クレッシェンド 音楽の架け橋のレビュー・感想・評価
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強く伝わってくるけれど・・・
決して最高の音楽が奏でられるわけではないけれど、非常に力強く、しかも感動的。内容も一筋縄ではいかない実状を見事に表現しているように感じたし、かなり見入る。ラストも象徴的な表現だと思えたし、心がふるえる。にしても、物語のための犠牲はあまりにも大きすぎるように感じてしまった。ああでもしなければ、現実的な厳しさは表現出来なかったのかもしれない。色んな意味でなかなか厳しい・・・
【ボレロ/愛と哀しみのボレロ】
なんだろう。
この映画の物語は実在のオーケストラをモデルにしているとのことだが、まあ、フィクションだし、物語だから、こういう構成なんだろうなと納得する反面、それだったら、その継続してるオーケストラの活動をドキュメンタリーでも観てみたいなと考えたりもする複雑な心境だ。
また、是非知ってほしいのは、現在、イスラエルやパレスチナの若者のなかには、融和をお互い求める動きが少しずつだが出ていることだ。
映画にも描かれているように融和を邪魔するような連中もいるが、若者がずっと争っているだけではないのだ。
(以下ネタバレ)
この作品の後半は、演奏する楽曲とストーリーがマッチするような演出になっている。
どこか噛み合わない「カノン」。
皆が冷静になり始めた時には、ドヴォルザークの交響曲第九「新世界より」の第二楽章。
日本では、キャンプファイヤーの時にお馴染みの曲だ。ショッピングモールの閉店近くにかかることもあるような気がする。
そして、不穏な未来を予感させるヴィバルディの「四季」の「冬」。
この後、悲劇が起こる。
ヴィバルディの「四季」では、冬の後には、また季節が巡り春が来るということだったように思うが、ここでは不穏な感じだけが残る。
そして、空港で演奏されるラヴェルの「ボレロ」。
僕は、このイスラエルとパレスチナの若者のガラスで隔てられた空港での「ボレロ」の演奏は、映画「愛と悲しみのボレロ」へのオマージュなのだと思った。
実は、この作品の意図はここにあるのではないかと思ったりもする。
映画「愛と悲しみのボレロ」は、ナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害や虐殺などが背景にある物語だ。
スポルクが、自分の両親が収容所の医師として虐殺に関与していたことを独白するが、親がそうした戦争犯罪を犯したことによって苦悩する子供も多くいるのだ。
欧州で長く続いたユダヤ人の迫害、ナチスのユダヤ人の虐殺、イスラエル建国、パレスチナ人への迫害、続くパレスチナ人とイスラエル国民の争い。
まあ、よく考えてみると、オーケストラ云々ばかりして、近視眼的になっていた自分に気が付きもする。
でも、やっぱり、実在のオーケストラのことがもっと知りたくなった。
やはり最後で涙を堪えることはできなかった
ナチスがらみの映画ってとても多いが、イスラエル・パレスチナ問題を扱ったものはあまり見かけない。いろんな理由が考えられるが、何よりも今なお続いているからだろう。長い年月の間にこじれにこじれて、どちらが悪いと言えない複雑な問題になってしまっている。
本作で繰り広げられるのはそんな複雑で根深い問題をベースにした感情的な対立だ。テロリスト!人殺し!となじり合う彼らにはそれぞれ理由があり、それぞれに正当性がある。オーケストラを編成し、コンサートを開催するまでの障壁の高さを感じさせるシーンだ。
でも、彼らは音楽家だし、目の前にいるイスラエル人・パレスチナ人がテロを行ったり、同胞を殺したわけではない。マエストロのスポルクが行うグループワークにどれだけの意味があるのかはわからないが、その過程で何と向き合って、どんなことを考えたらいいのか観ている私たちに提示してもらった感じだ。そして、メンバーたちが徐々に一つになっていく過程がやはり美しい。でも、単純に音楽のことだけ考えればいいんだ!ってことではないし、全員の精神的なわだかまりがなくなるわけでもない(どうしても相手方を許せない人も存在する)描写があって、現実を表している感じがよかった。ただの美談にしようとしたわけではないんだな。
オマルの行動には疑問符も残るが、それを指摘して低評価にするのは無粋だ。とにかく音楽家としての真摯な姿勢が大きな感動を生み出したことだけは確か。安易にすべての障壁を乗り越えました!ってラストじゃないところがまた素晴らしい。
イスラエル・パレスチナ問題の根っこにはナチスのユダヤ虐待がある。ということはこれも広い意味でのナチスがらみの映画ってことになるな。ナチスが残した負の遺産はとてつもない。いろんな意味で考えさせられる。
2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
とても見応えのある素晴らしい作品でした。
この作品は、どちらかと言うと、生活環境がより過酷なパレスチナ側の人物(とりわけ若い世代)に、より同情的に描かれているなと思いました。劇中のセリフにも出て来ますが、"我々は戦車に対して素手で戦っている"という言葉が、象徴的で印象深かったです。
そして、何よりも、その教育環境…とりわけ音楽教育の環境にも差があり、イスラエル人がパレスチナ人の教育レベルについて差別的な発言をする場面もあります。
こうした音楽プログラム(平和コンサート)を企画して、パレスチナとイスラエルの若い世代に託するのは、対立を乗り越えて欲しいという期待からなんだとは思いますが、その"根深さ"は、やはり想像以上のものがあるなと改めて思いました。
ラスト…
不幸な結末となる、イスラエル人とパレスチナ人の若者の恋愛劇も、当事者にしたら非現実的で馬鹿馬鹿しい出来事なのかも知れないなと、ちょっと冷めた目で見てしまう自分自身に気づいてしまいました。
仲間のパレスチナ人の事故死を悼み、空港の隔たれたガラス越しに、彼らが共に演奏するシーンは、あまりにも悲し過ぎます。
ガラスの壁
イスラエル人とパレスチナ人の混合楽団を結成し和平コンサートを開こうと、オーディションを受け合宿に参加した若者たちの話。
一度は引退した指揮者を擁立し開かれた目隠しオーディションで、パレスチナ人の人数が足りないとか、追加オーディションが差別だとか始まって行くストーリー。
1948年のイスラエル建国前から衝突を繰り返し、その後も常にぶつかっている様な状態ですからねぇ…実在の楽団をモデルに、と言ってもそう簡単には行かないですよね。
そんな中でも少し緩い出来事もあったけれど…親友だからシェアしたいとか、おじさんにはちょっと何言ってるかわからない思考があったり…。
残念な展開からどう転がって行くのかと思ったら、お見事な見せ場をつくってくれて素晴らしい盛り上がり。
ただ、その後彼等がどう行動するのかとか、触りだけでも良いから欲しかったかな。
親がナチスだったドイツ人指揮者が、イスラエルのユダヤ人とパレスチナ...
親がナチスだったドイツ人指揮者が、イスラエルのユダヤ人とパレスチナ人のオーケストラでコンサートを試みるお話・・。
現実のパレスチナ問題が一筋縄でいかないので・・当然映画も・・。
イスラエルとアラブの対立は一気に解決という訳にはいかないが・・こういう小さい種を撒いておくことが将来の希望になっていくのでしょうね♪
音楽の選曲も良く♪ 生コンサートに行きたくなりました・・。
ラヴェルのボレロ・・色々な場面で使われてきた名曲ですが・・この使い方・・ため息・・。
敵対し憎み合う国同士の演奏家によるオーケストラ結成。果たしてそんな...
敵対し憎み合う国同士の演奏家によるオーケストラ結成。果たしてそんな企画が上手くいくのだろうかと見守った。感情をぶつけ合って次第にまとまってはいくが...
日々音楽を楽しめることがいかに幸せな事なのか考えさせられた。
潔いラストに感動した
前から思っていたが、人は他人をカテゴリーに分類して、その特性を決めつけてしまう傾向にある。その一方で、自分が分類されて決めつけられるのは断固として拒否する傾向にもある。
カテゴリーの最たるものは国家という共同幻想であり、その国民である。たとえば外国人から、日本人は〇〇だと否定的な決めつけをされると、日本人全部が〇〇という訳ではない、少なくとも私は違う、と反論するだろう。
その癖、ときにはそんなことも忘れて、アメリカ人は〇〇だと決めつけたりする。何を隠そう当方自身の経験だ。お恥ずかしい限りである。しかしひとつだけ言い訳をすると、言った途端に我に返り、すぐに前言を否定した。アメリカ人の全員が〇〇という訳ではない。
世界では78億の個人がそれぞれに生きている。環境も経験も個体としての特徴もひとりずつ異なる。ひとくくりにして決めつけるのは間違いだ。個人差は必ずある。
とは言っても、国民性や県民性といったものを無視することもできない。風土や歴史がその土地に住む人々の傾向に影響を与えるのも、また確かである。何が言いたいかというと、特定のカテゴリーに属する人々には共通した傾向が見られるものの、それは決して否定されるような傾向ではないということだ。
日本人は先の大戦でアジア各地で残虐行為を行なった。それは確かである。しかし日本人全員が残虐だと言われると、それは否定したい。戦争という国家の愚挙が、人間が日常的に理性で抑制していた残虐性を発露させるのであって、日本人が残虐だというのとは違っている。
人間はひとりで生きていくのは難しい。食料でさえ、自分ひとりでは手に入れられない。肉と魚と野菜を自分が食べる分だけでも自給自足するのは、稀に存在する仙人みたいな人を除いて、ほぼ不可能である。だから共同作業や分業が必要になる。原始共同体だ。生産物は共同体で分け合うが、そこにルールが必要になる。すると共同体は途端に複雑になる。巫女がいて、お告げを聞いてそれに従うかもしれない。
共同体以外にも人間がいて、場合によっては生産物を盗まれるかもしれない。共同体の敵である。一丸となってこれに対抗するだろう。同じ共同体の仲間とは共生感があり、ドーパミンが出て高揚する。自分たちとは別の共同体では、違う巫女が違う神を祭り立てていることがある。違う神を祭り立てているのはけしからんという怒りから、共同体同士が対立する事態が起こるかもしれない。部族の争いに近いが、原始的な戦争でもある。
しかし現代のようにインフラや食料、娯楽などが供給者と受給者に分かれ、その中間や外側に数多くの業種、業態の企業や役所が複雑に絡むと、もはや自分の仕事をするだけで精一杯だ。各自が供給者であり、受給者である。現代では供給と受給の流れは、国家の枠を超えている。どこにも共生感はないし、高揚することもないはずだ。
本作品の若者たちは、イスラエル人は〇〇、パレスチナ人は〇〇と互いに決めつけて攻撃する。国家間が争っているからといって、個人間まで争う必要がないことをわかろうとしない。原始共同体の高揚感が歴史的に残っているのだ。
アメリカ人に日本人は没個性的だと決めつけられても怒らなかった人が、中国人から日本人は自己主張しないと言われて激怒したのを見たことがある。どうしてなのかは、既におわかりだと思う。中国人の人権や人格を認めていないからである。
本作品でもイスラエル人とパレスチナ人は、互いに個人としての人権を認めようとしない。マエストロは、君たちは個人だ、次に音楽家だ、国を盾にして相手を攻撃するのは愚かな行為だと諭すが、ナショナリズムの高揚に麻痺した若者たちには通じない。
彼らをヒステリックに描いたのは、紛争のさなかにあるという切迫感を出そうとしたのかもしれない。しかし実際のイスラエルとパレスチナの若者は、インターネットの時代らしく、映画よりもずっとグローバルな考え方をしていると思う。自分たちの目的は国家の勝利ではなく、個人的な幸福だ。互いに譲り合って暴力を放棄すれば、戦争よりもずっといい解決策が見つかる。彼らはそれを知っているに違いない。
ところが若者たちのグローバルな考え方に水を差すかのように、マスコミは相も変わらずナショナリズムを煽る。オリンピックという国別対抗の運動会では、獲得したメダルの数を競うという馬鹿なことを報道するのに余念がない。ショパン国際ピアノコンクールでは優勝したブルース・シャオユー・リウのことをちっとも報じないで、2位になった反田恭平さんのことばかり持ち上げて大騒ぎをした。アメリカMLBで活躍した大谷翔平さんの報道にたくさんの時間を割いたが、もし日本のプロ野球に二刀流の韓国選手が来たらどうだっただろうか。ちゃんと受け入れただろうか。前半戦で大活躍したらオールスター戦で1番ピッチャーで投げさせただろうか。ファンになる子供がいただろうか。
当方は日常的に多くの若者と接触するが、もはやマスコミが煽るほどには、彼らの精神性に差別は存在しない。日本人を応援するという意識もない。プロ野球やボクシングの話をしているのはおじさんたちだけだ。外国人と仕事をするときも極めてフランクで、何のわだかまりもない。もちろん国家主義的な若者もいないことはないと思うが、個人的にはそういう若者とこれまで一度も関わったことがない。
国家の指導者が他国を仮想敵国として国家主義を煽り、国民を高揚させることで政権の安定を図ろうとするのは、既に時代遅れなのだ。世界の権力者に君臨している政治家たちがいつまでもそこに気づかない、あるいは気づこうとしないから、紛争はいつまでもなくならない。権力者に阿るマスコミがその傾向を助長する。そして本作品のような悲劇が起こる。
テルアビブといえば、岡本公三が空港で乱射事件を起こした街だ。無差別殺人は戦争と並んで不寛容の最たるものである。対して、音楽でいうハーモニーは調和のことで、これが優れているほどいいオーケストラである。それは不寛容の対極にある。
当方は毎年、渋谷のオーチャードホールでニューイヤーコンサートを聞いているが、必ず演奏されるのがラヴェルの「ボレロ」である。小太鼓のリズムに始まって、次々に楽器が参加して、最後はすべての楽器の大合奏となる。クラシックで最も盛り上がる曲のひとつだと思う。曲全体がひとつの大きなクレッシェンドなのだ。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は、毎年見事なハーモニーである。本作品の演奏のハーモニーはいまひとつだったが、それでも盛り上がった。潔いラストに感動した。
人種差別
そもそも昔ながらの戦争をしてきたから人種差別するのか。
人種差別するから戦争するのか。
人間の心ひとつで世界中 揉めるのも仲良くなるのも どっちへ転ぶか。
大人より若者。若者より子供。下へ行くほど差別なくまっすぐ まんまで人を見る。上へ行くほど人への偏見が固まっちゃうのかなぁ。叩いたら叩き返す。繰り返すなかに終わりがなくなる。叩かんとこう。ラストの締めがいぃね。
ドキュメンタリーではないけれど。
映画というよりはパレスチナ問題に圧倒されてしまいました。ドキュメンタリーではないけど、アクション映画を見ているのとは違う現実問題に圧倒されたのだと思います。私の許容量を越えてしまって処理しきれません。言葉も出ないというのが見た直後の感想です。映画はとても面白かったです。
家でバイオリンの練習中に催涙弾の煙が窓から入ってくる場面が私にはもう驚きです。日本では家にいて催涙弾やテロやミサイルの事は考えません。だから催涙弾の煙や、テロが起きることや、ミサイルが飛んで来るということが想像出来ないのです。
ロープをはさんでののしり合う場面も頭が真っ白になりました。2022年現在、日本国内で国どうしの戦闘で人が亡くなることは有りません。だから現代の若者が戦闘で親兄弟・友人・恋人を殺され憎しみあっている場面に衝撃を受けたのです。
レイラがイスラエル人達と演奏することを母親がヒステリックに反対します。もし私がレイラの父親(夫)だったとしたら母親に言う言葉が見つかりません。日本で母親が娘の人生に反対したら、私は「あなたは娘の人生を生きられない」というかもしれません。だけどあの場面でレイラの母親に、私は何も言えないのではないかと思ったのです。
最後のガラス越しの演奏場面が感動的で素晴らしかったです。
追記2/2(水)
◆パレスチナ問題で1番驚いたことは、ユダヤ教とイスラム教が平和に共存共栄していた期間のほうが長いということ。よく「何千年の宗教争い」なんて言われるが、キリスト教も含めて3宗教はパレスチナやエルサレムでも共存していたらしい。
◆宗教争いというよりもかなり土地争いの感じが大きく 「異教徒は殺せ」なんて話じゃないようだ。今さら「イギリスがウソついたから悪い」なんて言って責めても解決には関係ないな。高校のときの世界史の記憶ゼロを確認♪ヽ(´▽`)/
2022/1/30(日)晴 A
決して悪くはないと思うけど、要事前チェック?
今年27本目(合計300本目/今月27本目)。
※ このひとつ前に「地球外少年少女」をみましたが、これにレビューの需要はないと思うので飛ばします(実際は、前編3話、後半(2月とのこと)3話で構成するようです。また、「描写は実際の天文、物理…等には関係はありません」とはでますが、天文に関してはおおむね妥当な説明がされています)。
さて、こちらの作品。
この映画は確か「実話ベース」ということで前評判があったのではないか…と思います。ただ、ちゃんとここの紹介や公式サイトを見ると、
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世界的指揮者のダニエル・バレンボイムが、米文学者のエドワード・サイードととともに1999年に設立し、イスラエルと、対立するアラブ諸国から集まった若者たちで結成された「ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団」をモデルに描いた。
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…とあるように、そのような楽団があったこと、これ自体は事実ですが、それを参考にしているだけのようです。事実、映画内では年の表記など一切ありませんが、スマホ(LINEか何かを使っている模様)からすると、2015~2020年程度の出来事だと解するなら、その時の「当事者のその後はこうで…」といったことは出るからです。それらは一切ないんですよね。つまり、「史実に基づく」のは「きわめて大きな枠でいえば」そうなるが、実際には「そういう楽団が実際にあった」ということ、それをベースにしているのであり、(コロナ問題はとりあえず度外視して)現在の実話ベースの物語ではない、ということに注意しないと、この手の映画でよくある、「実話に基づく」とか「●●に捧げる」とかという話は一切出てこないので、????という状態になります。
音楽を扱った映画なので、ここは理解はある程度必要です。特にギターやホルンなど。実にいたる楽器の練習法について細かい語句が出ます。とはいえ、すべての楽器に通じている方というのはまぁまぁいないんじゃないかなと思うし、わからないと理解できないということはないので、そこは仕方がないかな…と思います。
さて、この映画は主人公が多数登場します。誰か「一人」を主人公に取ることはちょっと難しいかなと思います。とはいえ、普通に考えれば、彼ら彼女らに音楽を教える男性、この男性が主人公という立ち位置に取ることも可能です。
この男性も「自分の親がナチスの要職についていたので、終戦直後殺されてしまい、自分自身もつらい思いをした」といった発言をしているように、そこそこ知識がある方です。
しかしそうであれば、この映画のテーマ、すなわち、イスラエルとパレスチナ問題について、「音楽だけで乗り越えようとする」という点にかなりの違和感がありました。
何度か書いていることですが、特にパレスチナ問題は、確かにドイツ(ナチスドイツ)も状況を悪化させましたが、大元はといえば、イギリスの「サイクス・ピコ協定」に始まる、イギリスのいい加減な条約・宣言がどれもこれも矛盾して、「すべての相手国のメンツを立てた」ために、この「イスラエル/パレスチナ問題」を回避すべく作られた今の国境は摩訶不思議な国境が作られてしまっています。また、この「いい加減さ」にどちらもが納得せず、戦後(第二次世界大戦後)も紛争が発生したのはご存じの通りです。
※ ISIS国でさえ、ISISが「国である」という根拠を「サイクス・ピコ協定」に求めたくらい、この「サイクス・ピコ協定」は多くの人を傷つけた条約なのです。
すなわち、どこまで取るかは微妙にせよ「両親がナチスの要職についていた」と語る主人公は、音楽以外にもこのようなこと(日本では、高校世界史でも習います)を知らないはずがなく、本来的には「音楽で乗り越える問題「だけではない」」問題であるのに、イギリスのこの話を一切しないのです。
※ これは、だからといってこの手の映画のたびに「イギリスを叩くようにサイクス・ピコ協定」を出さなきゃいけない、ということでもありません。
つまり、主人公の音楽教師役の方がそこそこ知識があるなら、なぜそのような話をみんなで集まったときしなかったのか…という点は残ってしまい(それは、ドイツが責任を逃れて、文句があればイギリスに言え、というのではなく、元はイギリスに責任がある、ということは、正しい認識としては伝える責務はあるでしょう)、うーんどうだろう、「音楽版スポコンアニメ」というのもよくないですが、こういうセンシティブな話題を「音楽だけで乗り越えることの危険さ」はあるかと思います。
そして、この映画は意外な結末を迎えるのです。ここについてはネタバレなしなので回避します。
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(減点0.5) 要は上記のことが全てで、そもそも、この手の話題を扱う映画で「サイクス・ピコ協定に触れない」は一律0.2扱いで減点していますが、本作品はそれを出さず「音楽で乗り越えよう」という精神論になってしまっている点(かつ、集められた人たちはいい大人なのだから、サイクス・ピコ協定くらい理解しうるはず)、さらに、「歴史は歴史として正しく伝える責務がある、一定の地位にある人が、それを触れない」というのは、うーん、何というか、「イギリスを叩く映画」ではないのは確かなものの(本映画にはイギリスは一切出ません)、ちょっと「それは違うんじゃないのかな?」という点は強く思いました。
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ラストの更に先が観たいのに…
よくある話だろう、と思いながら観ていくとチラホラ意外な展開が待っていてハラハラしたりドキドキしたり。
ただ、あそこで終わると結局はよくあるこの手の映画のラスト2パターンのうちの1つでしかないし…
( ´Д`)y━・~~それで?
空港でみんなでボレロを演奏してお終いです。
なんか帰国して事を起こすんじゃないかと期待してましたが終わりです。
和平目的でのパレスチナ人、ユダヤ人混成楽団の話。お約束通りうまく行かず。指揮者の呼びかけでなんとかまとまったかにみえた楽団ですが、楽団のパレスチナ人青年の死で目的のコンサートがおジャン。帰りの空港でボレロ演奏、お終いです。
なんとも呆気ない。帰ってイギリスでコンサートでもするのかと思ってましたが、、、、。
ユダヤ人とパレスチナ人の闘争は果てしない。しかしながらちょっと勉強すればイギリスが悪い事は確か。なんで矛先が違った方に向かっているのか理解できない。
しかしながら問題は解決するのは難しく、問題と向き合っていく姿勢を示していたのは良かったと思います。
やっぱりボレロは名曲ですね…
大好きなボレロ。
より一層、沁みました…
やっぱりハッピーエンドを期待してしまっていたんだなーーーーちょっとしんどかったですね…
んーーなんとも複雑な気持ちで終わってしまって、なんだかな…と思いつつ、でもそれがリアルか…そう簡単な単純なおとぎ話ではないんだよな…と。
帰って改めてパレスチナ問題について調べてより一層複雑な気持ちになってしまったけど、そういう行動にさせてくれた、普段意識していない問題に向き合う機会をくれたという意味で映画としての意義が大きいのでしょうか。
でも、なんたってモデルとなった楽団が実在しているということは希望ですね!
タクトの先のパレスチナ問題
パレスチナ人とユダヤ人の若者を集めてオーケストラを作るお話しで、非常に見応えのある作品でした。両者の若者の本音をあけすけにぶつけ少しずつ歩み寄りながらも、決して予定調和な展開としないところが、問題の根深さと製作者たちの真摯な姿勢が感じられます。一方,演奏されるクラシックもお馴染みな曲が多く、家路や四季の冬など、作品のテーマからすると深読みできそうなタイトルですね。最後の空港での両者によるボレロの演奏は、わかっていてもジーンとくるし、指揮者のタクトの一振りのような、鮮やかな幕切れも見事です。役者では、ユダヤ人代表役のダニエル・ドンスコイ、パレスチナ代表役のサブリナ・アマーリの緩急つけた演技が素晴らしかったです。
正直ナメてた
正直、どこの国の映画かもよく分かっておらず、ナメてた。すいませんでした…
大変な作品でしたし、しっかりとしたちゃんと映画らしい映画でした。
イスラエルとパレスチナから若者たちを集めてオーケストラを作り演奏会を開く、という一見無謀に思えるアイディア。その設定自体が小賢しい映画かなと疑わせてたわけだけど、実際にそれをやっているのだとは知らなかったし、この映画ではそれはナチ(ドイツ)とユダヤ人との問題にも地続きになってゆく…
どちらの問題も、若者たちにとっては誰が始めたのかも知れぬことながら、自身のバックグラウンドに深く刺さっている問題でもある。それは今も彼等の生活を脅かす「今ここにある」問題なのだ。
だがそれを、他ならぬ若者達自身が解決してゆくのだと、その困難さとともに語るこの作品は、未来を諦めない羅針盤のようだ。指揮者不在でガラス越しに演奏されるラヴェルのボレロは、それを端的に現しており、それだけにとても感動的。
素晴らしい作品でした…
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