「”期待して観なければ、大して失望しないよ“」スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム kkさんの映画レビュー(感想・評価)
”期待して観なければ、大して失望しないよ“
とにかくメタ的なネタ連発の同窓会映画でした。
往年の名優が帰ってくる「同窓会系」の中では1番好きです。
作品単体としては、そこまで良い映画ではないと思います。
気になったのは「ストーリーの序盤も終盤もピーターの個人的事情に振り回されすぎな点」、「登場人物たちに大義が存在しない点」、「ストーリーそのものよりも『映画製作の裏話』的なメタなネタが主張してくる点」です。
「ピーターの個人的事情に振り回されすぎな点」について、
序盤に、正体がバレた事でMITに落ちたピーターは、仲間に相談もしなければMITに直談判もせず、ドクターストレンジに都合の良いお願いをします。
ストレンジはその「個人的事情に世界を巻き込んでしまう都合の良さ」に苦言を呈します。その際に述べた「改善する努力はしたのか、それでも無理ならそれが社会の厳しさだ」という発言はとても的を得ています。これに対してピーターは反論のしようがないです。
そのまま事情はもつれ、もはやピーターの個人的問題どころじゃなく事態が深刻化してしまった物語終盤に、ピーターは世界中からピーターパーカーの記憶を消す事で事態を鎮静化します。
これは自己犠牲の精神で大きな事を成したように見えますが、あくまで自分が引き起こした「超個人的な世界規模の混沌」を修正したに過ぎません。
第一、MJやネッドからしたら事前に了承もしていないのに大事な記憶を“勝手に”消される訳で、たまったもんじゃないですよ。
それに、どうやらこの魔法は多次元的に有効だから(だから多次元からヴィランがやってきた)、トビー・ピーターや、アンドリュー・ピーターも自分らの世界から忘れられちゃうじゃん。
事前に知らされてないという点ではトムホ・ピーターの状況より残酷だし、何よりトビー、アンドリューは何も悪くないのにトムホの事情に巻き込まれすぎで可哀想。
メイおばさんは死んでしまうし、ヴィランを改心させる手法は暴力的(後述↓)だし...
今作を見て「ピーターはヒーローなのか?」と疑問に思いました。
どちらかと言うと「個人的な事情に世界を巻き込む」辺りがただのメンヘラに見えました。
メンヘラには町を守られたくないです。
“ヒーローの苦悩”を描くにしても、もっと描き方があるなと思いました。(その点において、前作はとても良かったと思います)
次に「登場人物に大義が存在しない点」について、
歴代ヴィランが集結しますが、どうやら皆死ぬ直前にこちらの世界に転送されて来たようです。
つまり「ヴィランとして最も危険な状態」の時です。
その割には皆さん大人しいんですよね。
「元の世界では死ぬ運命」とか教えられても、それってヴィラン達からすれば、言わばセカンドチャンスが与えられた状態な訳で、「じゃあ死なない為にどう対策しようか」とかいくらでも考えると思うんですよ。
てかそもそも、ヴィランって皆んな死ぬつもりで全てを投げ出して実験してたし、死んでも娘に会いに行こうとしてたし、死んでも守りたい矜持があったんじゃないの?って。
なのに「えっ死ぬの?…(´・_・`)」みたいな態度のヴィラン達見てると、そもそも脅威に見えないというか...。戦うまでもなく話し合いでどうにか出来そうなんですよね。(まあトムホ・ピーターは話し合いするとボロが出るタイプなので難しいかもしれませんが)
だからヴィラン達が宙ぶらりん状態というか、「何故この世界にとって脅威か」が見えにくいんですよね。
「元の世界にいたら死んじゃうんだし、この世界で何をしたいかはまだ決まってなさそうだから、しばらくこの世界で暮らさせてあげれば?」とか思っちゃいました。
しかし物語はそうは転ばず、その「帰ったら死ぬ問題」を解決する為に、ピーターが提案するのが「君たちを”直してあげる“」案です。
ここが1番引っかかりましたね。
「え、ヴィランって『直されなきゃいけない』の?本人達はあまり納得してないじゃん!(納得してなくても付いて行くヴィラン達もヴィラン達だけど...)。ってかピーターのメンヘラも”直されるべき“だと思うんですけど!!!」みたいに思いましたね。
相手の意思や事情を踏まえず、「治療するか死ぬか」の選択肢しか与えないってめちゃくちゃ暴力的だと思うんですよ。それが「トムホ・ピーターには優しさがある」みたいに語られてるのは違和感がありまくりです。
だってあの世界の一般人からすればピーターって大戦犯ですよ?個人的事情を自分の力で解決しようとせず、チートに頼ろうとした挙句、世界が崩壊しかけてるんですから。自分の事情は踏まえてチートするくせに、相手の事情を踏まえてチートを許す事はしないんですね〜。
「ピーターのメンヘラを治療すれば、こういう問題起こらないじゃん?元凶はピーターなんだからピーターを治療しようよ!」って感じですよ。
今作は、悪いのがヴィランじゃなくてピーターに見えてしまうのが残念でしたね。
「ストーリーそのものよりも、メタなネタが主張してくる点」について、
メタなネタがてんこ盛りでしたね。もうメッタメタでした。
さりげなく挟むメタ表現から、映画の尺を割いてまでねじ込まれたメタ発言の応酬まで、これほどバラエティ豊かなメタネタを堪能できる映画は数少ないのではないでしょうか。
何も知らない人が今作を見たらついて行けるのか心配なレベルです。
でもメタネタって面白いんですよね。
「分かる人には分かる」系の内輪ノリではあるんですけど、やっぱ分かっちゃうと面白いんですよ。
娯楽大衆映画に内輪ノリを持ち込む事は、賛否両論あるでしょうが、MCUという大シリーズの中のスパイダーマンという看板シリーズの中の1作品くらい内輪ノリな映画があっても良いのかな、とは思いました。
ただやっぱりそうは言ってもメタネタにも弊害はあって、その弊害とは、観客がメタな次元から作品を観ちゃう事なんですよね。
ヴェノムやハリーオズボーン、死ぬ前のグウェン辺りも「ピーターパーカー=スパイダーマン」を知ってるはずなのに来ないのは契約の問題?尺の問題?脚本家の都合?みたいなこと考えたりとか(特にグウェンとハリーに関しては、仮にハリーが転送されて来て、人格と病気を“直されれば”グウェンも死なないので、そうなればアンドリュー・ピーターはめちゃめちゃ救われてたはず)、
この際どうせなら、条件満たしてるヴィラン一体追加してMCU版マルチバース・シニスターシックスとか見たかったな〜契約とれなかったのかな〜とか思いましたね。
観てる最中に。
観てる最中にメタな事を考えてたので物語に感情移入できませんでした。そういう裏側の雑念が出てきてしまうのは私の脳味噌のせいなので映画側を責めたくはないんですけど、でもあれだけメタ発言されちゃうとそういう考えが頭をよぎる人は多いんだろうなとも思いますね。
とは言え、同窓会映画の中では話はまとまってる方ではあるし、映像的面白さもあるし、感情的になる部分もあるし、頭を空にしてアトラクションのように観てれば楽しい映画です。
多分私が頭でっかちに考えすぎなだけで、勝手に名作を期待しちゃってたのでしょう。
今作のキーワードである「期待しなければ失望しない」は、この作品自体に対してのメタ発言でもあるなと思いました。