モーリタニアン 黒塗りの記録のレビュー・感想・評価
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権力の横暴
いつの時代でも権力の横暴は発生する。
実は日本では、当たり前のように発生している。
自白しない容疑者が、裁判も経ずに長期間勾留されるのは日本では日常茶飯事であるという事実を日本人はしっかりと認識すべき。
悪名高い「人質司法」である。
無実の人も、検察が勝手に描いたストーリーに乗せられ、ひたすら長時間の取調べを受け、それを認めなければ延々と勾留される。
さすがに日本では映画のような拷問はないと信じたいが、しかし日本は「取調べに弁護士の同席が認められない」という先進国にはあるまじきルールとなっており、さらに取調べの録画もひと握りの事件にしか適用されないから、実際には拷問が行われている可能性も完全には否定できない。
少なくとも「自白すれば帰れるぞ」「自白しないと職を失うことになる」「家族にも迷惑がかかるぞ」等の精神的拷問は間違いなく行われている。
この映画のような話は、アメリカの、テロ犯罪という特殊な一部の世界だけの話ではない。
実は日本でも起きている話なのである。
アメリカ政府は謝罪していないと映画のラストで紹介されていたが、日本も同じ。
冤罪事件が確定しても、検察も裁判所も、謝罪など一切しないし、誰一人責任を負わない異常な世界がある。
日本でも冤罪事件は山ほどある。
是非日本の映画人にも、この問題を投げかける映画を製作して欲しいと思う。
冤罪で苦しんだ人々が出版した本は日本にも山ほどあるのだから。
心が震えた。アカデミー賞級の素晴らしい作品
アメリカの闇を見事に描ききった素晴らしい作品。これだけ素晴らしい作品なのに
ゴールデングローブ賞は役者のノミネートのみ。アカデミー賞はノミネートなしと言うのは不思議な気もするけど、固い話なのに緊張感に包まれ、それでいて最後の結末にものすごくホッとさせられるいい映画でした。
ベネディクト・カンバーバッチがプロデュースしたとのこと。ぜひ観てほしい一本ですね…
2001年の9.11米国同時多発テロの後、ひとりのモーリタニア人が...
2001年の9.11米国同時多発テロの後、ひとりのモーリタニア人が米国により逮捕・拘禁された。
彼の名前はモハメドゥ・ウルド・スラヒ(タハール・ラヒム)。
同時多発テロの首謀者のひとりとして疑われたのであった。
2005年、弁護士のナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)は、キューバのグアンタナモ米軍基地に拘禁されているモハメドゥの弁護を引き受けることになった。
一方、なんとしてもテロ首謀者を死刑としたい米国政府は、軍の司法官スチュアート・カウチ中佐(ベネディクト・カンバ―バッチ)に対して早く起訴に持ち込むよう指示するが、カウチ中佐は有罪となる決定的証拠を発見することができない・・・
といったところからはじまる物語で、米国映画十八番の事実に基づく告発映画。
同時多発テロの直後だから、イスラム社会に対する偏見は凄まじく、映画後半で描かれる拷問ともいえる取り調べは人道を逸している。
というわけで告発すべき内容は素晴らしいが、映画としては一本調子な感があって、それほど面白くない。
特に、ベネディクト・カンバ―バッチ扮するカウチ中佐の立ち位置が、『アラバマ物語』のグレゴリー・ペックのそれと変わらない、いかにも米国の良心風なのはいかがなものかしらん。
対して、ホランダーを演じたジョディ・フォスター、芯が通っているというかプロフェショナルというか、こちらもこちら。
まぁ観ているわたしとしては、モハメドゥの告白文が出てきた際に、「やっぱり、やってたんだ・・・」と逃げ出してしまうホランダーの助手(シェイリーン・ウッドリー)の心情がいちばん近かったかしらん。
国家のほんとの姿を知るにはもってこいの作品
グアンタナモ米軍基地で実際に行われていた非人道的な尋問をめぐる司法サスペンス。当時の報道で尋問の酷さを知ってはいたが改めて見せられると国家の恐ろしさに絶望感を覚える。しかし彼等を救おうとする勇敢な人たちがいる。ジョディー・フォスターはいかにも敏腕弁護士風で鋭さに輝いていた。彼女をスクリーンで観たのは久しぶりだけど魅力はまったく変わらない。オーラがすごい😆。カンバーバッチも適役でこの2人がこういう役を演じれば間違いはない。問題提起にも優れエンターテイメント性もあっておもしろかったのだが、何かが足りない感じがした。監督のケビン・マクドナルドは社会派の映画に定評がある。思うに訴えたい社会的テーマとエンタメのバランスがチグハグなのかもしれない。おれはこのテーマだったらあまりエンタメ性を求めない。そういう点かな。しかしどこの国家でも似たような隠蔽と暴力が起こっている、という事実を知るにはもってこいの作品だ!
主人公に肩入れできない
本作を劇場で見る前に、原作を書き、映画のモデルとなった男モハメドゥ・ウルド・スラヒに密着した海外ドキュメンタリーをNHKBSで見た。
確かに、彼が自身のグアンタナモでの経験について饒舌に語り、実際に米当局から人権侵害をされ、長期に渡って身体拘束されていたのは事実だ。
結局、黒判定ができず、彼は釈放されたものの、その苛烈な経験を乗り越えたことで、彼が「英雄」であるとはどうにも感じられない。
映画を見てもそう感じるが、改めてご本人も登場するドキュメンタリー見て、刑務所で尋問、拷問にも携わっていた人間の証言を見ると、やっぱりアルカイダを手引きしたんじゃないか…と思ってしまう。
このことと、映画そのものの評価、見方は切り離すべきだと思うし、映画もモハメドゥがシロともクロとも主張はしていない。しかし、映画の作りとしては100パーセント米国家権力の著しい人権侵害を告発し、主人公にはなんの非もない…と訴えているように見えてしまう。
映画を宣伝する側としては、法廷サスペンスとして売り、往年の人気女優ジョディ・フォスターが久々に活躍する作品だ、とも訴えたいのだろう。
それは分かる。しかし、モハメドゥ…その男の本当のハラがやはり分からない。
分からないことはわからないままに、権力の闇と不気味さをストレートに伝えた点で意味ある映画ともいえるが、そんなのはいくらでもあるだろう。
結局、モハメドゥの立場を尊重して映画化した、という点で甘い作品なのだ。
わざわざ、カネ払ってみるほどでもないと思う。
公開から3週を過ぎた平日というのに、そこそこ客が入っていたのもジョディ・フォスターの威光だろうか。
軍人もまた犠牲者かもしれない
ジョディ・フォスターと私は同い年。トム・クルーズも同い年だ。
顔だけ見ると少し老けすぎた感じがするが、やはり彼女の演技には説得力があるというか、信頼感がある。あの、眼力だ。
ジョディ・フォスターとベネディクト・カンバーバッチが演じる二人の法律家が、法律家としての正義を追求する姿が凛々しい、事実に基づいた社会派サスペンス。
弁護士ナンシー(ジョディ・フォスター)は、9・11同時多発テロに関与した嫌疑で米軍に長期間拘束されているモーリタニア人スラヒ(タハール・ラヒム)の不当な拘束を訴える弁護人となる。
海兵隊の中佐スチュアート(ベネディクト・カンバーバッチ)は、大佐からサラヒを起訴して死刑判決に持ち込むよう命令を受ける。米軍の海兵隊には検事がいるらしい。
別々の目的と道程で二人の法律家が、キューバのグアンタナモ米軍基地のキャンプで行われてきた事実に近づいていくサスペンスのストーリーテリングが見事だ。
スチュアートは取り調べを記録したメモを、ナンシーはスラヒに書かせた手記を、それぞれが読み進む場面を二元中継で見せながら、フラッシュバック的に挿入されるスラヒの体験。
このシークェンスが本作の映像的な山場だ。
キューバのグアンタナモ米軍基地にある収容キャンプは、米軍が逮捕したテロ関係者を拘束・監禁している施設だ。
面会に訪れたナンシーが空港から乗り込んだバスの中で、「ここからは米国の法律は適用されない」と説明を受ける。
このキャンプは、今では違法拘束が問題視されているらしいが、この映画で描かれた訴えが契機となったのだろうか。
軍に拘束されているので、調書類は軍の機密文書であり、これを閲覧できる中立の施設がある。説明はあったと思うが、あれは軍ではない国の施設なのか、理解が追いつかなかった。
ここで限られた文書は閲覧できるが、主要部分が「黒塗り」でマスキングされているというわけだ。
スラヒが弁護士あてに書いた手紙も検閲で黒塗りされるから、スラヒは封緘テープの粘着面にメッセージを書くという裏技を使ったりする。
テロでハイジャックされた機上で命を落とした副操縦士は、スチュアートの友人だった。スラヒの取り調べを担当した軍の同期生も共通の友人だ。
開示されていないメモ(MFR)の存在をその同期生が明かさないため、ホームパーティーの場でスチュアートが問い詰める場面の二人の会話が重い。
同期の友人は言葉なく立ち尽くすこととなる。
そして、遂にスラヒ自身が裁判所に証言するクライマックスを向かえる。
事実を訴えることができる興奮と緊張が入り交じった感情をタハール・ラヒムが見事に表現している。
物語はサスペンスの終幕では終わらない。
テロップでその後の事実が説明され、我々は驚くことになる。
ナンシーがたどり着いた「軍の監禁施設がキューバにある理由」の結論が真実なら、なんとも恐ろしい限りだが、彼女の妄想だとは言い切れない。
黒塗り怖い。
ジョディフォスターとカンバーバッチは見ないといかんと思いました。実話だし。
どこの国も都合悪い事は「黒塗り」
それでもちゃんと司法が機能して開示要求通る所がアメリカの底力だ。
日本の与党は長くやり過ぎて自浄機能を失い腐敗の根が深い。
まあ安定を望み腐敗を許した僕らの責任な訳で、野党をきちんと育てられ無かったのは痛い。子供に置きかえるとわかりやすい、チャンスを与えられなかった親の責任だ。
9.11はヤラセ疑惑もあるけど、最新の話だと有名建築雑誌がセンタービルの崩壊シュミレーションで飛行機の衝突によるビル倒壊を証明した話が話題になってた。
まあ誰がやったのかは置いておいて、政府と民意によって「人権」がいとも簡単に無視される所が恐怖だ。
前時代的な拷問の許可を政府が出し自白を強要、人格崩壊させて罪を捏造したわけで、巨大な正義の為に無実の人が罪人にされて、、、そりゃ犯罪ですよ。
未だにアメリカ政府は拷問があった事を認めてないし、謝罪もないそうだが、日本の入管で起きたスリランカの女性殺人(と言っても良いと思う)事件を思い出した。
たぶん殺した感覚がないのでしょう、保護してた動物が「死んじゃった」位かな、、、それ保護じゃないし。
捕まった彼が何故弁護士に拷問があった事を伝えないのかとも思ったが、看守にバレたらまた同じ目に遭うから言えないよね。
ジュディら2人の弁護士もかなり酷い目にあってるんじゃないかと思うし、カンバーバッチの立場もきつい。
どちらもアメリカの裏切り者扱いだ。
最後の「私の国では"自由"と"許し"は同じ言葉だ」と言う台詞が重い。
正義の国とは…
2001年9月11日の同時多発テロに関与したとして逮捕されたモーリタニア人を弁護すべく、人権派弁護士の女性が奮闘する物語。
対するは超大国アメリカの政府。グアンタナモの囚人たちを戦犯法廷で裁けとの命令を受けた中佐も、時を同じくして動き出していく。
911を巡るアメリカの闇を描いたサスペンス作品。
無実を主張するが、どこか諦めた様子のスラヒ。救おうとするナンシーとテリーだが、やっとの思いで手に入れた手記は多くが黒く塗られており…。更なる奔走の末手に入れた資料には驚愕の内容が。そして、更に更に突き詰めて辿り着いた機密文書に書かれていた内容とは…。
これが実話だというから驚き。
アメリカのてまえよく映画にできたなと思うほどに。
エグいシーンのある映画っていくつも観てきたけど、そういうのって大体ナチスだったりどこぞのならず者国家だったり一昔前の世界の話だったりしますからね。
今回も、序盤スラヒを見た時は、死ぬほどやつれてる様子もなかったし、大変失礼ながら、言うて先進国の保護下だからそこまでヤバくは扱われてないでしょ、なんて思ったのだが…。え…これが21世紀の正義を謳う国のやり方!?
映画作品なので、どこまでが事実かは本人たちのみぞ知るといった所だけど、これが真実なら正義などいったいどこに。。
本作はキャラクターも皆魅力的。
冷徹で敏腕なナンシーと、まだまだ未熟なテリーの対比が面白い。七面鳥のくだりはゾクッとした。
また、カウチ中佐も、作中では敵役(?)でありながらも、ただ真実を追い求める法律人でありつづける姿勢にグッときた。それでいて、親友を奪ったテロに対する感情も垣間見える姿が非常に印象的だった。
とにかく、現代のアメリカにおいてこんなことが起こっていたとは。
勿論、きれいなばかりが正義じゃあ無いんだろうけど、これは…。
恐るべき衝撃に打ちのめされた作品だった。
「知るべきこと」を知りたくなる
私だってハッピーで、楽しくて、ちょっと馬鹿馬鹿しい映画の方が好きだし、レビューも書きやすいというのが本心だけど、でも、結局こういう映画が印象に残ります。
そして、この手の映画こそ「逃げ場のない環境」である映画館で観る意味があると思います。
自分の思想や普段の言動を考えれば、けして「クソ正論」をぶつことは出来ません。
でも多分、観たいものだけを観ていては何かに疑いを持つことも、また、その真理を探ることもすることなく、いつしか自分がどんどんと偏ってしまうことだってあるかもしれません。
だからこそ、たまにはこういう映画を観て、自分が信じているものから「裏切られることがあること」を知り、疑いをもち、そして自分自身の考えや言動についても省みる機会を持つべきだな、と考えつつ、扱いにくいレビューを〆たいと思います。
この映画が世に出る意義
こういった映画が握り潰されることなく世に出てくること、まずそれに意味を感じるし、こうやって世に出す意義を感じる作品に出会うと映画の力を感じる。
恥ずかしながら本件についてほとんど知らなかった。
9.11についてはリアルタイムで見ていたというのに…。
残酷な体験を追体験させられるようなハードな内容。
血肉が飛び散るような内容ではないのに、あまりのきつさに途中息をするのを忘れるほどだった。
後半は辛さのあまり涙がつらつらと流れっぱなしだったが、登場人物たちの心のつながりにぐっときた。
正義とはなんなのか。
時折インサートされるささやかな日常、愛の風景が心に刺さり、希望とは、と、考えさせられる。
良い映画だった。
敵を作る
という過ち。正義の為に真実から離れていく。
作り上げた正義になんとしても仕向けていく恐ろしさ。それは、アメリカだけでないどちらにも、誰にでも当てはまる。と、言える事。だからこそやめ時が肝心なはずなのに。
神を信じても法を信じても国家を信じても個人を信じても間違いなら、どーすればいいのか?ずっと考えなくてはいけない。そんな簡単に答えなんて出る事じゃない。人生なんて答えのない長い会話のようなもの。だからこそ対話をやめては駄目なのに。本当に残念な気持ちです。
身勝手な解釈身勝手な欲望身勝手な保身は、この映画さえもこう思え!と、創られているものなのかと、疑わなければいけない気持ち悪さに疲れました。
恐怖があるから統制できるという国家の考え方、人間の考え方を観るにつけ倫理観とはなんだろうと思う。
小さな世界で生きる私にはまだまだわからない事だらけです。しょんぼり。。。
本を読むものとしてはあの悪戯は時として残酷なのだと考えさせられました。悪戯は時として絶望に変わる、その境目は相手の状況で変わるのだなぁと、難しさを思った。
21世紀の現実
21世紀の“今”こんなことが行われていたのかと言う衝撃
ニュースとしては知っていたけど
物語として見ることで新たに知ったことが多い
感情に流されず法に従う事の難しさ
こうした映画が公開されて
普通に見ることが出来る世界は素晴らしいなと
21世紀の自由の国アメリカの、ダークサイドが惨すぎる。
これは事実です。
と、冒頭に出る。
「事実に基づく」、でも、「実話にインスパイアされた」でもなく、「事実」だと。
重いな。
共和党からも民主党からも、正式な抗議は出ないだろう。「事実」ですから。
ISの残虐さを言えない、人格を崩壊させる仕打ちだった。それがまたブッシュ時代からオバマ時代に継承されていたという。
この不条理を包み隠さず映画にし、世界中で上映することを止めない(当たり前だ。「表現の自由の国」こそアメリカの誇りなんだよね)ことに、これまたアメリカの底知れぬ脅威を感じた。我がアメリカを本気で怒らせるとまじ怖いよ、覚悟しな、と世界に知らしめようとしているかのよう。
キャスティングは隅々まで完璧だった。とりわけジョディ・フォスターの滑舌とファッションが魅力的だった。
理性的な法治国家のフリをした犯罪行為
国家がからんだ法廷ドラマはエゲツないものが多い。国家が「反政府」とみなした者に対してはなりふり構わず攻撃してくるから。しかもそういうときの国家(もしくは国家の手先となって動いている輩)は、理性的な法治国家のフリをしているからかなり厄介だ。
本作に登場するモハメドゥは政治犯ではないが、扱いが政治犯のようだった。9.11テロの実行犯を組織に勧誘したという容疑をかけられ、裁判も行われないまま収容所で尋問が繰り返される。彼への扱いの酷さがほんの15〜20年前の話だってところが恐ろしい。
でも、それよりも印象に残ったのが、テロの関係者を裁きたいというアメリカ人の思いの強さだ。もちろんテロの首謀者や関係者は裁かれて罪を償うべきとは思うが、誰でもいいってわけじゃない(劇中でもこう言っていた良心的な人もいたけど)。本作に登場した人たちは、とにかく怪しいやつは罰を与えるべき!みたいな論調だったことが一番怖かった。本当に誰でもいいから生贄をこしらえようとしていたんじゃないか。これってどの国でも似たようなことが起きれば同じような反応になってしまう可能性があるってことなのかもしれない。本当に怖い。
そんな当時の異様な雰囲気をうまく演出し、ドラマとしてきちんとエピソードを組み立てていたので、少し難しいテーマなのに飽きの来ない脚本だった。裁こうとする側、護ろうとする側、そして裁かれようとする側。それぞれ、自分の中の真実と良心を守ろうする姿勢と苦悩が描かれている。演じている役者も含めて素晴らしかった。
ちなみにモハメドゥが拘束されたのがブッシュ(息子)政権のときで、釈放の判決が出たのはオバマ政権のとき。でもその後さらに6年も拘束が続いて、トランプ政権になる前に釈放されたということか。共和党だろうが民主党だろうが大差ないってことがわかる。見せしめのために死刑になっていたかもしれない。本当に生きて母国に帰れてよかった。
人々は、法を信じていた
正義の鉄槌か、自らに由る許しか?。
理解できないものに対して、恐怖心が芽生える。恐怖心が暴力を呼び起こす。暴力は更なる恐怖と敵意を造り出す。結果、ビルに飛行機が突っ込む…。
しかし、よく許しましたね。私なら、生涯かけて恨みますけど。
正しくもなければ、楽しくもない話です。でもこの映画が、海を越えて公開されたことを高く評価します。
危険分子の疑いでヒトを拘束、尋問するクニ、アメリカだけ?。手記は黒塗りでも、それを暴露する映画の公開を許すクニ、いくつあるのかな。
今のアメリカを、民主主義の成れの果て、ポピュリズムのモンスターと揶揄する勢力もあります。仮にそうだとして、腐り果てた果実には、自浄能力のある種子が含まれているのかも。この映画に、そんな期待をしてみました。
極東の島から、新たなる種子、現れるかな?。
「リダクテッド」
直訳すると「編集ずみ」。ブライアン・デ・パルマの問題作ですが、映画が編集されるのは、当然として、監督さんに編集権がないことが、多々あるとか。それに編集されるのは、映画や公式文書だけではない。例えばテレビのニュース。
政府が法案を提出しました。野党の反応は…。選挙を除けば、野党の方々がニュースに出るのは、いいとこ1分。いつも与党への罵詈雑言。私達の公費は悪口となり、オンエアされてゆく…。野党の皆さん、ニュースの編集権、誰にあるのかお分かりですか。カメラの前で悪口言うと、編集されますよ。そんなヒマあるなら、私達ならこうする。同じ予算があれば、こうすると、話して下さい。
ま、そんな上から目線の私が、誰に投票したかは、機密です。
大きく話が逸れましたけど、今、そこにある正義は、誰が編集したのかな?。法律と暴力には気をつけて。チェックしないと、暴走するからね。
This is a true story.
原作未読ではあるが、実名を出し「The film is based on the true story」ではなく「This is a true story」という注意書きで始まるところがまた圧巻であった。
ナンシー(ジョディ・フォスター)がモハメドゥ(、タハール・ラヒム)に面会に訪れるシーンが何度かあるが、拷問、真実、疑惑、尊厳などが渦巻き、気迫がある。ジョディ・フォスター、タハール・ラヒムはもちろん、いつもでくの坊的なベネディクト・カンバーバッチが意外と良かった。
ナンシーが電話で話すシーンがあるのだが、受話器の内側から撮ったような方法があり面白いなと思っていると、後にモハメドゥが収容所で姿の見えない収容者「マルセイユ」と言葉を交わすシーンでは足元や周りを覆う布から外界をチラリと見せる方法など、人の心理状況を独特の撮影で表現していることも興味を惹かれる。ボカシやなめショットを挿入することで雰囲気を盛り上げてもいる。光の扱いも良い。
また、フィルムサイズを、回想シーンと現在シーンで変えてある点が興味深かった。こうすることで回想シーンは一層おもむきが出て作品に深みを持たせている。
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