天才ヴァイオリニストと消えた旋律のレビュー・感想・評価
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共感できないかも。。
レッドヴァイオリンが、心に残る作品でもあるので心引かれ観ることに。
人はどんなに絶望しても辛くてもやっていけないことがあると思う。
美しいヴァイオリンの音色も私には響かない。。
35年後という設定が切ない。ところで最後のオチは何?
彼らが共に過ごしたよりも多くの時間を、お互い何に費やしていたのか。長い時間が経過しても、止まったままの時間を探さなくてはならないマーティンが切ないです。
コンサートのすっぽかしはラビの歌でようやく分かったけど、黙って姿を消す理由は全くわからない。しかし、ドヴィドルの最後のソロ演奏と映像でやっと彼の35年間が分かり始め、彼の家族写真を入れながら引っ越しの準備を粛々と行う妻の姿、置いていったバイオリンと最後の手紙で「個として生きない」と語り、ようやく彼が背負い込んだ果てしないものが分かった気がしました。
ラビの歌声とバイオリンはとても美しかったです。
ただ、最後の、”本番前の4時間”のマーティンの妻(当時は恋人)とドヴィドルの関係を明かすことで何を伝えたいのか。考えるほどによく分かりませんでした。
彼が既に別の人になっていて、行ってしまったことは分かるとは思いますが、何を伝える為のエピソードなのでしょう?
最後で弦の調律が甘いユダヤ受難曲
コンサート直前に失踪した天才ヴァイオリニストを第二次大戦中、戦後、現代の三時代にまたがって追跡する音楽ミステリーです。お話しは時系列でなく、目まぐるしく三時代を行き来するのに、混乱せずストーリーにグイグイ引きつけられるのは、監督のフランソワ・ジラールの語り口の上手いところです。とは言え、またもやナチによるユダヤ受難もので、正直いい加減食傷気味です。原題の『名前の歌』の意味のインパクトは強いけど主人公が急に信仰を取り戻して、結果として恩人一家に恩を仇で返すのは身勝手で共感できません。そのため、胸にモヤモヤ感が残り、どうもすっきりしないのが残念。役者では、ティム・ロスがいい感じのフケ具合で、役柄の雰囲気にぴったりの好演だし、クライブ・オーウェンも暗い情熱が感じられ、違った顔が見られました。
ユダヤ人の悲劇には同情するけど、節度あるお涙頂戴映画だ。
正直な感想を述べさせて頂くと、ユダヤ人の悲劇を描いた映画に私は辟易している。勿論、忘れてはならない歴史上の出来事だし、これからも記憶していかなければならない。が、もう、よほど試行錯誤をこなさないと、感動を与えることはできないと思う。恐らく、歌にして収容所で亡くなった人名を記憶したところからヒントを得た作品だと考えた。それを聞いて信仰を取り戻し、ユダヤ人の悲劇を後世に伝えることを使命にした物語。名前の歌には心の動かせるところがあったけど、それ以外は、お涙頂戴映画にしか感じなかった。まぁ、あからさまではなくて、節度は保っているけれど。
現在のパレスチナでは、ユダヤ人は加害者だ。
ティム・ロスとピアノ
音楽に造詣の深い監督のフランソワ・ジラールが手がけているからか楽器の弾き方や演奏家の表現方法など細部に表現が行き渡っていて、まるでクラシックコンサートに来ているように錯覚する。終始重ための作品ではあるが、美しく、“ホロコースト”や“ユダヤ教のあり方”など違った角度での描写によって歴史の一部を学べる作品となっている。
二人の少年が自転車に乗って野原で遊ぶ姿やヴァイオリンを奏でる姿が美しかった。魅力的なヨーロッパの街と美しい音楽が楽しめる私好みの作品。
ヴァイオリンでは救われなかった
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダは、ひとつの著書も残さなかった。残したのは口伝のみである。彼の説法は常に口頭で行なわれた。経典に残したのは後世の弟子たちである。キリスト教のイエスも同じだ。文言をパピルスに刻んで聖書としたのは、やはり後世の弟子たちである。イエス自身は教えを始めて以降は文字ひとつとして書かなかった。
法事で禅宗の坊さんが歌うのを聞いたことがある。お経の中には節がついているものがあるとのことだ。この坊さんの歌がやけに上手くて、テノール歌手の歌を聞いているみたいで大変に見事だった。
ベトナムに行った際にもベトナムの坊さんのお経を聞いたことがある。日本のお経よりもキーが高くて、語尾が上がるようなアップテンポなお経だった。寺を訪れたときに聞いたのでそれがお経だと解ったが、別の場所で聞いたらベトナムのラップかと思ったかもしれない。
本作品ではユダヤ教のラビが歌う。しかしラビが歌ったのは旧約聖書ではなく、強制収容所で亡くなった人々の名前だった。原題の「The Song of Names」はこのシーンに由来するのだろう。
本作品のフランソワ・ジラール監督が2016年4月に演出した舞台「猟銃」をPARCO劇場で観劇したことがある。記憶が少しあやふやだが、中谷美紀の独演で、赤いドレス、下着姿、和服と、ゆっくりと着替えながら台詞を言い続ける。服装ごとに違う3人の女を、中谷美紀がひとりで演じるというややこしい劇だったと思う。井上靖の微妙な叙情がいまひとつ伝わって来なかったのが残念だった記憶がある。当方の感受性不足かもしれない。中谷美紀は2007年のジラール監督作「シルク」にも出演していて、流暢なフランス語を喋っていた。
本作品は映画だから舞台よりもわかりやすい。少年マーティンは最初ドヴィドルに嫉妬するが、あらゆることで実力が違いすぎて、嫉妬はすぐに尊敬に変わる。罰を恐れて世の中に盲従するマーティンに対して、ドヴィドルはどんなルールや基準からも自由だ。二十歳を過ぎても友情は続くが、自由なドヴィドルと常識や規範に縛られるマーティンという図式は変わらない。
マーティンがドヴィドルに願うのは、自分との約束だけは守って欲しいということだ。しかしいちばん大事な約束が破られてしまう。それを忘れることが出来ないまま35年が経過したある日、コンクールに出たひとりの少年が松脂の容器にキスをするのを見て、マーティンの追跡劇がはじまる。ドヴィドルの癖と同じだったからである。
ドヴィドルと関係した3人の女たちが登場する。ドヴィドルの天才に魅せられ、ドヴィドルの我儘を愛し、ドヴィドルの人生を受け止めた女たちだ。マーティンはドヴィドルを追いかけ、35年前の真実を知る。すべての空白が埋まれば、それ以上ドヴィドルを追いかける理由はない。
ドヴィドルを変えたのがラビの歌だ。4年前にユダヤ教を捨てて無宗教となった筈のドヴィドルだが、たった一度聞いたこの歌によって、ユダヤ教の教徒となる。しかもとびきり敬虔な教徒だ。
ドヴィドルはヴァイオリンでは救われなかったのだ。ヴァイオリンの演奏がもたらすのは人々の賞賛と金銭だが、ドヴィドルにとってそれはゴミでしかない。マーティンはそこだけがどうしても理解できない。世界的なヴァイオリニストになれたというのに、その道を捨てたドヴィドル。彼を救った信仰とはどんなものなのか。覚束ないラテン語で祈りを唱えてみるマーティンなのであった。
ジラール監督はラビの歌声をハイライトシーンにしたかったのだと思うが、やはり目立つのはヴァイオリンの演奏シーンだ。ヴァイオリンが演奏されるたびにストーリーを離れて思わず聞き入ってしまう。どの演奏も驚くほど音色が美しい。演奏したレイ・チェンは21世紀を代表するヴァイオリニストだ。本物の天才である。
魂を救済する音色
「レッド・バイオリン」も歴史に翻弄させる音楽の物語で名作だった。本作は時間軸を行き来しながら謎解きをする、タイムロードムービーだ。クライマックスのステージはストーリーの集大成だ。ラストの会話はいるのか?
原題(The song of name)がとっても泣かせる。しかし直訳じゃあ客をキャッチできないだろうな。タイトルマッチの苦労がしのばれる。
ちょっと自分にはわからない
よく出来てる。
特に冒頭のコンクールのところなど出場者の演奏がちゃんと若干のわかりやすいズレ(後で機械的にいれたのかもしれないが)が入ってたり細かいところまで作りこんでいる。
ドヴィドルの運指と音がずれていることもありアフレコで全部ちゃんとやってるのは凄い。
天才演奏家を題材にしてしまうと、いかに天才的なプレイを説得力をもって表現するかというのがいちばん大変なところになるのだがこのくらい作ってあれば好感をもてる。
子供時代も萩尾望都とか竹宮恵子のマンガを思い出すいい雰囲気にできている。
ただ、イギリス貴族の考え方やユダヤ人の宗教観などが自分には理解できなくて全く感情移入できず終盤は興味を失ってしまった。
切ないヴァイオリニスト
凄く良かった。のめり込んで鑑賞。舞台や設定などもお洒落なレトロで素敵だった。物語は少し悲しい天才ヴァイオリニストの話しだが、全体の雰囲気がよくクリスマス前の今の時期にピッタリでした。
35年の空白をラストは見事に、、、
そして、、、
お薦め映画の一つになりました。
【少しネタバレ】ロンドンはじめヨーロッパの街並み、重厚な雰囲気は良い。ホロコーストは糾弾すべきだが、本作では生々しいのか空回り。
第二次大戦でナチスドイツに屈しなかったイギリス。
ホロコーストの悲劇
ユダヤ人の苦悩
1941 1951 1986
ロンドン、ワルシャワ、ニューヨークロンドン
演奏会の前に消えた天才青年ヴァイオオリニスト・・・
一人だけイギリスで難を逃れ、ポーランドの家族が強制収容所以降行方不明の青年
そりゃ苦悩するだろねぇ
ただ、約束の演奏はしようよね!
寝過ごし(ネタバレか??)・・って反則だよねぇ
ユダヤの宗教は「シンドラーのリスト」の描写くらいしか知識ないから
少しムズカシイ部分もあるけども、苦悩はよくわかる。
あと私がクラッシック音楽馴染んでいればもっと楽しめたのは
相違ない。
ただ、曇天雨天のヨーロッパ、石畳の古風な街並みの描写
と少しミステリアスな展開は雰囲気が良い
最後は全くの予定調和だけども、プチカミングアウトのネタ明かしはよく考えたねぇ。
追悼の祈り
1951年ロンドンでデビューコンサートの日に消えたポーランド移民のユダヤ人天才ヴァイオリニストを巡る話。
1938年にロンドンのマーティン家にやって来たドヴィドルと、モットルことマーティンが共に過ごした12年をみせつつ、35年後、松ヤニキスにドヴィドルを感じたマーティンが、彼の行方を追う様を差し込んでみせていく。
サスペンスなのかとも思ったけれど、時代背景とドヴィドルの背景からしても、やはりホロコーストに纏わるヒューマンドラマですね。
なぜ彼はいなくなったかよりも2人とマーティンの父親やヘレンとの物語がメインに置いて思い入れを強くさせていく展開は上手いですね。
そして疾走当日の衝撃が35年後の話に繋がって、とても哀しく、そしてやり切れず。
状況は異なるけれど、ビルマの竪琴がちょっと頭を過った。
落ち着いたよい作品
騒々しい作品が多いなか、落ち着いたよい作品でした。
ユダヤ人に対する抑圧、弾圧を描いた作品は途切れなく作り続けられます。マルクスはお金による支配から人間を解放しなければユダヤ人問題は解決しないといいましたが、このように民族の記憶を執拗に伝承し続ける以上、マルクスの考えはおおむね正しいとしても完全ではないと感じます。
この作品は、歴史を知る人、音楽を愛する人にとっては非常に印象に残る作品だったのではないでしょうか。主人公の境遇とヴァイオリンの音色のすばらしさが涙を誘います。最後のヘレンの言葉は、この作品の重さを倍増させます。ヘレンにスポットを当てても一つの作品が出来上がると思いました。
ラスト10分はクラシックコンサートのようでした
人間にとってあまりにも不条理で、これ以上ない過酷で悲惨な仕打ちを、自然災害などではなく、他ならぬ人間自身が行ってしまう。
この事実は、どんなに形を変えようと次の世代に語り伝えなければならないし、犠牲者の名前(names)を刻むこと(伝えること)は、大勢の犠牲者としてひとくくりにされるのではなく、刻まれた名前個々の人生を悼むことになる。
現在でも、大きな災害や事故のあと、その場所に犠牲者全員の名前が刻まれた慰霊碑が建つのはそのためなのだと思います。遺族でなくても、そこを訪れた人間は、その名前ひとつひとつに想いを馳せ、どんな人生を送っていたのか、或いは送るはずだったのか、そんなことを想像し、二度と起こしてはならないという想いを抱くことになります。
(私が政治家だったら、交通死亡事故現場などに、遺族の同意を前提としますが、亡くなった方の名前と年齢を記した慰霊碑を建てることを議案にして提出してる? かもしれません)
ユダヤの人々はディアスポラによって、土地に紐付いた慰霊碑や記録を残したりすることが困難であった歴史があったので、口伝で引き継いでいくことが伝統的に身に付いたのでしょうか。それはそれでまた、〝一所懸命〟という言葉を持つほど土地とは切り離せない生活を送ってきた日本人には身体的、経験的な理解がとても難しい感覚です。
映画から学ぶこと、知らない世界について考えるきっかけを与えられることは本当に尽きることがないし、ありがたいと思います。
美しくも悲痛な旋律
ユダヤ人の悲劇を十分に知っているつもりでいたが、収容所で息絶えた人の名前を口伝で忘れないようにしていたことを初めて知った。死んだ人の名前を朗誦するラビの歌声とドヴィドルが奏でる鎮魂のヴァイオリンがオーバラップするシーンでは、美しくも悲痛な旋律に心が揺さぶられる。
ドヴィドルが家族や同朋の魂が安らかであって欲しいと祈る気持ちは当然理解できるが、生き残ったユダヤ人として何をすべきかということに関しては想像できていなかった。マーティンの妻と同じで、ドヴィドルを責める気持ちを強く持っていたが、最後の最後になってドヴィドルが失踪した理由に納得ができた。
作品で流れるヴァイオリンの音色は極上で、α波が出過ぎきて眠眠打破を投入してしまった。それもそのはずで、レイ・チェンという一流のヴァイオリニストが演奏を担当しているとのこと。しかも使用している楽器はストラディバリウス。
音楽は生きている人間を癒すだけでなく、死者の魂までも鎮める力がある。改めてそう思った。
【”The Song of Names"ポーランド系ユダヤ人のドヴィドルがデビュー公演時に姿を現さなかった訳をミステリータッチで描く。シナゴーグでの口頭伝承による、ラビの歌が心に沁みる作品。】
ー 第二次世界大戦中と、大戦終了後。そして35年後の現在を行き来しつつ、物語は進む。ミステリー要素をはらみながら・・。-
◆感想
・第二次世界大戦中、ポーランドから9歳のドヴィドルは英国の同じ年のマーティンの家に越してくる。マーティンの父親は、音楽界を催す興行師であり、音楽を深く愛している。
最初は、相入れなかったドヴィドルとマーティン入れだが、あっと言う間に仲良くなる。
- 生意気なドヴィドルが、ヴァイオリンを手にすると、美しいメロディが流れ出す。才能の発露であろう。羨まし気に見るマーティン。彼の両親もドヴィドルとマーティンを分け隔てなく、大切に育てている。だが、戦況が悪化する中、ドヴィドルは故郷ワルシャワに居る両親と幼い姉妹の安否を心配していた。一枚の家族写真を常に身に付けながら・・。-
・21歳になった二人。ドヴィドルの晴れがましいデビュー公演が決まるも、彼は開始時間になっても姿を現さない。そして、35年が過ぎる・・。
・マーティン(ティム・ロス)は、行方知れずのドヴィドルを探す。そのきっかけは、演奏前に弓に塗る松脂に口づけする奏者を、オーディションで観たからである。
その仕草は、且つてのドヴィドルと同じ仕草だったから・・。
- ポーランド、ニューヨークとマーティンはドヴィドルを探し続ける。それは、我が子同様に育てた父を裏切ったドヴィドルへの憎しみも含まれていたであろう。が、それ以上に、何故に彼は公演に来なかったのかが知りたかったのであろう、且つての親友として・・。-
<漸く、見つけたドヴィドルが語ったデビュー公演の前に彼の身に起こった出来事。
”個”と”家族”と”宗教”。
そして、”口頭伝承”によって生まれた哀しくも美しき響きの、”The Song of Names"
愛する家族がトレブリンカ収容所に収容されたとドヴィドルが聞いたあと、シナゴーグで、彼の家族の名前がつづられた、ラビが朗々と歌った歌が心に沁みる・・。
哀しき、ミュージック・ミステリーの佳品である。>
【希望】
前に、ある作家さんで大学でも講義を持っている方と、民族差別なんかについて話した時、ヨーロッパで、長い間、迫害され続けてきたユダヤ人に、楽器の演奏を身につけようとした人は結構いて、持ち運びの容易なヴァイオリンを弾ける人は多かったのだそうだ。
教養であることはもちろん、場合によっては演奏家になることも可能だし、それで演奏家になったユダヤ人は少なくはないと。
(以下ネタバレ)
歌にして、口伝でユダヤ人の系譜を語り継ぐってところは、なかなか、日本人も含めて、多くの人には理解しづらいところだと思う。
エジプトを脱出し、イスラエルの地が安住の地になるかと思いきや、そこも奪われ、欧州に散り散りになり、迫害され、支え合ってきたユダヤの人々じゃないと理解し合えないものがあるのだ。
イスラエルの歴史学者でカミングアウトもしているユヴァル・ノア・ハラリのように、「神は、人間の作り出したフィクション」だと言えることが幸せなのかは、僕には判断がつかない。
ただ、神じゃなくて、人間同士が支え合うのが一番だという社会がより良いような気はする。
だから、対比として、ドヴィドルのヴァイオリン教育に尽力したマーティンの父親の存在は重要だったのではないのか。
民族とか宗教を越える人はいるのだ。
そして、この結末は、多くの困難をくぐり抜けては来たが、まだ、真の融和には時間はかかりそうだと示唆しているようにも思える。
だが、否定的なわけではなく、少しでも歩み寄ってきていると、きっと言いたいのだ。
うーん、評価がものすごく難しい…(ネタバレなしながら重要語句リスト入れました)。
今年192本目(合計256本目)。
※「アリア」「フラ・フラダンス」も観てきましたが、これらにレビューの需要はないと思うので飛ばします。
他の方も書かれている通り、いわゆるユダヤ人問題を扱ったお話になります。
実話ではないですが、歴史がそうである以上は、「実話に準じる」という扱いにはなると思います(かつ、その部分がかなりその話題になる)。
音楽に関することは、音楽コンサートで使われるような語を知っていれば有利かな…とは思えますが、音楽を扱うシーンはほとんどないため(序盤と終盤で各1回くらい)、そこは知識の差は埋められないと思います。
第二次世界大戦がはじまると、ドイツは他国と戦争をしたわけです。イギリスはドイツと戦っていたわけです。ここでナチスドイツのユダヤ人迫害が始まります。ポーランドに逃げた方もいれば、他国も含みます。そして、映画の中ではポーランドからイギリスにやってくる(逃げてくる)ようになっています。しかしポーランド自体もユダヤ人「だけ」の国ではなかったので、ポーランドもユダヤ人を何とかしたい(当時、難民が多すぎて対応が難しかった)という、単純な「イギリスとポーランドの対立」という問題ではなかったわけです。
一方、これは私は何度か書いているのですが、今のユダヤ人問題、換言すればイスラエル問題の元になったのは、実はイギリスの「サイクス・ピコ協定」です(1916)。この協定や、別の国とは全く違う協定をしたり、イギリスが相手国によって協定の内容をあれこれ変えたため、完全に破綻してしまっており、現在のイスラエルを含む国境が摩訶不思議な線引きになっているのは、こうしたイギリスの「適当な政策」(サイクス・ピコ協定含む)によるものが多いです(それがさらに、イスラム系国にも波及して、ISIS問題を引き起こした)。
もっとも、この問題はイギリスが制作しており(実際は、いくつかの国の合作)、イギリス自体が不利になるような表現はしないと思うのですが、この点、つまり、サイクス・ピコ協定にまったく触れないので、何が論点なのかかなりわかりにくくなっています(イギリス側の家族もその話は意図的にしないのか、まったく出てこない)。
さて、本題のタイトルは The Song of Names (あえて訳せば「名前の歌」)です。
これを何を指すのかは…。映画を見るとお分かりになるかと思います。
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(減点0.3) この映画で求められるのは、第二次世界大戦時のユダヤ人問題という、この映画の予告編などからで想像がつく範囲を超えてしまっており、ある程度は高校社会の世界史でもやると思いますが、現代史は何かとコマ数が足りずに駆け足で終わってしまいがちなところもまた事実です。
ちょっとこれは肩透かしを食った方も多かったのでは…とは思います。
日本公開のときは、この辺、もう少し字幕説明を増やすなどは必要ではないかな…と思いました。
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▼ この映画内で必要な事項(ネタバレなしなので、ネタバレになる部分は省略)
トレブリンカ収容所:現在のポーランドにある収容所で、主にユダヤ人をターゲットに収容していたとされるところのひとつ(このユダヤ人収容作戦を「ラインハルト作戦」といい、三か所に集めていたのです。残りの2つは、ベウジェツ収容所とソビボル収容所)。
棄教(ききょう): 信仰している宗教をやめること。宗教によって認められているもの、いないものがあり、また国によっても違います(日本では日本国憲法で信仰の自由を規定しているため、「棄教するのは止めないが、信仰している方には配慮してください」というのが一般的なようです)。
※ この「棄教する」という話は renounce (~を捨てる/(主義主張を)捨てる)という、かなりマニアックな語が出ます。このような状況でないと使われない語です。
シナゴーグ: ユダヤ教において、ユダヤ教信者が集まる場所(会堂/「教会」を考えるとわかりやすい)のこと。
ラビ: ユダヤ教信者の中でも年数、学歴ともに認められ、宗教指導者と呼ばれるような人のこと(国によっては「賢者」「師」等という"称号"が与えられることもあった)。
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