ブラックバード 家族が家族であるうちにのレビュー・感想・評価
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安楽死の掘り下げ方は微妙、家族の人間模様がテーマと捉えると佳作
母親の安楽死は舞台装置で、見送るための親族の集まりを触媒にして、表面的には幸福そうに見える家族のコミュニケーション不全をあぶりだすことが主眼に置かれているような印象を受けた。
病のため安楽死を決心したリリーは、夫と共に築いた財産で思い出の海岸の近くに建てた広い屋敷に親族を集めた。贅沢な広さで洒落た内装の家で、娘や親友と共におだやかで幸福な数日間を過ごし、理想的な最期の時を迎える算段だ。
ところが、冒頭からそこかしこに火種が見える。数十年来の親友とはいえ、他人のリズがその場にいることに、陰で嫌悪感を示す娘。強くあれと育てた母リリーのもとで、生真面目で相手に厳しい性格に育った長女ジェニファーと、自分の弱みを見せられず精神を病んだ妹アンナ。しばらく連絡の取れなかったアンナにジェニファーはついきつくあたる。アンナはそもそも母の安楽死を受け入れられていないが、彼女の気持ちを受け止める人間はいない。
最後の夜にその火種が燃え上がり、それぞれが気を遣って保ってきた薄氷のようななごやかさが砕かれる。
私がもしリリーの立場なら、とても安らかにはあの世へ行けない展開だなあと思った。
しばらく音信不通だったとはいえ、母親を失う立場のアンナの気持ちを誰も確かめようとせず、同調圧力で押し切ろうとしているのもつらかった。
アンナが違法な安楽死を警察に通報するというのを聞き激怒していたジェニファーが、父とリズの浮気を疑った途端に両親への信頼を失って安楽死をやめさせようと騒ぎ出すのは何だかなあと思う一方、リアルな人間臭さを感じた。クリスマスディナーでの、息子のワインとドラッグ摂取に対する反応も布石になって、ジェニファーの人間性がよく出ていて面白い。人間の本音とはまあそんなものなのかも知れない。
こういった、理解ある大人を装った人間のほころびが露呈するさまは生々しさがあってよかった。
しかしそんなドタバタも、リリーがアンナの話を小一時間聞いてやり、ジェニファーにリズの件は公認であることを伝えるだけであっさり収拾し、リリーは当日のうちに予定通り娘たちに囲まれておだやかな死を迎える。それを親子の絆の強さと解釈する人もいるかも知れない。
私は、アンナが心を病んだ経緯、リズの立ち位置を考えると、リリーの安楽死実行ありきで、深刻なわだかまりが短時間で解消されたのを見てもやっとしてしまった。
リリーは、あの段階で自分の娘が自殺未遂まで起こすほど不安定だったことを初めて知って、後ろ髪を引かれるような気持ちになったり死に対して葛藤を覚えたりはしなかったのだろうか。娘二人は、いくら母の頼みとはいえ、父の元カノのリズが母の存命中から父と通じ、自分たちの母親になることを、簡単に割り切れるのだろうか。
ひねくれた見方かも知れないが、安楽死の顛末だからと、力技で綺麗にまとめたように見えてしまった。それともこれは、徹底した個人主義のあるべき姿なのだろうか。
俳優陣の演技は皆説得力があって素晴らしく、リリーの自宅や海、空などの自然の映像も美しく見応えがあった。
ただ、安楽死を語ることが主眼の映画として捉えると、終盤の予定調和に覚える違和感を拭えなかった。死を決意する前が描かれていないせいもあるが、葛藤が足りない印象だ。
安楽死論は脇に置いて、家族の赤裸々な人間模様を浮き彫りにすることがテーマの群像劇と考えると素直に高評価出来る。シチュエーションドラマの佳作。
観客の倫理観、家族観を揺さぶる衝撃作
安楽死を題材にした映画がたまたま2本、「いのちの停車場」と本作が近い時期に公開されたが、判断が難しい問題への日本と欧米の向き合い方の違いが如実に表れたと感じた。「いのちの停車場」は老父が安楽死を望み娘の医師が葛藤する状況を描いて共感を誘うが、判断や結論は観客に委ねられる。
一方、2014年のデンマーク映画を英米合作でリメイクした「ブラックバード 家族が家族であるうちに」は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という体の自由が次第にきかなくなる難病で余命もわずかとなったリリー(スーザン・サランドン)が医師の夫ポール(サム・ニール)に安楽死を頼み、事情を明かした家族と親しい友人を自宅に招いて最後の週末を過ごす――というストーリー。
序盤こそ誰もがリリーの意思を尊重して残された時間を穏やかに過ごすかと思わせるが、やがてまるで違う展開に。まだ死んでほしくないと反対する次女アンナ(ミア・ワシコウスカ)が、賛成派の長女ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)に積年の不満をぶちまけて大げんか。さらに、リリーと長い付き合いのリズにも家族の一部しか知らない秘密があり、それが発覚してしまう。
家族や親友が抱えるさまざまな問題が明らかになることで、近しい人が安楽死を望むという状況をより多面的に、立体的に考えることを観客に促すかのようだ。いつか安楽死問題に真摯に向き合い本気で議論する日に備えるための思考訓練にもなるだろう。
物事を情緒的にとらえ、賛否の分かれる議論の結論や責任を伴う決断は先延ばしにする(あるいは他人に任せようとする)日本と、対立する意見を具体的に論じて争い、最後は誰かが責任を取って決断する欧米。そうした対照的な傾向を、「いのちの停車場」と「ブラックバード」が端的に示しているように思えてならない。
え?なんで??
父と母の親友の不義を知り、妹と母の自死を止めようと結託するところまでは良かったのに、
母が自ら、2人の関係を知ってたと言った途端、自死を止めなくなるのに違和感しかなかった…
いいの?
事前の取り決めどおり“散歩に出る”父のあっさりとした足取りと涙すらない無表情、
孫に経緯を説明するときの苦しそうな様子や、当日朝一人で涙していたような様子はなんだったのか…
父の心の伴侶は母ではなかったのか…
妹のパートナークリスと、姉の息子は良い人だった。
自ら人生に幕を下ろすと決めたとき、その時に向けて一緒に良き時間を過ごそうとしてくれる人に恵まれた人生がうらやましい。
ただ、どんなに固い決意であろうと、大切な人がすぐ近くで見守ってくれようと、生の期限を決め自ら死に向かうのはいざとなればとてつもない恐怖だろうに、理解して隣にいてくれる人にいまさらやめると言えないだろうし、ましてや薬を飲んだあとはどうしようもない…
生きていたくないを理由とする安楽死は難しいと感じた
観てて引き込まれるが、尊厳死についてはもう少しちゃんと掘って欲しい...
観てて引き込まれるが、尊厳死についてはもう少しちゃんと掘って欲しい。一番難しいのはここに至る過程だろうから、難しい部分を避けたように映る。
母娘間の理解度もテーマの割に浅いような。見せる演技は皆さん立派。
飛び立つ時を待っていた鳥
ビートルズですきな曲は?といったら、きっと、いくつか挙げても、あとになってそういえばあれ挙げてなかった──という感じになる気がする。
映画のベストも、あとになってからそういえばあれ挙げてなかった──という感じになりそうなのがいやだな。きっとみなさんだってそうだろう。
それでもいくつか挙げてみることにするがHey Bulldog、A Day in the Life、I'm Only Sleeping、In my Life、When I'm Sixty-Four、Happiness Is a Warm Gun、She Came in Through the Bathroom WindowからのGolden Slumbersなどなど、がすきだ。
でも、おそらく口で言う時には、そういうこまっしゃくれたこと(玄人っぽい気取ったセレクト)を言わないでたんじゅんにブラックバードと言うだろう。
監督Roger Michellがインタビューでタイトルについて語っている。
『ある時点の脚本の中で、登場人物の何人かがポールマッカートニーの曲「ブラックバード」を歌うシーンがあり、そのときパッとひらめいて、映画をブラックバードと名付けることにした。その後、さまざまな理由でそのシーンは消えたが、タイトルは強固に映画にしがみついていた。』
おそらく(ブラックバードの)you were only waiting for this moment to ariseというフレーズが映画の内容にしっくりきたのだろう。
リリー(サランドン)は進行型の奇病をわずらい治療法や緩和治療法がなく悪化していくことが解っている。だから安楽死を決意してそれを家族らに知らせるというドラマだった。
すなわち死を悲嘆でなく「飛び立つ時を待っていた鳥」のように捉えようとする映画だった。
話がややズレるかもしれないが──。
先般(2024/07)とある体操選手が喫煙などを理由に五輪出場権を剥奪された。──ことを受けて、ひろゆきが喫煙者は増えたほうがいい、との持論を展開した。なぜなら喫煙をする者は年金受給へ至る前に癌になったり気管を患って死ぬから。結果的に国の負担が軽減される、というひろゆきらしい突き放した感じのロジックだった。
が、すぐに医療関係者の反論があった。喫煙者はたいがい入退院もしくは要介護状態を10年あるいは20年あるいはそれ以上存生した後に亡くなっていく。なんにせよピンコロで逝くわけではないから、喫煙者が増えると国の負担が減るなんてことはあり得ない。むしろ医療負担が著しく増大するだろう。──。
日本の高齢化社会を考えたとき(身も蓋もないいいかたをすると)高齢者はしんでいったほうがいいが、それは議論にすることができない。
人間社会では死が大きいので仕方がないが、しを望む者は、ただじぶんの運命(生き死に)をコントロールしたい──と言っているだけであって、世を儚んで(はかなんで)、あるいはじぶんの境遇を憂いてということではない。
たんにピンピンコロリで逝きたいと言っているだけだ。
超高齢化社会の日本では、たとえ病におかされていなくても、もういいや──と思った高齢者にしぬ権利を与える法律を制定していく、ということを本気で考える政治家や政党があってもいい。
リリーは悲嘆のなかで安楽死を望んだのではなく、誰かの世話になってチューブで液体養分を摂取することになる前に逝きたいと言っているのであり、それはごく自然な望みだろう。
ビレ・アウグストのサイレントハート(2014)のリメイクとのことだが、世話になる前に逝ける法律をつくる議論が超高齢化社会の日本ではじまってほしいと思っている。
主役は当初ダイアンキートンが抜擢されていたが降板してスーザンサランドンになったとのこと。
スーザンサランドンというひとはロートルな感覚でいうと大きい女優だった。目のことだが。
ルイマルがアメリカへ移住していくつか映画をつくった中にアトランティックシティ(1980)という映画があった。サランドンの役はいずれカードディーラーになるべく研鑽を積んでいる牡蠣バーの店員だった。じぶんの身体が生臭いような気がするので毎晩上半身裸になってレモンを塗る──シーンを覚えている。婀娜っぽい人だった。
役者揃いの映画でウィンスレットもサムニールもMia Wasikowskaもいるが、重いテーマのわりにはなんとなくあっさり。重いテーマだからあっさりで良かったのかもしれない。が、テーマよりミニマルなビーチハウスときれいな画のほうが印象に残った。
スタッフやキャストらはALSや筋萎縮性側索硬化症の人々に取材しているそうで、尊厳死についてなにがしかの考量となることを望んでつくられている意図はわかるが、尊厳死のことより世代間ファミリードラマとして見た。
imdb6.6、rottentomatoes64%(オーディエンスメーターなし)。
ちなみにRoger Michellはノッティングヒルの恋人(1999)の監督で、そのことばかり聞かれるからインタビュー嫌いなんだそうだ。そりゃあんなエポックな人気作つくったらしょうがないよね。
なおRoger Michell監督は2021年9月22日、65歳で亡くなった。死因は明らかにされていない。
どう生きるか、誰と生きるか
安楽死を扱った作品の中で本作がちょっと違っているところは、既に夫婦間での話し合いが終わっていて、いつどのように、というところまで決まっているところだ。
本当ならば、最初の決断のときが一番揉めたはずである。スーザン・サランドン演じるリリーだって、もう治らない病気なのね?はいじゃあ死にます。とはならないはずだ。
葛藤して悩んで夢をみたり絶望したりしたはずなのだ。
ではなぜそのパートが丸々ないのか。それは、この作品が安楽死をテーマにした作品というわけではないからなのだ。
安楽死ではないにしろ、身近な人が亡くなると何かについて多少考えたりするものだ。
回数を重ねていけばそれも薄れはするけれど、死にまつわる何かであったり、故人に関係することであったり。
なんにせよ、考え始める引き金は「死」だ。「死」と対になるものは「生」である。つまり、「死」を考えるとは「生」を考えることにほかならない。
昔の友達、親しいわけでもない会社の同僚、遠い親戚、こういった人に対してでも何かしら考えることもある。
ならばもっと近しい人だった場合はどうだろうか。
主に二人の娘は、母親の選択についてと、自分のことや残った家族のことを考えた。
それは、どう生きるか、誰と生きるか、である。
リリーは孫のジョナサンにろくでもない助言を繰り返すけれど、しっかり生きなさい、後悔なく生きなさいという助言でもある。
この「死」の直前の数日は、自分の生き方について見つめ直しなさいという時間だった。
いい作品だったと思うし、悪いことはないけれど、映画としては少々物足りない感じはある。
テーマである「生き方」がこの家族の中で完結してしまっていて、観ているこちら側に届きそうで届いていないせいかと思う。
現に安楽死の是非についてのレビューが多く、本来のテーマは届いていないように見える。
コメディなのに腹を抱えて笑える事も出来ない映画だった。
『クジュパスミーザソルト♥』
『インドの独立運動はガンジーが国産の塩つくりを呼びかけたことなんだよ。それで運動が広がった』
コメディなのに腹を抱えて笑える事も出来ない映画だった。
監督のDNAはボーア戦争を勝利した後に南アフリカに入植してアバルトヘイトを創った大英帝国のブルジョアの血が流れている。
死ぬのは勝手だが、誰でもいつかは死ねるわけだから、カンジーやインド人の心を読めない人にこう言った映画は似合わないと思うけどね。
優生保護法、白豪主義、
マッカーシズム
ジム・クロウ法、PLA◯75
『劣る者』『邪魔な者』を排除するシステムである。
旧ネーデルランドのプロテスタントとカトリックの宗教観の相違からこの問題は昔から論議されているが、日本人の死生観とは、明らかに違う。勿論、ヨーロッパでも、一時は流行りそうだったが、現在は懐疑的な目で見る者も増えている。安楽死や大麻を合法化させるよりも、売春防止法の完全確立を目指した方が良いと僕は考えるが。
だって、一人でも死ぬ事は出来るし、必ずや、その思いは達成できる。
死んだ翌日に薬ができて、地団駄踏むとかすれば、コメディに輪が架かるのにね♥
人生の終わり方
かなり賛否の分かれる作品かなと思います。
安楽死を題材にした作品のため、個人の考え方が違うことは分かった上でこういう選択をする人もいるという観点で見ていました。
ほぼ、一つの家の中だけで展開される安楽死までの家族との最後晩餐だけのですが、名優が揃った演技には感嘆しました。
重い題材ではありますが、見終わった後は妙な納得感を覚えました。
塩と胡椒
人間の生と死に対する傲慢さ、長生きできる事により生き物の本能としての生きる力を失っている。色々と考えさせられるなぁと思って途中まで興味深く見ていたが、最後がいかん、もう生は性でしかないのか?そこは本能のままかと腹が立つ。勝手な老人三人が勝手にやっただけ、そういう人達。
一言「渋い!」
進行性の病気に罹っている母が、余命を自分で決める=安楽死を選ぶ話。
医師である夫に揚力してもらって、最後の夜をか大切な家族・友人と過ごす。
ええ?!。
集まった家族達は、末娘以外「ママの決めたことだから」と納得してる。
クリスマスディナーのように、楽しい一夜を。
このまま時間が過ぎるのかな、と思っていると。
末娘の行動で、みんなの決心が揺らいでいく。
そりゃそうだよね。今こうして話せているのに、明日はいない。
できるものなら止めたい。
いやいや、それは母の気持ちを尊重してはいないのでは?。
と私は思った。
夫(サム・ニール!)
「(周囲に)大丈夫?って聞かれるのに疲れた」。
すぐそばにいる人の気持ちも、あるよね。
リメイク作品で、最初はダイアン・キートンだったそうで。
スーザンの方が、シリアス感が漂ってよかったような。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「あなたを心配することが、ママの幸せ」
自分で決断する別れの時。
2019年(アメリカ/イギリス)監督:ロジャー・ミッシェル。
安楽死を覚悟したリリー(スーザン・サランドン)は、ある週末を、
最愛の家族・友人と過ごしてから、旅立とうとしている。
その3日間を描いています。
順調にその日を迎えられる筈だったが、娘のジェニファー(ケイト・ウィンスレット)が、
父親ポールと母親の親友リズのキスシーンを目撃したことから、
思いがけぬ展開を迎えて波乱含みとなります。
この映画を観た人は全員「安楽死の是非」を考えずにはいられないと思います。
私は2018年のNHKのドキュメンタリー番組で重い神経難病の女性が
スイスの安楽死施設で自分らしさを保ったまま亡くなる瞬間を見ました。
ベッドに横たわり「宜しいですか?」「はい」の会話の後で、注射。
身じろぎひとつせず、呻き声ひとつあげず、ものの2分で眠るように、亡くなりました。
衝撃だったのは、苦痛が皆無だったこと。
リリーさんは同じくALSの患者だと思います。
夫のポール(サム・ニール)は医師で、あと数週間で、リリーは歩けなくなり、水も唾も薬も飲み込めなくなり、気管を切開して人工呼吸器を装着、胃に穴を開けて栄養を注入することになる。
そうなる前に、インターネットで用意した薬を飲み、その後ポールは散歩に出る。
帰ってから、「妻が自殺した」
そう通報するとのシナリオ。
偶然にも私の親友が、2月にALSを宣告されたのです。
最初に会話が不自然になりました。
話すことが難しくなったのです。
宣告される2ヶ月前。お会いしました。
言葉を話すのに大きくくちを開きゆっくり話すのですが、聞き取り難い。
話すのにとても疲れる・・・と言っていたのが印象的で、そのときは、
「軽い脳梗塞の後遺症」と医師に告げられたと言ってました。
彼女の場合。話せない、食べ物が飲み込みにくい、噛めない、耳鳴りがする。
それから徐々に運動障害が進んでいきました。
私は、とても聞けませんでした。
「人工呼吸器は付けるの?」とは。
人工呼吸器装着はイコール遺漏をすることを意味します。
現在、日本で新たに人工呼吸器を装着するALS患者は15%から17%と推測され、
装着率は世界一高いそうです。
逆に言えば、85%近くの人は、人工呼吸器を装着せずに亡くなっていることになります。
呼吸器を装着せずに迎える「死の苦痛」は恐ろしく、想像もつきません。
人工呼吸器を使わない場合、病気になって死亡するまでの時間はおよそ2年から5年。
(・・・・これは地獄ですね)
2020年11月。ALS患者の女性が面識のなかった医師2人に殺害を依頼したとされる、
「京都ALS患者嘱託殺人事件。」
我が家でも娘が非常に関心を示して、
「日本でなぜ安楽死が認められないの?」
「京都の女性は、自殺出来るうちにそうしなかった事を、深く悔いていた」
そして女性の24時間介護にあたっていたチームは、非常にショックを受け、
悔恨を滲ませて、徒労と無力感を感じたそうです。
日本人はどこかで死のあり方を間違っていませんか?
ん~ 難しかった
安楽死ということであるがちょっと思っていたのと違った。
病院のベッドの中で脳死のような状態で家族の同意を得て、呼吸器を外すというのが自分のイメージだったので、今回の死に方は自殺とどう違うのかと思った。
余命どれくらいとかはわからなかったけれど、少なくともまだ歩けるやんと思ったし、家族なら絶対反対しただろう。
心のちっちゃい人間なので主人公の決心や家族の同意が見終わった後も理解不能だ。
後のない状況でそれぞれ問題を抱えていた家族が最終的には解決しながら母の死を受け止めていく。
そして、また、去って行く。なんとなくむなしさだけが残った。
それはそうと夫役のサム・ニールが見た目といい表情といいカントリー歌手のケニーロジャースの見えて仕方なかった。
見るからに柔和ないい人やった。
超難問
死刑制度と対極的な位置にあるような、とてもセンシティブで難しいテーマだと思いました。主人公の生死だけでなく、家族内の諸事情が絡み合っている分、余計にややこしい話になっていて、なかなか割り切れないモヤモヤする物語でした。日本には選択肢がない分、悩まずに済むわけですが、そういう選択肢を作るべきという議論になったら、きっと賛否が分かれて、永遠に結論が出ないような気がします。「自分の命は誰のもの?」について、何通りもの答があることが容易に想像されます。誰にも共感できないような気分になりましたが、それだけ難しい問題なんだなと思いました。
鑑賞動機:あらすじ10割
家族内に火種もあり、安楽死が合法のところではない、と言うのもあり、切迫感がある。自分が家族なら…そして自分だったら…。
まだ読んでない本と観ていない映画がいっぱいありゅから死ねない。
深い愛情
ケイトウィンスレットに惹かれて映画館にて鑑賞。
リリーの母親として妻として、そしてひとりの人間として愛情に満ち溢れた温かい映画に感じました。
また、家族にもたらす母親の影響力の大きさをあらためて実感しました。
一番印象的なシーンは、ベットで薬を飲んだ後に、リリーが怖いと言った場面です。
誰に何を言われようと、死ぬことへの覚悟が揺るがないにも関わらず、最後の最後に正直な気持ちを口にできるリリーの可愛らしさを感じました。
朝日や夕日の情景がでてきますが、明日への活力と辛い気持ちを励ましてくれている、そんな気がしました。
哀しいのか感動したのか分かりませんが、とくに後半は涙が止まりませんでした。
ぜひ、大切な人と観ていただきたい素晴らしい映画でした。
サランドンが良かった。二人の娘も。ウィンスレットは流石だ。息子もL...
サランドンが良かった。二人の娘も。ウィンスレットは流石だ。息子もLの友人もよかった。
難しいテーマだから、評価は難しい。でも、私も年を取って来たので、この気持ちはわかる。
強い母が強くなれと娘に伝えて、その娘が躁鬱、というのはありそう。最後に互いを確認できてよかった。
ベッドで娘たちが母のそばにピッタリ寄り添うシーンは美しい。
Lの彼が完全にサランドンの意思を肯定すると言ってのけるのも美しかった。
気の利いた会話が楽しい。日本の家族にはなかなかまだ少ないもの。
それぞれの死生観を尊重するのは難しい。でも乗り越えると強さに。
不治の病を患い、尊厳死を遂げようとする母、リリー。その最期を見届けようと家族が集結する。ただ、初めから知らされていた訳ではないものの、そのことを知り、それぞれに動揺し、新たな事実が分かると意見も二転三転し、それぞれに葛藤していく姿を描いた作品。
それぞれのキャラクターや立ち位置がはっきりしていて、外国人の顔が同じように思う時があってもストーリーが追えて思いを馳せることができた。ざっと下記のように書き出せるのだし、脚本がいいのだと思う。
リリー:尊厳死を遂げようとする母。自分の決めたこと、自分の好き嫌いがはっきりしていて、時には相手を制止しても突き進むタイプ。
ポール:甲斐甲斐しくリリーの世話をし、周りに合わせつつ空気を壊さないタイプ。
ジェニファー:長女。結婚して家庭を持つ。正義感が強い反面、違うと思ったらヒステリックに相手を追い込もうとする。
アンナ:レズビアンでパートナーの と実家にやってくる。仕事は長続きせず、転々としながら、心の病気を患い自殺未遂で入院歴も。自由奔放なタイプ。
リズ:リリーの長年の親友であり、ポールの愛人でもある。家庭を持っていないことにコンプレックスを持っている。ただ、意見を押し通すようなタイプではなく、リリー家族に寄り添おうとする。
マイケル:ジェニファーの旦那。自己主張はあまりしないものの、空気が読め、周りの意見を尊重しようとするタイプ。
クリス:アンナのパートナーでボーイッシュな風貌。冷静にリリー家族を見つめ、いい方向に持って行こうと然るべき行動をとれるタイプ。
ジョナサン:ジェニファー・マイケルの息子。今どきの若者だが、俳優になりたいことを言えないでいたが、祖母のリリーと話すことでみんなの前で宣言する。
正反対の性格の姉妹も最後には分かり合え、見送る覚悟をする。それは薬物やっていたとか、セックスについても開けっぴろげな一族だけに受け入れるキャパの広さがあったのではないか、と想像する。
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