そして、バトンは渡されたのレビュー・感想・評価
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そして、バトンを受け継いだ
2019年の本屋大賞受賞作である“令和最大のベストセラー”小説の映画化。
何やら物語に“秘密”があり、原作既読者からも映画鑑賞者からも感動ポイント。
どんなどんでん返しかと、開幕から色々色々予想しながら見た。
義父・森宮と2人暮らしの女子高生・優子。
父の再婚相手・梨花と暮らし始めた少女・みぃたん。
血の繋がらない2組の親子の物語が交錯して進行。
おそらく、どちらかが過去で、どちらかが現在。これはすぐに分かった。
直感で、梨花とみぃたんが過去。優子と森宮が現在。これは一応当たった。
では、この2組の親子はどんな関係性か…?
まず思ったのは、みぃたんと優子は同一人物。少女時代がみぃたんで、成長したのが優子。“笑顔”とか“ピアノ”とか、繋がるヒント。
…でも、それじゃあシンプル過ぎる。いったんこの予想は置いといて、別の予想。
みぃたんは優子の実母の少女時代。梨花は優子の祖母。
実は3世代に渡る親子の物語。
実際、梨花とみぃたん編では携帯は登場せず、“手紙”などアナログ雰囲気。優子と森宮編では台詞でLINEとか、あるシーンで“平成○年”の垂れ幕とか。
…と思ったら、梨花と森宮が会うシーンがあって、あれれれれ~!?
この線はナシ。中盤辺りから徐々に繋がりが色濃くなってきて、あの結婚式直前の子供いる告白で、遂に真相判明。
みぃたんと優子は同一人物。…って、最初の予想で良かったのかよ!
そういや予告編などで、名字が4回も変わったとか、父親や母親が数人とか言ってたっけ。シンプルに考えたら、そうだよな…。
あれこれあれこれ考え過ぎてしまったけど、お陰で開幕から集中して見てた分、気付いたらこの物語に入り込んでいた。
4回も名字が変わり、父親と母親が数人いるヒロイン、みぃたん=優子。(“みぃたん”の由来は、少女時代、“みぃみぃ”とよく泣いていたから)
実の両親。母親は物心付く前に亡くなり、父親と2人暮らし。“水戸優子”。
父親が梨花と再婚。梨花は血の繋がらない娘のみぃたんを可愛がってくれる。幸せの日々であったが、父親が新事業でブラジル居住を勝手に決め、離婚。梨花に引き取られる。“田中優子”。
苦楽の母娘2人暮らし。自由奔放な梨花は、男を取っ替え引っ替え。時には、年上の金持ちロマンスグレーと結婚。“泉ヶ原優子”。
貧乏暮らしから裕福暮らしを満喫していたのも最初だけ。自由奔放な梨花は窮屈な日々にうんざり。次の相手は、同窓会で再会した真面目さと高学歴だけが取り柄。“森宮優子”。
そんなある日、突然梨花は姿を消す。3人目の父親である森宮との2人暮らしが始まり、男手一つで育てられ、今に至る。
実に名字変わり4回、父親3人、母親2人。何と波乱万丈…。
本作もシリアスだったらかなり訳あり。
でもそうならないのは、ヒロインの健気さ、“親たち”の惜しみない愛情、そして本当の秘密…。
辛い事や嫌な事があっても、笑顔絶やさない優子。
それ故男に媚びていると、クラスの女子からは嫌われ者。
将来も悩み中。料理好きだから、料理の道へ進もうかな…。
今は卒業式で弾く事になったピアノに苦戦。ピアノを弾いていたのはみぃたん時代。猛特訓中。
そんな優子が周囲と触れ、自分や将来を見出だしていく。
料理好きになったきっかけは、料理得意の森宮の影響。いつも美味しい料理で心を満たしてくれる。
ピアノの特訓で知り合ったピアノの才能に恵まれた同級生男子・早瀬。お互い、心惹かれる気になる存在に…。
クラスの女子とソリが合わなかったが、事情が分かり、打ち解けると…。友達が出来た。
笑顔を絶やさない理由は、梨花の教え。
女の子は笑っているとより可愛くなる。笑っていると、幸せがやって来る…。
あまり訳ありの過去を振り返らず、こだわらないで生きてきた。
でも、森宮が早瀬との結婚を反対に、過去とまた向き合う…。
その過程で改めて気付く。
料理もピアノも笑顔も、親たちの影響、教え、出会いで今の私がある、と。
その過程でもう一つ、改めて気付く。
もっと早く再会したかった。
またもう一度、会いたい。
実父との再会。すでに実父は再婚し子供もおり、会うべきか躊躇していたが…、森宮の背中推しで決心。
実父は片時も忘れた事なかった。
自分もやはり、会いたかった。
再婚相手もいい人。子供も可愛い。
森宮もそうだが、出てくる人たちは皆、いい人ばかり。まるでファンタジーの住人。
2人目の父親の泉ヶ原なんて、リアルだったら相当可哀想。本人も怒っていいレベル。
なのに皆、優子の事も梨花の事も好き。
その泉ヶ原のある台詞にズバッと心打たれた。
「僕が梨花さんを好きな理由は、梨花さんが心からみぃたんを愛しているから」
こんな事を言えるなんて、スゲェ…。って言うか、そうだよな…。結婚した相手は、一人の親。その親が子を心から愛して当たり前。そうでなきゃ、家族になれない。
水戸も泉ヶ原も森宮も、梨花を好きなのは魅惑的な女性だからではなく、愛に満ち溢れた母親だから。
優子もそれをみぃたん時代から直にその肌で感じてきた。
じゃあ…、何故突然いなくなった…?
梨花は子供が出来ない身体。
だから、結婚した相手に子供がいたら、全身全霊全力で愛す。
ブラジルに行った実父・水戸からの手紙を渡さなかったのも、みぃたんが父恋しくならないように。みぃたんが自分から離れていかないように。それ故酷い嘘も付いた。
泉ヶ原との結婚も、みぃたんがピアノをやりたかったから。
森宮との結婚も、みぃたんに美味しい料理や平凡な家族を与えたかったから。
かなり強引。何て理由だ…と思う事も。
でも、それだけ“我が子”一番。みぃたんの為なら何でもする。
最大の謎。突然いなくなった理由。
ここまで子を愛する親ならば、その動機は何となく察しが付いてくる。
病気。
看病させる苦労をみぃたんにさせたくない。
苦しむ姿をみぃたんに見せたくない。
そんな思いにさせるならば、恨まれてもいいから、今も男たちを取っ替え引っ替えして、自由奔放に“生きている”方がいい。嘘を付いてまで。
そりゃないよ…。看病だってするし、昔も今も、苦楽を共にしたかったよ…。
だって、大好きな私のママなんだから。
それに、成長した私を見ていて欲しかった。
…いや、見ていた。
卒業式。ピアノを弾く姿を。こっそりと。
ママや親たちからの愛をたっぷり受けて育った今の私の姿を。
原作ファンで優子役を熱望したという永野芽郁の好演。
みぃたん役の稲垣来泉の可愛らしさ。
岡田健史も好青年。
田中圭、大森南朋、市村正親の三者三様の父親。不器用な大森/水戸パパ、紳士な市村/泉ヶ原パパ。
中でも、ちと頼りなさげで何かと父親奮闘するけど、時々空回り。だけど、美味しい料理とこれ以上ない優しさで満たしてくれる田中/森宮パパ。
男を虜にする魅惑の美女で、自由奔放な女性で、愛情深い母親。その魅力を存分に発揮した石原さとみ。
キャストたちのアンサンブルが心地よい。
本当に心地よい。
伏線や秘密明かしもあるけれど、はっきり言って話はご都合主義で、非現実的。
片親の都合で散々振り回された子供時代。成長してからの影響などあっても良さそうなものの、悪影響はナシ。超甘々のファンタジー。
だけどそれも含めても、この優しさ、温かさ、人と人の繋がり、家族愛が本当に心地よい。
見た後は幸せな気分に浸らせてくれる。
高級ではなく、それこそ森宮手作りの口に合った料理を食べたように。
『老後の資金がありません!』に続いての前田哲監督作。
あちらが軽快コメディなら、こちらは『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』路線の感動ハートフル。
本作でもまたまたその振り幅に感心すると同時に、『バナナ』『老後』『バトン』と連続良質ヒット。
ラストにシンクロするタイトルの意味。
子供時代、リレーでバトンを落とした事のある森宮。しかし今回は、バトンを落とさなかった。
“父親”としてヴァージン・ロードを“娘”と歩き、“家族愛”というバトンをしっかり受け渡す。
実に5回目の名字変わり。“早瀬優子”。
人一人の歩みって、本当にたくさんの人たちの支え、教え、愛がある。
それらを一身に受け、このバトンを繋ぎ渡していく。
バトンはしっかり渡された
序盤にみぃたんが優子(永野芽郁)であることに気付いた人は多かったのではないでしょうか。
そして物語の中盤に久しぶりに登場した梨花(石原さとみ)の髪がなくなっていることに、「梨花は病気だったんだ」と気付きました。
優子は梨花はどこかでフラフラして生きていてまた会えると思っていたのに、結婚報告する前に実は梨花が病気であったこと、そして突然の死の報告を受けて血縁関係のない育ての父親である森宮(田中圭)を責めるんですよね。
でもそれは誰が悪いわけでもなく梨花が望んだことで、優子に気付かれまいと必死に隠し通した母親としての想い。
実の両親に育てられたわけではないのに、ここまで純粋に真っ直ぐに良い女性へと育った優子。
血縁関係のない親たちの優子への愛情に感涙しました。
原作から余計な変更が多くてツッコミどころ増えた
色々と細かい所を原作と変えているが、余計な変更が多すぎて、ツッコミどころが多い。
子供よりも自分の夢を選んで外国に行ってしまう実父はサイテー。単なるバカ親に見えた。こんなの、優子が『私は父に捨てられた』って思うような重大案件。
子供がいる事を披露宴当日まで隠していた梨花がやってる事は詐欺師レベル。
それをのほほんと受け入れる森宮さん、こんな人いるかよ?
いじめていたクラスメイトが手のひら返して優子に近づき、それをなんとも思わずに優子は受け入れて仲良くなる。ここまで来ると、優子が単なるお人好しのバカに見えてくる。
原作の
『やむを得ず外国に行かざるを得なくなった実父の苦悩』
『子供を安心して託せる人を命懸けで探した梨花の意志』
『子持ちなのを知りながらも結婚を決めた森宮の決意』
『友達が何よりも優先と思いがちな10代において、優子は友達は優先ではないと考えるに至るまでの優子の複雑な生い立ち』
この要素って『家族のつながり』を描いている映画なら、このような変更をすべきではなかったと思う。
映画もそれなりに感動物語ではあったけれど、なぜこんな余計な変更をしちゃったかなぁ。
必ずしも原作に忠実にする必要は無いと思うけれど、これなら変更しない方が良かった。
ただ、この映画自体は好きです。キャスティングも素晴らしいと思いました。
感情移入は無理でした。
3人の女性が主軸となって物語が進んでいました。
ですが、結局のところ『りかさん』に振り回される人々の物語のように感じました。
まずこの人に感情移入するかいなかで、この映画を感動作と嘯けるか否かで分かれると思います。残念ながら私は圧倒的後者でした。
『りかさん』が個人的な欲求のために水戸さん(みいたん=優子のぱぱ)と結婚し、海外にいくと優子が可愛そう(それは分かる)という理由で親子を離れ離れに。そうかと思えば、優子のためにとお金持ちの人と再々婚し、時期が来たら優子をおいていく。再々婚相手の泉々原さんもだが、実父もいないなか1番信用していた人に置いていかれる優子が可哀想だった。そして次は、エリートで貯金のある森宮さんと再々々婚し再度置いていく。
要するに、男性方はりかさんの欲求を満たすための手段でしかなく、自分のことしか考えていない女だと思いました。
登場人物みんな脳内お花畑すぎて、「それでも君(優子)をりかさんは愛してたんだ」みたいなセリフを言っていたが実の親子を引き離した上に音信不通に意図的にさせる、寂しい老人の優しさに漬け込む、初婚の男性に子供がいることを隠し、強制的に父親にさせた上に子育てをさせる、、、
見ていた人は泣いていた方もいましたが、私はりかさんの身勝手さに呆れて終始失笑でした。
「ここで泣かせるぞ!」みたいな演出もお笑い種です。お金を払ってみたことに対して悔し涙はでましたけども。
深い
長文失礼します。
もともと、この小説が好きで瀬尾まいこさんを好きになるきっかけの本でした。
本を読んだ時も後半は涙涙で声を出して泣きましたが、映画は映画でとてもよかったです。
愛の形にもいろいろあって、梨花の不器用な愛も田中圭さんが演じる父親も全てが素敵でした。
瀬尾さんの本はいつもみんな違ってみんないい。と言っているような気がします。
細かいところにも一つ一つ意味があって、親子で料理を作るシーンはほんとに親子だって思いました。語彙力なくてすみません。
血の繋がりだけじゃなくて、子を大事に思うことバトンをしっかり受け取って責任をもつことがとても感動的でした。
梨花のがむしゃらの愛も憎めず、あなたがいたからみんなが繋がったんだと思えました。ほんとに素敵な映画で見る人によって見方も考え方も違うと思います。
私は親からの愛を再確認できた映画でした。
家族映画の最高峰と言っても差し支えない
レビューサイトでの評価が非常に高かったため鑑賞しました。原作小説は未読です。
鑑賞後にYouTubeでレビュー動画を探してみたら意外にも酷評が多いみたいです。レビューサイトは評価めっちゃ高いのに、なんだかギャップがありますね。原作が本屋大賞を受賞するほど人気の作品で、どうやらその原作小説から改変されている部分が結構あるみたいです。本作の肝の部分であるラストの伏線回収は映画オリジナルのようですね。軸となるストーリーは一緒なんですが、構成を変えることでまるでミステリのような伏線回収が繰り広げられるように改変されていて、その部分を「原作の雰囲気が壊れている」と感じてしまう人が結構いたみたいです。最近の邦画にありがちな安直なお涙頂戴に見えるシーンも正直あったので、そういうところが嫌われる原因なのかなぁ…。
しかし私個人はめちゃくちゃ楽しめました。本当に面白くて、家族映画の最高峰と言っても差し支えないレベルに気に入った映画です。キャストの演技、脚本やストーリー、演出に至るまで、挙げればキリがないほどに気に入った部分が多かったです。小説を読んでいないため「小説と違う」と憤慨する原作ファンの気持ちは推し量ることしかできませんが、原作を知らない身としては「一つの映画として観れば泣いて笑って楽しめる作品」という感想です。
予備知識は無い方がいいかもしれません。できれば予告編も観ないほうがいい。まだ観ていない方はこのレビューも今すぐ閉じた方がいい。そして今すぐ観てきて欲しい。面白いのは保証するので。
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幼いころは泣き虫で「みぃたん」というあだ名で呼ばれていた高校生の森宮優子(永野芽郁)は、両親の離婚や再婚によって4度も名字が変わり、現在は血のつながらない父親である森宮(田中圭)と生活している。クラスに馴染むことができないでいた彼女は、卒業式でのクラス合唱のピアノ奏者を半ば強制的に押しつけられてしまう。しかしピアノの練習をきっかけに天才的なピアノ奏者である早瀬(岡田健史)と仲良くなり、優子は早瀬に惹かれていくのだった。
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「みぃたん=優子」というのは映画後半で明かされるどんでん返しらしいんですけど、私は一番最初のシーンで「みぃたん=優子」だと気づいてそれが前提条件のように鑑賞していました。『アヒルと鴨のコインロッカー』とか『佐々木、イン、マイマイン』みたいな感じで現在と過去を交互に見せている演出なんだろうと思って観ていたので、普通に鑑賞後に他の方のレビュー見て「あれって別々の家族のように見せる伏線だったのか」って逆にびっくりしました。
登場人物全員が良い人でほっこりします。
主人公の優子も名前の通り優しくて思いやりのある子ですし、彼女の親代わりになっている森宮さんは言わずもがな。「歴代お父さん」「歴代お母さん」がみんな良い人ですね。
映画化もされた伊坂幸太郎の作品に『オー!ファーザー』という小説があるのですが、それとちょっと似た印象を感じました。
『オー!ファーザー』は母親の浮気によって父親が4人もいる高校生が主人公で、全く性格の違う父親たちとの交流によって主人公が色んなものを学び、成長していくという物語です。
本作の主人公である優子も、3人の父親と2人の母親から多くのものを吸収し、成長していきます。一見すると複雑で不幸な家庭環境のように見えますが、優子自身は全く不幸だとは感じておらず、むしろたくさんの愛情をしっかり受けついだことで、愛情あふれる優しい女性に成長できたのだと感じます。
自分も親の一人として優子の成長を見守っていたかのような、そんな気分になる素晴らしい映画でした。オススメです!!
しっかりと泣けます。
映画は、二つの家族のストーリーが進む。
すぐに泣く主人公優子(永野芽郁)は、みいちゃんとみんなから呼ばれ、実父はチョコレートの原料カカオを栽培する夢を追いかけ、単身ブラジルへ。実母を幼くして亡くしていた。
実父の再婚相手になった梨花は、ストーリーが進まないと病気である事をひた隠し、なんとか優子を再婚相手の裕福な新しい父(市村正親)に、ピアノの基礎を教われる環境をもらい、
新しい父は少し歳を取っていたため、3番目の再婚相手森宮さん(田中圭)と再婚し、優子を預け、隠れて闘病のためいえをでます。
ずっと、小さな子供(みいちゃん)と高校生の永野芽郁のストーリーが並列化で進むので、違う話が最後に繋がるんやろと思っていたが、なんとみいちゃんが大きくなった優子であり、
闘病後、梨花は亡くなっていた事を知る。
ここで大泣き。素晴らしい展開だわ。観て良かったぁ。
ちょっと白けた
やわらかで自然体な永野芽郁さん、フレッシュさ溢れる岡田健史さん、若者2人の存在感は素晴らしく、見ていて応援したくなった。一方で「隠れ主役」の石原さとみさん、田中圭さん、そして市村正親さんはいずれも個人的にはトゥーマッチな演技で、途中からはあざとすぎて胃もたれし、アレルギー反応が出てしまった・・・ いずれも名だたる俳優さんなので、きっと彼らの責任ではなく、監督や演出と自分の相性がダメなんだろう。オープニングの日テレのロゴで嫌な予感がしたのが、残念ながら当たってしまった。
父親3人、母親2人という複雑な物語を、永野さんが抑制の効いた演技でうまく表現していて、後半はグッとくるシーンが幾つもあった。ただ、ラストで「バトン」の意味が明かされた瞬間に、正直拍子抜けしてしまったのは自分だけ?(小説は未読) 安易に「女性蔑視」という言葉は使いたくないけど、あれだけ運命に翻弄されながら懸命に生き抜いてきた優子が主人公かと思ってたら、じつは「バトン」というモノ扱い。主人公は彼女(大切なモノ)を支えてきた人達が主人公だったと分かり、「なんじゃこりゃ」と白けてしまいました。彼女=バトンの「意志」はどうでもよいのか、バトンは自分一人では前に進めないと言いたかったのか…等々、観終って一人でぐるぐる考え込んでしまった。
周囲の人々が彼女に注ぐ愛情は(クセはあれど)素晴らしかったと思うが、個人的には無味無臭なモノ(バトン)よりも、自分の意志で奔放に生き抜くヒトの方に興味があるので、光るものはあれど全体的に低評価の作品とさせてもらった。
落とさなかったバトン??
結婚して、ハッピーエンドなのか笑笑
その後のストーリーまでサクサク言って欲しかった。
個人的には、サクサク飛ばして、結婚、離婚さらに、主人公の子供のその先まで
言って欲しいとか。笑笑
Et connected baton
個人的には、結構えもってしまいました。笑笑
お父さんが4人だか、どうなのか。笑笑
離婚が増えてきてるのか、こんな現代を反映しつつ、
さらっと。笑笑
また、見たいと個人的には思いました。笑笑
期待以上
色んな人の愛を感じることができる映画でした。
序盤は2つの家族の物語が同時進行で進んでいっているのかと思っていたら卒業式のピアノのシーンで全てが繋がってとても鳥肌がたったし、ほんとに涙がとまりませんでした。
何より、旅立ちの日にという曲がバックに流れ、永野芽郁ちゃんや田中圭さんの涙をみると余計に溢れるものがありました。
だけど、その後は号泣というほどのシーンはなく期待しすぎたかな?と思っていたら最後にとびっきりの感動をぶち込まれて号泣でした。もう嗚咽しそうでした。
何よりタイトルの伏線回収が完璧でした。
石原さとみさんの役は多少設定に、違和感を感じることもありましたが大目に見ればどってことないです。
この物語は、親世代の方や、両親が変わったりしてる方にも響くものがあると思います。
みないと損だと思いました。
本当の親
産みの親だけでなく
育ての親達にも
ぎっしり詰まった愛情で
満たされた少女の話でした。
というべきか
生き甲斐のある人生ために
目的を求めていた大人達へ
愛情を託す絆を
つくった母の話でしょうか。
想いがつくりだす
人の縁が
関わる人の生きる力に
かわっていくのがいいです。
結果的に
自分の夢のために
自分達から離れることを選ぶ男
から
家族のために
仕事をこなしながら
教室に通い料理を覚える男
と
子供のために
使わなくなっていたピアノの
調律を学ぶ男
へと
優子を育てる家族の輪を
広げていく梨花。
終盤で伏線回収があるまでは、
彼女の行動の意図が見抜けない。
パートナーを
上手く見つけるのは凄いし、
なんとなくOKどけど、
フラフラしてるし
いい加減な印象を受けるような
描写が多い
優子も苦労するなーと
笑ってしまう。
髪を隠す服装が不自然だけど、
梨花の溢れる活気に気を取られて
そういうおしゃれなのかと。
梨花の身勝手な印象が
強く残ってまんまと
騙されてしまいますね。
梨花から優子へ
届いた荷物から
一転
今まで明かされなかった
過去の事情がつながっていく…
賛否両論あると思うのですが
子供のころに問われた
「ママずっと元気でいてね。」
という言葉で決めたんだと思う。
これからの自分の生き方を。
元気な姿しか見せずに
この子を
いつも明るく輝かせるには
どうすればいいのか。
生き様が侍のようで
泣けました。
本当の親は俺だぞといっていた
父親より、
親の役目を務めてたな。
子供は親の鏡なんですね。
ニコニコしてたら
ラッキーなことがたくさん
やってくるよ
たくさん
いい言葉がありました。
おすすめ
「あなたはきっと、もう一度見て、もっと泣く。」
物語が始まって、どうやってこのふたつの家族が繋がるんだろうと思いながら、鑑賞をしました。
家族の絆とか愛する人との大切な関係性とか新しい考えを知れた気がしました。
みぃたんと優子さんが重なって、卒業式のシーンで森宮さんが大泣きして、釣られるように泣いて、なんとなく梨花さんも見えた気がして。優子さんがずっと笑ってるのも大好きなお母さんに言われた言葉を信じてのことで。
本当に素敵な家族のカタチを見れた気がしました。
泣いたという表現よりも幸せに涙したという表現の方がぴったりくるような気がしました。
しっかりとした事前知識を持たずに見て、エンドロールで原作が瀬尾まいこさんだと知り、納得できる世界観でした。
配信サービスにあがったら再びみたいと思います。
観に行って良かった。
まず、前提として原作は読んでいませんので原作ファンの気持ちは分かりません。
きっかけとしては妻に連れられて観に行きました。
結果からいうと観に行って良かったです。
邦画らしい凝った設定と描写で魅せてくれるいい構成でした。
全ての役者がはまり役で(個人的には大森さんは微妙でしたが)それぞれの演技が凄くてびっくりしました。
最初みてたときは演技に違和感を覚えてましたが、真実を知ったときに全ての違和感が晴れて、改めて役者さんってすごいなと思いました。石原さんにはいい意味で裏切られました。
自分は昔は感動系の映画とかお涙頂戴が気持ち悪いと思ってましたしいちいち泣く人の気持ちが分かりませんでした。でも色んな想いをして、一緒懸命生きてきて、そのなかで大切なものを見つけれたからこそ、それを改めて教えてくれる素直に感動できるいい映画でした。
大切な人がいる人こそ観て欲しい映画です。
是非大切な人と観に行ってください。
(是非皆さんのコメントを気軽に、自由にください)
石原さとみに完全に騙された。
途中まで天真爛漫(自由奔放)なキャラに上戸彩だと思っていたんですが、石原さとみなんですねw
コピー通り完全に騙されてました。
2回目は配信を待って家でゆっくり観ようかな。
岡田健史はもうちょっと演技の幅を広げて欲しい。
田中圭がずっと若いまんまなんでわかんなかったよ~
映画の日に初めて観ました。リピーターではありません。ちょっとあり得ない、込み入った話しでした。実話なら泣けたかもしれない。
泣いてる若い男性がいっぱいいたけど。リピーターかな?
女の人はあんまり泣いてなかったような。
ホリプロの俳優陣は石原さとみ、市村正規、戸田菜穂だけ。
石原さとみは魔性の女の設定で、同窓会の場面からお金持ち目当てだったので、チョコレート会社に勤めるサラリーマンの大森南朋の後妻とは。膝カックンでした。パートしながらのパンの耳のシーンも。次の市村正規は豪邸といい、木野花さんの女中さんのといいアリエールでした。田中圭は若いまんまだし、東大出には見えないし、え~ ミータンと裕子が同一人物?ってなかなか信じられませんでした。田中梨花は理由もなく、突然何で消えてしまったのか?触りもなかったし。それで、裕子と森宮さんはなぜ平然と暮らしていられるのか?えーっ?でした。
後で説明されるのは、梨花は病気で水戸さんと結婚したときにすでに子供の
産めない身体だった。市村正規と結婚したときにすでに再発して体調を崩していた。そして、約10年後に病気でなくなる。これはやっぱり、子宮頸がんでしょう。魔性の女だし。絶対ワクチン出る前だし。そうゆうお方がサラリーマンの後妻に入って、実は自分のためであっても、子供のピアノのためと言ってあんなに頑張るか~ 市村正規と結婚している時から次の婚活するなんてねぇ。いくらなんでもヒドいし、失礼だよねぇ。
岡田健史はまだ22で若いんだけど、中学聖日記(有村架純が先生役)でも中学生には見えなかったけど、こんども高校生には見えなかった。みんなピアノ上手すぎるし。卒業式に合唱コンクールするなんて、受験もあるし、一生懸命やる奴オランジーナ。それでまた健史君スゴい豪邸に住んでるんだもん。裕子の同級生役の萩原みのりさんたちも簡単に手のひら返すような軽さで、結婚式にはイケメン御曹司との結婚をひがんで、絶対来ないだろうと思ったけど。
いたよ❗
最近は疑似家族がテーマの映画が多過ぎじゃない。ブラック・ウィドウなんかはもう設定だからしょうがないけど。それの対極のDV、虐待モノはもっと多いのだけども。ミータンはこんなんじゃもう、メンタルボロボロになってもおかしくないんじゃないの。普通。東大出の四十歳代の独身エリート社員がコブつきのバツ2と結婚するなんて、ミータン目当てじゃないの?なんて、オソロシイことが頭をちょっとかすめました。
リピーターで、泣いてた方、ごめんなさい。こんなレビューで。でも、泣ける人は幸せなんだと思います。よかったですね。
優しい世界の話だった。
なんとなくこんな感じかなー?という大まかな想像通りだったけど、"ママ"については完全に想像とは違った。
みぃちゃん=優子かな?というのは早い段階で感じたけど、名前が違うから「?」と思ったらそういうことか💡
俳優が石原さとみだったので、その色眼鏡があったのかもしれないけど、完全に銭ゲバだと思っていたママはまさかの子ゲバ。
他人の子どもをあそこまで愛せるとか本当にすごい。
そして3人のパパ達もなんてできた人たちばかりなのか…。
特に市村正親。懐広すぎでしょ。
優しい世界の話だった。
"笑っていればハッピーなことが起こる"
本当にそうだと良いな。
ウルッとはくるけど、かなり無理あり
親の都合で4回名字(苗字?)が変わったのと、永野芽郁が彼女だったのが、ポイントなんだろうけど、親の都合で名字が変わったのは2回だけ。それに、自分のこどもを、名前と関係ないあだ名で呼ぶのはやっぱり不自然すぎる。
あと、そんな都合よく病気になるんかなぁというのも、なくはない。
でもまあ、石原さとみと永野芽郁が良かったので、観て損はなかったかな。
特報の書店員絶賛編で、「2時間泣き通しの映画は初めてです」とコメントしてる店員がいたけど、この映画(に限らず)の冒頭から最後までずっと泣いてたのなら、病院に行った方が良い。
演技は良かったが、リカさんに感情移入できない
結論、血のつながりは重要ではないということを言いたいのは分かった。それはテーマとしてはわかる。
しかしリカには全く共感ができないし、腹立たしくなるほどだった。
結局のところ、子どもを産めない身体だけど、子どもが欲しかった。しかしそれは自分の生きがいの道具としての意味合いが強く、高級な衣服は買うのにお米はない、に象徴されるように心から子どもを思っての選択ではない。常に自分自身を優先してのこと。
本当の愛情なら、どちらを(高級な服orお米)子どものために選択すべきかはわかるはずなのに。
自分(リカ)の存在意義を見出すために優子の母になったということだし、実の父親からしたら、手紙も渡されず、ありえないと思った。訴訟ですよこんなの。
だって、最初に言ってましたもんね、目的のためなら手段を選ばない、って。
たしかに夢おいびとで、面倒な父親だったかもしれないけど、愛情はあって、娘もあれだけ手紙をだすほど父親に会いたがってたのに、リカにむりやり引き剥がされたも同然。ありえないです。
とにかく実父と優子は本当に可哀想、被害者です。
わたしも子どもがいる身ですが、こんなことになる前に手紙返信こない時点で疑い、即帰国しますけどね。
それができない後ろめたさでも、あったのかと勘ぐってしまうレベルで実父もなぞ。
あと病気だとしてもほんとに優子を愛してるなら、ポッと出の男じゃなくて、実父に連絡しなさいよ。
田中圭がもし変質者だったらどうするの? みんないい人だからいいけど、母としての責任感がまるでない。
また母を失ったらかわいそうだから病気なのを隠したまま消える?え、そんなのいつか知るに決まってるし、母ならなにより、死に際娘に会いたいに決まってます。
リカがいなければ、たしかにみんな巡り会わなかったかもしれないけど、そんなの後付けの綺麗事です。
みんなよく納得するなあ。実父がアル中で、ブラジルで子ども作っちゃったくらいの設定にしないと、いろいろむくわれないです。
よかった点は時系列の演出(ここでみぃちゃんとゆうこが同一人物だと気づいたので)と、永野芽郁の瑞々しさ、彼氏役が懲りずに高校教師と付き合ってる設定、ピアノ(あれは惚れる)、市村さんの財力と包容力くらいですかね。
【嘘っぽくて作り物感が満載なのに、役者の演技によって泣かされる映画】
◎鑑賞時は原作未読
〜映画の第一印象〜
ずるい、ずるいぞ、ずるすぎるぞ、この映画。感想を一言に集約すると、「ずるい」に尽きる。映画は矛盾点や違和感のある脚本なのに、役者たちの演技力がそれらをカバーしているからタチが悪い。まるで演技の暴力。そして、この映画に泣かされた自分が悔しい。映画館にこだまする誰かの啜り泣く音。泣かせにくるシーンの数々。涙、涙、涙。泣いてないシーンはどこ?と思うレベルで泣かせにくる。本当にずるい。これほどまでにキャスト陣の演技力に支えられている映画は少ないかもしれない。
〜泣くポイントは人それぞれ〜
上映中に啜り泣く音が聞こえてくるのだが、「えー、なぜここで泣く?」というシーンで泣いていて逆に笑ってしまった。すみません。自分がどこに感情移入し、他人がどこで感情移入するのかを知ることができるのも映画館の醍醐味だなと思った次第です。人と人は同じ映画を見ていても解釈は千差万別なのだと思わされますな。
〜考察〜
①親切な父親たちに共通すること、そして梨花
周囲の人の愛を精一杯受けて育った優子。映画を見た人の中には、こんなに親切な人々ばかりは都合が良すぎると語る人もいる。たしかにそういった一面があることは否定しきれない。現実は厳しい。本当の親子でもないのに、この映画に出てくる人物たちのように子供のために尽くせるか?と問われるとYESと答えられる人は少ないかもしれない。けれど、この映画に出てくる2人目の父親である「泉ケ原さん」、3人目の父親である「森宮さん」。彼らに共通することが一つある。それは余裕だ。金銭的余裕や心の余裕。それがあるからこそ、血のつながらない娘である優子のことを大切に思ってあげられたのではないかと。ある意味で、梨花の人を見る目だけは良かったのかもしれない。
②血の繋がった家族(早瀬君と母親)だから喧嘩できるのか、血の繋がらない親子(森宮さんと優子)だから喧嘩ができないのか。
この映画では、2つの家族を対比的に描くシーンがいくつかある。そして、早瀬君は森宮さん親子の血のつながらない関係は、お互いを尊重し合えるから羨ましいという。しかし、血の繋がった親子でもお互いを尊重することが大事なのではと思ってしまう。
親子の繋がりは血が繋がっているとか、血が繋がっていないとかじゃないと切実に思う。
③リアル感を描けているかどうか
この映画を見た時に、優子の周りにいる人々の親切心にはリアル感がないという意見がある。たしかに、現実は厳しく、血の繋がらない人のためにここまで奮闘できる人は少ないだろう。けれど、リアル感とは何なのか?映画に求めるリアル感とは、実際のところ鑑賞者がリアルだと思う感覚、つまり現実を押し付けているだけなのではないか?と私は思ってしまうのだ。かのアインシュタインが「常識とは20歳までに身につけた偏見である」と言っているが、世界のどこかには科学でも説明のつかない、自分の常識では測れない出来事が確かにある。そして、私は映画とはある意味で自分の常識の外を体験できるツールだと思うのである。と、話が少し脱線した…
映画に話を戻すと、確かに優子を取り巻く人物たちはリアル感に欠けているかもしれない。しかし、ここまでの考えを振り返って、見方を変えてみると、この映画の登場人物たちは、単に鑑賞者である我々が求めるリアル感からは逸脱した存在(常識外)なだけと考えることもできるということだ。
そして、自分に疑問を投げかけてみる。本当にこのような人たちは存在しないのか?と。
もし映画に登場する親切な人々が実際に世の中に存在していると思えれば、世の中は案外捨てたものではないなという見方もできる気がしてくる。このように、自分の常識に疑問を抱いたり、自分のリアル感に問いかける経験ができるのはやはり映画の醍醐味なのだろう。そこから、自分の常識を上書きするなり、リアル感を更新するのもアリかもしれない。
仮に、映画を通した個人的な考えの変化が集団に伝播したら、鑑賞者たちが語るリアル感に欠けるという意見すら、稀な意見になるかもしれない。
④拭えない気持ち悪さのようなもの
つらつら述べたが、上記の見方はこの映画を温かい目で見ようとすればの話だ。個人的にはやはりこの映画を肯定的に捉えることは難しい。
大人たちのエゴによって明るく振る舞うことを身につけたみぃたん(優子)。彼女は母親である梨花から辛い時こそ笑顔でいることが美徳であるかのように教えられる。そして、笑顔でいることを美徳として捉え、常に笑顔を振る舞う。果たして、同級生から虐げられていてもヘラヘラする様は賞賛に値することなのだろうか。「辛い時こそ笑顔でいること」は、ある意味で「呪い」だと捉えることもできるが、この映画ではそういった黒い面には焦点を当てず、お涙頂戴な話に仕立て上げている。そのことに対して、やはり拭えない気持ち悪さのようなものを感じる。やはり母親(梨花)の歪な愛と複雑な家庭環境の中で成長した優子が、梨花と再開して彼女を許すシーンは必要だったのではないだろうか。それをせずに、梨花を殺すことで涙を誘ったこの映画はやはり罪深いと考えざるを得ない。
〜違和感〜
・父親としての森宮さん
森宮さんは終始、父親に徹しようとする。枕詞には「父親として〜」と常に森宮さんにとっての父親であろうとし続ける。本人曰く、東大を出てから生きる意味を見失いかけていた時に、梨花と出会って生きる目的を見つけたと言っていたが、、、
結婚式直前に娘の存在を知るとか、結婚詐欺もいいところだろうに…
・手のひらを返す同級生
最初の方で、優子は高校の同級生とうまく交友関係を築けていなかった描写がある。しかし、優子の身の上話を聞いた途端、優子のことを疎ましく思っていた同級生が手のひらを返したかのように良い人化するのは下せない。その過程は描ききれないのかもしれないが、人は変化する時はするが、そこを軽んじると陳腐なものになってしまう。このように、ストーリー全体に対する細かな部分の配慮がこの映画には足りないと感じてしまう。良い部分はあるものの、涙という情への訴えが悪い部分を曇らせているため、割と高評価なのかもしれない。
〜この脚本では観客の涙は誘えても、本屋大賞は受賞できないだろう〜
この映画の場合は演出よりも、むしろ脚本の方に問題があると考える。今作の脚本の橋下氏は59歳らしい。人は年齢ではないが、描かれる世界にはどうしてもその人が育った世代観というものは出てきてしまうものである。ちなみに、この橋本氏だが、映画『いぬやしき』の脚本も書いているとか。自分史上最高につまらなかった映画だ。『そして、バトンは渡された』の原作の内容も改変するし、この人が脚本を書く映画は見るのをやめようかな(※改変が悪だとは思わない。映画にしかできない見せ方もあるから)。橋本氏は、話題性のある作品に参加させてもらって、そこそこ話題を呼び、そこそこの脚本が書けるから起用されているという感じか。BEST of BESTの芸術家というより、あくまで商業作家なんだなと。
酷評してるみたいになってしまったな…
うーん。橋本氏に対して何か思うところがあるわけではない。この方の脚本は原作を尊重する以上に、映画としてどう見せるかという点を考えているとは思う。が、仮に原作以上のものを映画にしたいと思うとき、やはり実力が問われるということが言いたいだけだ。この脚本では原作の軸である「優子の芯の強さ」が描ききれていない。それは田中梨花という人物を殺したことに由来する。彼は田中梨花を殺すとともに、原作のメッセージをも殺してしまった。つまり、『そして、バトンは渡された』の映画化における改変は脚本家として失格ではと思った次第。これでは結局、酷評したいみたいになってしまった…ohh
◎映画の残念な点
〜バトンについて〜
・この映画の描き方だと「バトン≒優子」になってしまっているんだよな。これはこれでシンプルで分かりやすい。伏線回収としてはこういう見せ方もあると思う。しかし、原作ではバトンは優子であり、森宮さんからの愛とか、思いやりとか、ピアノとか、より抽象的なものとして描かれていたような…その辺をうまく表現できていないのがなぁ、残念。
〜この映画の見せ方〜
・結婚はゴールであり、始まりであるが、幸せの形としてそこをゴールのように描いた点が、女の幸せは結婚であるという穿った見方に繋がりかねない。この物語の本質は結婚ではなく、親子の絆や愛とかにあると思うのだが…皆さんはどう思いますか?
〜この映画を一言であらわすと〜
【田中梨花(石原さとみ)という人物を中心に振り回される人々の群像劇】になってしまっているのが残念で仕方がない。
◎映画の中で良かった点
〜ロッシーニが聴きたくなる映画〜
「2人でロッシーニになろう」は最高のプロポーズなのでは?
〜劇中に出てくる食べ物が飯テロすぎる件〜
餃子のパリパリ感といい、ご飯が進みそうな回鍋肉などはどれも実際に食べたくなるほど美味しそうだった。自分も美味しいご飯を作れる人になりたいと思いました。切実に…
〜映画からのインスピレーション〜
・最後に、この映画を通して自分の意識は何か変化したか?自分の中で何かを変えようと思っているか?
まずは、自分が優子の周囲の人々のようになれるような「余裕」を持つこと。いや、ちょっと待てよ。余裕は持つものなのか?余裕を持つというより、余裕を纏うといった表現が適切な気がする。余裕という服を身に纏い、「余裕のある自分」が自然体でいられる状態が一つの理想かもしれない。このように考えたのは、他人に対して親切になれる社会が仮に存在するならば、個人個人の「余裕」が鍵となると感じたからである。
〜映画館で見るべきか〜
映画館における音響、映像設備を使いこなせているかというと微妙。迫力とは無縁の映画。洋画に比べて邦画が低予算であること、そもそも映画のジャンルがアクションものではないからな。そのため、映画館の音響や映像美を体験すべく、映画館で『そして、バトンは渡された』を見るべきかと問われると見る必要はない気がする。
では、「家で見るか?」と問われると、最初の方が間伸びしてしまい、ここまで泣かされることもなかっただろう。隣の人とか寝かけていたし…結局、映画館で見たが故に、泣かされるというね。
〜泣いたシーン〜
①母目線の卒業式のシーン
▶︎カメラワークと音楽が迫り来るところ
②森宮さんが父親としてバージンロードを歩くことを勧められるシーン
▶︎友人は父親3人であるけば良いのではと言っていて確かにと思った(笑)
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