「早くこの作品を忘れ去ることにする」真夜中乙女戦争 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
早くこの作品を忘れ去ることにする
映画の冒頭から、夜の東京タワーに続く逆さの東京の夜景など、意味不明のシーンが多かった。廃校の通路の光景を回転させたり、意味なく匍匐前進させたり、無駄に長く池田エライザの歌を聞かせたりと、観るのが苦痛に感じられるシーンもあった。
主人公はルサンチマンを心に抱くニヒリストとして登場するが、その後の台詞はニヒリズムから離れて一定せず、心は揺らぎっぱなしである。何を考えているかわからないのだ。それはつまり、何も考えていないのと同じことである。この主人公に感情移入するのは困難だ。
柄本佑の演じた「黒服」の世界観も意味不明である。主人公と精神的な議論をしているのかと思えば、いつの間にか精神的な破壊が物理的な破壊にすり替わる。哲学的な話をしているように聞こえるが、実は雰囲気だけであった。ペダンティズムそのものである。
元官僚が語るニヒリズムや賃金の安すぎるハードワークを不条理として描きたいのは分かる。美しいものの代表である花だが、実は花を花屋に卸す業者はアルバイトにタコ部屋労働をさせる悪徳業者で、つまりは悪徳資本主義の代表みたいに描きたいのも分かる。しかし花屋がタコ部屋労働というのはどう考えても無理がある。タコ部屋労働なら何ヶ月も監禁されて肉体労働をするものだ。ダム建設の現場などがそうだろう。しかしそれを描いてしまうと建設業界からクレームが来るから、業界というもののない花屋にしたのだろう。安易で、しかも狡い。
東京を爆破するのに必要な爆弾がどれだけになるのか。2時間の講義を価格計算して講師に詰め寄るなら、爆弾の価格計算もすればよかった。おそらく数兆円単位の価格になるはずだ。重さも体積も、とんでもない量になるはずで、人力では数万人が必要になる。
他にもツッコミどころは多い。若者は金がないと主張するのにバーに行く。金がない若者はバーには行けないはずだ。爆発の真横にいて、何の怪我もなくただ少し吹き飛ばされるだけという状況はあり得ない。不条理の実存主義哲学なら恋愛要素が入る余地はない筈だが、強引にそれを入れ込む。やはり似而非哲学の作品なのだ。
主人公の演技にリアリティが皆無である。無理もない。設定が矛盾だらけでキャラクターも何もないのだ。演じた永瀬廉くんは、早くこの役を忘れ去ったほうがいい。ただ、柄本佑はこういう演技もできるのだということだけが収穫だった。当方も早くこの作品を忘れ去ることにする。