アメイジング・グレイス アレサ・フランクリンのレビュー・感想・評価
全70件中、1~20件目を表示
ただただ陶酔感が湧き上がる幻のライブ映像
正直言ってこのドキュメンタリー映画を舐めていた。本作がいざ始まればおそらく誰もが、1972年、夜な夜なLAの教会に響きわたった歌姫の至福のメロディに呑み込まれる。専門の音楽的知識など不要。南部の教会で老若男女が陶酔感たっぷりに身体を揺らすように、ここでもただ音楽を肌で感じ、身体と心を委ねればいいだけの話なのだ。観客を入れて行われた二日間の収録はのちにレコード盤となり大ヒットを遂げた。と同時に、ワーナーが製作するはずだったシドニー・ポラック監督による映像版は技術トラブルによる映像と音が同期せず、ずっと未完成のままお蔵入りに。それが'18年、ついに日の目を見ることになった。この意味は大きい。観客の服装、表情、歓声、諸手を挙げて祝福を送る姿。額いっぱいに汗を浮かべ魂の響きを紡ぐ歌姫。その背後にポラック監督がちょいちょい見切れているのが感慨深い。この名匠もまた天国で映画の完成を祝福しているはずだ。
ショーアップされていない教会内でのライブだからこそ、歌唱そのものの凄味が伝わる
アレサ・フランクリンの父親は著名な牧師で(本作にも登場する)、アレサは子供の頃から教会でゴスペルを歌っていたという。ソウル歌手としてデビューしてからはラブソングを含め幅広い内容の歌を歌って成功したが、ライブアルバム収録のために企画された1972年1月のこのセッションでは、ルーツに立ち返る狙いだろうか、ロサンゼルスの教会を会場に選び、選曲もほぼすべてゴスペル、つまり神とキリストを賛美する歌に統一された(例外的にキャロル・キングの「君の友だち」のカバーもあるが、歌詞の一部で「友(=私)」を「神」に置き換え、「君は呼ぶだけでいい、私(=神)はそこにいる」といった具合に歌っている)。
スポットライトもカラフルな照明も、華美な衣装もない。マイクも牧師が説教する講壇の上に置かれ、アレサは大半の曲を講壇の後ろに立って歌う(ピアノ弾き語りも数曲あり)。派手な演出がないぶん、このドキュメンタリー映画の観客は彼女の歌唱の力強さ、豊かな響き、魂のこもった歌の世界に直接向き合い、心を揺さぶられることになる。伴奏の録音状態も良好で、バスドラムやベースなどの低音もほどよく分離して聴こえる。
アレサの後ろに並ぶコーラス隊や、席の観客たちが思い思いのタイミングで高揚して立ち上がったり、踊ったりしているのも、いかにも自然発生的で生々しい。客席にはローリング・ストーンズのミック・ジャガーとチャーリー・ワッツもいる。そして、カメラをまわす若いシドニー・ポラック監督の姿も。
実はこの時、ポラック監督は音楽ドキュメンタリーの仕事が初めてで、別々に収録する映像と音声の素材を編集時に同期させるためのカチンコを入れ忘れてしまう。そのせいで、同期をとる試行錯誤をするも結局編集を断念し、数十年もお蔵入りになっていた。
ポラック監督は2008年に死去し、その少し前にプロデューサーのアラン・エリオットが未編集素材を買い取った。近年のデジタル技術により同期の問題が解決し、2011年までには本作が完成していた。だがアレサ本人が公開を望まず、2011年の劇場公開と2015年の映画祭での上映を、2度にわたり法的手段に訴えて阻止。そしてアレサの死後、遺族が上映を希望してようやく2018年に米国で公開された。
こうした経緯を知ると、素晴らしいパフォーマンスを鑑賞することができて嬉しく思う反面、本人が望まなかったものを死後に商業作品として公開することの道義的な微妙さにひっかかってしまう。「アメイジング・グレイス」を冠した映画が歌い手自身に祝福されなかったというのはなんとも皮肉ではないか。
サマー・オブ・ソウルに何故でなかったのか?
三回目の鑑賞です。偉大な歌手です。
シドニー・ポラックって誰ですか?
『追憶』か!
何の縁でこの映画を撮る事になったのでしょう。
ほとんど未編集で、どこに監督いるのでしょうか?
勿論、シドニー・ポラックって人の人相を知らないので、間違っているかもしれませんが、一日目の夜には白人は二人くらいいるだけで。まさか、シドニー・ポラックって黒人ですか?
だから、とってつけた様な映画なんだと思ってます。
それで、未編集ですから、監督は名前だけ。
だから、作品としては全く評価していません。アレサフランクリンに対する敬意です。
幻のコンサートで、撮影後お蔵入りと言いますが。コンサート自体と映画作品としては大した事はないと思います。
1969年のハーレムコンサート(サマーオブソウル)
1969年のウッドストック
1969年のビートルズルーフトップコンサート
1971年のバングラデシュコンサート
と続きますから、企画倒れなコンサートだと思います。
まぁ、それでも彼女は凄いです。
しかし、サマー・オブ・ソウルのレビュー消されたのか?
消されるのは仕方ないが、見た日まで分からなくなる。
推測
これが公開出来なかったのはアレサ・フランクリン側の意図ではなく、写ってしまった大スター(?)側からの個人情報としての異議申し立てなんじゃない?まさかね。
タイムスリップしたみたい
恍惚
情熱的な歌唱には興奮したのだが、公開があまりにも遅すぎた
素晴らしい映画であることは間違いないのですが、正直私には合いませんでした。これは完全に個人の好みの問題なので、作品の質が低いとかそういうことでは決してありません。以前マイケル・ジャクソンのライブ映画『THIS IS IT』を鑑賞した時も実感したんですけど、こういう音楽映画はどんなに周りの評価が高くても合わない人にはとことん合わないんでしょうね。
私は以前、ジャニーズアイドルである嵐のライブ映画を絶賛しました。しかしそれは嵐のメンバーについて知っている状態で、尚且つ馴染みのあるJ-POPの曲だったから楽しめたんです。本作については私はアレサ・フランクリンというシンガーについても全く知識がありませんでしたし、曲も私の好みとは異なるものだったので、1時間30分ほどの上映時間は全く知らない曲を全く知らない人が歌ってるのをただ見せられているだけでした。
技術的な問題で映画の公開が撮影から半世紀経ってしまっているのが大きかったと思います。アレサ・フランクリンの知名度が高く、劇中で語られているように「知らない人はいない」くらいの存在であったならば、非常に楽しめたと思います。アレサ・フランクリンという偉大な存在であっても、半世紀という年月はその存在を遠い過去のものとするのに十分だったということでしょう。
もちろん彼女の歌唱力や表現力の高さは初見の私にも伝わるほど素晴らしいものでしたので、アレサ・フランクリンという伝説的歌手を知っている方やゴスペルやソウルに造詣の深い方は観ておいて損は無いと思います。
・・・・・・・・・・・・
「ソウルの女王」と呼ばれた伝説的女性シンガーであるアレサ・フランクリン。彼女が1972年に行なった、ロサンゼルスの教会での観客を入れての公開レコーディングを収録した映像を編集したライブ映画。当時は技術的な問題で公開ができなかった映像を、現代の技術で編集し、完成に至った。
・・・・・・・・・・・・
二日間にわたる教会での公開レコーディング(ライブ)の様子を撮影し、映画として編集したものです。冒頭にアレサ・フランクリンという人物についての申し訳程度の説明が挟まれる以外は基本的にはレコーディングの様子を流しているだけです。アレサ・フランクリンについて知っている人からすれば、半世紀近く公開されていなかったライブ映像が観ることができて感無量かと思いますが、如何せん私はアレサの名前すら聞いたことがなかったので、そういう感動は一切ありません。
事前知識が無い私が不満に感じたのはそこなんです。完全にファン向けの映画になっていて、「アレサ・フランクリン?どちら様?」という感じの私のような人間は置いてけぼりにされているような感覚がありました。彼女がどれだけ凄い人物なのか・彼女の人気がどれほどのものだったのか・この公開レコーディングに彼女がどれだけの情熱を掛けていたのかを事前に知ることができれば、もっともっと楽しむことができただろうと感じます。
私は以前ジャニーズアイドルの嵐が活動休止前に行った大型ライブを映画にした『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』をレビューした時も、「彼ら(嵐のメンバー)のひととなりや解散などの背景を知っているからより楽しめる」と書きました。もしも「どこのだれかも分からない人のライブ」だったなら、全く同じクオリティの映画だったとしても感想は全く違うものになっていただろうと思います。
もしもアレサ・フランクリンを知らずにこの映画を鑑賞しようとする方がいらっしゃるならば、まずは彼女の業績や人となりを事前に調べてからにした方が良いとアドバイスしたいですね。それをやるとやらないとでは、この映画を観て感じる印象は異なるものになると思います。
魂って本当に震えるもんなんだ(゚∀゚)
前回劇場訪問時の予告で聴いた歌声に涙が出たのを忘れられず、平日の自分の行動範囲外に位置する目黒に仕事の後訪れ、ラスト一本駆け込み観賞🎥✨
1972年にL.A.のバプティスト教会にて公開録音されたゴスペルライブ。この音源は既に世に出回っていて、翌年グラミー賞を受賞したり、アレサ・フランクリン史上最も売れたアルバムで、かつ史上最も売れたゴスペルミュージックアルバムとだった(らしい)。同時にワーナー社が撮影していたライブ映像は技術的な問題のためお蔵入りとなっていたそうだが、50年の時を経て(テック向上のため?)当時の映像をドキュメンタリー映画として公開することが実現できたそうな。
映画の感想は、『とにかく凄いものを観た』かな。
アレサ・フランクリン=『ソウルの女王』の上手なお歌がずっと聞ける映画なのかな?くらいに思って観たけど、実際は全然違った。
この二日間のライブ映像の第1夜での歌は「パワー」とか「エネルギー」とか「爆発力」とかではなく、「優しく愛に満ちた情感にあふれた」歌い方で天(神)と地(人)とを繋ぐ使徒のような役割を果たしている人なんだと直感的に感じ、とにかく魂が震わされ、まさかの四肢に鳥肌が立ちっぱなし。足に鳥肌なんて初めてたった😅見えないだけで下手したら内臓の表面だってブツブツと鳥肌ってたかもしれないと思えるほどwww
じわりじわりと包み込まれ、だんだんと涙が溢れ出す。そんな素晴らしい歌。
「上手に歌おう」とするのではなく、「皆に届けたい」想いで歌っているのだと感じる。牧師の娘に生まれ、常に信仰とともにあったんだろうと容易に想像できる「他とは一線を画する」歌声。本当に凄い。
第2夜は前夜に比べてパワフルな歌声。
繰り返しだけど、なんかもう『とにかく凄いものを観た』。
アレサ・フランクリン、歌ってるときの顔は和田アキ子ww
魂込めて歌う人って同じ顔になるのかな??
アレ(ク)サ、歌を歌って。
白人中心の教会で歌われる讃美歌と、黒人中心の教会のゴスペルでは、まるで雰囲気が違う。雰囲気だけじゃなくて、この映画では歌詞の和訳を字幕で出してくれるので、ゴスペルに詳しくない私にも少し理解に近づけた気がするが、根底に抑圧と忍従の日々から安穏を求める祈りがある。それはやはり長きに渡る黒人迫害の歴史と切り離すことはできない。
アレサ・フランクリンの一曲目の歌い出しからいきなり泣きそうになった。高音の抜けのいいシャウトは迫力がある(ベット・ミドラーやアイナ・ジ・エンドのようなハスキー系のシャウトも好きだが)。教会でのライヴということで、説教壇から歌うのも奇なる情景だ。キャロル・キングの曲まで宗教色を帯びるのも面白い。一方で、もう少しバラエティに富んだ選曲のコンサートも見てみたいという思いも。
今回の上映は、ジェニファー・ハドソンがアレサを演じた映画に関連したものなのだろうか。フレディ・マーキュリーの伝記映画のヒット以来、同工の音楽映画が続いているが、どういう人選なのか謎だ。
立ち上がり、止むことない拍手を!
彼女が歌い終えるたびに、できることなら、わたしもあの場にいる観客たちと同じく、立ち上がり、何度も何度も手を叩き続けたかった。
迷いもなしに星5つ。今年始まったばかりだけど、今年みた映画のベストに入るのは確実だと思う。(映画の公開自体は今年じゃないけれど)
どうやったら涙を流さずに見れるんだろう。
とはいえ公の場なので、歯を食いしばりながら泣くのを堪える。
けれども流石に、タイトルにもなっているアメイジング・グレイスの歌唱シーンには、もうだめだった。
彼女の歌唱そのものだけでなく、彼女が、彼女の歌が作り上げたあの空間そのものに圧倒されて…
(見たひとならわかるとおもうけど、ほんとにすごかった。)
映像を見たというより、ひとつの空間を目撃し、経験したのだと思った。
それから、すべての歌に日本語字幕がついていたのが本当によかった。
多くの黒人の人々に埋め尽くされた教会で、ソウルの女王と呼ばれる黒人女性歌手が、魂をこめて歌っている内容の、その重み。
ドキュメンタリーということになっているけれど、彼女の私生活に関わる物語やナレーションは一切なく、ただひたすらコンサートの様子だけを見せているのもまた良かった。
彼女たちにしかつくりあげられない世界をただ目撃し、涙をながす。わたしたちにはそれしかできないのだ。もう〜すごい。ただただ拍手。
汗と熱狂のライブ!
「リスペクト」のハイライトともなっていたアレサ・フランクリンのゴスペルライブのドキュメント。
「リスペクト」を観た後なのでよくわかるが、アル中でスランプに陥っていたアレサが、自らのルーツであるゴスペルを教会で歌うことによって蘇っていく、まさしく転機となった貴重なライブ。
最初のうちは、アレサの表情が少し硬い。それが、牧師や聖歌隊、そして観客との相互作用から、ぐんぐん高揚していき、汗まみれになって熱唱していく様は圧巻。
さらに、ライブの2日目では、観客も熱狂の果てに、踊り出し、泣き叫ぶようになるあたりは、凄いものを観た感じ。アメリカにおいて、ゴスペルがいかなるものか、少しは理解できた気がする。
演奏面では、C・レイニー、B・パーディのリズム隊の抜群の安定感が光る。あと、アレサのお父さんがとてもスリムでハンサムなのに驚き。
映像作品としては、撮影スタッフがしょっちゅう写り込んでいたり、ピンボケしたりで、評価しづらいが、とにかく熱狂ライブの臨場感を出すことに徹底している。
今頃になってやっと公開されたことには事情があるのだろうが、自分としては、「リスペクト」を観た後すぐに、この映像を観られたことは、本当にラッキーだ。
恍惚、陶酔、死と快楽(音楽)
私は無宗教だし、日本人の大半は正直無宗教だろうと思う。
ただそれはこの儀式を観に来ていたミックジャガーとて同じこと。
ロンドンのひとたちはアメリカ人の宗教観とかなり隔たりがある。
ミックジャガーが最初遠巻きに一番後ろから観てるでしょ?たぶん遠慮していたんじゃないかな。かれはとても育ちが良いんです。そんな気がする。ただ最後の方では前の方で観てますね。かなり楽しんでるようです。
アレサフランクリンの、というか、もうこのレベルの音楽体験になりますと、宗教もクソもない気がします。恍惚と官能そのものといいますか、もはや自分の中に受信できるアンテナが設置されているかどうかだけかと。
コーネルデュプリー(ギター)、チャックレイニー(ベース)、バーナードパーディー(ドラム)のバックは無敵艦隊のようにどのような展開にも即座に対応し、都会的なソウル、ファンクミュージックを展開する。ロンドンの人がそこまで神を信仰していないのにこのミュージックにハマるのはこのバッキングによるところも大きい。レコードでソウルを聴く私にとっては神みたいな人たちなので、ほんとに幸せな体験でとても貴重な映像です。
爆音のこのマスタリングにはプロデューサーのアリフマーディンが関わっていると最後に字幕で流れました。耳がいい人がマスタリングすると音作りが全然違いますね。ベースとドラムの臨場感が半端ない。これは映画館で観るべきでしょう。モノラル盤のアナログレコードのようなマスタリングです。
サマーオブソウルが無駄なことばかり編集して駄作になったのと対照的に、無駄が一切ない構成。大傑作である。
序盤で進行役の神父さんが突然ブルースを歌い始めるのに驚きました。教会でブルースって御法度なんですよね。この神父さんかなり進歩的な方みたいだ。「今夜は踊りますよ」って言ったりとか、終盤でも女の子が突然かっこよく踊り始めますよね。説明されなくてもこの神父さんがどんな人かわかります。
特に終盤の興奮した観客の1人が暴れ出して4人がかりで押さえつけるシーンがハイライトで、やはり素晴らしいドキュメンタリーというのはこういう奇跡のような瞬間を逃さず撮ってるんだなーと感動。
ここでの評価の低さが、すなわちもはやこのやうな音楽を楽しむ土壌が日本にはないのではないか、という懸念にもつながる気もします。寂しいね。山下達郎やピーターバラカンが嘆くよ(笑)ロッテントマトの評価、トマトメーター99%ですからね。オーディエンススコアも80%。日本と海外のオーディエンスの評価の乖離を最近つとに感じます。はっきりいって嘆かわしいと思ってます(笑)理解力、感受性の衰えが目立つ。あー失礼。
気になってしまう。
今自分は41歳、アレサフランクリンを聴いていたのは15歳から17歳ぐらいの時、その時すでにクラシックスでもあるが、出会いは当時hiphopが流行りだした頃で、丁度バンドブームからクラブカルチャーへ移行する時代だった。そのhiphopの元ネタとしてであったのがソウルミュージックだった。レベルの違う、もの凄い歌唱力を持ってるシンガーが何人もいたが、その中でもソウルミュージックといえば!のような存在でもあるのがアレサフランクリンだ。なので、歌唱力についての新たな驚きは遠い昔に済んでいたのでなかったが、改めてアレサゴスペルの素晴らしさは感じれた。ただ一般的な日本人がゴスペルをアメリカ人や黒人と同じように感動するのは文化的背景の違いから難しいと思う。なので、個人的には音楽映画として最高なものではない。しかし最大の謎は、72年、アレサが30歳の時に撮影され、テクニカルなトラブルが解決して映像化したのが、1991年だと言われている。しかし公開のタイミングでアレサは訴訟を起こして2回に渡って公開を阻止しているらしいのだが、、何故? 彼女の死後、遺族の合意の元で公開に至ったようだが、アメリカをはじめとしたその他の国でも興行にも成功しているようだし、この音源が収録されたCDアルバムも大ヒットを記録している。当時も映像化の予定だったので、当然しっかりと撮影されている。記録映像としても価値のあるものだと思うのだが、何故アレサ本人だけが公開したくなかったのでしょうか。そこがめちゃくちゃ気になってしょうがない。
幻の公開
タイトルなし
この歌声は
全70件中、1~20件目を表示