モーリタニアン 黒塗りの記録のレビュー・感想・評価
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拭えぬ闇
ベネディクト・カンバーバッチ、「クーリエ」に引き続き政治の作品に出演、しかし今回は弁護する側という前回の被害者的立場とは全然違う人に成り代わっていました。
徹底して描かれるのは9.11の裏側、つまりその後の話なんですが、不法逮捕が続出しており、モハメドゥもその1人でした。タハール・ラヒムの好演も手伝って、辛さ悲しさ、その中から見出せる希望、が強く強く表現されていました。
特に後半の拷問シーン。水責めに無理矢理な性行為、ひたすらの暴力と見るに耐えないものになっていました。
エピローグではアメリカという国が抱えてる闇を一気に羅列していきます。イギリス製作の映画とはいえ、ここまで切り込んでくるのはさすがだなと思いました。
エンタメとしても政治劇としても中々面白いさくひんでした。
鑑賞日 10/30
鑑賞時間 12:30〜14:50
座席 C-12
アメリカの闇
自宅にいたモーリタニア人の青年モバメドゥは事情聴取という名目でアメリカに拘束され、9.11アメリカ同時多発テロに関与した疑いで取調べを受けた。弁護士のナンシーとテリーは、モハメドゥの弁護を引き受け真相究明にとりかかった。モバメドゥは裁判すら受けられないまま、キューバのグアンタナモ米軍基地で拷問と虐待の日々を送っていた。調査を始めたナンシーたちだったが、黒塗り資料の壁に阻まれなかなか調査が進まなかったが、次第に拷問による自白だった事が明らかになってきたという話。
これ、実際に無実の罪で8年間も起訴もせず拘束し、無罪判決が出てからもさらに7年間拘束し続けたとは、酷すぎるアメリカの闇だな、って思う。
拷問自体はホロコーストや北朝鮮を扱った作品で多く観てるのでそれほどとは思わなかったが、最近のアメリカが行っていた事に衝撃を受けた。
ナンシー役のジョディ・フォスター、ステュアート中佐役のベネディクト・カンバーバッチは流石に素晴らしかった。モハメドゥ役のタハール・ラヒムの意志の強さと悲しみの表情が良かった。
骨太な実話エンターテインメント
TRUE STORYと銘打ち、国家元首も政府高官も、とんでもない命令の指示者として、或いは不作為者として実名で登場する、しかしエンターテインメントのツボは外さず説得力を持って見続けさせる映画力(えと、そこじゃないですかね)。BBC製作というだけで増す信頼感。
どこの国でもあることと開き直れない、他国の人権問題を批難している米国政府が起こしている問題。米国ではない英国の制作ながら、スターを起用してエンターテインメントになせる事は自由主義陣営のまだ信頼できる自浄作用、中国では間違いなく許可されないだろう(それどころか今後は香港映画さえ過去作を含めて検閲強化されるという…これはまた別の話)。
同世代のスター、ジョディ・フォスター、あんなにスルッとしたお顔だったのに流石に目立つ皺、でも変わらす美しい。ラストに出てくる写真の御本人のイメージ通りの白髪。カンバーバッチは御本人とは大きく異なるルックながら真面目さを全面に押し出して納得感。
この映画が出来る素晴らしさ
この物語を映像化できる国が凄いなって思いました。
大きな事件や出来事には表裏があり、その暗部を出せる事がこの映画の醍醐味だと思います。
司法の判断を尊重した社会で行われる行為。
物語の発端となる9.11。これにより拘束された人物その弁護士、そして起訴する人物。
起こった事に対しての不条理な物事だけではなく、その行為の副産物として悪のレッテルを貼られた人物への国家の対応や国民からのバッシング。
その答えを司法に求める人物たちの行動がこの物語のキーであり、製作者の表現したいことだと思います。
もう一つ何が本当の事なのか分からない中で、想いのこもった手紙(言葉)には確かに何かを起こさせる力があるんだろうと思わせてくれる物語だと感じました。
怖い事
ですね。アメリカは必死で犯人探しをして、疑いを持たれた者は、肉体的にも精神的にもボロボロにされる。それは嘘の証言でもしてしまうでしょうね。でも、裁判に勝ったのに、更に7年も釈放されなかったのは何故でしょうね。
自由と許すが同意のイスラム、深い。
グアンタナモ、アメリカ合衆国が9.11の報復、正義を振りかざすために違法なことを行い続けた施設、というイメージを持っていたが、目にしたニュース映像や内容がおぞましく、深掘りしたいと思わなかった。この映画を見たいと思ったのは、何よりジョディ・フォスターだ。そしてカンバーバッチ。この二人が共演するなら見ないわけにはいかない。実際、期待を裏切らない作品だった。
アメリカはやはりおかしな国だ。法律が遵守され、権利が守られる制度はあるが、権力がそこをねじ曲げ、政権が変わるとその悪事が必ずばれる。正義感のようなものを持ってる人が必ず暴く、という印象。だてに聖書に宣誓するわけではないのか。
驚いたことに、イスラム教もキリスト教も正しい信仰を持っている人には愛があり、語る言葉も祈る内容もほぼ同じ、そして人を許す事が出来る。この壮絶な映画の中でこの真理を見る事ができるとは予想しておらず、とても感動的なシーンだった。
宗教は関係ない、悪いのは私利私欲と自分勝手を通そうとして暴走する人々。それをテロリストというのだろう。
この作品の最後にご本人達が出で来る所ホッとさせられた。
誰かに責任を負わせなければならなかった
本作で描かれた事実に絶句した。
ここまで、視覚的に観ているのが辛くなるのは初めてだったし、モバメドゥ本人の苦痛は想像を絶するものだろうと思った。
真意はわからないが、誰かに責任を負わせなければならないほど(当然誰でも良いわけはない)アメリカ人の怒りは収まりきらなかったのかなと思った。
その中で、怒り、偽りの事実に囚われず戦い続けたナンシーやスチュアートがいなかったらと考えると恐ろしい…
大国の隠された真実
映画紹介には、法廷サスペンス・ドラマと紹介されていたが、これは、立派な社会派ドキュメンタリー・ドラマである。冒頭、「This is a true story」とあり、監督がドキュメンタリーでは定評のあるケビン・マクドナルドだけに、9.11爆破テロの容疑者として無実の罪で拘束された、モハメドゥの16年もの長きに渡る闘いを、見事に描いている。
9.11は世界に衝撃と恐怖に陥れた。当然、アメリカ側からしたら、躍起となってこの事件に関わった者達を取り締まり、犠牲者への報復を優先したのも理解できる。実際、ビン・ラディンが次第に追い詰められていく様子は、世界中が固唾を飲んで見守ったのも事実。
しかし、その裏では、こうした罪なき者への拘束や拷問を通して、裁判も受けさせないで、犯罪者へと祀り上げる魔女狩りのような事も行われていたことを、改めて知らしめる作品となった。また、それと同時に、国家ぐるみの恐るべき真実の隠蔽や陰謀が、実際に渦巻いていることに驚愕を覚える。拘束されたモハメドゥに対する、精神を狂わすほどの、拷問の数々。それに耐えて耐えて、耐えきれなくて、真実を曲げてまで強制自白させられた言葉…。あまりにもやるせない切なさと痛みが伝わってきた。
今回、モハメドゥ役のタハール・ラヒムは、多分、初めてスクリーンでお目にかかった。フランスを代表する俳優ということで、英語も流暢に話せるし、これからハリウットへの進出も楽しみな俳優だ。そして、何といっても、弁護士役のジョディー・フォスター。役柄、かなり顔の皺を強調し、年老いたビジュアルだったが、強く、諦めない、鉄の女としての健在ぶりは、『タクシー・ドライバー』から知る者として嬉しい限り。また、ベネディクト・カンヴァーバッチは、ジョディーと敵対する軍の検察側ながら、正義を貫くあたり、アメリカもまだまだ捨てたものではないことを訴えてくるようでもあった。
エンドロールで、国に戻り、自由を謳歌しているモハメドゥが映され、そのBGMにボブ・ディランの曲を流すのも何とも皮肉。しかし、彼が、「アラビア語では、自由と赦すは、同じ言葉」と言っていた言葉を象徴するようなシーンでもあった。
騙された。
かなり衝撃的な作品なのに、良くも悪くもあまり評されていないのは何故なんだろう。
役者陣も豪華だし、もちろん演技も素晴らしい。
正直、ジョディ・フォスターがいつの間にかこんな老けちゃって…と思っていたら、実在の弁護士に寄せた仕様だったと知ってひと安心。
そしてモハメドゥ役の彼がホントに良かった。理知的で洒落た彼が、どんどん追い詰められ、それでも神を信じ、崩壊することなく踏みとどまっている痛々しさが伝わってくる。
これまで911テロに関する映画は、アルカイダ側の活動を(当然批判的に)描いたものが多かったが、そういった数ある作品を遥かに凌駕するレベルで、もっと根深いアメリカ合衆国の闇を暴いている。
最初の15分を使って、拘留された若者モハメドゥの扱いについて人権派弁護士のナンシーと、911テロで友人を失った政府側のスチュワート大佐が対決する映画なんだ、不当な拘留や非人道的な扱いについて正しさを示す映画なんだ…と、かなり手際よく説明して見せて、実はそんな簡単な話ではなかった。
この手際の良さがまた、観客を騙すのに一役買っている。
で、途中で観客は思っていたのとは違う方向にエスカレートしていく流れに戸惑っている内に、後半「え?」「マジ?」というシーンが次々と繰り広げられてさらに翻弄される。
まさにナンシーの気分。
「信仰」ということについても象徴的に描かれている。
敬虔であるが故に苦しみ、敬虔であるが故に救われもする。
一部の有力者にとって不都合な真実が黒塗りで隠蔽されることは、もちろんこの日本ではよく見る光景だし「世界の警察」たるアメリカさえ起こる。
つい先日の「ケネディ大統領暗殺の情報開示延期」ってニュースもそういうことなんだろうな。
衆院選投票日の朝、この作品を観ることになったのも何かの思し召し。
誰かに丸投げすることなく、国民がちゃんと権力を監視し評価する側にいなければね、と痛感した。
(ここからネタバレ)
本当ならただただ重くて暗い映画になりがちなところが、主人公モハメドゥという人が、本当にユーモアがあって頭が良い人物であることが、最後の本人登場であらためてよく解ったし、観ている我々もそれで少しだけ救われた気分になれた。
最後まで観客は作り手に気持ちよく振り回され、それでもちゃんとメッセージが伝わる。
この夏から秋にかけて劇場公開される作品、どれもえげつないぞ。
深い闇に見合う光
なんでもスケールが桁違いに大きいアメリカ。
闇の部分もどれだけ深いのか、と告発的な映画を見るたびに思います。これもそうです。
グアンタナモ基地の収容所…日本で言えば、国後島とか択捉島あたりに政府直轄の収容所があるようなものでしょうか。
カンバーバッチは、ついこないだ『クーリエ』でキューバ危機の話に出ていたと思ったら、今度はそのキューバにあるグアンタナモ基地にある収容所の話。
ややこしやー、と叫びたくなります。
1898年のアメリカスペイン戦争(米西戦争)で、勝ったアメリカがキューバとグァムとフィリピンを獲得した名残で、いま残る基地の場所はキューバから永久租借されているとのことです。
底知れない闇ではあるけれど、ルールに則ってやるべきことをやれば、最終的に情報公開はされるので、光だってあるということだと思います。
・良心に従ってやるべきことをやれる人材が、どちらかと言えば体制側に属す人の中にもいること
・そのような人たちが闘うことのできるルール(司法制度)があること
・官邸(アメリカなので、ホワイトハウス?)に忖度しない報道機関があること
・事案に関わる権力者が存命のうちに、実名で映画が作られ、公開もできること
そんなことを考えると、アメリカは日本よりもはるかに健全な気がします。
闇の深さに見合う光も、決して簡単には見えないけれど、ちゃんとある。
光を見出すことのできる社会的な制度が整っていなければ、そもそも闘う気力も起きないわけで、ここ10年ほどの政治状況はジワジワと国民をスポイルすることに成功しているようで、怖くなります。
国民の気力が衰えたことを確信できているから、だから大した反発も起きないはずだと確信できているから、平気な顔で、「国民の皆さん、まずは『自助』からですよ」なんて言えるのじゃないでしょうか。
真実は分からないが沈黙が答えか
長年に渡って不当に拘束されていたモーリタニア人の手記を基に作られたアメリカを告発した映画です。軍は彼をかなり確信を持ってテロリストだと判断しており、答えありきで禁じられた拷問をしていきます。
その内容は機密文書で、開示されても直接のコピーができなかったり、検閲されたりするので正確さに欠けるのですが、機密だから答えられないという以上反論しないということでもあり、それは肯定と受け取られる覚悟を持ってのことでしょうから、じゃあアルカイダとやってること変わんないじゃないのと思われても仕方ないかなと思いました。
しかし拷問の中に一つだけ「これやれって命じられた兵士にも拷問じゃないの」と思ったのがあって、それは衝撃でした。
アメリカがヤバい国だと改めて思う‼️❓
9.11の犯人がアメリカ政府である、自作自演であることは明白です。
具体的には、ブツシュが石油欲しさに仕組んだのです。
こうゆう冤罪事件とかアメリカ政府の暗部が明らかになるのは良いことです。
世界を知るために、是非。
「黒塗り」で日本人を煽ってみる
カンバーバッチは、今回もカッコ良い役どころ。多少の危惧を持ちながらの鑑賞でしたが、グアンタナモを良くご存じない方は、事前予習は必須。9.11の実行犯グループについても、多少の知識があった方が良いと思いました。
◆ここに収容所を作った理由は、看守を隔絶するため
人権弁護士ナンシーの言葉の意味の説明が、アメリカ人以外には必要なんでしょう、まずは。グアンタナモにはアメリカ海軍の基地があります。キューバに連れて来られた事を察したサラヒは、「米軍がなんでキューバに?」と疑問の言葉を口にしますが、これは彼が政治的には無知であることの描写になっています。
1898年の米西戦争時、米軍はグアンタナモを占領し、その後キューバを支援してスペインからの独立を実現します。キューバ新政府はアメリカの求めるまま、グアンタナモの永久租借を承認します。キューバ革命後の国交断絶期間中には、米・キューバ双方が基地へのアクセスを不可能にするために地雷を大量に設置。カストロ政権が基地租借を違法だと非難する事態を受け、米軍側は地雷を撤去。バイデンは、様々な問題を起こしているグアンタナモからの完全撤退を選挙期間中に公言していますが、今のところ、具体的な動きはありません。
でですよ。
グアンタナモは租借地なので、主権はキューバにあります。よって「アメリカ国内法」の効力が及びません。グアンタナモは米軍基地の収容所です。ここで「捕虜」の場合はジュネーブ条約の適用対象となりますが、「テロリスト」=「犯罪者」となった場合、軍法の適用対象となり、これは事実上、拘留されたものを保護する法が無くなることを意味します。
いかなる国際法・国内法からも隔絶された場所で、米軍が都合の良い様に振る舞える場所。それが、グアンタナモと言う事です。
◆今更「サウジ政府関与の疑い」と報道するNHK
今年9月9日、NHKは9.11のテロに「サウジアラビア政府」が関与していた可能性を、「20年後の真実」とでも誤認させるようなweb番組を公開しました。今更も今更ですけどね。もう、こういうところが大っ嫌いだし、どんな狙いがあるのかと勘ぐってしまいます。
サウジアラビアはサウード家が支配する絶対君主制国家です。王家は5,000人とも1万人とも言われていますが、中には強硬な反米思想の王子が多数います。そもそもビン・ラディンはサウジ出身。また、ウガンダのアミン、パキスタンのミヤーン・ムハンマド・ナワーズ・シャリーフなどの亡命を受け入れた犯罪者エスケープ国家でもあります。なんと言っても、テロの実行犯19人中、15人がサウジアラビア国籍者。
こうした背景もあり、9.11から1年以内には、サウジの「特定王子」(政府じゃ無い点に注目)が9.11テロを裏で操り、ビン・ラディン一家はサウジに潜伏している、との怪情報が世界中を駆け巡りました。
◆リクルーターの重要性
欧米在住で、怪しまれる事なく米国に渡り暮らしていくことができるムスリム。欧州で活動するリクルーターの役割は、そうした人物をかき集める事。実行犯19人のうち、4人がドイツ・ハンブルグを拠点にするイスラム過激派組織の出身者であった事が、サラヒの冤罪につながっていきますが、その4人は全員がサウジ国籍でした。リクルーターは重要ですが、9.11の実行犯グループの国籍と経歴からは、サウジ国内からの遠隔操作だけで充分だったはず、としか思えない。
◆ナンシー・ホランダーの成し遂げた事
日本国内の人権派弁護士の、おそらく半数が「大っ嫌い」なワタクシです。反体制のために人権を弄ぶ人たちですからね。ナンシー・ホランダーの偉業は、「グアンタナモにアメリカ合衆国の憲法権利章典適用を認めさせたこと」にあり、映画も、その点に焦点を合わせた造りになっています。
◆バイデンへの期待
グアンタナモを閉鎖すると公言したのは良いとして。代替地・代替施設はどーすんですか?
収容者の権利の保証と、その監視プロセスを導入するだけで良いんちゃいますか?
って思います。
割とフラットに作られており、ナンシー・ホランダーを称える内容になっている点に好感を持ちました。邦題、どうにかならんのかなぁ?、ってのは思いますw
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11/1追記
ちょうど、この映画を見た10月30日、Parstodayにグアンタナモ収容所キャンプに拘束されていたマジード・ハーン氏の記事が上がっていました。記事の要旨は以下。
(以下、Parstoday日本語版からの抜粋)
米同時多発テロ後にグアンタナモ刑務所に拘束された収容者が、これまで秘匿されていたCIAによる拷問について、初めて暴露。
イスナー通信にると、マジード・ハーンは戦争犯罪容疑について検討する陪審団(グアンタナモ)に対し、CIAが秘密施設において、いかに尋問担当者からの圧力にさらされ、拷問や虐待を加えられていたかを語った。
ハーン氏は、長期間にわたって天井の柱から裸の状態で吊るされたり、氷水を継続的にかけられたりして、何日も眠れないようにされたと語った。また、頭を窒息するほど水の中に沈められたり、平手打ちを受けたり、さらには性的虐待の対象にもなり、「所在が隠された」刑務所内で食事を提供されなかったりしたとのこと。
同氏は、彼らに協力したり自白したりすればするほど、拷問は激しくなったと述べています。
ハーン氏は2006年9月にグアンタナモ刑務所に移送されるまで、およそ3年にわたって、このいわゆるCIAの「ブラック・サイト」で過ごしていました。
(以下省略)
ハーン氏がグアンタナモ移送前、CIAのブラックサイトで拷問されていたのは2003~2004年から。彼はグアンタナモの陪審団に対して、CIAのブラックサイトにおける拷問をチクった、と言う記事です。彼はグアンタナモでの拷問を受けていません。
米国最高裁判所が、グアンタナモの被拘禁者に「受刑者の監禁刑法」による保全の権利があると裁定したのが2004年。映画の主人公であるサラヒに、コロンビア特別区連邦地方裁判所からの釈放命令が下ったのが2010年3月。同年9月、米司法省は上訴。映画の原作である「グアンタナモ日記」の出版が2015年。この出版が世論を動かしたものと思われ。国防総省等、6機関のタスクフォースチームによって構成される「定期審査委員会」の審査で、サラヒの釈放が決定したのが2016年2月。同年6月、サラヒは釈放されました。
米国最高裁判所の「受刑者の監禁刑法」の裁定が2004年。ナンシーがサラヒの弁護を引き受けたのが2005年。カンバーバッチ演じるカウチが、「証拠を入手するために使用された方法」の不当性を知ったことで、「良心的に事件を続けることができなくなった」として手を引いたのは、2004年の5月なんですね。
映画を見て誤認してしまいましたが、グアンタナモの被拘禁者が米国憲法によって保障されている幾つかの権利を行使できると言う裁定は、弁護士ナンシーが事件に乗り出す前の事でしたし、カウチとの事前の直接折衝も、映画の上での演出と思われます。
カウチは2006年9月9日にナンシーに手紙を書いています。 手紙の中で、サラヒは彼の犯罪の自白はすべて拷問の結果であることや、尋問中に「すべて」を語るように求められて笑い、「チャーリーシーン彼がデートした女性の数を尋ねるようなものだ」と冗談を言ったこと、等を告白したとの事。
グアンタナモでの非人道的な拘束や拷問による尋問を止めたのは、カウチの行動がきっかけと言うのが事実の様ですし、映画の中で描写されたような拷問は、少なくとも現在のグアンタナモには存在しない様です。
ちなみに、治外法権の地、グアンタナモには「ゴースト被拘禁者」なるものが存在します。裁判外の囚人で、時として政府ですら、その身元を明かされることが無いそうです。
興味はありますが、ちょっと怖い。
【氷山の一角】
僕たち日本人からしたら、スラヒの、こんなケースが本当にあったのかと驚かされるが、恐らく、これは、米軍が戦地などで行った捕虜やテロ容疑者に対する虐待や、その結果、生じた冤罪の氷山の一角なのだと思う。
この事件はあまりにも有名で、アメリカのメディアも詳しく報じていたし、日本にも記事の要旨が伝わっていた。
僕は、この要旨を読んでいた。
スラヒやナンシーの忍耐力には頭が下がるが、同時にテロや戦争は、人に善悪の線引きを曖昧にさせる怖さもあるのだと思う。
ブッシュ政権は、あの大規模テロを未然に防ぐことが出来なかった事を、こうした人間を逮捕して、吊し上げて、拷問し、でっち上げた事実をベースに裁判して、罪を着せ、国民の目を自分たちの失政からそらせようとしたとしか考えられない。
だから、イラン戦争も、ありもしない事実をでっち上げて、始めたのだ。
そして、オバマ政権は、支持率をいたずらに下げないために、スラヒの解放を拒んだのだ。
確かに、米軍の行為は、中東やアフリカの一部の国々、東南アジアではカンボジアなどで行われているような監禁や拷問、処刑などと比べて、割合としては圧倒的に少ないのかもしれないが、民主主義国家であるからこそ許されないことはあるのだ。
日本でものり弁の資料は、記憶に新しい。
もし、刑事犯罪で、日本でも類似したようなことがあれば、それは許されない。
それに、日本の政治家には隠蔽が当たり前のような輩も多いのだから、国民の監視がいかに大切かと考えさせられる。
民主主義の基本は選挙だ。
選挙に行きましょう。
人間を見つめる
怖さに震えながら
劇場を出ました。
9.11で国内外に激震が走り
国家の威信をかけて
首謀者や全容を何としても明らかにして
きちんと報復し
国民を納得させ他国に知らしめる必要があったことで
起こったことだと思います。
理性、思いやり、良心、法の遵守の欠片も感じられない
人間や国家の負の部分が
現代であってもどこであっても出現することに対する怖さです。
でも、同時に人間の正の部分の救いを
何とか感じられる映画でもありました。
地獄の中でも正気や本来の人間性を失わず
スラヒが赦そうと考え生きること、
周囲からバッシングを受けるなど困難がありながらも
真実に迫り、助けが必要な弱い立場の人に寄り添おうとするナンシー、
感情に走らず、盲信せず真実を追究し、法の下公平に判断しようとする中佐。
人は信じたいものだけを信じようとすると言われますが
理性・良心、公平な気持ちを持って
真実とは何かを見極めようとする姿勢は
大事なんだなと思いました。
最後に、キャストがすごく良い映画でした。
特に、ジョディ・フォスターは
いい歳のとりかたをして素敵だなと思いました。
グアンタナモにいた人の話
なぜこの人が自分の国で逮捕され、アメリカ軍基地内の刑務所で尋問され拷問され長期に渡り勾留されなければならなかったのか?
ただ、この事をこれだけの素晴らしいキャスト、撮影で映画にして告発、問題提起できる事は素晴らしい。
翻って日本のグアンタナモは、入管の収容施設と私は思うが、誰か映画を作る人はいないかな?
なぜグアンタナモに収容所が出来たのか? そこで何が起きていたのか?
拷問の歴史は中世から始まる。
しかし、国家が主体となって、やり始めたのは近代ではKGBの前身のチョーカー
そしてそれを高めたのはナチスのゲシュタポだった。
騒音よる不眠 電気放流 水責め 果ては針金等の悪魔の所業は第二次世界大戦の後 根絶されたと認識されていた。
『This is true story』で始まる、この映画を見て、それはまだ続いていた史実を知る。
しかし この映画が問うのは 人々が憎悪の余り、法や正義を省みることなくなって行くトランス状態
皇室の女性の人生の選択を魔女裁判のように扱うのと、重みは違うが 本質は同じだと思うのだ。
その残酷な冤罪の映画に希望を与えているのは、人道派弁護士による法と正義の告発に依って、冤罪が晴れた事実だ。
しかし、、それには14年もの時間がかかった。
その実在の法律家をジョデイ・フォスターが演じていて圧巻の演技である。
大量破壊兵器など無いのにブッシュ政権は何故戦争を始めたのか それを何故 日本は追従したのか? そして米国の国外なら訴追されないからとラムズフェルド国防長官がどんな指示をしたのか?
その事を忘れない事こそ次の戦争を生まない と、この映画は語りかけて来る。
政府には一泡吹かせることができるが国民からは総反発をくらう
スラヒ氏の手記が出版されずこの作品も観なければ、グアンタナモに収容されているモーリタニア人のことなど関心もなく、テロ後の米国の人たちと同じようにアラブ人に対してネガティブな感情を持ったままであろう。
今よりもまだまだ報復の感情が納まっていないあの当時、無罪の確証もない外国人のために政府を相手にして、弁護を引き受ける。誰であれ裁判を受ける権利があるとの法に基づく信念。
たとえ上官の命令であろうと、無実であるかもしれない誰かを、誰でもを、死刑にはできないというキリスト教徒としての、法律家としての信念。
どれほどの拷問を受けて、理不尽に何年も拘束されても、許す(自由)という信仰と希望を忘れない信念。
(最後の法廷での彼の証言は感動的)
映画化にあたっても国民の反発や政府の圧力などがあるだろうに、こういった作品がメジャーな作品として制作公開されるのは、信仰や法に支えられた信念を持つ人が、クリエイターの中にたくさんいるからだろう。
アメリカの良心というか、こういう作品が時々出てくるアメリカってやはりすごいな。
若い人たちにこそ観てほしいし、観るべき作品だと思います。
全184件中、141~160件目を表示