「政治映画ではなく人間性についての映画」モーリタニアン 黒塗りの記録 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
政治映画ではなく人間性についての映画
ある日突然、911テロのリクルーターの嫌疑で捕らえられたモーリタニア人のサラヒ。
物語前半では、サラヒが潔白かどうかについてはあえて明示しないまま、彼がグアンタナモ収容所に送り込まれるまでの出来事を比較的淡々と描く。
後半で、彼が収容所で受けた仕打ちとその後の顛末が明らかになる。内容のインパクトもさることながら、「自由の国」アメリカの中枢で横行する隠蔽体質と同調圧力に唖然とするしかない。
それにしても、黒塗りで開示したとはいえ、あんな暴虐を一応文書にして残すというのは、褒める気は全くないが内容と事務処理の几帳面さのギャップがすごいなと思う。外に出せない内容と自覚しながらも、内輪の倫理では正当な行為という認識だったのだろうか。
黒塗りの記録なんていうと、日本政府絡みの報道を連想する人は多いだろう。だが結局、特定の国家の特性というより、人間の作る組織ならどこでも起こり得ることではないか。
マクドナルド監督は、本作を「政治映画」ではなく「人間性」についての映画だと述べている。どの立場の人物も、正しいことをやろうとしたんだということは理解しておくべきだと。「無実のテロリストが善で、アメリカ人はみんな悪」というのも違う、現実はもっと複雑だとも言っている。
視点の偏りを減らすよう配慮しながら、エンタメ要素も大切にしたメインストリームの映画に仕上げる。このバランス感覚が素晴らしい作品なのだ。
それを、日本版公式サイトに掲載された識者コメントのいくつかや、リンク先の記事の一部が自身の政治的主張と結びつけ、台無しにしている。こういった題材の作品がそのように利用されることは避けられないが、少々残念だ。
911がアメリカ人に与えた衝撃は、日本人の想像を絶するものがあるだろう。
カウチ中佐はこのテロで親友を失い、スラヒを死刑にするための弔い合戦のような心持ちで裁判に臨もうとした。彼は幸い遺恨を凌駕する良心の持ち主だったが、これはむしろ稀有なことだ。
テリーは、そこまで強くいられない普通の人間の象徴だ。彼女の心の底にも、アメリカ人として911で受けたショックがわだかまっている。だから、弁護する立場でありながら、サラヒが犯人と思わせる文書が出てきた段階で一度は耐えられなくなった。
法律家としてどうなのかという見方もあると思うが、カウチ中佐のような揺るがぬ良心や、ナンシーのような強固な信念を持つ人間は少ない。テリーの弱さは駄目なものとして描かれたわけではなく、この物語を勇者だけのものにせずリアリティを担保する役割を果たした。
テロでアメリカ人が受けた心の傷は深い。それでも、恨みを晴らすために必要だからと無差別に生贄を作り出してはならない。誰もがそういった誤りに陥る心の弱さを秘めているからこそ、一人一人が自戒することでしか負の連鎖は断ち切れないのだ。
エンドロールで流れる、モデルになったスラヒ本人の明るく穏やかな姿に心が和むと同時に、無実の罪を着せることの残酷さに一層心が痛んだ。
なお、ストロボのような激しい光の明滅が結構長く続くシーンがあるので、苦手な人は注意してください。