「圧倒的ボリュームで描かれる、ダークな真のDCEU集大成」ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的ボリュームで描かれる、ダークな真のDCEU集大成
『ジャスティス・リーグ』の制作途中、ザック・スナイダー監督の娘オータムの不幸により途中降板した監督が、当初予定していたシナリオを忠実に再現し、再編集した作品。エンドクレジット前、本作の製作中に亡くなった娘への「オータムへ捧ぐ」というメッセージが切ない。
当初予定していたシナリオを忠実に再現した為か、上映時間は驚異の4時間!一応、本編を6つのチャプターに分けて描かれているので、切り替わりのタイミングで休憩を挟めるのが、配信作品である特性を活かした唯一の親切さか。
とにかくありとあらゆる要素が詰め込まれており、劇場公開版とはまるで別物。
DCEU全体のラスボスとなるはずだったダークサイドと地球の因縁、単独作品前のアクアマンとフラッシュの状況説明、サイボーグの誕生秘話と父親との溝、本作のストーリーを楽しむ上で本来必要だった要素が全て詰め込まれている。DCEU作品らしく画面の彩度を落とし、ダークでシリアスな世界観を構築している。スローモーションを多用した魅せの多いアクションシーンもザック・スナイダー監督ならではと言ったところ。
劇場公開版と比べると、明らかにストーリーのテンポ感も違う。よく言えば重厚、悪く言えば鈍重な印象も受ける。特に序盤のワンダーウーマンの活躍、繰り返しダークサイドの側近デサードに報告するステッペンウルフ、他にも要所要所のシーンにカット可能であろう細かい台詞や所作が散見され、間延びしている印象を受ける事もある。勿論、ザック・スナイダー監督が途中降板する事なく、本作が劇場公開されていたのなら、そういったシーンはカット・編集されたのだろうが。
また、DCEUはスーパーマンを神と重ねて神話的な描き方をしている為、彼が死んだ事による世界の変化についても詳細に描かれている。特に、恋人のロイスはケントを失って以降、勤務先の新聞社に出社しておらず、度々彼を偲ぶオブジェの前に足を運んでいる。彼への愛の深さ故の喪失感の強さは本作ならでは。天気もザーザー降りの雨と、ベタながら悲壮感に満ちている。
ラスボスのダークサイドは、原作のビジュアルや初登場はこちらが先なのはあるにせよ、マーベルの『アベンジャーズ』が大成功した後だと、どうしても「サノスみたい」と思わずにはいられない。太古の時代に地球侵略に失敗している事や、スーパーマンの強さが飛び抜けている事もあって、ラスボスとしての強大さは今一つ感じられなかった。この点に関しては、劇場公開版でステッペンウルフにラスボスの立ち位置を変更したのは英断だったのかもしれない。
ステッペンウルフのビジュアルは、顔に関してはこちらの方が好み。だが、金属繊維が全身を覆う様な風貌は、逆立てている瞬間はともかく、最初こそインパクトや美しさが際立っていたが、次第に角度や映り方によっては安っぽくも小物っぽくも見えてしまい、ジョス・ウェドン版のゴツゴツとした鎧の方が最終的にはカッコ良かったように思う。といっても、あちらはダークサイドの役割を兼ねたラスボスだったのに対し、本作ではあくまでダークサイドの部下に過ぎない為、このバランスで正解と言えなくもないかもしれないが。
クライマックスのステッペンウルフとの決戦は、シナリオの違いだけでなく、戦闘シーンのボリューム感も圧倒的にこちらが上。
シックな色合いのスーツに身を包むスーパーマンも、本作の雰囲気にマッチしている。ステッペンウルフに馬乗りになって殴り付けるシーンは、いくらなんでも痛ぶり過ぎだろうと笑った。
マザーボックスの解除失敗による最悪のシナリオを回避する為、フラッシュが能力で時間を巻き戻す展開は激アツ。
ステッペンウルフを下し、並び立って時空ゲートの向こうに居るダークサイドに宣戦布告するかのような勇敢な佇まい、朝日を浴びて静かに勝利を噛み締めるジャスティス・リーグの面々は、まるで絵画のような美しさとカタルシスに満ちていて格別だった。
エピローグでは、本作のキーパーソンだったサイボーグの後日談に加え、今後展開予定だった伏線のオンパレード。正直、あらゆる要素を順々に見せていくので、締めとしての清々しさは劇場公開版に劣る。これに関しては、チャプター分けの弊害だろうか。
ブルースが夢で見た、ダークサイドの進行によって破滅した未来。宿敵であるジョーカーとまで手を組まねばならない逼迫した状況、敵がスーパーマンというサプライズまで飛び出し、真相が気になって仕方ない。ザック・スナイダー監督によると、ロイスを守る約束をブルースが果たせなかった事で運命の歯車が狂ってしまった世界の出来事なのだそう。『バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生』で半ば強引に登場したフラッシュの台詞の意味もようやく繋がった。この先のストーリーが決して映像化される事が無いと思うとあまりにも惜しい。
途中、ケントの母に変身し、ロイスを励ました異星人が何者なのかも分からなかったが、ラストでマーシャン・マンハンターと名乗りを上げてくれた事で、彼がジャスティス・リーグの重要メンバーだと判明する。
劇場公開版と比較すると、どちらも一長一短と言ったところ。ただ、キャラクターの掘り下げやアクションシーンのボリューム、ダークでシリアルな雰囲気を貫き通した本作の方が個人的には好み。
あらゆる要素が詰め込まれているからこそ、改めてDCEUの製作陣(特にワーナーの重役や出資者らだと思われるが)は、マーベルに追い付きたいあまり結果を急ぎ過ぎたなと思う。
今となってはもう遅いのだが、本作で重要な立ち位置となるサイボーグはともかく、アクアマンとフラッシュに関しては、先に単独作品でキャラクター紹介を済ませておくべきだった。