「一体、何を演るのだろう?」と思ったら、能舞台で演じられる、舞踊と音楽によるパフォーマンスであった。
「歌舞伎」という題名だが、音楽の演奏者から“謡(うたい)”が入るものの、舞踊を行う演技者の台詞はないと記憶する。
したがって、激しいダンスもあるが、形式的には「能」に近い。
しかし、楽器は「能」とは異なり、箏、津軽三味線、笛、太鼓、琵琶である。
本作品では、音楽の占める比重が非常に高い。
だから、音響の良い映画館で迫力ある音を楽しみたい。
特に、箏や三味線などの弦楽器の、アタックの強い音は強烈に耳に響く。
4部構成で、1つ目の演目は、4つの霊獣の舞踊である。
「青龍」は箏、「朱雀」は笛、「白虎」は津軽三味線、「玄武」は太鼓が、それぞれペアである。
自分は、最初の2つが特に面白かった。
「青龍」の舞では、凜とした動作と、箏の音色があいまって、フラメンコを観ているような気分になった(振り付けは別物だが)。
「朱雀」では、笛の音色とマッチした、エレガントな舞を披露する。扇が、“鳥”の羽になっているのは見事だった。
この最初の二つを取ってみても、すでに歌舞伎でも日本舞踊でもない。
2つ目の演目は、津軽三味線である。
まず、“謡(うたい)”で美声を響かせてから、三味線になる。
津軽三味線は、歌舞伎の柔らかい三味線とは異なる。
あんなに激しく弾いて、なぜ弦が切れないのか、チューニングがずれないのか、不思議である。
ちなみに、三味線でライトハンド奏法は、無理なのだろうか?(笑)
3つ目の演目は、豊作を願う農民の儀式のようだ。
2人の演技者が、刈り取った稲の束のような格好で出てくる。
“神がかり”なのか、あるいは、本物の“稲の聖霊”なのか分からないが、着想がとっても面白い。
ただし、振り付けは物足りない。土俗的で野卑な迫力も、“神がかり”の狂気も今一つ感じられず、もっともっと「踊り狂って」欲しかった。
最後の4つ目の創作舞踊は、残念作だ。
中村壱太郎が演じる女の、しっとりとした“異形”の姿は美しいし、なるほど「ART」なセンスが感じられる。
しかし作品全体として観れば冗長で、焦点もはっきりしない。
尾上右近が演じる男の存在は浮いているし、花の精(?)の踊りは“くどい”。いずれも作品にビルトインされておらず、ブラッシュアップしきれていない。
“謡(うたい)”は、言葉を詰め込みすぎで、次第に頭が飽和して、何を聞いているのか分からなくなってウトウトしてしまった。
観客は、ほとんど女性だった(笑)。確かに、宣伝のビジュアルを観れば理解できる。
しかし、ど派手な衣装や若い男の色気を前面に出すような軽薄な作品ではなく、舞踊が音楽と一体化した、迫力ある硬派な作品である。
次世代の役者・舞踊家と和楽器演奏家が、互いに技量を披露し合って“対決”している真剣勝負のようで、とても面白かった。