「ヒーローは脚力と哀愁でできている」シン・仮面ライダー Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
ヒーローは脚力と哀愁でできている
ヒーローたちの卓越した腕力(特に脚力)と、闘いののち風に吹かれて佇む哀愁を、シンプルに感じたら、この作品はまずそれでいいのかなと思いました。
「仮面ライダー」はもちろん変身モノの大傑作として知っていましたが、詳しい知識はほぼナシ。観賞後、ネットなどに嵐のように溢れた情報で知りました。
◉最初に血しぶき
プロローグで見せられたショッカーたちの流血の量と、身体が破壊される生温かい音にまず圧倒された。これから始まるのは本気の戦争ごっこ。世界征服を企むショッカーを倒すため、今は全力で破壊を! と言う仮面ライダーたちや緑川ルリ子(浜辺美波)の決意。そして制作者が「ごっこ」に込めたエンタメ=「悪をグシャっと潰す快感を、大人にも子どもにも」の本気を感じたような気がします。
◉蝶の誘い
チョウオーグの語りによって、ショッカーの目的は人類の魂を別空間「ハビタット」へ移して、幸福な世界を創ることであると知らされる。原作マンガのショッカーは、もっとストレートな世界制覇を狙う組織だったはず。
ところが、現在の物語世界で主流になっている、意識と魂の溶け合った共同世界を生み出すことがショッカーの目的だったとは! 一括りにしてはいけないのでしょうが、「シン・エヴァンゲリオン」の人類補完計画から「ワンピースレッド」のウタワールド、「エブエブ」のベーグル世界まで、ある枠の内に全てが同じような状態で収まることが、闘いの起きない平和な世界に至る道と言う理念。
崇高な世界征服を掲げつつ、体育館に並ぶ死体。それは大量抹殺を行うカルトっぽさにも通じるようで、設定としてはなかなか怖かったです。しかしこのショッカー組織の理念が、大人仮面ライダーのための付加としても、本当に必要だったのかは、かなり疑問。「改造と変身」の悲哀だけで足りていたと思うのですが。
今回登場するオーグの中で唯一、草食系のチョウが、人類を幸せな世界に導くリーダーになる。清楚で優美なシロチョウ? が最強の怪人として君臨するギャップ。ただし0号(森山未來)が得体の知れなさは充分に醸し出していたものの、こだわりを失くした男の爽やかさみたいなものまで目立っていたようで、ちょっと残念。
◉やがてヒーローたちは憂鬱になる
バッタ、クモ、コウモリ、サソリ、ハチ、カマキリ+カメレオン、変異バッタ、そしてチョウを次々に倒していく仮面ライダーたち。ヒーローに休息はなかった。本郷猛(池松壮亮)と一文字隼人(柄本佑)と緑川ルリ子は敵を潰すたび、自分たちの存在理由に振り回されて、癒し難い傷を負っていく。そもそもが、これはショッカーたちの内部抗争の物語。三人には拭い難い虚無感が付き纏う。
その心象風景としての、夕陽の干潟や赤錆びた線路は本当に美しかった。エヴァ再びでも、ここは構わないと思っていました。本郷と緑川の我慢比べに、一文字が割って入る感じでしたが、内側は傷だらけなのに、凛々しすぎるルリ子。頑張りすぎないで!
原作の展開は知りませんでしたが、ルリ子のみならず本郷も肉体は滅んでしまうんですね。最後に一文字が走り去って、その姿に溢れる寂寥。バトンの渡し方が、ややアッサリかなとは思いましたが、ヒーローの生き様と死に様は受け取って幕。
成る程です。
庵野監督の理論武装の一端がUさんのレビューから、
浮かび上がってきました。
私は1971年当時は子供でしたので、ただただ変身をそして
ショッカーを倒す喜びを味わっていました。
子供向けでは全くないですものね。本作品は。
「エヴァ・・・」は全く知らず、「シン・ゴジラ」の議論する政府機関の人々。「シン・ゴジラ」の理屈っぽさは好きで、放射能とゴジラの
因果関係・・・とても共感しました。
この「シン仮面ライダー」は悩める本郷猛が強烈で、しかも緑川ルリ子、本郷猛、ショッカーの殆ど全てが溶解してしまいました。
残ったのは一条隼人・・・だけですものね。
確かに訴える世界は虚無感溢れていましたね。
Uさんのレビューを読ませていただくと、「マリグナント」も
「シン・仮面ライダー」も「天間荘の三姉妹」も、
お互い感性の違いが驚くほどですが、Uさんの描くレビューは深く
とても目を開かされて勉強になります。