秘密の森の、その向こうのレビュー・感想・評価
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娘はいかにして母を知るか
親子というのは、役割がある。母は娘の面倒をみるし、そこには明確な上下関係が存在してしまう。母も娘も互いに対等の人間同士としてせっするというよりも庇護する対象、庇護してくれる存在として見てしまう。そのせいで素直になれないし、互いの人としての側面を見落としてしまう。
ある日森の迷い込んだ8歳の少女は、同い年で母と同じ名前を持つ少女と出逢い、仲良くなっていく。祖母を失ったばかりで、母はその悲しみで失踪していた、母の悲しみを娘はどう理解するか、8歳の頃の母と出会い、祖母をどう思っていたかを対等の立場で知ることで、母と娘の絆を強くしていく。
何気ない日常シーンが本当に輝かしい思い出のように感じられて、何気ないシーンで涙腺が緩む。主人公と子供時代の母を演じたのは双子の姉妹なのだが、その近似性が作品にすごくいい影響をもたらしている。直感的にこの2人は何かつながりがあるなと思わせる。72分の映画なので、思い立ったらふと見れるのがいい。何年かおきに見たくなる作品だ。
セリーヌ・シアマの精緻な演出がさらに進化。
前作『燃ゆる女の肖像』に続いて、セリーヌ・シアマはほとんど完璧な映画を作ってきた。しかも今回はさらにミニマリズムを極め、時空を超えて母と娘が出会うというSF的な設定を、非常にシンプルな子ども映画という枠に落とし込んでいる。もはや精緻な一筆書き、といった印象すらある。
主演している双子の少女たちの存在感も素晴らしい。ただ、ふたりでパンケーキを作るシーンなど、完全に素が見える演出は、自分としてはいただけないというか、もちろんとびきり可愛らしいシーンではあるのだが、そこは声のトーンも違っていて、そもそも2人の演技が達者なだけに、現実に引き戻される気がしてしまうのだ。
とはいえセリーヌ・シアマ監督がそんなことをわかってないわけもなく、祖母、母、孫といくつものレイヤーが重なっていくような本作に、もうひとつメタなレイヤーを重ねているのかも知れないとも思う。原題の「プチ・ママン」が出るタイミングとそのときに映っている人物や、劇中劇の内容のことを思うと、シンプルなようでいていちいち深い意味が込められているもわかる。また数年後に思い返したり、観直したりすることで、違う視点が得られるような気もするので、いつか試してみたい。
シアマ監督がいざなう森の深淵に感動が込み上げた
たった73分。それは通常の作品に比べると少し短い映画体験かもしれないが、しかし言うまでもなく、重要なのは長さではなく質だ。この映画には冒頭から心を繊細に包み込むかのごとき柔らかで優しい触感があふれ、ふと気づくととめどなく涙がこぼれてしまうほどの情感がそこかしこに。人生とは出会いと別れ。8歳の少女ネリーは亡くなった祖母に「さようなら」が言えなかったことを悔いている。その母マリオンもまた、実母を失ったことで心が張り裂けそうな悲しみを抱えている。やがて一つの不思議な「森」を介して起こる出来事を一言で表すなら、それはマジックリアリズムと言えるのかもしれない。そして『燃ゆる女の肖像』同様、シアマ監督はヒロインたちの視線をじっくりと印象深く映し出し、かつて感じたことのない深い”気づき”と”つながり”を浮かび上がらせていく。その手腕に恐れ入った。映画の持つ無限の可能性を噛みしめずにいられなくなる逸品だ。
女性同士の愛と連帯を描いてきたセリーヌ・シアマ監督が、“娘と母の絆”の可能性を広げた
セリーヌ・シアマ監督はアデル・エネルを起用した「水の中のつぼみ」「燃ゆる女の肖像」の2作で、内省的な女性主人公が、華やかだが孤独なヒロインに恋慕し、感情をぶつけ合いながらも連帯感をはぐくんでいくストーリーを描いてきた(シアマとエネルはプライベートで長年のパートナーでもあった)。
新作の「秘密の森の、その向こう」が前述の2作のテーマにどこか呼応しているのは、主人公ネリーと瓜二つの少女マリオン(双子の姉妹が演じている)が並んで写るキービジュアルからもうかがい知れるが、それだけではない。シアマ監督にしては珍しくファンタジックな設定を採用することで、娘と母の関係、その年齢差にとらわれない新しい絆のありように挑み、繊細な手つきで鮮やかに提示してみせた。
最後まで観終わると、ある事実を知っていた人物の途中の表情や台詞はどうだっただろうか、と見返したくなるタイプの作品。事前情報をなるべく入れず、ネタバレを回避して鑑賞していただきたい佳作だ。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わった、双子のサイコファンタジー
「燃ゆる女の肖像」でカンヌ映画祭の脚本賞を受賞したセリーヌ・シアマ監督の新作。今回も、自ら脚本を書き下ろしたオリジナル作品です。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わって、今作はとてもローバジェット。ワンロケーションで、主要な登場人物もたった5人。しかし、その5人の中に少女の双子が混じっていて、この双子の設定がとても秀逸なんです。一人二役かと思うほど二人は似ていて、しかも他人という設定。そしてキューブリックの「シャイニング」を思い出すまでもなく、双子の少女はちょっと不気味でもあります。
「ダークファンタジー」というか、「サイコファンタジー」という感じの小品。上映時間73分ですが、けっこうな余韻が残ります。見終わって、すぐにもう一度見直したくなりました。いろいろ確認するために。
母と娘、喪失と再生の森
自らの腹を痛め子を宿し産むことのできない男性に、この映画がどれほど深く理解できるだろうか。
おそらく、それは私の理解の外側にある領域に属する映画である。
祖母、母、娘——三世代の女性の関係が描かれる本作は、まぎれもなくフェミニズムの映画である。
ネリーが未来からやってきたのか? それともマリオンが過去からやってきたのか?
そんなSF的な整合性など、この映画には無用なのかもしれない。
「信じる? 私はあなたの子供——娘なの」
「未来から来たの?」
「裏の道から」
これで全てが完結している。
この映画の重心は、論理ではなく「信じること」にある。
そこにあるのは時間や空間の交差ではなく、感情と記憶の共鳴である。
ネリーは母の複製ではなく、母もまた娘の鏡像ではない。
親子の関係とは、たとえ同年代の姿で再会したとしても、決して対等な友人関係にはなり得ない。
映画冒頭、車中でネリーが母にお菓子を食べさせる場面は、一見微笑ましいが、どこか共依存の匂いを漂わせる。
母娘という血縁の特異な距離感が、やがて母の喪失感によって崩れ、母は娘を置いて姿を消す。
室内での撮影は、まるで時間そのものが柔らかい光に包まれているかのように設計されている。
特に双子の姉妹の真っすぐな眼差しを受け止めるような照明設計は見事である。
光は単に顔を照らすのではなく、彼女たちの内面に差し込む「記憶の明るさ」を映し出している。
カーテン越しに差し込む午後の陽光、森の木漏れ日、ランプの反射——それらはすべて“母と娘を隔てる時間”の比喩として機能している。
カメラは決して彼女たちを支配的な視点で捉えず、常に目線の高さで、静かに呼吸するように寄り添う。
この穏やかな光と視線の交錯こそが、映画全体の構造的中心軸であり、台詞以上に二人の心の距離を語っている。
残されたネリーは、喪失の痛みの中で森へと入り、そこに幼い頃の母——マリオンと出会う。
森は、過去と現在、記憶と現実が交錯する場所であり、二人の心が共鳴する“魔法の空間”として描かれる。
脚の手術を控えたマリオンの不安、母に置き去りにされたネリーの不安、祖母の杖に残る匂いの記憶。
これらすべてが森の中で交錯し、母と娘はお互いを「一人の人間」として再認識していく。
この映画の核心は、母と娘という関係を通して描かれる「喪失の不安」と「相互受容」にある。
森で過ごした時間は、母娘が互いの痛みを理解し、愛を取り戻すための再生の儀式だった。
祖母から母へ、母から娘へと受け継がれる眼差しの連鎖——。
その光は世代を超えて、性別や文化の境界さえも越え、観る者の内に潜む「喪失」と「受容」の記憶をそっと呼び覚ます。
仏文純文学
秘密の森の、その向こう
2022年 フランス作品/原題:Petite maman
この作品は謎であり、ファンタジーであり、そして現実だ。
娘・母・祖母の三世代をつなぐ喪失と癒しの物語。
森は、記憶の奥にある秘密の部屋のように、静かにその扉を開ける。
■ ネリーの視点と問い
賢いネリーは、祖母の死と母の喪失感を敏感に感じ取る。
「この家が嫌いだから出ていくの?」
幼い問いは、大人が言葉にできない感情を突き刺す。
父は「ママが出ていった」とだけ告げるが、理由は語られない。
ネリーは答えを求めず、母の沈黙に潜む悲しみを読み取ろうとする。
■ 森で出会った「マリオン」
祖母の家の裏に広がる森。
どんぐりのキャップで吹く口笛。
母がかつて遊んだように、ネリーも遊ぶ。
そして出会う、同じ年頃の少女――マリオン。
ネリーの母と同じ名前を持つその少女は、まるでタイムスリップした母の姿だ。
ネリーは気づく。家の雰囲気も間取りも同じ。偶然か、幻想か。それは重要ではない。
大切なのは、その出会いが悲しみを癒す力を持っていることだ。
■ 「さようなら」の重み
ネリーの心に深く突き刺さっていたのは、祖母に「さよなら」が言えなかったこと。
母のソファベッドに潜り込み、母と一緒にその言葉を口にしたとき、ネリーは母の「さようなら」に深い悲しみを感じ取った。
母の沈黙は放棄ではなく、整理のつかない混乱だったのだろう。
森で出会った母と同じ名前の少女――ネリーは仮説を立てる。
当時の母の姿や生活、病気のことを知り、同じ年齢の彼女に「秘密」として知らせることで、母の気持ちを探ろうとする。
■ 原題と邦題の違い
原題「Petite maman」は「小さなママ」私と同じ頃のママは、何を感じ、何を考えていたのか?
邦題「秘密の森の、その向こう」は幻想的で、物語性を強調する。
原題は親密さを、邦題は神秘性を示す。
■ 説明できない体験
この作品はファンタジーに見えるが、幼い頃の説明できない体験は、実体験であり事実だ。
人は心の中で起きている事実を説明できない。
それが思考ではなく感情である場合、自分にさえ説明できない。
母の混乱は、祖母の死と過去の記憶が相乗的に再発した悲しみだった。
ネリーは母と一緒に祖母に「さようなら」を告げ、それはネリーにとって癒しとなり、母にとっては過去を呼び起こす言葉になった。
■ 結び
誰もいない森の中で、喪失感は孤独との戦いだ。ネリーとマリオンの遊びは、無意識に閉じ込められた悲しみを、新しい命の喜びで癒していたのかもしれない。
誕生日の歌を繰り返すことで、マリオンは特別感を感じ、その記憶が今の母を静かに修復させたのだろう。
この映画は、タイムスリップの物語ではない。
説明できない体験を、幼い心が抱えた記憶の物語だ。
人は、心の中で起きている事実を言葉にできない
。それが思考ではなく感情である場合、自分にさえ説明できない。
『秘密の森の、その向こう』は、その説明できない悲しみを、静かなファンタジーで包み込む。
そして問いかける――あなたは、母の「小さな頃」を想像したことがありますか?
フランスにおける土足と歯磨き
短いながら、3世代にわたる女性たちの織りなすちょっと不思議な物語が、さわやかな鑑賞感をもたらす一作
『燃ゆる女の肖像』(2019)で一気に知名度を高めたセリーヌ・シアマ監督が手掛けた、中編映画です。
ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)と、彼女が出会う幼い頃の母親、マリオン(ガブリエル・サンス)が実によく似ていて、鑑賞中もしばしば「あれ、この子どっちだっけ?」ってなってしまうんだけど、実際の姉妹だということで納得。
森の中で二人が佇んでいる姿は、実写というよりも絵本の挿絵のような、どことなく現実離れした印象を受けるんだけど、物語自体も時空を行き来するという、ちょっと不思議なファンタジーの要素を含んでいます。
あくまで幼いネリーの視点で綴っていく物語なので、不思議な設定が全然不思議っぽくないのが面白い点です。何しろ家の裏手の小道を歩いていったらいつの間にか時空を飛んじゃってるわけだから。
日常の中に超常的な要素を織り込んでいくところが、どことなくマジックリアリズム的でもあり、そこは『燃ゆる女の肖像』の、スカートが燃えている女性の、不思議な佇まいが醸し出す雰囲気と通じるところがありました。
「現在」の時間軸でネリーが受けた悲しみや衝撃を、「過去」の母親や祖母との出会いで折り合いを付けていくという展開は、どことなく藤子不二雄の短編のようでもあって、妙に爽やかな鑑賞感となりました!
プレーンパンケーキ
何も載ってないパンケーキ的な美味しさだった。
時々メープルかかってないパンケーキ食べたいときない?
シンプル過ぎて語るとこあんまりないんだけど、あらすじ全く見てなかったから、「"あのこ"がそうなんだ!」って普通に驚いた。
なんか似てるし姉妹とかかな、いなくなった母親の隠し子かな?間取り似てるのは予算削減かな?って思ってた。
音響しっかり作り込んでて世界に浸れたのはグッド。心地よかったし、二人の世界に没入できて癒された。
アパートの汚い部屋で森林浴できた。
何かテーマと物語と映画が上手くリンクしてない感がある。主人公の心情的に重要なシーンとそうでもないシーンが描き分けられていない。でも、それを描き分けると湿っぽくなっちゃう。
どうしたものか……
個人的にはこれくらいあっさりしてるほうがストレスなく観れて好き。
リアルな人物に共感しても辛くなるだけだし。距離ある方が好きなだけ近寄れるし、好きなだけ遠ざけられる。
優しさがジワジワくる作品
ほとんどが家の中と森の中だけの珍しい作品でした
あまり音もなく、登場人物もほんと少なく、ストーリーの起伏もなく、でも退屈せず観れました
ネリーが後部座席から運転席のママにお菓子やジュースをあげるシーンがとっても微笑ましくて大好きなシーンです
可愛いというよりきれいな双子ちゃん、ストーリーの中でも演技をする2人が上手すぎました
はしゃぎながらクレープを作ったりスープを飲みながらふざけたり、そういう子供ぽさは可愛くて
あの頃ってちょっとした事を本気で楽しめる年で、もうあんな時の自分に戻れない事がなぜか寂しくなったりしてます
私もネリーみたいに子供の時の母に会って友達になりたいと思いました
余韻も心地よく、優しい気持ちになれる作品でとっても良かったです
フランス版ミツバチのささやき的な
美少女2人が出てミステリータッチな展開は、内容は異なるがミツバチのささやきを彷仏とさせるものがあった。ただこちらはミステリーと言うよりもファンタジーに近いかな。
子供のマリオンの手術は成功するはずであるが、結局31歳で亡くなってしまうのはちょっと切なすぎる。
いつの間にか惹き込まれていた
この監督さんに関しても、作品に関してもなんの前情報もなく見たので衝撃的な作品でした。
フランス映画は大好きなので好き嫌いなく機会があれば見ます。
この作品はまるで絵本から飛び出したようなとても綺麗な作品だった。
内容も祖母、母、娘と3代に渡る心の通わせ方、お互いの接し方を丁寧に描いてて面白かった、
最近のSFみたいな、どこかを区切りに過去と現在、未来だ〜って視聴者側に決定的に見て分かる一線はなく、森を2人の少女が走り抜けて過去と現在を行き来するのはこの監督さんの世界観なんでしょうか。
家の前や中など決して変わらないカメラアングルが安定してて落ち着いていて、
余計な情報は入れない、最低限といった感じで、邪魔にならずスラスラ見れました。
一度見終わって、じゃぁ次にこの人の視点になってもう一度、と思える作品。
時間の許す限り数回見させていただきました。
ネリーはきっと最初から一目みて、名前を聞いた瞬間から母だって分かっていたけど、変に甘えることなく、対等にマリオンと接しているところがフランスらしいなと感じた。
また機会があったらこの監督さんの作品をいくつか見たいです。
宝箱に落とし込んだよう
好きだなーこの作品
時間と空間が交差して昔のママとおばあちゃんに会う。時間と空間って絶対的なものじゃないんよねきっと。人間の脳のスペックで認識できるのが四次元なわけで、実はもっと同時進行的なものかもね、よくわからんが。もし誰か近しい人が亡くなってもおいおい嘆き悲しまなくてもいいんよねきっと。そっと隣の部屋に移っただけなんだと思う。
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