劇場公開日 2021年3月20日

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「二人の思い、そして観る者の思いが交錯する」AGANAI 地下鉄サリン事件と私 よしえさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0二人の思い、そして観る者の思いが交錯する

2021年4月9日
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オウム真理教による一連の事件については色々思うところがある。この映画は見なければならない、と心に決めていた。時間がが合わずその思いがなかなか果たせなかったが、ようやく機会を得た。

映画はさかはら監督とオウム真理教(現アレフ)の荒木広報部長の、二人で旅をしながらの対話でほぼ全編が構成されている。
監督は地下鉄サリン事件の被害者であり、荒木広報部長は直接手を下したわけではないにせよ加害者側の立場の人間だ。しかしいかなる過程を経てかは分からないものの、映画の冒頭では既に二人の間に何らかの信頼関係が築かれているのが見て取れる。いっそ友達同士と言っていいような気さくなやり取り。生い立ちからオウムに入信、出家するまでの半生を浮き彫りにしつつ、時に監督は荒木氏の思いに深く切り込んでいく。そうして、荒木氏の中に今だ麻原に対する信頼が揺るぎなく存在していること、一方で過去の事件に対する複雑な心境を抱いていることなどを抉り出す。

偏見混じりを承知で言うが、荒木氏はあの教団の要職についていながら、実に内省的で誠実な人物に見える。それに対して阪原監督は、被害者の立場をもってイニシアチブを取りながら言葉を突きつけていく。監督は恨みをぶつける相手を探しているが、荒木氏にとってもそれが誰であるか明確ではない。勢い、どちらにも答えは見えず、ともすれば虚しいだけのやり取りが続く。
これは同時代を生き、被害者か加害者かにかかわらず何らかの形で事件に巻き込まれていたかもしれない私達にとっても知りたい答えでもある。もちろん全てを麻原や一部の教団幹部のせいにしてしまうのが一番簡単だし、現実的にもそれでほぼ間違いはないはずだ。そして監督は、荒木氏にもそれを認めさせ、教団に対する味方を改めさせたいようにも見える。実際そういった言葉を投げつけてもいる。
映画は事件から20年後の日、荒木氏が被害者に献花をし、監督に伴われ会見を行ったあと、その場を去るタクシーの車内での二人の会話で唐突に終わる。その3年後、麻原をはじめ教団幹部の死刑が執行された旨のテロップが流れる。麻原は結局事件にき何ら決定的なことを告げぬまま死んだ。被害者はもちろん、荒木氏ほか教団に残された人たちの思いは踏み躙られたままだ。

よしえ