「ファンタジーとリアルのさじ加減の難しさ。」シン・仮面ライダー 太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ファンタジーとリアルのさじ加減の難しさ。
シンゴジラ、シンウルトラマンが良かったのと、安野モヨコによる家庭での庵野秀明を主役にされた漫画「監督不行届」で庵野秀明さんがおっさんなのに毎週日曜日欠かさず朝のアニメを変身ポーズをしながらご覧になられるという事で仮面ライダーは見逃せないと思い見に来ました。
また私はTVを制限された厳しい家で育ったため、私が見れた仮面ライダーといえば仮面ノリダーとブラックとRXのみになります。
結論から申し上げますとイマイチでした。
良かった点から申し上げますと漫画原作者の巨匠である小池一夫さんが漫画の全てはキャラクターと言い切られるほど映画や漫画ではキャラクターが重要になりますが、緑川ルリ子のキャラクターが素晴らしかったです。
浜辺美波さんが庵野秀明さん特有のキャラクター上手く演じられ、昭和特撮のキャラクターが現代クオリティで再現された魅力が最高でした。
初めは主人公に壁を持たれましたが、途中で頼りにされ距離が縮まる事で彼女の二面性を視聴者は楽しめて、また途中からの距離の縮まりに男性視聴者の心を掴む事にも成功されたでしょう。
個人的には良かったと思えたのは緑川ルリ子だけと言ってもいいかもしれません。
残念に思ってしまった点としてはハリウッドのヒーロー系映画に見慣れますとCGや美術のクオリティや主人公の棒読みに見劣りを感じてしまう点でしょうか。
以前ハリウッドのヒーローを毛嫌いした友人にコスプレしたおっさんが町中でテロリストと戦うバットマンってどうなの?って言われてから、私はバットマンを楽しむのが難しくなってしまいました。
そして今回その友人が好む庵野秀明さんのシン仮面ライダーでも同じような視点で見てしまい、こっちの方がダメだよと悪いところに目が行きやすくなってしまいました。
特に怪人の美術は痛々しかった。
渡辺謙さんが初めて出演されたハリウッドで2回目のゴジラ映画が上映された時に映画監督されてる方がハリウッドにあんなゴジラをやられたら日本でゴジラなんて二度とやれなくなると絶望されていました。
日本映画でいうと修羅雪姫というタランティーノのキルビルの手本にされた作品がありますが、修羅雪姫を見た時にあずみは身分不相応なハリウッドスタイルで実写化ではなく修羅雪姫のような昭和レトロ路線なら名作になっていたのにと思っていたので、日本のゴジラも昭和レトロ路線で行くべきと思っていたらシンゴジラで私が期待していた日本ゴジラが出てきて嬉しかったものです。
シンウルトラマンも同じ意味で成功されたと安心したので、シン仮面ライダーも同じように期待しましたが、私には受け入れるのが難しかった。
バットマンを悪く言われたからなのか、ファンタジーとリアルのさじ加減に対する見方がどうしても厳しくなりました。
特に仮面ライダーはゴジラやウルトラマンと違い、バットマンに近いヒーローなだけに無意識に比較してしまいます。
逆にどういった見せ方をすれば私でも納得できたか考えてもみましたが、そんな私でも思いつけません。
ハリウッドのハイクオリティなヒーロー映画に見慣れてしまうと仮面ライダーの怪人の基本設定で受け入れる余地がないような気もします。
思い出しましたが本郷猛が警察官であった父親が犯人に銃を使わなかった事で殺され、銃を使う強さが欲しいと語っていましたが、現実においてはあの場面で大事なのは犯人をリラックスさせ安心させる対話だったりします。
アメリカでは凶悪犯に対しては威圧的になるのはタブー視されており、対話で安心させ時間稼ぎと取引をされるそうです。
曹操、武田信玄、ナポレオンなどの歴史的名将や現代ではビル・ゲイツや孫正義であったりアメリカ軍などが学ばれた事で有名な孫子で「戦わずして勝つ」とも言うくらいに戦争においても武力に頼るのは最後の最後の切り札にするべきなのです。
そういった視点で見ますと仮面ライダーのキャラクターが薄っぺらくにも見えました。