方が、本人のためだったでしょう。精神的に耐えられなさそう。
死んだ女性霊のうち、1人だけがディーコンの足に手を絡ませてるのも、そういうことか…
3つの事件に関わりがあるなどと実は全く示されておらず、誰かがそうあってほしいと望んでいるだけ。なのに視聴者はディーコンが主人公だと思い込み、彼目線で物語を見ているから、ぼーっと見てると事件が本当に全て繋がっていると勘違いしてしまう。関わりない事件を一緒くたにして犯人が見付かるはずもないのに、都合の良い人間を犯人に仕立て上げ、自分の気が済めばそれで良い。筋が通っているのではなく、筋が通るようにでっち上げる。そんな刑事の話。
些細なことで人生は変わってしまう…実際には、些細なことだと思いたかっただけなのでは。
真実と事実は似て非なる物
デンゼルワシントン、ジャレッドレト、ラミマレックのオスカー俳優が揃い踏み。
しかし、日本では非公開。
邦題もつけずらく、内容も確かに華々しくうけるものではないし、すっきりするものではない。
だけど、セブンなど他にもたくさん救いのない映画が公開されてきたにも関わらず、緊張感のあるサスペンスでありながら、色々深く考えさせられ、心にさざ波を起こすこの本作を未公開にするのはちと惜しいのではないか。
時代背景もやや古く(脚本の構想が数十年前だとか)、スマホなどは登場しない。だからこそ成り立つ心理戦のおもしろさがある。
スパルマは真犯人なのかどうか、結局分からない。しかしディーコンの中では犯人だし、スパルマが殺されたことで連続殺人がやむのであれば、逆説的に彼が犯人だった可能性が濃厚になるので、彼もそれでいいと思っている。
強迫観念に苛まされてきたディーコンにとっては、この結末は一つの決着だし、スパルマとの会話や高速道路でのやりとり、自分だけしかしらない細かな「事象、事実」の積み重ねが、彼が犯人だと確信するに至っている。
たった一つの弾痕、たった一つの髪留め。ディーコンの台詞の対象とは違うが、(リトルシングス)が運命を左右するのだな、と。
罪を犯した心はどのように救われるのか?
真実とは、本来は事実に依るものであるべきだとは思う。ただ、見たいものを見ることで救われる人生がある。
それが善いことであるかどうかは断ずることはできないが、ただ人が信じたいものを信じることで、前に進める生き物だということは事実。
三人の演技は目を離せないものがあり、見応えのある作品だった。
好きなタイプの映画でした。凶悪事件を解決しようとする刑事の執念は、やがて!
面白かったです。
好きなタイプの謎解き・・で、最初から最後まで引き込まれた。
評価の低さはなぜだったのか?
暗い?
ラストにカタルシスがない?
まぁ、それは事実だけれど、狂気の保安官助手・デューク(デンゼル・ワシントン)
圧倒的存在感でした。
2021年(アメリカ)監督:脚本:製作:ジョン・リー・ハンコック。
ハンコックは脚本を書いてから10年以上を経て漸く作品化出来た。
凶悪事件に担当捜査官は、往々にして事件にのめり込んで行く。
1990年のロサンゼルス。
連続女子猟奇惨殺事件が4件立て続けに起こる。
犯人は若い女性を刺殺して埋めたり放置したりする。
若手の凄腕刑事・ジミー(ラミ・マレック)は、カリフォルニアの田舎の保安官助手ディーコン
(デンゼル•ワシントン)と署で遭遇する。
ディーコンがかつて“伝説の男”と呼ばれた検挙率を誇る刑事だった。
古巣で手荒い歓迎を受けたディーコンもまた、この事件にのめり込んで行く。
使い古された手法。
「64」の佐藤浩市や、「砂の器」の丹波哲郎など事件捜査にのめり込む刑事は多い。
ミステリーではないが、
「バートンフィンク」のジョン・タトゥーロー。
「シャイニング」のジャック・ニコルソンなどは、
狂気の中で現実との境界を超えて行く。
名優デンゼル・ワシントンの狂気が若手凄腕刑事ラミ・マリックをもまた狂気へと
誘って行く。
そして容疑者の男・ジャレッド・レトの怪演。
この男、自らを犯罪マニアと呼び、デンゼルとラミを翻弄して行く。
ラスト近くで、やや展開が読めてくる。
このラストでもう一回どんでん返しが来ると、完璧だったんだが・・・。
私的にはもやもやは残るが、満足の一本だった。
犯罪者の心の闇は、刑事をも呑み込む。
「リトルシングス」=些細なこと
些細なこととして、落とし前を着けよう・・・そういった映画。
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