「独善と化した正義は、正義と呼べるのか…?」モーリタニアン 黒塗りの記録 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
独善と化した正義は、正義と呼べるのか…?
以前、クリステン・スチュワート主演の日本未公開作『レディ・ソルジャー』でも見た。
キューバにある“グアンタナモ収容所”。
ブッシュ政権の2002年に設立され、アフガニスタン紛争やイラク戦争など、アメリカに対してテロ行為を行った首謀者やそれに関わった容疑者らを主に拘禁。
“アメリカの敵”を収容。言わば、“アメリカの正義”の実績。
しかし、その実態は…
“悪名高き”と呼ばれる同収容所。
不当な強制連行、収容、長期に渡っての拘禁。
裁判にかけられる事も無く。
収容所内で行われていた看守たちによる拷問…。
『レディ・ソルジャー』はフィクションであったが、こちらは実話。
上記の悪行が全て行われた、衝撃の…。
多くの犠牲者を出し、人類の歴史上最悪のテロの一つ、“9・11”。
首謀者はオサマ・ヴィンラディン。アルカイダ。
犠牲者たちの無念に報いる為に、この許し難い大犯罪に対するのは、至極真っ当な事だ。
テロリズムは許さない。
しかし、“正義”という行為には、光と陰がある。
やり過ぎた正義。
暴走した正義。
盲目となった正義は、止める事は不可能。
もはや独善と化した正義は、それでも正義と呼べるのか…?
モーリタニア人、モハメドゥ・ウルド・スラヒの手記に基づく。
2001年11月。彼は家族や友人らと団欒していたある晩、突如地元警察に強制連行。幾つかの収容所に拘禁された後、グアンタナモ収容所に行き着く。
裁判もナシ。罪は…?
疑いがあった。9・11テロの首謀者の一人という“疑い”が…。
4年経って、ようやく事が動く。
2005年。人権派の弁護士ナンシーは、罪状も無いまま不当に長期に渡ってグアンタナモに拘束されているスラヒの弁護を引き受ける。
一方のアメリカ政府は、何としてでもスラヒを死刑にしたい。政府からスラヒの起訴を担当された海兵隊検事のスチュアート中佐は、あのハイジャックで友人のパイロットを亡くしており、そのテロをリクルートしたのはスラヒであると聞かされる。
スラヒを巡って、弁護vs起訴。
彼は無実の人間か、テロに関わりある一人か…?
結論から言うと、9:1。いや、9.5:0.5と言う所。
テロには一切関与ナシ。が、テロに関与した人物と認識あり。
正確に調べ挙げれば、一人の人物の範囲の事など、造作も無い事だろう。
が、その時のアメリカは違った。
何が何でも首謀者や容疑者を捕らえたい。罪を罰したい。早期解決したい。
その焦りと怒りが、眼を曇らす。
本来なら単なる疑いは、証拠として通用しない。
スラヒの疑いは潔白だが、際どくもあり。テロ関与の人物との認識や、かつてアルカイダに身を置いていた事も。そのアルカイダ在籍は、共産主義との闘いの為。アメリカに刃を向ける為ではない。
しかし、こうも疑いが出始めると、偏った見方からすれば、証拠となる。
後は強引に押し進めるだけ。強大な国の圧力の前で、一人の人間など…。
供述書などでっち上げればいい。
その手段は…、言うもゾッとする。
長時間に渡っての不安定な体勢。
色気で唆す。
強烈な照明。
水責め。
大音量。
暴行。
母親も逮捕すると脅迫。
非人道的な尋問。
…いや、そうではない。
拷問。暴力。
“アメリカの正義”の為とは言え、こんな事が許されるのか。
…いや、そもそも、そこに真っ当な“正義”はあるのか…?
これを“正義”と呼べるのか…?
もし、彼が無実と確定された時、どう釈明するのだ…?
その心配はない。
不利な点は、黒く塗り潰せばいい。
全て明るみに出たって、一切他言無用。
どの国も同じ。政府のお得意常套手段。
隠蔽。知らぬ存ぜぬ。
“法廷サスペンス”のジャンルになっているが、実際法廷シーンは多くなく、弁護側、起訴側、そして当人、三者三様のドラマをスリリングかつじっくり描いたアンサンブル・ドラマになっている。
弁護側。
ナンシーと、部下のテリー。
テリーはスラヒに人間的に接するが、ナンシーはあくまで自分の“仕事”として。スラヒがテロリストの一員であろうとなかろうと、有罪であろうと無罪であろうと、政府に不当に扱われている者たちの弁護をするだけ。一切の感情も私情も挟まない。…の筈だったが、グアンタナモの実態とスラヒへの仕打ち、アメリカの“闇”を知り…。
ジョディ・フォスターのさすがの名演。シャイリーン・ウッドリーも好助演。
起訴側。
作品的には、弁護側やスラヒと対する位置。政府の手先。なので、どんなに憎々しく描かれているかと思いきや、ステレオタイプな描写に陥ってない。スチュアートにも彼なりの信念がある。非常に優秀で、クリーンでもあり、調査を続ける内に、陰部を知る。グアンタナモの拷問。自分の信じていた正義が覆った時、彼は…?
ベネディクト・カンバーバッチが巧演。
そして、スラヒ。
本作は彼の物語だ。彼の受難の一部始終だ。
拘禁期間は14年。その間に母親は亡くなり、再会は叶わなかった。
彼への仕打ち、非人道的な扱い、拷問は壮絶なもの。
あの拷問に屈し、虚偽の供述をしてしまった事もあった。人は精神的に追い詰められた時、どうしようもなくなり、仕掛けられた罠の方へ逃げてしまうという。こうして幾多の冤罪が生まれる。
苦しみ、悲しみ、焦燥、恐怖…地獄の14年。
立場や状況が危うくなる事常々だったが、アラーに誓って、自分自身の正当性を貫き通す。最後の最後まで、それを諦めなかった。
その姿を体現。タハール・ラヒムが熱演。
ドキュメンタリーや社会派作品に手腕を発揮するケヴィン・マクドナルド。
アメリカの闇をあぶり出し、訴える社会派性と、一級のエンタメ性は的確。
劇作品としては、『ラストキング・オブ・スコットランド』より見応え充分の代表作になったのではなかろうか。
正義の名の下で、こんな事があったとは…。
全く知らなかった。
当然だ。
闘った者たちが居なければ、明るみになる事はなかった。
当事者たちに敬服する。
EDで、無罪が確定しても、アメリカ政府はスラヒ氏をさらに7年も釈放しなかった事がショック。
その時、どんな思いだったろう。
とてもとても計り知れない。
晴れて釈放された時、どんな思いだったろう。
私の陳腐な文章では、スラヒ氏の心情をとてもとても表す事は出来ない。
が、これはほんの一部。
9・11テロの関与者として疑われ、不当に拘禁され、無実の声が届かず、助けの手も差し伸べられる事も無く、闇に葬られた真実もまだまだあるだろう。
これをして、アメリカの正義だなど、笑わせるな。
アメリカの闇、罪である。
世界中でも冤罪や国の不当な行為は絶えない。
スラヒ氏の実話を見ていたら、日本の袴田事件を思い出した。これもまた罪深い。日本史上最悪の冤罪事件。
全てではないかもしれない。
が、真実は知れ渡り、悪しき行為は暴かれると信じている。
必ず。
今まさに、正義と思い込み、愚かな侵略行為を晒している国がある。
いつか、気付くのだろうか。今している行為が、間違いであった、と。
自身の罪はもはや免れない。
せめて、被害国や自国の未来の為にも、これ以上罪を被せるな。さらに増して、取り返しのつかない事になる。