沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家のレビュー・感想・評価
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マルセル・マルソーの願い〜命を繋ぐ
パントマイムの神様マルセル・マルソーをジェシー・アイゼンバーグが、真の心の優しさ、強さを持った魅力的な人物として演じる。ジェシー・アイゼンバーグの持つ魅力と重なって見えた。
恋人エマを演じたクレマンス・ポエジーの豊かな演技力に引き込まれる。
「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビー親衛隊中尉を演じたマティアス・シュヴァイクホファーの怪演は、座席で凍りつきそうになる程。鑑賞後にバルビーの生涯を検索し、大国の強かさに暗澹とした気持ちになりました。
序盤は穏やかな空気感で始まりますが、徐々に緊迫感が加速し、息を潜めるような場面の連続に。制作者、キャストの皆さんの強い想いと願いを感じる作品でした。
映画館での鑑賞
アヴェマリア
パントマイマーとして有名なフランスのマルセル・マルソーがまだ無名の頃の話。ずっと舞台に関わってる私はマルセルの名前は勿論知ってたけど生きてた時代やこのエピソードは多くの人と同じように知らなかった。ドイツに占領されつつある国境沿いに住んでいたマルセルの家族。ひょんなことからナチスに親を殺された孤児たちの面倒を見ることになった芸術家の卵マルセル。ナチスの占領下にあるフランスでレジスタンスに参加し、ユダヤ人の子供たちを国外に逃す実話を基にした作品。今夏はナチスを題材にした作品が多く、切り口は色々でもやはりユダヤ人に対する蛮行のシーンは必ずあり、この作品も例外ではないので劇場鑑賞にはある程度覚悟が必要。でも!すっっごくよかった…😭
親を失った子供たちをパントマイムで笑顔にするシーンは芸術が戦時下で人の心を癒すというこの題材ならでは。
でも意外とパントマイムのシーンは少なく、後半はナチスから流れるサスペンス色の強いテイストになっててかなら緊迫感があり、主人公や子供たちは助かるんだろうなとわかっていても手に汗握るスリリングな展開です。
アルプスを越えるというとサウンドオブミュージックが思い浮かびますが、あれは実際に山越えしてないのはわりと有名ですね(笑)
本作はリアルにフレンチアルプスからスイスへ逃げる実話をもとにしたシーンが終盤で、ラストは達成感があります。
ただ、フランスとドイツの政治的関係等は最低限の説明しかないのでわかりづらくて帰り道ウィキで調べました💦
そして、この一年多くのアーティストが突きつけられた「芸術は不要不急論」を彷彿とさせるマルセルの俳優への道に反対する父親との印象的な会話があります。体が求める、トイレに行くのと同じだと。
マルセルのパフォーマンスと子供たちの歌声で、劇場にいた人たちは何を感じたでしょう…肉屋を営む父が仕事を失ったからこそ舞台で歌を披露し、戦争が終わったら舞台に一緒に立とうという願いは…😭
昨年見たジョジョラビットとはまた違う切り口でカタルシスが得られます。マルセルがユダヤ人の子達を救った事で、その子達が家庭を持ち命を繋いだということも勿論ですが、ユダヤ人が芸術や科学で優秀な人が多いのもよく知られてることでその点でも意義深いと個人的には思います。
そしてヨーロッパ好きとしては、アルプスの山やストラスブールの美しい街並みも素敵でした!あー、いつ海外旅行に行けるのかしら…
自分も救ったマルソー
マルセル・マルソーって話すとこんな戯けた様な喋りかたをするのかと思って映画の途中で彼の英語での講演を聞いてみた。これは米国ミシガン大学で2001年に Wallenberg Medal (第2次大戦中ユダヤ人を救ったと言う人道的な行為のため)と言う賞を受賞したときの感謝のスピーチだった。全部聞かなかったけど、映画では彼の会話のリズムがパントマイムの調子になっているのが気になったけど、いいえ全然違うと思った。でも、講演の話し方と普段の生活で話す話し方は違うし、
ビデオではパントマイムばかりで自然な会話のシーンを見つけるのは難しかった。
この映画は英語になっているもオーセンティックじゃなくて残念。実際彼は英語も含めてドイツ語も大変上手らしい。だから、クラウス(Matthias Schweighofer)との会話はドイツ語でとか、現実に近づけるため、工夫が欲しかった。もう一つ驚いたことは実際のマルセル・マルソーはこの役者より容貌がユダヤ人である。あくまで主観だが、はっきりわかるユダヤ人顔でよくフランスでレジスタンスのグループに入るまでの間の道中でナチスに拘束されなかったなあと思った。お兄さんのアレンは捕まってしまったが。
マルセル・マルソーって芸能界において知名度の高い人だが、ユダヤ人の彼がフランスでユダヤ人でレジスタンスに加わっていてユダヤ人の子供たちを大勢助けたことはこの映画で初めて知った。ナチスの悪行を再認識するよりこの映画を通して、人を助けることにかけたマルセル・マルソーの人道的行動に感激する。なぜかというと、この負の遺産を認めて謝ったり賠償金を払うドイツに、繰り返し繰り返し主にユダヤ人監督の映画やドキュメンタリーが放映されるナチの恐怖政治に疲れてきているのかもしれない。だからこのベネズエラのユダヤ人の監督は「人助け」に焦点を当ててくれているのだと感謝している。あくまで主観だ。
一番好きなシーンは父親がステージで歌うシーンを二階からじっと見つめているマルセル・マルソーの釘付けになった視線。そして父親のいうコーシャー肉屋の仕事には食いっぱぐれがないしこの仕事は家族の伝統だと息子に話すシーン。父親も息子も芸術が生きがいだとお互いにわかり二人の心が始めて通じ合うシーン。いいねえ。でも父親のいう戦争が終わったらは二人ではもうない。あるカトリック教会の裏切りにより、父親はアウシュビッツへ。
自分の思うことは延々と書けるが、ここでやめる。マルセル・マルソーの人道的行為以外は私にとって、よく知っているトピックだったのが、この映画をつまらなくしてしまった。
一つ気になった言葉:フレンチアルプス(Montriand)を山越えしているときのエマの言葉。「マルソーは自分のために何かをする人だと思ってたが、人のために働ける人だ」と。マルセル・マルソーはここで肯定しなかった。ここが圧巻。だって、マルセル・マルソーはユダヤ人である自分自身の命も救ったから。
色々悲しい映画
ホロコーストもの4本目。
これまた実話ベース。
パントマイムの神、マルセルマルソーの話。
映画としてはまあ及第点。ユダヤ人も脱走兵も皆んなスイスに逃げるんだけど、ユダヤ人差別はヨーロッパ中にあり必ずしも安全では無かったという事は最近知った。
Jアイゼンバーグが役者としてはいいんだけど、、、、
まったく動きにキレがないパントマイムで、、、
マルセル マルソー役なのに、、
見てて膝ガクガクするほど下手。
特訓したんだろうか?
見ててそこが一番悲しかった。
パントマイムはもう少しちゃんとしてほしい
今年何本目のナチス映画なんだろう。観ていない映画もある。ナチスがらみの真実ベースの物語はいったいどれだけできあがっていくのだろう。
今回はパントマイマーのマルセル・マルソーのレジスタンス活動を描いたもの。親をナチスに殺されたユダヤ人孤児を助けたって実話から作られた物語。ナチスから人を助けるって話は他の映画でもあるから、違いを出すならナチスの酷さや怖さを描くのと、ナチスにバレるんじゃないかってスリルになると思う。そういう意味では独自性のある映画だった。列車の中のやりとりはなかなかの緊張感だった。
スリルもあったし、怖いシーンもあったし、悲しいシーンもあって、全体的な印象は悪くない。復讐でナチスを数人殺すよりも、生き残る・生き残させることがナチスの目的をつぶすことという、彼なりのレジスタンスはとても心に響いた。
ただ、難点はマルセル役のジェシー・アイゼンバーグのパントマイムがあまりうまくないこと。昔のパントマイムってこんなもの?
今の時代に生きている幸運を感じました。
予告編とレビューの評価で期待して見てきました。
思った以上にナチス高官の銃殺や拷問の悲惨なシーンも多く、パントマイムのマルセル・マルソーが主役とはいえかなり重いストーリーでした。
芸術家として子供たちと接する楽しさと苦悩。
戦時下でレジスタンスに参加して復讐以外に自分たちのやれることを恋人に相談するシーンで、多くの子供たちをナチスから救い将来家族を持たせる事が目先の復讐よりこれから大切な事、というセリフは心を打ちます。
「アウシュビッツレポート」と「ホロコーストの罪人」そして今回の作品を見ると改めて今の時代ホロコーストの理不尽な歴史を忘れてはいけないという気持ちと今の時代に生まれて来て幸運と感じました。自分の環境に不満を持つ人はぜひご覧ください。
【芸術の意味を問う】
2021年夏は「復讐者たち」「アウシュビッツ・レポート」「ホロコーストの罪人」そして本作品「沈黙のレジスタンス」とナチス関連作品が4作品ほぼ同時期に公開され、それぞれ違った角度から捉え描かれているが、
本作はパントマイムの神様と呼ばれたフランスの芸術家で俳優のマルセル・マルソーが有名になる前に経験した第二次世界大戦の頃の話を描いている。
目を覆いたくなるようなナチスの残虐行為の描写に関しては他作品同様、強烈に胸をえぐられる。
前半は比較的に穏やかに物語が進むも、兄や想いを寄せるエマたちとレジスタンスに身を投じてからは物語は一転、サスペンスさながらのハラハラドキドキ緊迫したシーンが幾つも繰り広げられる。
ナチスがみせた悪夢のような状況下でさえも人々に求められていた芸術。芸術には魑魅魍魎な人間界とは無縁のような神々しさがある。かつて神への捧げ物と呼ばれたように。
劇中に出てくるクラウス・バルだって愛娘に芸術に触れさせたいと願っていたし、実際にあのヒトラーだって芸術をこよなく愛していた。芸術とはいつの世も善人も悪人もひれ伏せてしまうような壮大なパワーと美しさがある。
また本作からマルセル・マルソーという一人の芸術家としての誇りと気概さも知ることになる。
復讐をするのではなく、死んでいった同胞のために、そして同胞達の残した子ども達を守り、後世へ繋ぐことを決意し成し遂げたマルセルのその勇気に敬意を表したい。
【フランスにとって、オリジナル・タイトル「レジスタンス」の持つ意味】
「パントマイムは、そこに蜜柑がないことを忘れさせること」
映画「バーニング」の原作・村上春樹の「納屋を焼く」の冒頭の、”彼女”が話す一節だ。
僕達は、この作品に描かれている悲劇を決して忘れないために、仮にパントマイムでなくても「(今そこになくても)危機があるように演じてみせること」は、とても重要なのはことだと思うし、それは、「”(危機が)ない”ことを忘れさせる」のでも良いと思う。
それほど世界は危うい。
ユダヤ人が匿われて助かったという例は実は多くはない。
僕の知っている限りでは、イタリアのローマの医師たちと、カトリック協会が協力して、ありもしない感染症をでっち上げ、隔離されている人(ユダヤ人)は、感染症に感染しているのであって、人々に伝染するかもしれないと言い張り、実にローマに住む80%のユダヤ人が収容所送りを免れて助かったとされている。
実は、ナチスに対して煮え切らない態度を続けたバチカンに対して失望した故の行動だったのだ。
この作品でも描かれているが、ナチスは巧妙に密告者を募り、匿われているユダヤ人を炙り出し、収容所に送ろうとする。
そのため、助かったユダヤ人の多くは、匿われたのではなく、ナチスの支配地域から逃亡できた人たちで、大規模で、シンドラーや杉原千畝など協力者がいたものは映画化されているし、善良な個人がいたことを伺わせるのは「家に帰ろう」だろうか。
この作品のオリジナル・タイトルは「レジスタンス」だ。
(以下ネタバレ)
ナチスに対して抵抗を続けるフランス人の抵抗組織、レジスタンスに身を投じるマルセル達。
しかし、脅迫や過酷な拷問、或いは愛する人に対する拷問の末にナチスの協力者に仕立てあげられる人々。
協力者に仕立てあげられた後、復讐心を募らせるエマに対して、最大のレジスタンスは何かと問いかけるマルセル。
多くの子供は希望そのものだ。
この作品の物語の示唆するものは何だろうか。
確かに、この逃亡劇を通じて、冒頭に書いたように、危機を創造して考え続けることはそうだろう。
同時に、“レジスタンス”は、フランス人にとって、かなり大きな意味を持つ言葉であることは忘れてはならないことだと思う。
過酷な状況にあっても、命を投げ出してでも抵抗を続けた人々。
戦後、フランスでは、密告者は許さないという風潮が広がったことがある。
しかし、戦後の復興を達成するためには、フランス国民の団結こそ必要として、シャルル・ドゴールは、フランス国民全てがレジスタンスではなかったのかと国民に対して説いて融和を図った。
受け入れることにわだかまりはあったとしても、ナチスによる苛烈な脅迫や拷問を考えると、裏切りたくて裏切ったのではないのだと説いたのだ。
レジスタンスに身を投じたユダヤ人のエマが口を割ってしまったことは象徴的だ。ユダヤ人であり、レジスタンスであり、そして、密告者になってしまったからだ。
そして、フランスは融和を選択する。
この作品は、マルセル達に連れられたユダヤ人の子供達の逃亡劇を見せると同時に、密告をせざるを得ない状況に追い込まれた人々も含めて、フランスがどう戦い、どう団結したのか、考えさせられる作品になっているのだ。
それは、今、人種主義を背景にした分断を図ろうとする勢力に対する強いメッセージでもあるのだろう。
それにしても、ナチスのベネルクス3国、フランスへの侵攻は電撃的だったのだなと改めて感じる。
当時、英仏政府や軍は、ナチスの興味は、ポーランドや東欧、そしてソ連に向いているとの甘い見通しで、タカを括っていたため、対応が遅れたとされている。
ただ、こうした人種主義思想の連中には合理性などないのだから、そういう意味では、危機の創造はやっぱり大切だななんて考えたりもした。
殺すのではなく逃げて生き延びること。
究極の戦時下でこの決断を下すことの難しさと厳しさ。マルセルマルソーのこと初めて知りました。ユダヤ人迫害の映画はどれも強烈な事実を見せられるけどユダヤ人レジスタンスのこの話も目を背けたくなるような内容ばかり。
ただ…肝心のパントマイムシーンがよくわからずだった…残念。
レジスタンス姉妹の拷問シーンは戦慄
ジェシーアイゼンバーグがパントマイムで有名ならマルセルマルソーを演じ、対ナチスドイツの話ということで興味を持ち鑑賞。
で、思ったことは、あまりパントマイムは関係無いのね。途中の姉妹の拷問シーンはかなりのショッキング。後半40分の逃亡劇は中盤までと違って多少だがエンタメ性あり。で、中盤までは少しまったりした展開。
というような感じでした。
こういう作品を見ると現代に生まれてよかった。(最近のアフガニスタン情勢などもあり)日本に生まれて良かったと思うわな。
復讐よりも…
パントマイマーの青年マルセルが、親をナチスに殺害された子供たちと、パントマイムを通じ心を通わせ、安全なスイスに逃がそうと奮闘する物語。
初めは乗り気でなかったマルセルだが、子供たちを笑わせたい想いから、孤児の世話を引き受けることに。しかし、ナチスの進行が激化し、遂にはレジスタンスに合流し子供たちをスイスへ逃がそうと動き出すが・・・。
実在したパントマイマー、マルセル・マルソーの戦中の活動を描いた作品。
実にこの夏4本目のナチス関連作品だが、本作もナチスの蛮行は目を覆いたくなるものばかり。
マルセルの子供たちとの心を通わせる描写や、父親と夢の話には心が暖まる。
クラウス・バルビーの行為には戦慄が走る。こんな男でも、自身の子供の前では普通の親の顔になるのがむず痒い。電車内でのマルセルとのやり取りは名シーン。
そして忘れられないのが、橋の下でマルセルがエマに話した言葉。確かにそれこそが本当に大切なことですよね。胸にグサりと突き刺さる‼…でも、エマの思いも…ワタクシだったら冷静ではいられないだろう。
全体を通し、悲しさや暖かさに包まれた作品だが、それだけでなく、レジスタンスとしての闘いにはスリルも覚える。タイトルにもある「沈黙」とは言い得て妙ですね。
それぞれの親子の描写や子ども達への想い、仲間との絆に涙が溢れそうになった作品だった。
最後のパフォーマンスが示していたものとは!?
演技のような本気のような涙顔に胸がえぐられる怪演ですね。
今年の夏はユダヤ系映画が多い?
毎年角度を変えた、史実に基づくユダヤ系映画が製作されていますが、今夏は連続公開されているような?
「復讐者たち」「アウシュビッツレポート」の次に、本作と「ホロコーストの罪人」を本日鑑賞。
改めて戦争の悲惨な事実を知り、自分が浅学なのもありますが、是非とも義務教育の中で伝えていって欲しいなと毎回思います(映画だと何処までが史実か不明なものもたくさんあると思われるので、選定が難しいでしょうが)
さて、本作ですが、ユダヤ系でありながら、サスペンス映画さながらの緊張感が楽しめる作品でした。迫り来るナチスの追っ手から逃げるマルソーや子供たちにハラハラドキドキ。電車や木の上の逃亡劇、鬼気迫る自白シーンなどが見所です。
マルソーがレジスタンスに傾いていく経緯、その後の活躍などにもう少し触れてもらえると、劇中の流れや登場人物をより深く捉えることができたかなと感じました。
それからどうも気になったのが、アイゼンバーグのパントマイム。キレもないし面白みも感じられず、勿体無い。映画の中でもそのシーンは少なく、子供たちの心を和ますまでの力量がなくて、観ていて痛々しい感じさえありました。
でもアイゼンバーグの、ナチスに対して目には目をの復讐をするのではなく、自分たちや子供たちが生きのびることが最大の復讐であると説くシーンは胸に沁みました。「復讐者たち」でも同じような言葉がありましたが、まさに今こうしてユダヤの人たちが生きのびて、世界に史実を伝えていることが、それを体現してると言えるでしょう。
「ホロコーストの罪人」は、家族愛や裏切りがテーマで、また違った楽しみ方ができます。
でも、続けて鑑賞したら結構重くて、この手の映画は1日2本が限度かなと痛感しました。
権力に逆らえない現代人への皮肉なのかもしれない
本作品の一番のハイライトは、橋の下でマルセルがエマを説得する場面だと思う。リベンジに逸るエマをマルセルは押し留め、死ぬよりも生き延びる道を提案する。細部は定かではないが、凡そのやり取りは次のようだ。
奴らにリベンジするのよ。
非力な自分たちに何ができる?
何人かは殺せるかもしれない。
殺してどうなる、どうせ使い捨ての末端だ。
怒りが治まらないのよ。
多分奴らは戦争が終わったら拘束される。子供たちを逃せば彼らは家族を作る。
死んだ仲間たちは?
彼らがリベンジを望むと思うか?僕らが生き延びることを願うと思わないか?
エマの怒りに任せたセリフに対して、マルセルは人間愛に満ちた迫力のある論理を展開する。こんな説得をされたら、よほどスクエアな人を除いて誰もが納得するだろう。素晴らしい脚本であり、このシーンを演じたジェシー・アイゼンバーグとクレマンス・ポエジーの演技は見事であった。
本作品はアメリカ映画ながら、凡百のハリウッドB級作品とは一線を画していて、様々な叡智がさり気なく鏤められている。その代表はナチスの傀儡政権だったヴィシー政権を皮肉る様子である。ナチスに協力してフランス中のユダヤ人を収容所送りにした政権だ。傀儡政権でも政治権力に違いはなく、警官は権力を傘に着て市民に対して横暴に振る舞う。エマが機転を利かせてやり過ごすシーンが面白い。偉そうな警官がアホなカップルに説教を垂れて立ち去る図式にしたのだ。
フランス人だからといって全員がレジスタンスという訳ではなく、国民の多くはヴィシー政権を支持し、ユダヤ人を排斥することまでしていた。レジスタンスはほんの一握りだったのである。寄らば大樹の陰という志向は世界に共通するようで、自分が生き延びることを最優先にしたという訳だ。
フランス全土が征服されたとあってはもはやこれまでと、飲み屋ではハイル・ヒトラーに全員が息を合わせる。そこにゲシュタポの高官が来れば、誰も逆らえない。仲間が半殺しにされても見ているだけだ。
このシーンと似たようなシーンは、実は現在の日本中に遍在していると思う。たとえば体育会の部活における監督やコーチや先輩による暴力である。または精神的ないじめである。体育会に限らない。企業でもプロジェクトチームでも、社長や上長に逆らえず、ひとりが標的にされて殴られたり暴言を延々と浴びせられても、誰も止めずに見ているだけだ。
日本国憲法第14条には、すべて国民は法の下に平等であると書かれてある。指揮系統には基本的に従わなければならないが、それが法に悖る行為の強要であれば、断固として拒否することができる。暴力や暴言は止めなければならない。しかしそれには勇気が必要だ。殴られた人は可哀相だけど口を出せば次にやられるのは自分になる。
実はそこがおかしい。暴力を止めるのになぜ勇気が必要なのか。世の中がそうであるからだ。そういう教育を受けて育ったからだ。先輩の暴力をみんなが止めるのが普通の世の中にしなければならない。人に暴力を振るうことに誰もが躊躇するようにしなければならない。そういう教育をしていかねばならない。そしてそのための教材は新たに作る必要はない。日本国憲法の中にすべて書かれている。意味不明の道徳教育を課目にした代わりに、日本国憲法を課目にすれば、少しは世の中がマシになる気がする。
フランス人の殆どがナチスに屈してユダヤ人排斥に協力する中で、自らもフランス人でありしかもユダヤ人であったマルセルが、大勢に迎合することなく勇気を出してユダヤ人の子供たちを逃したことが、本作品が示した一番の叡智である。権力に逆らえない現代人への皮肉なのかもしれない。我々がマルセルに、エマになれる日がいつかは来るのだろうか。
鳥肌
数あるユダヤ人の子どもたちを救った話の映画の中でも、かなり秀逸。
フランスの近代パントマイム・アーティストの第一人者で、「パントマイムの神様」として世界的に有名なマルセル・マルソーの若き日の姿を描いた実話もの。
マルソーは第二次世界大戦中、レジスタンスの一員として、自由フランスに参加。
母国語(フランス語)以外にも、ドイツ語、英語に堪能なマルソーは、連合国軍に合流後、米軍のジョージ・パットンの渉外係として働いたことは有名だが、本作はレジスタンス時代のユダヤ人孤児たちの救出活動にスポットを当てていた。
冒頭、ユダヤ人の子ども・エルスベートがナチに両親を殺されたあと、時代が飛び、連合国が占領したベルリンでパットン将軍がマルソーを紹介するシーンでタイトルに、という流れで鳥肌が立ち、名作の予感がしたが、それが的中。
おすすめいたします。
欲を言えば、不安で騒ぐ子どもたちの気を惹くため以外に、あまりパントマイムが生かされてなかったので、その点を掘り下げて欲しかったが、過度に演出するのも意図と違うので、これでいいのかもしれません。
汽車の客車でのナチ高官との会話の攻防は必見!
(しかし、フランスやドイツの歴史を知っているか、戦争映画に慣れているかしないと、何の説明もないからパットン将軍だとわからないよなー)
セガールは出てきません。
タイトルだけみて危うくスルーするところでした。
第2次大戦下、沢山のユダヤ人孤児達を保護し、逃がしたパントマイムの神様マルセル・マルソーの話。
パントマイムに明るい訳ではない自分でもこの名前には聞き覚えがあったけど、詳しいことは何も知らずに観賞。
1938年11月、ドイツ帝国との国境近くフランス北東部のストラスブールで駆け出しの俳優をしていたマルセルが、ユダヤ人孤児123人の保護を手伝ったことが切っ掛けで転じていくストーリー。
ポーランド系ユダヤ人で肉屋の父親との関係や、パントマイムを通じて子供達を和ませる部分はあるけれど、子供達を護る為に奮闘し、レジスタンスに身を置くことになるマルセルと兄アラン、好意を抱くエマとその妹ミラが選択した戦い方をみせていく物語が、哀しく熱く温かく、そしてナチスの恐ろしさと不快さが終始漂いスリリングで、とても面白かった。
観るのがつらい…
観ていて目を覆いたくなる…のは実話をもとにした作品がほとんどです。
ナチス・ドイツに関する作品は色々な切り口、見方での作品があり、「愛を読む人」なども自分の好きな作品ですが、当事者でない者から何かひと方向の感想を言うのはとても難しい。でも人間として産まれや育ちや世間の作った属性により命を軽んじられることはよくわかりません。人を軽んじれば必ず自分も軽んじられる可能性かあると思っています。
本作品を観てそんなことを思いました…!
忌々しい歴史を忘れないために。今週の教養系映画の本命~対抗
今年109本目(合計173本目)。
このあと、「ホロコーストの罪人」もみましたが(at. シネリーブル梅田)、個人的な考え方などはまとめてそちらにします(内容趣旨が重複するので)。
こちらも実話をベースにしたお話。ストーリー的には、「アーニャは、きっと来る」に似たところはありますが、こちらが実話ベースである点が違います。
また、「アーニャは~」は、現在ではVODシステム等でも観られますので(確認済み)、参考までに予習がてらに見ると、だいぶ理解度が違うのではないか…と思います。
また、フランスのマルセル・マルソーが得意としていたのは「パントマイム」。日本語では「無言劇」と訳されるようです。つまり、言葉をつかわずに体の表現だけでものごとを表現する芸術の類型なのですね。
※ なにを勘違いしたのか、アコーディオンとパントマイムがごっちゃになってて「いつになったら楽器弾くんだろう…」と思っていたのは私…(ダメダメ過ぎる…)。
(何と勘違いしたのだろう…?似たような作品ありましたっけ…?)
映画自体、少しずつ侵略されるフランスが舞台になりますので、当時のフランスの状況を知っていないとわかりにくいところが少しあります(映画内でも説明はあるが、最低限しかない)。前日に少し予習しておくだけでも全然違うのではないか…と思います。
実話ものベースであり、実際にナチスの一連の政策で標的にされたのはユダヤ人がもっとも多くあげられますが、ほか、映画内で記述があるように、宗教論者、障がい者(身体・知的・精神)、共産主義者、ジプシーなども迫害対象に入っています(これらを扱った映画もありますね)。高校世界史まで含めてもそこまで扱わず(主にユダヤ人が迫害されたことしか扱わない)、実は「他にも多くの被害者がいたこと」、また、そもそも「ナチスの迫害政策に関与したのはナチスドイツだけでもない」(この点は、次の「ホロコーストの罪人」にて)点など、ちゃんと抑えなければならない点はあり、日本はそこがどうにもなぁ…というところです(まぁ、ここで指導要領批判したって仕方ないですが…)。
本映画と「ホロコーストの罪人」(まだ、「アウシュビッツ・レポート」はやっている映画館はあるかな…)は、「2(3)点セット」的な点はどうしても否めず、確かに「重い話題」である点は事実ですが、過去の歴史を否定することはできません。過去の歴史から何を学ぶか、同じことを繰り返さないために、個人が何ができるのか(例えば、正しい知識の習得に努める等)、色々考えさせられる点は多いです。
全体として「ホロコーストの罪人」と評価が重複する点が多く、同じことを何度も書いても仕方がないので、そちらでまた書きます。
特にマイナスと思える点はないので、フルスコア採点にしています。
全41件中、21~40件目を表示