「レベルが高すぎる」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
レベルが高すぎる
ゲゲゲの鬼太郎ファンではないです
滅茶苦茶面白かった
大人の鑑賞に堪える、いろいろと深いハイクオリティアニメーション映画
舞台は1956年の日本。
作中で明示はされないが、政府の経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した年である。
太平洋戦争から約10年が経ち、
かつて起こした戦争を忘れるかのように都市部は高度経済成長の勢いに乗り、
一方で僻地には因習を大事とする村社会がまだまだ残るような、
迷信と科学がせめぎ合い綱引きをするかのようなパラダイムの分岐点となる時代。
龍賀グループという政財界を牛耳ってきた当主の臨終。
玉砕を強いられる戦争を生き残り出世と権力を望む記者・水木は、龍賀グループの根城たる哭倉村へと慶弔の挨拶に赴く。その目的は、龍賀当主を継ぐであろう付き合いのある龍賀製薬の社長(龍賀長女への入り婿)に祝いを述べて取り入ることと、龍賀製薬が極秘裏に生成しているという謎の強壮剤「M」の秘密を探るためだった。
しかし、よそ者を極端に拒む哭倉村は陰気で、何かがおかしい。
さらに、死んだと思われていた長男が生きており、皆の前で公開された前当主の遺言は長男を後継者に指名していた。だがその長男は変死を遂げ、同時に村には謎の男が現れて容疑者として捕らえられる。しかしそれは、龍賀一族の連続怪死事件が始まりにすぎなかった…
と、ここまでのあらすじで
え 阿佐田哲也『麻雀放浪記』→横溝正史『犬神家の一族』?
いや、ホラーや超常の気を匂わせてるからど三津田信三『厭魅の如き憑くもの』か?
となるのもそれはそう。
ゲゲゲの鬼太郎の、戦中~科学万能の時代の転換点1956+因習村様式美リミックスなのだ。
そこにはもう、妖怪とか超常とかで特別に演出する理由も薄いほど、無法や残酷や無慈悲や不条理、哀しみや憎しみ、そして忘却があふれているのだ。
むしろ「これがどう鬼太郎誕生に繋がっていくのか?」という、メタ的な視点でもモチベが乗るサスペンス・ファンタジーになっている。
ちなみに、当時のありえる村として『犬神家の一族』が書かれたのが1950年なので、この村全体のテンションがファンタジーすぎるということは無いように思える。当時を生きていないので推測でしかないが。
上映時間は104分だが、体感はあっという間。
様式美を浴びせること含めて、シーンはすべて明確な意図で効果を狙って作られていて、さらに切り替わりは割りきっているほどに早く、なので1つ1つのシーンやセリフはすべて無駄がなく、わかる人ほどカロリーは感じる作り。作る側が、見る側にかなりの消化力を見込んでいると感じた。
物語体験が豊富でない人は細かいことが全然わからず、表層的なアニメ映画の1つ、ぐらいに見えてしまうかも。
だがその人が悪いのではなくて、本作の作り手側の要求レベルが高い。たとえば一瞬映る市松人形がどういう意味なのか、わかる人はわかるがけっこうな人にはわからないかもってレベル。
各シーンがハイコンテクストな作りで、血やらもドバーッで、陰惨な表現もあり、わかりやすく万人向けな作品とは言い難い。もしエンタメファンでも、それなりの経験値がある人でないと本作の滋味があふれる深度ラインに浸り続けるのは難しいだろう。
作る側も割りきっている。
ただ大人向けの傑作を作る気概には満ち満ちており、達成されていると感じる。
余談。
なんか滅茶苦茶な話だが、17年ぶりに出た某シリーズ最新刊が無味乾燥で絶望を味わった今年、まさかゲゲゲの鬼太郎の映画で「俺が某シリーズで堪能したかったのはこれだよ!?」が来るとは思っていなかった。本作は小説に換算しても1000ページを超える分量があるわけではないが(恐らく300頁ほど)、104分の映画として1000頁の印象を超える。
本作は、映画ファンにはおすすめする作品。
大人なあなたにこそ見て楽しんでほしいやつ。