「つまり神は、常にドアを開けていて、入るか否かは我々次第です。」クローブヒッチ・キラー 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
つまり神は、常にドアを開けていて、入るか否かは我々次第です。
かつてあった連続殺人事件。おそらく殺人鬼は、その用心深さゆえに、周囲にその"性癖"は隠し通していただろう。だから事件は未解決だったのだ。そして些細な変化(タイラーの態度、鍵、)にも容易に気づくのだ。その犯人が父ではないかと疑う息子タイラーと、疑われた父ドンの、静かで周到な駆け引き。タイラーは、ドンを疑い、違ってくれとすがる気持ちで惑う。それが確信に変わったあとの行動と結末の意外性。タイラーの行動は衝動的だったのではないか?根底になる父への愛情が、そうさせたのではないか?
幸せそうなキリスト教徒らしい家族の団らん。今は何事もない穏やかな田舎のコミュニティ。・・・それは、終始こわれることない。この事件が結末を迎えても。つまり、いま自分が暮らしている生活にも、これと同じ闇があるかもしれない。人に言えない性癖のやつならいるだろう。家族に隠し持っているものもあるだろう。殺人鬼はいずとも予備軍ならいくらでもいるだろう。そして、"神の開けたドア"に入ることを拒み、罪を十字架のように背負って生きているやつもいるだろう。そいつは自分の人生を捨てた覚悟のはずだ。たぶんそれゆえに、周囲からは、"慎ましいリーダー"のように見られるのだ。
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