きみが死んだあとでのレビュー・感想・評価
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元気で何より『10万円?舐めるな!』と75歳でも、吠えてね♥
二回目の鑑賞である。
山﨑さんの描いた絵は白土三平先生の『カムイ伝』ではなく『ワタリ』である。
左翼リベラリストや新左翼が革命をなぜ起こせなかったか?
『右』『左』関係なく、明治維新以降の脱亜入欧にある。そして、
民族としてのナショナリズムが欠如している事にある。そして、
西洋にに負けてしまった事。
と感じる。
つまり、負けても未だに笑顔は西洋で、尾っぽは亜細亜を向いている。
この映画で、共感出来る唯一無二の点は、反原発運動の事だが、全共闘の闘争とは分けて考えるべきだ。『アナクロでエキセントリックな運動』とは違う冷静な動きへと運動を進めていかなければならない。
そうでないと、
『きみたちが死んだあとで』大和民族はやがて絶滅するであろう。全世界を巻き込んで。
貴重な証言集
いわゆる団塊の世代の方々も後期高齢者。当時の記憶は生々しい一方、中核派だった方々、今になって振り返ると、若気の至り・いかに一般市民の共感とかけ離れた世界に生きていたかも十分に認識されてるご様子。そろそろこのような貴重な証言のアーカイブも撮っておかないと間に合わなくなると思った。
動画がほとんどない中で挿入される当時のモノクロのスチル写真の強さ、当時の若者の目力にもグッときた。
不勉強なまま、個人の快楽だけを追い求めていた80年代のシラケ世代の私から見ると、貪欲な向学心と高い社会意識を持った優秀な若者が、「なんて勿体無いことしたんだろう」と思わずにはいられない。やっぱり生きてなんぼです。悔しい。
悔しいといえば、第二部の「水戸巌」ご一家のエピソード、全く知らずでショックだった。やたらな陰謀論には与しませんが、ちょっと今につながる怖さが、、、
余談だけど、いわゆる予備校の名物講師の人材の奥の深さに今更ながら思い至った。山本義隆さんのみならず、世が世なら世俗的に「出世」なり「功績上げ」そうな人たちの受け皿なんだと思う。
自分で考える人間は権力者にとって邪魔な存在なのだ
長時間の映画だが、前半と後半に分かれていて、間に休憩もあるからまったく苦痛ではない。前半(上)ではタイトルの「きみが死んだあとで」の「きみ」である山崎博昭さんが羽田闘争で死んだ経緯についての人々の証言、後半(下)では山崎さんが亡くなったあとの学生運動の変遷とそれに関わった人々の証言を映し出す。
ベトナム戦争については様々な考え方があると思う。1950年にはじまった朝鮮戦争は当時まだ記憶に新しく、韓国は朝鮮戦争で日本をはじめとする支援国が朝鮮戦争特需で大儲けしたことを知っていた。折からはじまったベトナム戦争に今度は自分たちが参加してベトナム戦争特需で儲けようとしたのが韓国の朴正熙政権の狙いであり、同じ図式でアメリカを相手の商売で大儲けしようとしたのが日本の佐藤栄作政権の狙いであった。そしてそのいずれの狙いも的中して、韓国も日本も大いに潤った。
当時の日本は高度成長期であり、オリンピックが開催され、国内のインフラや道路や鉄道が整備され、大きなビルディングも次々に建設された。その原資となる金はどこから来たのか。朝鮮戦争やベトナム戦争で得た金が使われたのである。日本の高度成長とは要するに朝鮮特需であり、ベトナム特需であったのだ。ベトナム戦争で沢山の人が死のうがどうしようが知ったこっちゃない、自分さえ儲かればいいというのが日本の本音だったのである。もちろん当時から現在に至るまで誰もそんなことは言わないが、それが真実であることは多くの人が知っていると思う。
学生運動は純粋である。戦争は人殺しだ。人殺しは悪だ。だから悪に加担する日本政府は許さない。だから佐藤栄作首相がサイゴンに行くのを阻止しなければならない。そういう論理である。しかし佐藤栄作は岸信介の弟であり、60年安保のときと同じく民衆がどれだけデモ行進をしようが我関せずである。正義よりも利益を優先するのだ。
同じく日本国民も何よりも利益を優先する。自民党政権がずっと続いているのがその証拠だ。政権が最も願うのが政権の維持である。一旦得た政治権力は、別の勢力には渡したくない。だから一番大事なのは選挙に勝つことだ。政策は常に、次の選挙に勝つために何をすればいいかという動機で決定される。そして選挙で政権に不利になる発言をする反体制的な人間は、目障りだから排除しなければならない。
水戸喜世子さんの話が最も印象に残った。山崎さんと一緒に羽田闘争に加わって逮捕された学生たちを援助した女性である。その後内ゲバで学生が殺されると、権力を相手ではなく少しのイデオロギーの違いみたいなことで人を殺す人たちは援助できないときっぱりした態度を取る。実に天晴れな女性である。
夫は原子物理学者の水戸巌さんで、喜世子さんと一緒に反体制派の支援をするとともに、原発反対の活動家でもあった。双子の息子たちと登山した剣岳で遭難し、三人とも亡くなったが、本当に遭難であったのか疑わしい。テントがしっかりしているので亡くなった理由を発狂したと言う人がいるが、喜世子さんは、夫はともかく、冷静な息子たちが発狂するはずがないと断言する。
水戸巌さんは福島第一原子力発電所が稼働した1971年ころから既に原発反対の活動をはじめていて、政権にとっては迷惑な人間であったことは確かである。喜世子さんによれば権力の監視は四六時中で、日常の動きもすべて把握されていたらしい。剣岳登山も事前に警察に登山ルートを届け出なければならないし、警察が遭難事件を起こすことは可能であった。つまり水戸巌さんは権力に殺されたのではないかと喜世子さんは疑っている。
全共闘の初代代表であった山本義隆さんは、一連の運動は意義のあることであったと語るが、日本の有権者はその後もずっと自民党に投票し続けた。一時的に日本新党や民主党に政権が移ることはあったものの、再び自民党が政権を取り続けている。モリカケ問題があっても安倍晋三は選挙に勝ち続けた。スガ内閣の支持率も44%で、不支持率38%を上回っている。日本の有権者は自分の利益優先で、正義も民主主義も関係ない。
このままいくと、東京五輪が中止になるか、大失敗に終わるのは間違いないし、破れかぶれの政権が、有権者の支持を維持するために外敵を求めるのは自然の流れだ。今だけ、自分だけの利益を考えて投票している有権者の行動が、とうとう最悪の事態を招くことになるのだ。そのときになって日本国民は漸く、山崎博昭さんの行動がどのような意味を持っていたのかを知るだろう。しかしもう遅い。
本作品は、戦後民主主義がどのようにして守られようとし、そして踏みにじられてきたのか、その貴重な資料にもなると思う。同時に自分で考えることを放棄してきた日本国民が、戦争の災禍を経てもなお、考えることを放棄し続けていることを明らかにしている。コロナ禍についても自分なりの意見を持っている人は少ないだろう。情報を取捨選択し、自分の知識と経験を加味して判断するという教育を受けていないから仕方のないことでもある。自分で考える人間は権力者にとって邪魔な存在で、そういう存在を生み出さない教育をしている訳だ。安倍晋三が愛国教育を道徳という教科にしたのがいい例で、お国のために死ぬロボットみたいな人間をこれからも大量生産していくのである。
私の叔父も、10.8弁天橋のあの現場に居合わせたひとりです。ただ、...
私の叔父も、10.8弁天橋のあの現場に居合わせたひとりです。ただ、そのことについて直接話を聞く機会はなく、母親から断片的な話(主に否定的な感想)を聞いた程度です。いつかちゃんと話を聞きたいと思っていましたが、それも叶わぬまま数年前に亡くなりました。ずっと聞きたかった話をこんな形で引き合わせて頂けたこと、心から感謝しています。出来ることなら生きてるうちにこの話を聞きたかったなという若干の悔しさもありましたが、大手前高校のみなさんの姿が叔父の姿とかぶり、胸がいっぱいになって上映後はすぐに席から立つことが出来ませんでした。学生運動の時系列、相関図、当時の学生たちの行動力、問題点… その後の世代にはない筆圧の強さみたいなものに引き込まれました。きっと叔父本人も会場のどこかで観ていたのではないでしょうか。久しぶりに懐かしい笑顔を思い出しました。
緊急事態宣言初日でありながら、あえて上映に踏み切って下さったユーロスペース関係者様にも感謝です。ありがとうございました。上映期間中、もう一度観に行きたいと思います。
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